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大地震と津波で街は崩壊した。無傷の防災ビルに逃げ込んだら、人間性のテストが始まった。  作者: makubes


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第8話「ガーデンホテル」

 呼ばれた番号の持ち主が、席を立って奥へ向かう。

 料理の台があった場所に、いつの間にか長机が出ていた。

 机の上には、白い用紙とペンが並んでいる。


 壁の一面に、特典の一覧が映った。

 パンフレットで見たのと、同じ並びだ。


 客室の使用権。シャワー利用権。コインランドリー使用権。

 満充電のモバイルバッテリー。診察の優先。お酒とタバコ。保存食のセット。

 現金一万円。ケーキと和菓子のセット。


 客室の欄の横に、小さな字が添えてある。

 二十室。二名様。浴室付き。


 浴室、という字のところで、目が止まった。


 長机の脇に、白石が移っていた。


「ご希望は、三つまでお書きいただけます。

点数の高い方から、順にお割り当ていたします。

お一人さまにお渡しする特典は、一つでございます」


 白石は、食堂を端から端まで見渡した。


「第一希望が埋まっている場合は、第二希望に回ります。

特典は、二百位までの方にお渡しいたします。

お受け取りになった特典は、ほかの方にお譲りいただけます」


 長机の前に、列が伸びていく。

 待つあいだにも、あちこちで低い声が交わされた。


「客室、二十しかないんだろ」

「みんな、一番に書くよな」


「じゃあ、書いても無駄じゃないか」

「二番目に何を書くかだよ」


 自分が何位なのかは、誰も知らない。

 知らないまま、誰もが一覧の同じところを見ている。


 列の前のほうに、頭一つ高い金色の髪が見えた。

 プリンを盆ごと運んでいった女性だ。

 ペンを取ると、ほとんど止まらずに書き、用紙を置いて戻っていく。


 その少し後ろで、おばあさんが用紙に顔を近づけていた。

 昨夜、寝袋の中で、客室の欄を指でなぞっていた人だ。

 ペンが、なかなか動かない。


「百七番の方」


 空いた机の前に立つ。

 用紙には特典の名前が並び、横に数字を書き込む欄がある。


 隣の机には、顔に包帯の男がいた。

 男の用紙は、一か所に丸がついているきりだ。

 保存食のセット。

 ほかの欄には、何も書いていない。


 俺は、客室の横に一と書いた。

 ペン先が、そこで止まる。


 二十室。

 この食堂に、三百人を超える人がいる。


 二と三は、シャワーとコインランドリーにした。

 用紙を裏返して、机に置く。


 書き終えた人から、寝床のフロアへ戻された。


 全員が戻ると、ドローンが寝袋の間を回りはじめた。

 一人の前に止まり、画面を本人にだけ向ける。

 そのあとから、揃いの制服の従業員が来て、何かを手渡していく。

 配っているのは従業員だけで、白石の姿はなかった。


 多くの人は、紙の札を受け取る。

 札には色がついていた。

 白や黄色の明るい札もあれば、茶色や灰色の暗い札もある。


 明るい札を受け取った人は、それを手の中で眺めている。

 暗い札を受け取った人は、隣の手元を見て、自分の札を裏返した。


 ドローンが止まらずに通り過ぎていく寝袋もある。

 ごくたまに、札とは違う、硬いカードを受け取る人がいる。

 カードを受け取った手は、すぐ寝袋の中へ隠れた。


 俺の前にも、ドローンが止まった。

 画面に、客室の文字が映る。

 従業員が、カードを一枚、俺の手のひらに置いた。


 ホテルの部屋のキーカードだった。

 表にホテルのマークが入り、隅に部屋の番号が刷ってある。

 その下に、二名様。


 隣の列では、若い男がモバイルバッテリーの札を両手で握っていた。

 壁際の中年の女性は、ケーキと和菓子のセットの札を見て口元を緩める。

 お酒とタバコの札を受け取った男は、それをすぐ胸ポケットにしまった。


 隣の寝袋では、老夫婦の前に同じ札が二枚並んでいた。

 シャワー利用権。

 おばあさんがそれを指で揃え、一枚をおじいさんの前に押し出す。

 二人で、顔を見合わせて笑う。


 俺は立ち上がり、少し先の寝袋の眼鏡の男に声をかけた。

 水のとき、一番にすくっていた男だ。


「部屋が当たったんですけど、二名様なんで。

よかったら」


「いや、俺は、いいです」


 男は笑って首を振った。

 目は、俺の手のカードのほうを向いている。


 隣の列の男にも聞いた。

 同じ笑い方で、同じように断られた。


 フロアの隅で、顔に包帯の男が、寝袋の上で膝に段ボールの箱を抱えていた。

