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大地震と津波で街は崩壊した。無傷の防災ビルに逃げ込んだら、人間性のテストが始まった。  作者: makubes


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第5話 ペペロンチーノ

◇避難民


 天井の灯りは、半分に落とされていた。

 真っ暗ではない。

 寝袋の中は、秋の夜にちょうどいい温かさだ。


 揃いの制服の従業員が、寝袋の列のあいだを歩いていく。

 薄い冊子を、一人に一部ずつ置いていった。

 表紙には、看板と同じビルの名前がある。


 特典の欄をめくる。

 客室、シャワー、コインランドリー。

 シャワー利用権のところで、指が止まった。


 二百位まで、と白石は言った。

 さっきドローンの画面に映った数字を思い出す。

 あれが多いのか少ないのか、比べる相手がいない。


 老夫婦を誘ったこと。

 組で最後だったこと。

 鯛を一切れ、戻したこと。

 どれが足されて、どれが引かれたのか、俺には分からない。


 冊子を裏返すと、最後のページは売店の案内だった。

 見出しの横に、現金のみ、と括弧で書いてある。


 靴、下着、靴下、Tシャツ、スウェットの上下。

 歯ブラシ、タオル、ウェットティッシュ。


 どれも、駅前の店で見るのと同じ値段だった。


 足元に目をやる。

 乾いた泥で、靴はもとの色が分からなくなっている。

 財布を開けて、中身を数えた。

 一万円札が一枚と、千円札が三枚。


 向こうの列で、誰かがリュックの底を探っている。

 スマホの画面をつけて、しばらく見て、また消す手もあった。

 少し離れた寝袋で、若い女性が同じページに指を置いたまま動かない。


 隣では、おばあさんが冊子を顔に近づけ、客室の欄を指でなぞっていた。

 おじいさんはもう寝息を立てている。

 おばあさんは何も言わず、冊子を胸の上に伏せた。


 売店の欄のいちばん下に、小さな字で一行ある。


 「館内のご案内は、管制AI キーロンが担当いたします」


 灯りの届かない隅のほうで、ひそひそ声がしていた。


 隅には、寝袋が固まっていた。

 チームに入れなかった人たちだ。

 数えると、十八あった。


 そのうちの十人が、顔を寄せ合っている。

 足首にテーピングを巻いていない人ばかりだった。


「三分って言われたら、すぐここに集まる。

誰かに声をかけられても、行くなよ」


「並ぶのは、足の速い順だな」


「俺、高校まで陸上やってた」


「じゃあ、お前が一番」


 速く跳べば上に行けると、誰も疑っていない口ぶりだった。


 残りの八人も、同じ隅にいる。

 足首にテーピングを巻いた人たちだ。

 話は聞こえているはずなのに、輪のほうからは誰も振り向かない。


 八人の何人かは、窓際をにらんでいた。

 カットステーキを全部取っていった、黄緑のジャージの男たちだ。

 その中の一人が気づいて、隅のほうをにらみ返した。

 八人は、そろって下を向く。


 しばらくして、何人かが顔を上げた。

 今度は、俺のチームの寝袋の列を見ている。


「俺らに回ってきたのは、飯と、刺身のツマだけだ」


 口の中に、お吸い物の柚子の香りが戻ってくる。

 俺は天井に目を移した。

 横で、おじいさんの寝息が続いている。


 顔に包帯を巻いた男が、冊子をめくりながら言った。


「米もツマも、うまかったなあ」


 誰も返さない。

 男は、売店のページから目を上げなかった。


 窓際の男は、もう隅のほうを見ていない。

 高校生の四人は、そこから少し離れて寝袋を並べ、黙っていた。


 窓の外の遠くに、赤い光が一つ見える。

 俺は目を閉じた。


 朝は、従業員が水を一本ずつ配って回った。

 次の食事は昼になる、と説明を受けた。


 しばらくして、フロアの入口に長机が出される。

 揃いの制服の従業員が、段ボールから品物を並べていく。

 売店だった。


 列は、すぐに廊下まで伸びた。

 前に並んでいた女性が、スマホを差し出して、首を横に振られている。


「カードでもいいんです。使えないなら、あとで払いますから」


 従業員は、机の端に貼られた紙を指さした。

 現金のみ、と書いてある。


「お願いします。一つでいいんです」


 いつの間にか、警備員が女性の後ろに立っていた。

 女性は口を閉じて、列を抜けていく。


 俺は、下着と靴下とTシャツ、それに靴を買った。

