2話 祓い屋の灰かぶり②
そんなことがあっても、変わらず次の日は昇ってくる。
皇都の東端に位置する甘露桜家の屋敷から、馬車で西へ五キロ行くと、大きな街がある。最近流行りの西洋風の建物が並び、食料品から衣料品まで、様々なものを売る店が並んでいる。
翌日、灰音と紅葉の姿は街にあった。馬車を降りたふたりは、女の使用人をもうひとり引き連れ、三人で街を歩く。と言っても、灰音も使用人扱いの荷物持ちで呼ばれただけである。実質、紅葉の買い物に付いてきた使用人ふたり、という構図だった。
「ほらぁ! しっかり運んでよねぇ!」
「は、はい……」
商品を詰めた箱を、すでに抱えている箱の上からどんと置かれる。両腕に大きな荷物を三箱も抱えることになり、その重さでよろめいた。
使用人も荷物を持たされていたが、灰音に持たされている荷物の方が大きく、重たく見えた。
「ちょっと、ふらつかないでよぉ! 落としたら承知しないわよぉ……? 甘露桜家次期当主の、私の物なんだからねぇぇ……!」
「はい……」
跡取りと正式に決定されたことで、紅葉はずいぶん浮かれて見えた。紅葉は主にドレスや装飾品の店を見ては、贅沢に購入していく。それだけではなく、
「私が当主になったら、こんなのもいいわよねぇ♪」
と言って、大きな屏風まで買ってしまったのだ。……さすがに屏風は家に届けてもらえることになったが、それでも紅葉の買い物量は多かった。
そんな時だった。
「きゃああああーっ!!」
道の向こうから、つんざくような悲鳴が聞こえた。
(な、何……?)
灰音は立ち止まり、声のした方を見る。
どうも、この通りの先でなにか騒ぎが起きたらしい。人々は不安そうに顔を見合わせたり声のした方を見たりして、落ち着きをなくしている。
「いったい何事っ!? ちょっとあんた、あっち行って様子を見て来なさいっ!」
「はいぃっ」
紅葉が使用人に命令し、彼女は荷物を地面に置くと慌てて駆けていった。
灰音は、ざわめく人々の様子を見ながら、紅葉に話しかける。
「紅葉……馬車に戻りましょう。危ないかも……」
「そうね。せっかく買った商品が壊れたら困るしぃっ。じゃ、あんた、アレ持ちなさいよ」
「えっ……」
先ほど使用人が地面に置いた荷物を指差される。
一箱追加で抱えると、すっかり歩きにくくなってしまった。前も見えないが、箱の横から顔を出すにも、バランスを崩しかねない。
灰音は、馬車に向かって小走りし始めた紅葉の後ろを必死に付いていく。
喧噪が、先ほどよりも大きくなっている。騒ぎはどうやら、こちらへ近付いてきているようだ。灰音たちのそばを、逃げていく人々が走り抜ける。
「逃げろ! なんかいるらしい!」
「何がいるってんだ!」
「知らねぇよ! 見えねんだからよ!」
(見えない……?)
灰音は歩きながら、耳を澄ませる。
「店のガラスがひとりでに割れて、ぐちゃぐちゃになっちまったんだ!」
「なんだそりゃ!? 地震か!?」
「バカ言え! 地面なんか揺れてねぇよ!」
一般人に見えないものが、被害を出す――灰音には心当たりがあった。そしてそれは、紅葉も同様らしかった。立ち止まった紅葉に追いつくと、彼女の顔色は悪く、脂汗を掻いている。彼女は急にガリガリと頭を掻くと、顔を歪めて言った。
「なんなのよぉっ! 今日、封印壺なんて持ってきてないわよぉお……っ!」
「……っ! そんな……! 式神もいないの……?」
「持ってくるわけないでしょぉっ! 楽しい買い物だってのに! 妖怪なんて、出来れば持ち歩きたくなんかないわよぉっ!!」
紅葉はそう叫ぶと、地団駄を踏んだ。
「きゃああああっ!!」
「うわぁああああっ!!」
人々の悲鳴が響く。街は、混乱に包まれていた。
様子を見に行かせた使用人も戻ってこない。騒ぎに巻き込まれたのだろうか。
「急ぐわよっ!」
「は、はいっ」
幸いにも、人々が逃げる方向と馬車を繋いである方向は同じである。灰音は小走りで駆け出そうとした。しかし、荷物が邪魔で、どうにも上手く走れない。
「きゃっ……」
そうして、一箱落としてしまった。
ガシャン――ものが割れる音がして、
(しまった――!)