 小さな箱で、側面に缶詰の絵が刷ってある。

 俺は、寝袋のあいだを抜けてそこまで行った。


「部屋、一緒に行きますか」


「いいさあ」


 男は箱を抱えたまま、すぐに立ち上がった。

 何も聞き返さない。


 窓際の寝袋から、黄緑のジャージが立ち上がった。

 指の間に、俺と同じキーカードを挟んでいる。

 同じ列の誰にも声をかけず、そのままフロアを出ていった。


 窓際に残った、首筋に刺青のある男が、その背中を目で追っている。


◇黄緑のジャージ


 男は、カードを指で弾きながら階段を上がった。

 蛍光の黄緑のジャージが、踊り場の暗い窓に映る。

 首の太いネックレスが、段を上がるたびに鎖骨に当たった。


 仲間の五人は、下に置いてきた。

 五人が何を受け取ったのか、男は聞いていない。


 段を踏むたびに、腰の奥が鈍く痛む。

 駐車場で、こぼれた水に足を取られたところだ。

 夕飯は、茶碗に半分の飯と、味噌汁が一杯だった。


 階段を上がりきると、足もとが柔らかくなった。

 廊下には絨毯が敷いてあり、足音がしない。


 廊下の入口に、白石という支配人の女が立っていた。

 カードを持った者を一人ずつ迎え、手のひらで奥を示している。


 男の番になると、女のほうから頭を下げた。


「飯、茶碗に半分だったぞ」


「伺っております。

ご不便をおかけいたしました」


 女は顔を上げ、眉を寄せた。


「この環境下で、本当に困ったものです」


「あんたが決めたのか」


「いいえ。お食事の順も、本日のチームも、

総指揮者の久世が決めております。

わたくしも、なんとかならないものかと思っているのですが」


「その久世ってのは、どこにいる」


「このビルの中に」


 女は、廊下の天井へ目をやった。

 白い天井に、小さな黒いレンズが一つ埋まっている。


「久世は、皆さまのお顔をすべて存じ上げております。

皆さまは、久世のお顔をご存じありませんね」


 男は、何も返さなかった。


 女は短く息をつき、目を伏せた。

 それから男のカードの番号を確かめ、部屋の場所を告げる。


「ごゆっくり、お休みください」


 廊下を歩きながら、男は女の伏せた目を思い出していた。


 支配人が、客の前で上の愚痴をこぼすか。

 この女、何か弱みでも握られてるのか。


 顔も見せない奴が、上にいる。

 この女は、その下で頭を下げさせられている。


 ビルに来てから、男の話をまともに聞いたのは、この女が初めてだった。


 扉は、カードをかざすと軽い音を立てて開いた。

 ベッドが二つ並んでいる。

 男は手前のベッドに、靴のまま倒れ込んだ。


 もう一つのベッドは、見もしない。


◇避難民


 カードをかざすと、扉の奥で錠の外れる音がした。

 灯りが、ひとりでにつく。


 ベッドが二つ。白いシーツが、角まで張ってある。

 窓の外は暗く、遠くにも明かりは見えなかった。


 顔に包帯の男は、奥のベッドに箱を置いた。

 蓋を開け、中身を一つずつシーツの上に並べていく。

 缶と、銀色の袋。


「ぜんぶ、食べ物さあ」


 男は並べたものを、端から指でなぞった。


「先に、シャワー使っていいですか」


「いいさ。こっちは、まだ並べるから」


 浴室は、白いタイルで明るかった。

 鏡に映った首筋に、乾いた泥の筋が残っている。


 シャワーの栓をひねる。

 湯が、勢いよく落ちてきた。


 頭から浴びた。

 足もとを流れていく湯が、しばらくは茶色い。


 朝から一度も、手をちゃんと洗えていなかった。

 備え付けの石鹸を手のひらで泡立て、指のあいだまでこする。

 泡が流れたあとも、湯の下で手を開いて立っていた。


 浴槽の蛇口も、ひねってみた。

 湯は、止まらずに出てくる。

 浴槽の底に、ゆっくりと溜まっていく。


 今朝、トイレの手洗いの蛇口は、一滴も出なかった。


 湯を止めた。

 溜まった湯に、着ていたTシャツと靴下を沈める。

 石鹸をこすりつけ、両手で揉んだ。


 湯は、すぐに濁った。

 栓を抜き、溜め直して、もう一度揉む。

 固く絞って、タオル掛けと椅子の背に広げた。


 クローゼットには、薄い寝間着が畳んで置いてある。

 袖を通すと、乾いた布が肌に触れた。


 浴室を出ると、男はもう奥のベッドで横になっていた。

 並べた缶と袋は、枕元に寄せてある。

 寝息が、一定の間を空けて聞こえた。


 灯りを落として、手前のベッドに入る。

 シーツが、背中にひやりと冷たい。

 寝袋のときの、床の硬さがない。


 枕に頭を沈めると、髪から石鹸の匂いがした。


 そのまま、目を閉じた。


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