転移? 転生? 6
だいぶ間が空いてしまいましたが再会します
部屋に僕達だけになると、僕の膝は意思に反してかくんと折れ、畳に手をつく。支えてくれていたゆかりさんが、僕に引っ張られるようにバランスを崩して一緒に倒れる。
「尽くん、大丈夫? 強く殴ったつもりはないのだけれど。加減がまだよく分からないな」
幸留の紺の靴下を履いたつま先が、俯いた僕の視界に映る。やはり先ほどの衝撃は幸留の使った魔法らしい。
事も無げに魔法を、しかも加減も分からないまま他人に使うなよ……
「すげえ効いたよ。さっきのは魔法って奴か? 」
「まあ、そうなる。私も魔法が使えるんだよ。手品みたいな物かな。タネさえ理解してしまえば訓練しだいで誰でも使える」
「そいつは凄いな……後で俺にも教えてくれよ……」
「いいとも。高校レベルの数学さえマスターしていれば。魔法は簡単だ。勿論高度な魔法には高等な数学が必要だけれど」
魔法って数学なのか? 冗談のつもりだったが……高校どころか中学レベルの数学さえ怪しい僕には魔法はひどく難しいだろうな。
それよりゆかりさんは平気だろうか? あんな男の拳をまともに食らったら、華奢な彼女の顔など砕けてしまいそうな気がする。
彼女の横顔を覗き込もうとすると、彼女は顔を思い切り逸らして俯いてしまう。それを追う様に僕が身をかがめると今度は後ろを向いてその顔を見せてくれない。
「ちょっと鼻血が出ただけですから。あんまり見ないで下さい……」
「あれはゆかりさんが悪い。ヘイズル公に脅しは効かない。やるなら迷わずヘイズル公の頭を。あなたの魔法で吹き飛ばすべきだった」
幸留の声はこんな時でも変わらず感情は表れない。それでも僕に背中を向けたゆかりさんの顔の血を、濡れたハンカチで優しく拭っている。
「そんな事……私には出来ません。あれは……見え見えの……ブラフです。そんなものがあの人に通用する訳有りませんよね。愚行でした……」
「そう? なら私の思い違い。でもこの世界は私達のいた世界のように優しくない。殺す手段があり、殺す理由があるなら、躊躇すべきじゃないわ」
幸留は「はい、もういいわ」と言うとゆかりさんから離れる。
ようやく顔を上げてくれたたゆかりさんは、鼻血も止まっているようで顔には傷も痣も見当たらない。
「ありがとう、幸留。平祇さんにも御迷惑お掛けしました。席を目茶苦茶にしちゃったみたいで……すいませんでした」
「ゆかりさんは悪く無いですよ。あいつがちょっとおかしいんですよ。いきなり殴るとか……どこが公爵様だって感じですよ。まるでやくざだ」
「……この席は失敗だったけれど。収穫もあった。ヘイズル公と尽くんの齟齬は決して埋まらないと分かった」
何故か無感情な幸留の言葉が、僕を言外に責めているような気がする。
「……ゆかりさん。そこはもういい。一旦部屋に戻ろう」
畳に垂れてしまった鼻血を、座り込んでせっせと拭いていたゆかりさんが幸留の声に顔を上げる。
「部屋って、さっきまで私達が寝ていた部屋ですか? 」
「そうよ。何か問題ある? 」
色々問題あるだろう……ベッドだって1つしかないし、更にあの部屋には問題がある。
「また軟禁されるのはごめんだ。ヘイズルの腹も割れたし、もうここにいるのは危険だろ。それから……ヴァルベントでは女を殴ることは当たり前のことなのか? 」
「尽くん。ヴァルベントでもその辺の価値観は我々と同じだ。女を暴力で屈服させるなど男として恥ずべき行為だ。だが、さっきも言ったろう? あれはゆかりさんが悪い。むしろ殴られただけで済んだ事が奇跡と言ってもいい。それと軟禁に関しては心配ない。2人は公にとって、軟禁するほど価値のある人間では無くなった。残念ながら」
「利用価値って事か? 」
「そうなる。だが、転移者が貴重である事に変わりはない。在らず命者もそうだ。公は今頃あなた達の別の利用価値を探している事だろう。監禁して飼い殺すなどという愚を彼は犯さない」
「僕達に利用価値があるうちは安全って事か……くそ、酷い話だな……」
「あの……在らず命っていったいどういう事なんですか? 」
先程から塞ぎ込んでいたゆかりさんが、思い詰めた様な顔で口を開く。
「何故そんな事を気にするの? 」
「私が不老不死になったのは、在らず命の呪いを受けたからだと聞きました。私はこれまで紅葉から在らず命の呪いを受けた。そう思っていたんです」
「それが? 」
「だって、それっておかしいじゃないですか? 在らず命の呪いって不老不死の呪いですよね? 」
「…………」
「紅葉も在らず命者……って事ですよね? だとしたら、紅葉に在らず命の呪いをかけた人間がいるって事じゃないんですか? 」
そうか、紅葉が神なんて言われても合点が行かないけれど、真実神ってことじゃなく1000年生きている不老不死の人間を神と崇めた、現存神、つまり不死の人間、と考える事も出来る。
「私、紅葉について調べたんです。勿論ヴァルベントに来る前に元の世界で、です。そこで私は1つの伝承を見つけました。……鬼女紅葉の伝説です……怪しげな術を使う鬼女紅葉がおよそ1000年前、平朝臣維茂に討伐されるという伝承です」
「……そう? それは知らなかったわ。その名前の一致が偶然で無いとしたら。紅葉は日本からの「転生者」という事になる。なるほど、紅葉が大昔の日本からの転生者だとすればこの城のおかしな和洋折衷も頷けるわ」
日本の伝承にも紅葉という名前の女がいたのか。およそ1000年前という符合も一致する。しかしその事よりも僕は幸留が言った転生、という言葉が妙に引っかかった。
幸留はさっきから僕達を転移者と言ってなかったか……?