思った瞬間、パシンという音と共に、頬にするどい痛みがはしった。紅葉に平手打ちされたのだ。
衝撃で座り込んでしまった灰音を、紅葉は怒鳴りつける。
「このっグズっ! グズグズグズっ!」
「ご、ごめんなさいっ。……でも今は……っ」
「なによぉっ!」
今は、緊急事態で――そう言おうとして、灰音は目を丸くし、震えながら指を差した。
「も、紅葉、あれ……っ」
「なんなの!? って、きゃあああっ!?」
いつの間にか、紅葉の背後には巨大な人骨がそびえ立っていた。五メートルを超える骸骨の妖怪――『がしゃどくろ』である。
辺りの気温は急激に下がり、まるで氷の部屋にいれられたかのようだった。
ガチ、ガチガチ――頭蓋骨の大きな顎が動かされ、歯を打ち鳴らす。その歯の間からは、生ぬるいヘドロのような腐臭が吹き出していた。
「フシューッ……」
(……どうしてこんな大きな妖怪が……)
灰音はその巨体を見上げたまま、動くことが出来ずにいた。
がしゃどくろが巨大な体を動かすたび、パキパキと骨が折れるような乾いた音が響く。骨だけで出来た腕が、ゆっくりとこちらに伸ばされた。
「なんなのよこいつ……! くっ! ――呪を唱う。『かごめかごめ・捕縛』!」
紅葉が手のひらほどの小箱を取り出して、蓋を開けてがしゃどくろに向ける。すぐにそこから赤い糸が勢いよく飛び出し、がしゃどくろに巻き付いた。ピンと張られた糸にぐるぐる巻きにされ、がしゃどくろは動きを止める。
「ざまぁないわね!」
その間に紅葉が走り出し、ハッとした灰音は慌ててその後を追った。
馬車までは、もう少しだ。
高級品も扱うような商店街には、華族が来やすいようにと馬車預かり所がある。これは、街のはずれにある小さな牧場のような形で、厩と小さな柵に囲まれた草地、それから馬車を停めるスペースがあった。
馬車預かり所の周辺の野原には枯れた草が広がっていて、道を歩いている余裕などない灰音たちはそれを突っ切って進んだ。
前方にはもう、馬車預かり所の建物が見えている。
「早くっ! 早く早く早くっ!」
「は、はい……っ」
紅葉は灰音より早く辿り着くと、預かり所の主人に出発の準備を急がせた。自分の馬車を出してもらい、休んでいた御者をたたき起こし、馬を繋がせる。
そうしている間に、灰音もようやく馬車預かり所へと辿り着いた。
「はぁっ……はぁっ……!」
荷物を抱え、立ったまま、灰音は荒い息を整える。
(これで逃げられる……! 家に帰ったら、紅葉は封印壺を取ってくることが出来るし、何よりお父さまもいるわ……!)
希望が見え、灰音は何度もそれを頭の中で復唱した。
自分たちは助かるのだ――そう思った、その時。
フッと、灰音の視界が暗くなった。上から、影が落ちてきたのだ。
(――え?)
灰音は黒くなった地面を見て、ヒュッと息を止める。
パキ、パキパキ――。背後から、骨が割れるような音が聞こえる。
(ま、さか……)
恐る恐る振り返って見上げると、そこには――再びがしゃどくろの姿があった。紅葉のかけた捕縛の糸は引きちぎられ、自由になった姿でそこに立っている……。
「ぁ……あぁっ……!」
喉が詰まって、悲鳴とも叫びともつかない声が漏れる。
灰音に妖怪祓いの能力はない。紅葉に封印壺はない。
繋がれた馬たちが怯えて、嘶いている。それが一層、灰音の思考を不安にさせた。
「出発の準備が出来ました!」
御者が叫びながら、キャビンの扉の鍵をあける。
扉が開くと、紅葉はすぐに乗り込んで叫んだ。
「荷物を乗せて! 早くっ!」
「……! ……っ」
声にならない返事をして、灰音は車内に荷物をおろす。そして座席に座ろうとした、その時――。
ガシャン! ガタガタガタ、――ブォン!
馬車が持ち上げられたかと思うと、左右に大きく振られた。がしゃどくろが馬車を上から掴んで、振ったのだ。
「きゃあっ!」
まだ開いたままだった扉から、灰音と紅葉は転がり出てしまう。
馬車から放り出された灰音はよろりと立ち上がると、紅葉のそばに向かった。
「この……っ! 呪を唱うっ! 『かごめかごめ・捕縛』っ!」
もう一度紅葉が小箱を使い、赤い糸でがしゃどくろを縛るが、今度はすぐに引きちぎられてしまう。
「こいつ……っ!」
「紅葉……っ」
灰音には、紅葉だけが頼りだった。
封印壺がなくても、妖怪祓いの能力はあるはずだ。捕縛以外の術も使えたはずだ。優秀な妹なら、この局面をひっくり返す力があるかもしれないと、そう思っていた。
――だから、とても驚いたのだ。
なぜなら、次の瞬間。
灰音は、ドン――と突き飛ばされたのだ。
「――え……?」
「悪いわねぇ、お姉さまぁっ! 捨て駒になってちょうだいっ!」
そう言い放った紅葉の顔は、いつものようにニヤリとした笑顔だった。




