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序章5 止まった時間

 操法訓練の帰りだった。


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 疲労感に加え、腕にはホースの重みが残っている。


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 誰もが、少しだけ気を抜いていた。


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「火災発生!○○地区、建物火災!」


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 無線が飛ぶ。


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 空気が一瞬で変わる。


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「ちょっと遠いが……行くぞ!」


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 ベテランが言った。


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 消防車が動き出す。


---


 サイレンが鳴る。


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 赤色灯が回る。


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 さっきまでの訓練とは違う。


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 今度は、本物だ。


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 5分もたたないうちに、無線が割り込んだ。


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『こちら○○分団!交差点で接触事故!緊急走行中に接触!』


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「……は?」


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 誰かが呟く。


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 事故。


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 緊急走行中に。


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 消防車の中の空気が、一瞬だけ止まる。


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「前、減速!」


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 交差点が見えてくる。


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 赤色灯が、もう一つ。


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 横にズレた消防車と、停止した一般車。


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 大きな破損ではない。


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 だが――


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 止まっている。


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「二人降りるぞ!」


「了解!」


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 車が完全に止まる前にドアが開く。


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 ジョーも地面に降りた。


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「こっち止めろ!誘導つけ!」


「了解!」


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 他分団の団員と目が合う。


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 言葉はいらなかった。


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 交通を止める。


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 車を流す。


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 歩行者を下げる。


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 やることは、決まっている。


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 だが――


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 火災現場には、まだ着いていない。


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 一般車の運転手が、パニックになっている。


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「す、すみません……!見えなくて……!」


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 声が震えている。


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 手も震えている。


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 軽傷だ。


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 だが、


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 事故は事故だ。


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 無線が飛ぶ。


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「既に救急はこっちに向かってる!」


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 誰かが叫ぶ。


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 サイレンの音が遠くから近づいてくる。


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 ジョーは一瞬だけ、火災現場の方向を見た。


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 まだ、着いていない。


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 まだ、何もできていない。


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 だが、


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 目の前にも、やるべきことがある。


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 車を止める。


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 誘導する。


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 状況を整える。


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 それしかない。


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 警察が到着する。


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「こちら引き継ぎます!」


「お願いします!」


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 手を離す。


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 班の誰かが連絡していたのだろう。


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 ほどなく、別班の消防車が現れた。


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「乗れ!現場向かうぞ!」


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 消防車に乗り込む。


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 再びサイレンが鳴る。


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 今度こそ、現場へ。


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 だが――


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 さっきまでの時間は、戻らない。


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 急いでいた。


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 それでも、


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 止まった。


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 ほんの数分。


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 それだけで、流れが変わる。


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 操法では、止まらなかった。


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 予定通りに進んだ。


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 やり直しもできた。


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 だが現場は違う。


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 止まる。


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 狂う。


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 ずれる。


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 それでも、進まなければならない。


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「火災出動はな、緊急だけど競争じゃねぇんだ」


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 別班のベテランが言った。


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 ジョーは何も言わず、その言葉を噛み締めた。


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 急げばいいわけじゃない。


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 だが、


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 急がなければ、間に合わない。


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 その矛盾だけが、残っていた。

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