「あのさ、細かい事聞くようだけど、転移と転生って何が違うの? 」
明らかに僕が口を挟んだ事で、いつも以上に冷たい視線を幸留が僕に向ける。まあ、僕自身上手いタイミングでは無いなと思ったけれど、気になってしまったのだ。
ゆかりさんもいぶかしげな顔を見せる。確かにどうでもいいような細かい質問だったかもしれない。
「いや、別にちょっと気になっただけだから、気にしないでくれ」
しかし、幸留は僕の肩に手を置くと
「ヴァルベントでは特に転移と転生を分けて表現しない。それどころか転移という言葉すらない。異世界からの異邦人は全て転生者と呼んでいる。実際数年前まではそれで問題なかった」
僕の言葉を制するように転移と転生の疑問について答えてくれた。
「数年前? 」
「転移。これは私がヴァルベントにもたらした言葉だ。今後使い分けされていくだろうが、数年前まで人間を転移させる魔法はヴァルベントには存在しなかったんだよ。分かりやすく言えば、ゆかりさんが最初にこちらに来た手段は転生。今回こちらに来た手段は転移ということになる」
「だからそれのどこが違うんだって聞いて……」
僕はそこで、あ……と漏らして続く言葉を飲み込む。
「そう。転生とは文字通り生まれ変わる事だ。生まれ変わるために一番必要な条件とは何か考えてみればいい」
珍しく幸留が答えを僕達に委ねる。ズバズバと言いにくい事を平気で口にする人間だと思っていたが、たまにはこんなクイズのような事もするのか、それともただの気まぐれか……
「尽くんが何を考えているか分かるよ。でもそうじゃない。私にも言いにくい事くらいある。私も尽くんも、そしてゆかりさんも転移してこの世界に来た。しかし20年前のゆかりさんはそうではない。この世界に転生したんだ」
「……転生に必要な条件……まさか……」
ゆかりさんの顔が青ざめ、その唇を震わせる。
「まさか……一度…死ぬこと……」
幸留は厳かに頷いた。
「在らず命の呪いなどという呪いは無い。不老不死は転生の副作用でしかない。転移とは君たちも体験したような、ああ、覚えていないか? まあいい。とにかく肉体を魂ごと100兆程のパーツに分けて運ぶ方法だ。対して転生というのは肉体を全て光る虫、「ほたる」に食らわせ、魂を取り出し、こちらで再構成した肉体にその魂を入れる方法だ。至極簡単に言えば、生きたまま肉体と魂を一緒に運ぶか、殺してから魂と肉体を別個に運ぶかの違いだ」
「そんな……じゃあ私は仮に呪いが解けても、不老不死のままなんですか? 一度死んだこの身体で、永遠を生きなければいけないんですか! 」
「……そうなる。不老不死は呪いのせいじゃないから……在らず命者。それは紅葉によってこの世界に転生した者の呼び名。紅葉自身もこの世界に転生した際に不老不死になった、ということだ。
あらずみが呪い、と言われるのはヴァルベントの古い文献で「死ぬ事も非ず、老いる事も非ずは幸いに非ず。これを非ず三と言う。非ず三は呪いに似て求めるを良しとせず」という有名な一節からきているらしい。あなたにかけられた呪いは、反魂の呪い。それだけ。私や紗希と同じ。違うのは移動の手段だけよ」
言い終わって、幸留は感情の篭った目で僕を睨む。
この事をゆかりさんに告げることには、幸留自身迷いがあったようだ。結果的に僕がその迷う幸留の背中を押した形になってしまった。
案の定、と言っていいのか、ゆかりさんの顔は青ざめたまま全く動かない。
幸留は僕のせいでこんな事になったんだから、僕に何とかしろと目で訴える。いや、確かに転移と転生の違いなんて聞いたのは僕のミスだったかもしれないけど、喋ったのはお前だろ?
でも幸留に落ち込むゆかりさんのフォローなど出来るとも思えない。
僕は無い知恵をギュウギュウに絞って、彼女にかけるべき言葉を捜す。
「………………………………………」
「………………………………………」
「………………………………………」
何も思いつかない! 所詮僕に落ち込む女性を慰めるなんてスキルがあるわけない。
それ以上に彼女に、ゆかりさんに共感する事が僕には出来なかったんだ。そりゃ、自分が一度死んだなんて事実はショックだろう、けれど今こうしてゆかりさんは生きている。
不老不死だって昔から誰もが憧れていたんじゃないか? そうなりたくてなれなかった人間なんてごまんといるだろう。
京都では彼女の悲しみに大いに共感できた。互いに家族の身を案じる立場だったからこそ、共感できたからこそ励ましの言葉も、慰めの想いも、自然と溢れてきた。
共感の無い慰めなんて、僕には出来そうも無い。情け無いも極まった感はあるが、僕に出来る事は同情しかない。
僕は黙って彼女の肩を抱き、先程僕等の目覚めた部屋までエスコートする事しかできなかった……
ゆかりさんの肩は思っていた以上に細く、僕が少し力を加えたら砕けてしまうのではないかと思える程、頼りなく華奢に感じた……




