第七章 第6話 嵐の終わり
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豪雨は、
まだ止まなかった。
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ジョーは救い出された。
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だが。
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嵐そのものが、
収まったわけではない。
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泉は荒れ、
用水路は唸り、
ブルネンミッテの空には、
黒い雲が渦を巻いていた。
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「ジョーを詰所へ運べ!!」
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ダンの声が飛ぶ。
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トールは、
ジョーを背負い直し、
泥に足を取られながら走る。
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「重ぇんだよ、ジョー!!」
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そう叫びながらも、
腕の力は緩めない。
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リーネが、
隣で必死に走っていた。
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「文句言わないで!」
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「言ってねぇと怖ぇんだよ!!」
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トールは怒鳴り返す。
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だが。
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その目は、
笑っていなかった。
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ジョーの胸は動いている。
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けれど、
意識は無い。
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雨は、
さらに強くなった。
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横殴りの風が、
通りを吹き抜ける。
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水桶が転がり、
木板が飛び、
準自警団の若者達が慌てて押さえ込む。
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「何なんだよ、この風!」
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ハインが、
歯を食いしばる。
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雨だけではない。
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風が強すぎる。
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まるで、
町そのものを揺さぶっているようだった。
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その時。
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ヒュンッ。
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風を切る音。
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「いでぇっ!!」
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トールが、
情けない声を上げた。
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額の辺りに、
小さな石がぶつかったのだ。
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「今それどころじゃないでしょ!」
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リーネが叫ぶ。
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「いや、痛ぇもんは痛ぇだろ!」
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トールは、
ジョーを背負ったまま、
片手で額を押さえる。
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その足元へ、
ころりと小さな石が落ちた。
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淡い緑色。
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雨に濡れているのに、
どこか内側から光っている。
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トールは、
顔をしかめながら、
それを拾い上げた。
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「なんだこれ」
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「ただの石じゃねぇな」
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その声に、
先ほど泉を割るよう叫んだ年配の女が、
目を向ける。
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そして。
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顔色が変わった。
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「……精霊石!?」
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周囲が、
一瞬静まる。
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ハインが振り返る。
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「精霊石?」
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女は、
震える声で言った。
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「魔石じゃない」
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「精霊の力が宿った石だよ」
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「滅多に出ない」
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「風の……精霊石だ」
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その瞬間。
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さらに強い風が吹いた。
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ゴォォォォッ!!
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屋根が鳴り、
木々が唸る。
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トールは、
額をさすりながら、
石を睨んだ。
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「風の精霊だぁ?」
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雨が顔を叩く。
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トールは、
苛立ったように空を見上げた。
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「だったらよぉ!!」
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「この嵐を止めろよ、精霊様ぁ!!」
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半ば怒鳴り声だった。
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半ば八つ当たりだった。
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だが。
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その声が、
雨と風の中へ消えた直後。
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空気が変わった。
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一瞬。
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風が止まる。
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いや。
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止まったように感じた。
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水魔法使い達が、
一斉に顔を上げた。
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若者も。
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老人も。
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子供も。
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泉を割る為に魔力を使い切り、
膝をついていた者達まで、
同じ方向を見た。
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そして。
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声を聞いた。
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『風の?』
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それは、
水の中から響くようで。
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けれど、
耳ではなく胸の奥へ届く声だった。
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『なるほど』
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『アイツが絡んでるのか』
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水魔法使い達の表情が変わる。
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リーネも、
息を呑む。
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その声を、
彼らは知らない。
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だが。
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誰もが理解した。
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泉の守り神。
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ウンディーネの声だ。
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『この嵐は任せてよ』
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その瞬間。
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泉が光った。
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淡い青。
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水面から、
光が溢れる。
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荒れ狂っていた水が、
一度大きく波打つ。
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そして。
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空へ向かって、
細い水柱が立ち上がった。
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雨の中を貫くように。
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風へ届くように。
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青い光が、
空へ伸びる。
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水魔法使い達が、
膝をついたまま呆然と見上げた。
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トールも、
口を開けたまま固まっている。
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「……え?」
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「俺、なんかした?」
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ハインが、
短く言う。
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「したな」
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「たぶん」
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「なんでだよ!?」
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トールが叫ぶ。
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だが、
誰も笑えなかった。
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空が、
鳴っていた。
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黒い雲の奥。
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何かが、
暴れている。
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ゴォォォォッ!!
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風が再び吹く。
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だが。
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さっきとは違う。
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暴れる風を、
水の気配が押さえ込んでいる。
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渦を巻いていた雲が、
少しずつ形を崩し始める。
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年配の女が、
震える声で呟いた。
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「……風の精霊だ」
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「旧クベルハイムの草原に、昔から居たんだよ」
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ダンが、
濡れた髪を払いながら聞く。
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「この嵐がか」
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女は頷く。
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「あの草原は、いつも風が吹いていただろう」
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「そよ風の日もあれば、強風の日もあった」
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「風の精霊が遊んでいたんだ」
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ハインが、
眉をひそめる。
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「遊びで村を飲むのか」
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女は、
苦い顔をする。
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「精霊に、人の加減は分からない」
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「しかも今回は……」
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彼女は、
泉を見た。
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「水の大精霊に、ちょっかいを出そうとしたんだろうね」
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「力を溜め過ぎた」
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リーネが、
小さく呟く。
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「それが、数年に一度の大嵐……」
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水柱が、
さらに強く光る。
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空の雲が割れ始めた。
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轟音。
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風。
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水。
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二つの力がぶつかる。
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だが。
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勝負は長くなかった。
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青い光が、
風の渦を包み込む。
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黒雲の中で、
何かが小さく弾けた。
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次の瞬間。
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雨が、
弱まった。
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横殴りだった風が、
少しずつ落ち着いていく。
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用水路の唸りも、
わずかに低くなる。
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人々は、
信じられないものを見るように、
空を見上げた。
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雲の切れ間。
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そこから、
薄い光が差し込む。
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嵐が、
去ろうとしていた。
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トールは、
手の中の精霊石を見る。
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まだ、
淡い緑色に光っている。
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「……おい」
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「これ、俺の手柄か?」
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誰も答えない。
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ただ。
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リーネが、
呆れたように笑った。
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「半分くらいは、そうかもね」
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「半分!?」
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トールが叫ぶ。
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その時。
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背負われていたジョーが、
小さく咳き込んだ。
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「っ……」
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リーネが、
弾かれたように振り返る。
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「ジョー!」
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ジョーは、
薄く目を開けた。
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雨に濡れた空。
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泣きそうなリーネ。
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額を押さえるトール。
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そして、
薄く晴れ始めた雲。
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状況は、
まるで分からない。
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けれど。
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ジョーは、
かすれた声で言った。
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「……嵐は?」
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リーネが、
目を潤ませながら答える。
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「止まりそう」
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ジョーは、
ほんの少しだけ息を吐いた。
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「なら……いい」
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それだけ言って、
また目を閉じる。
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リーネが、
その手を握った。
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強く。
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もう離さないように。
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水は、
まだ溢れている。
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壊れた箇所もある。
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泥も、
流木も、
片付けなければならない。
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だが。
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空は少しずつ明るくなっていた。




