5話 鳳凰寺家のお屋敷②
灰音は案内されるまま、鳳凰寺家の長い廊下を進む。
廊下には飾り棚があり、そこには美しい扇や壺などが並んでいた。それらは綺麗な芸術品であり、甘露桜家で見る禍々しい呪具とはまるで違う。
家の中をじろじろ見るのは失礼だとは思ったが、扇や壺に描かれている花の絵などは見事で、つい視線を向けてしまう。
やがて浴室に案内された灰音は、使用人たちにお礼を言ってお湯を借りた。
着物を脱ぐと、思ったより乾いた泥などがついており、これで他人の車に乗ってしまったことを申し訳なく思った。
風呂から上がると、脱いだ着物の代わりに新しく浴衣が用意されており、灰音はありがたくそれを身につけた。白地に梅柄の綺麗な浴衣だ。
支度を調えた時、ちょうど扉の外から声がかかった。
「灰音さま。扉を開けてもよいでしょうか?」
「は、はい」
「失礼いたします」
入ってきたのは、先ほど吉江と呼ばれていた使用人だった。
「浴室に不便などございませんでしたか?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
「それはよかったです。では、こちらへ。お部屋へ案内いたします」
吉江はにこりと笑うと歩き出し、灰音はその後をついて行った。
通された部屋は、綺麗な和室だった。
部屋の広さは十畳ほどだ。部屋の中央には机と座布団が置かれており、床の間には花が生けられている。部屋の奥の障子が開いており、大きな雪見窓が見えた。今は暗くてわかりにくいが、ここから庭を見ることが出来るようだ。
灰音はそっと部屋に足を踏み入れた。
(すごく綺麗な客間……)
襖絵の花の絵も美しい。とても立派な客間だと思ったが、吉江が襖を開け、
「こちらもお使いになってください」
そこにさらに同じ大きさの部屋があったので、灰音は目を丸くした。
まず目に入ったのは、衣桁に掛けられた美しい着物だった。灰音が着ていた着物に近い色と柄だったが、とても艶やかで、はるかに上質に見えた。
「お着物は戦闘で破れてしまったとお伺いしました。当主さまの命で、似たものをご用意させていただきました。明日は、こちらをお召しになってください」
「ありがとうございます」
衣桁の隣には桐箪笥と姿見があり、気に入らなければ箪笥の中から選んでくれても良いという。だが、箪笥を開けるのは気が引けた。
吉江がさらに襖に手をかけたので、一瞬灰音はまた部屋が出てくるのではないかとおびえたが、今度は押し入れだった。
「お布団はこちらにございます」
「わかりました」
灰音はほっとして頷いた。
「お体が痛むようでしたら、今すぐ敷きますが……」
「いえ、大丈夫です」
「よろしいのですか? では、お医者さまがいらっしゃるまで今しばらくお待ちくださいませ」
吉江が部屋を出て、ひとりになった灰音は部屋にあった座椅子に座った。
医者を呼んでくれるのはありがたいが、布団を借りるほどでもないはずだ。
「……なんだか、疲れたな……」
息をはいて、背もたれに寄りかかる。すると体が重くなって、灰音は段々うとうととしはじめた。
「灰音さんといっしょにいると、呪われるそうよ」
「気味が悪い」
「あぁ、嫌だ。呪いがうつるわ」
そう女学院のクラスメイトたちが言った。
「え……?」
突然のことに、灰音は辺りを見渡す。そこは、灰音が通っていた女学院中等科の校舎裏だった。
日中のようだが、空は曇っており薄暗い。
灰音は学生服の袴を着ており、クラスメイトたちも同様の格好をして、離れた位置からこちらをジロジロと見ている。
(……これは、……夢……)
女学院はもう卒業しており、これは夢に違いなかった。――けれど、これは本当にあったこと――過去の記憶だった。
クラスメイトたちは、灰音から離れた位置のまま言った。
「学院で最近起こるおかしなことは、すべて彼女の呪いらしいのよ」
「まぁ! お祓いにいってくださらないかしら」
「あら! あなた、彼女のお宅は『祓い屋』ですのよ? くすくす」
「きっとあの子、呪われた子なのよ」
「…………」
灰音は、言い返せない。こういったことを言われるのは、もうずっとなのだ。自覚もある。
きっかけは、女学院の課外授業の最中に妖怪が現れたことだった。しかし、灰音に祓う力はない。この時の妖気に当てられたらしいクラスメイトたちが、その後立て続けに体調不良になったのだ。
そして、灰音だけが無事だった。
甘露桜家は祓い屋の名家だったが、こうなってしまっては他の商社などの華族令嬢にとっては、灰音の存在はただ気味が悪いだけだった。
