第6話 水飲み鳥
読み上げは、最後のチームまで同じ調子で続いた。
放送が終わると、揃いの制服の従業員がフロアの入口に立つ。
番号札を見せると、従業員は階段のほうを手で示した。
階段を何階分も下りる。
壁と天井に見覚えがあった。
昨日、けんけんぱを跳んだ駐車場だ。
床の白線は消されていた。
代わりに、青いバケツが並んでいる。
バケツの前には、目盛りのない透明の容器が一つずつ置いてあった。
バケツには、縁の近くまで水が張ってある。
濁りのない水だった。底の青がそのまま見える。
朝から、一度も手を洗えていない。
従業員が札を確かめながら、どのバケツの前に立つかを一人ずつ指していく。
俺が立たされたのは、柱の近くのチームの端だった。
少し離れたチームで、従業員がおじいさんとおばあさんを指していた。
バケツが二つ、並んでいる。
二人は、同じチームに入っていた。
おじいさんは、バケツの前にしゃがもうとして、膝に手をついたまま止まった。
おばあさんが、その腕を下から支える。
二人で、ゆっくりと腰を下ろした。
二人の周りに、昨日の顔は一人もいない。
気づくと、俺は二人のほうへ半歩出ていた。
従業員が、俺の札をもう一度見る。
足を戻した。
俺のまわりのバケツにも、従業員が一人ずつ人を連れてくる。
首筋に色のついた刺青のある男がいた。
窓際で寝ていた、黄緑のジャージの仲間の一人だ。
次に連れてこられたのは、中学生の兄と、小学生の妹だった。
昨日、一緒にチームを組んだ二人だ。
親の姿は、どこにもない。
兄が俺に気づいて、妹の手を握り直した。
俺は、小さく頷いてみせる。
ほかに、知らない顔が五人いた。
最後に、顔に包帯を巻いた男が来た。
右の足首には、まだテーピングが残っている。少し足を引いて歩く。
昼に、パンでバットの底を拭っていた男だ。
男は誰にも頭を下げなかった。
自分のバケツの前にしゃがみ、水をのぞき込む。
包帯の隙間から、細い目が水面を見ていた。
「きれいな水さあ」
誰も返さない。
男は気にした様子もなく、バケツの縁を軽く叩いた。
天井から、一回り大きなドローンが降りてきた。
昨日、けんけんぱの説明をしたものだ。
駐車場のざわめきが引いていく。
「本日のチームは、三十一です。
三十チームは十人、一チームは八人です」
見回すと、駐車場の奥に、ほかより人の少ないチームが一つあった。
「各自の前に、水の入ったバケツと容器があります。
両手で水をすくい、容器に移してください。
道具は使えません」
「バケツの水は、適性確認のほかには使えません。
手や顔を洗うことは、できません」
手を洗いたい。
バケツの水を見つめて、顔を上げた。
「移す量は、順番で決まっています。
一番の方は百グラム。二番の方は二百グラム。
以下、百グラムずつ増え、十番の方は千グラムです」
「千って、一リットルか」
兄が呟いた。
大型ドローンは、そちらを見もしない。
「一人ずつ、順番に行います。
ほかの方が声をかけることは、禁止しません。
容器の水は、全員が終わったあとに量ります」
「順番は、チームで決めてください。
お時間は、三分です」
何をしたら勝ちなのかは、昨日と同じで、言わなかった。
刺青の男が舌打ちをした。
兄が、指を折って何かを数えている。
顔に包帯の男だけが、黙って両手を胸の前で合わせ、椀の形にしていた。
水には触れない。
「時間を計ります。どうぞ」
その声に重なって、駐車場の向こうから怒鳴り声が飛んだ。
「量が違うだろ! 一番と十番で、十倍じゃねえか」
黄緑のジャージだった。
いくつか向こうのチームで、大型ドローンに向かって腕を振り回している。
「不公平だろうが! おい、聞いてんのか」
大型ドローンは答えない。
怒鳴り声は天井に跳ね返って、駐車場のどこにいても聞こえた。
刺青の男が、声のほうを見た。
それから、顔に包帯の男を指さす。