 財布の一万円札が、千円札と小銭に変わる。

 トイレで着替えて、泥の固まった靴をレジ袋に入れた。

 手を洗おうとしたが、蛇口をひねっても水は出なかった。

 便器の水は、レバーを引けば流れる。


 昼になって、また階段を上がった。

 白いクロスの上に、昨夜とは違うものが並んでいる。

 銀のバットに、パスタが四種類。

 ナポリタン、ミートソース、クリーム、ペペロンチーノ。

 かごに盛ったパンと、湯気の立つ寸胴が二つ。

 コーンスープと、ミネストローネだった。

 刺身も、鉄板もない。


 ドローンが降り、壁際のチームから呼ばれていく。

 順番は、昨日と同じだった。


 一位のチームの皿は、昨夜より少し重そうに見えた。

 パンのかごの前で、一人の男が左右を見る。

 それから、ロールパンを三つ、皿に載せた。

 二位のチームでも、一人が同じことをする。


 三番目は、黄緑のジャージの男たちだった。

 パスタを皿に積んだあと、パンのかごの横で手が止まる。

 小さな容器のイチゴジャムと、チョコのスプレッド。

 それを手でつかんで、ポケットに詰めていく。

 小皿が空になっても、昨日のように誰かがそちらを見ることはなかった。


 半分ほどで、俺たちのテーブルの前にドローンが降りた。

 パンは、まだかごに残っている。

 ジャムの小皿は空で、隅にバターの容器が一つ。


 ペペロンチーノを皿に取る。

 かごから、パンを二つ取った。

 後ろには、まだ半分のチームが残っている。

 二つとも、皿に載せたまま席へ運んだ。


 ペペロンチーノを口に入れる。

 にんにくと唐辛子のあとから、塩気が追いかけてきた。

 舌の奥に、魚の匂いのする旨みが残る。


「……アンチョビ、入ってる」


 誰も聞いていない。

 おばあさんは、ナポリタンを少しずつ口へ運んでいた。


 最後に、隅の十八人がドローンに連れられてきた。

 パスタのバットはどれも、底に薄く残っているくらいだ。

 パンとスープは残っていたが、バターの容器はもう空だった。


 顔に包帯を巻いた男が、パンをちぎった。

 ナポリタンのバットの底を、ぐるりと拭う。

 赤く染まったパンを、自分の皿に載せる。

 またちぎって、隣のバットへ移る。

 ミートソース、クリーム、ペペロンチーノと、底を順に拭っていった。


 昼食のあと、オフィスのフロアへ戻った。

 寝袋の上で横になる人がいて、靴を脱いで足を揉む人がいる。

 窓から入る光が、カーペットの上で少しずつ斜めになっていく。


 天井のスピーカーが、小さく鳴った。


「管制AIのキーロンです」


 女の声だった。

 抑揚は少なく、言葉の区切りがはっきりしている。

 昨夜、冊子のいちばん下で見た名前だ。


「このあと、二回目の適性確認を行います。

本日のチームは、総指揮者・久世が組み上げました。

お手元の番号札で、お呼びします」


 フロアのあちこちで、声が上がった。


「総指揮者って、誰だ」


「久世って、誰だよ」


 放送は答えなかった。

 代わりに、ポケットや財布を探る音が広がる。

 俺も財布を開けて、札を取り出した。

 昨日の朝、このビルに着いたときに受付でもらったものだ。

 百七番。


「第一チーム。三番、四十一番、八十八番……」


 番号が一つ読まれるたびに、どこかで誰かが顔を上げる。

 フロアは、すぐに静かになった。


 隅のほうで、男が一人、寝袋から立ち上がった。

 昨夜、段取りを決めていた十人の一人だ。

 手の中の札と、隣の男の札を見比べている。

 二人の番号は、別々のチームで呼ばれていた。


「勝手に決めるな」


 声が、フロアの壁に跳ね返った。


「久世ってのを、ここに出せ」


 読み上げは止まらない。

 同じ調子のまま、次のチームの番号が続いていく。

 隅の十人は、番号が呼ばれるたびに、互いの顔を見た。

 同じときに顔を上げる者は、一人もいなかった。


 兄妹の父親が、子どもたちの肩を抱いたまま顔を上げる。

 隣で母親も顔を上げた。

 子どもたちは、顔を上げなかった。


 おじいさんとおばあさんが、同時に顔を上げた。

 おばあさんが、俺のほうを見ている。


「第十七チーム。……百七番」


 俺は、札を握ったまま周りを見回した。

 次の番号で、父親の腕の中の中学生の兄が顔を上げた。

 その次で、小学生の妹が兄の袖をつかんだ。


 ……子どもだけか。


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