やがて、学校の外で灰音に会った生徒の中に、体調不良を訴える者が現れた。会話をせず、そばに寄っただけでも呪われると噂されるようになり、灰音が「妖怪を引き寄せている」とまで言われるようになっていった。しかも、女学院にいた他の祓い屋の令嬢や、なんといっても紅葉の周りでは事件は起こらなかったことで、灰音だけが『呪いの子』だと呼ばれるようになってしまったのだ。
(結局、わたしはこれをどうすることも出来なかった……)
祓うことが出来なかったのは、事実だ。
そして同じようなことが、学校生活の間に何度か起こった。
(わたしが無能なのが悪いんだわ。わたしが……無能じゃなければ……)
――そうすれば、ひとりで学校生活を過ごすこともなかっただろうに。
灰音は俯いて、肩を落とした。
足下の影が濃くなって、世界は次第に黒く飲み込まれていった。
■
「灰音さま。お医者さまがいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか?」
吉江の声で、灰音はうっすらと目を開けた。
少しの間、寝てしまっていたみたいだ。頭がずぅんと重く、目覚めは悪いと言えた。
あれは――そうだ、夢だ。灰音はぼんやりとした意識で、過去のことを思う。
すべては、自分が無能だから起こったことだ。
段々と意識がはっきりしてきて、ここが甘露桜家ではないことに気がつく。
(そうだわ、わたし今、鳳凰寺家に……)
灰音は体を起こすと吉江にお礼を言い、入口側の部屋――机や座布団がある方の部屋に戻る。
部屋の入り口の襖が開くと、白衣を着た初老の男性が立っていた。
「こんばんは。私は鳳凰寺家にご贔屓にしていただいております、医師の草壁と申します」
「来ていただき、ありがとうございます。甘露桜灰音です。よろしくお願いします」
「灰音さま。草壁先生は、昔から鳳凰寺家の往診をしてくださってるお医者さまですので、ご安心ください」
「そうなんですね。お願いいたします」
草壁と名乗った初老の医者は、往診用の鞄から医療器具を取り出すと、手早く傷の手当を開始した。
部屋には吉江と医者を案内してきた使用人がおり、彼女らに見守られる中、灰音は傷口を診せる。
最後の傷に包帯を巻いて、医者は口を開いた。
「これで終わりです。妖怪に襲われたと聞いてきましたが、ひどい怪我はありませんでしたね」
「先生、ありがとうございました。その……今お金は持っていないのですが、甘露桜家に連絡していただければと……」
「いえ、診察代でしたら――鳳凰寺家からもういただいていますよ」
「えっ……?」
体に巻かれた包帯を見ながら、灰音はどういうことかと考える。
(もうお父さまに請求がいった、ということかしら……? いえ、こんなに早く持ってこないかしら。じゃあ、鳳凰寺家がお代を立て替えてくださったのね)
きっとそうだろう、とそう思った時、襖の向こうから斎の声がした。
「入っても構わないか?」
「……! は、はい。大丈夫です」
治療のために緩めた浴衣を、灰音は急いで整える。
部屋の襖がさっと開いて、着物姿の斎が部屋へ入ってきた。夕方までの凛々しい詰め襟とは違い、ラフな着物姿で、自分が見てしまってもいいものなのかとドキドキしてしまう。彼の艶やかな黒髪と、琥珀色の瞳は相変わらず美しく、見惚れてしまいそうだ。
彼は真っ直ぐこちらに近づくと、空いていた座布団に座った。
「怪我の具合はどうだ?」
「は、はい。診ていただきまして、大丈夫そうです。お医者さまを呼んでいただき、ありがとうございます」
「そうか」
斎が頷く。
医者は医療器具を鞄に戻しながら言った。
「擦り傷が多かったですね。骨などに異常はありませんでした。お代をたくさんいただいたので、診る前はどんな大怪我かと心配いたしましたが……。ひどくなくて安心いたしました」
「なによりだ。すぐ来てくれて助かった」
治療費の話が出たので、灰音は慌てて口を開いた。
「あ、あの……。お代の方、立て替えていただき、ありがとうございます。明日にでも甘露桜家から持って参りますので……」
「いや、構わない」
「え?」
「たいした額ではない。気にするな」
「そういうわけには……!」
灰音は驚いたが、斎は意に介さない様子でいる。
彼は医者に向き直ると、
「足りなくはないんだろう?」
「もちろんです。多いくらいですよ」
「取っておけ。また頼む」
「かしこまりました。では、私はこれで」
医者は斎に頭を下げると立ち上がった。使用人たちが見送りに向かうのを見て、灰音は慌てて医者に再度お礼を述べ、頭を下げた。
襖が閉まり、部屋には灰音と斎だけになった。
「ほ、本当によろしいのでしょうか……?」
「先ほども言ったが、別に構わない」
「でも……」
「それより、ついてきてくれ」
「え?」
彼は襖を開けると、こちらを振り返って言った。
「確かめたいことがある」