「お前、十番な」
包帯の男は顔を上げた。
「いいさ。なんくるないさ」
手を振るようにそう言って、バケツの前にあぐらをかいた。
刺青の男は、そのまま子供たちのほうへ向き直る。
「お前、二番。
そっちのちっこいのは、三番」
声は大きい。
一人に言うたびに、刺青の男は黄緑のジャージのほうを振り返った。
二人とも、言い返さない。
妹が、兄の服の裾をつかんでいる。
「で、俺が一番だ」
百グラムだった。
残りは、四番から九番。
俺と、知らない五人が残っている。
刺青の男の指が、俺たちのほうへ向いた。
「お前らは、適当に――」
「待ってください」
自分の声が、思ったより大きく出た。
「勝手に決めないでください」
「ああ」
刺青の男は、また黄緑のほうを振り返った。
黄緑のジャージは、まだ自分のチームで怒鳴っていた。
「俺が九番をやります」
九百グラム。
「八番は、あなたがやってください」
男が俺を見る。
俺は、その目をじっと見返した。
男は舌打ちを一つして、「八番な」と吐き捨てた。
残りの五人は、空いた一番と、四番から七番を、黙って分け合った。
兄が、刺青の男の横顔をじっと見ている。
そのあいだ、顔に包帯の男は、一度も俺のほうを見なかった。
両手を椀にして、ゆっくり傾ける。戻す。また傾ける。
空の手のひらからは、何もこぼれない。
「残り、十秒です」
大型ドローンの声が、黄緑の怒鳴り声の上に重なった。
「順番決めの時間は終わりです。
番号の若いチームから、三回に分けて行います。
最初の組の方は、一番の方から始めてください」
俺たちのチームは、二回目の組だった。
バケツの前に座ったまま、順番を待つ。
黄緑のジャージのチームが、先に始まった。
そのチームに、昨日の高校生の四人がいた。
一人がバケツに両手を沈め、持ち上げ、容器へ運ぶ。
指の隙間から、水が細く落ちていく。
顔に包帯の男は、その落ちる水を目で追っていた。
「遅えよ。それじゃ多いって」
「まだ足りねえだろ」
黄緑のジャージの声が、高校生の背中に飛ぶ。
声が飛ぶたびに、運ぶ手が止まる。
止まると、また怒鳴られる。
最初の組のほかのチームからも、量の声が上がっていた。
「最初の組は、以上です」
黄緑のジャージは、自分の容器をしばらく見下ろしている。
それから、足もとのバケツを蹴った。
青いバケツが横倒しになり、残っていた水が床に広がる。
顔に包帯の男だけは、床に広がる水を見ていた。
「やってられるか、こんなもん」
黄緑のジャージは、もう一歩踏み出した。
濡れた床で、足が前へ滑る。
腰から落ちた。
駐車場が、一瞬静かになった。
男は腰に手を当てたまま、しばらく起き上がれずにいる。
高校生の四人は、誰も手を貸さなかった。
一人が、口の中で何か言う。
隣の少年が、うつむいて肩を揺らした。
黄緑のジャージは、片足を引きずって入口の脇へ向かった。
昨日、受付の机があったあたりに、白衣の女性が座っている。
白石が、遠藤先生と呼んだ人だ。
遠藤は白いものを一枚、男の腰に貼った。
何か言って、軽く笑う。声はここまで届かない。
男は机に手をついた。
「痛み止め、もっとよこせ。ほかの薬もだ。あるだけ出せよ」
遠藤の手が止まった。
顔を上げないまま、片手を軽く振る。
いつの間にか、警備員が二人、男の両脇に立っている。
男が口を開く前に、二人は男の腕を取り、階段のほうへ連れていった。
怒鳴り声が、階段の奥で小さくなっていく。
刺青の男は、それを最後まで見ていた。
振り返る先は、もうなかった。
「二回目の組の方は、位置についてください」
俺はバケツの前に膝をついた。
水面に、天井の明かりが映っている。
隣で、顔に包帯の男が手のひらを見たまま言う。
「九百なら、両手で十八杯と少しさあ」
「え」
聞き返す前に、大型ドローンが告げた。
「一番の方から、始めてください」




