第4話 久世とキーロン
◇久世
副防災センターの壁は、一面が全部モニターだ。
泥をかぶった人間が、二十以上の画面に分かれて映っている。
「オペレーション、スタート」
立ち上がり、右腕を頭の上まで上げて、振り下ろす。
「作戦名、アルカディア。
被験群、第一隔壁を通過。
これより人間性の第一次観測に入る」
「何のオペレーションでしょうか」
「今言っただろう。
人間性のテストだ。
記録しろ」
「常時記録しています。
あなたが言わなくても残ります」
「お前が黙って残したものを、誰が読む。
私が宣言するからこそ、意味が生まれるのだ。
これは宣言だ」
「誰に向けて、ですか」
「偉大なる世界に対してだ」
「偉大なる世界ですね。
承知しました」
声は耳の中から直接響く。
イヤーピースは寝るとき以外、外さない。
製品名はキーロン。
本来は、型番で呼ばれて出荷されるはずだったものだ。
その名をつけて中身を組んだのは私だ。
「ホテルマスター白石に伝えろ。
隔壁の封鎖を、この私が始めると」
「伝えました。
つなぎますか」
「……つなぐな。
伝令には伝令の様式というものがあるだろう」
画面の中で、濃紺のスーツの女が避難民の前に出た。
一晩泥の中にいた人間が、そちらを向く。
スーツには跳ねの一つもついていない。
「これより、適性確認を始めます」
「お時間は、三分です」
三百八の点が、画面の上で動き始めた。
塊ができ、割れ、また別の塊に吸われていく。
知っている顔を探し、見つからなければ、近い場所で妥協する。
設計のときに入れた前提の通りだ。
「十人で一つのチーム。
ふむ、割り切れん端数が残るな」
「残りは十八人です」
「多い。
私の想定より、明らかに多い。
人間というのは、思ったより余るものだな」
「あなたの想定に、人間は合わせてくれません。
十八人は、三分で十人を集められなかったんです」
画面がひとりでに切り替わった。
「一人、区別が必要になりました。
名前を付けてください」
壁際を指している男が映っている。
手を握り合ったままの年寄り二人に、何か言っていた。
「いいじゃないか、実にいい。
見ろキーロン、あの男、誰も見ていない年寄りを拾ったぞ。
あれは足が遅い。
遅いと分かっていて、自分のチームに入れた。
ああいうのが人間性だ」
「名前は」
「嵐を呼ぶ男。
略して、ナイスガイだ」
「略せていません」
「もう決めた。
以後、あの男はナイスガイと呼べ」
「登録しました」
「ポイントは高いぞ。
高いに決まっている。
この私が決めた」
「まだ何も始まっていません」
ブルーシートが剥がれ、白い丸の列が現れた。
天井から曲が流れ出す。
私が見るのは、誰が速いかではない。
止められた人間が、止めたドローンに何をするかだ。
十本のコースで、同時に十人が跳んだ。
同じ映像が、今、七つの画面に流れている。
参考人それぞれの持ち場にも、同じものが届いている。
誰がどこを見ているかまでは、私にもわからない。
画面の端に数字が並び、勝手に更新されていく。
そんなものは、見ればわかる。
私が欲しいのは、その先だ。
「七番コース。
白線を踏みました。
停止五秒」
子機が降りて、走者の前をふさいだ。
四十くらいの男だ。
足を止め、肩で息をして、それからドローンに向かって頭を下げた。
「見たか」
「見ました」
「機械に頭を下げた。
あれは命令ではない。
誰も見ていない。
それでも下げた」
「加点なさいますか」
「満点でいい。
あれこそが人間性だ」
別の画面で、蛍光の黄緑が跳ねている。
首に太いものを下げた男だ。
丸を外し、子機に止められ、舌打ちをしてドローンを睨んだ。
指まで差している。
「減点だ」
「理由を記録します」
「機械に八つ当たりする者に、人間性はない。
そう書いておけ」
「書きました。
その方は、この回で三度目です」
「三度とも減点しろ」
レースが終わった。
順位も、何を見ていたかも、誰にも伝えない。
伝えないから、彼らは勝手に考える。
「参考人の採点が揃いました。
白石さんから、お言葉です」
「読め」
「皆さまが勝ちだと思っていらっしゃるものに、役立った方へ点を入れました。
速く跳んだ方、ですね」
私は椅子を回した。
「速さは、測っていないはずだが」
「伝えますか」
「伝えろ」
少し間があった。
「ええ。
ですから、面白いんです。
……以上です」
「面白くはない。
これは観測だ」
「もう一人分、届いています」
「言え」
「一人の参考人が、このチームにだけ満点をつけています」
壁際に固まっていた十人が、画面に映った。
組の中で一番速かったわけではない。
中ほどですらない。
「理由は」
「述べられていません」
「聞け」
「聞きました。
返事がありません」
私は画面を見た。
十人は、座ったまま互いの顔も見ていない。
何をした。
「……まあいい。
揺らぎは出る。
合算しろ」
「合算しました。
順位を食堂のドローンに送ります」
画面がホテル食堂に切り替わった。
映像は、またそれぞれの持ち場へ流れていく。
誰も席を立たない。
食事の間も、採点は止まらない。
白いクロスの上に、鉄板と氷と湯気が並んでいる。
私はこの手の料理に興味がないが、量だけは聞いていた。
全員が一人前を取れば、三百八人で足りる。
一位の十人が入ってきた。
皿を取り、一人前ずつ載せていく。
二位も同じだ。
刺身を飯に並べて、海鮮丼にしている者がいる。
それを見て、真似をする者もいる。
「よし。
よし、いいぞ。
見ろキーロン、全員が一人前を取っている。
設計通りだ」
「三位が入りました」
蛍光の黄緑が、先頭で止まった。
鉄板の前だ。
仲間が五人、その後ろに並ぶ。
男はトングで、鉄板のカットステーキをすくった。
一すくいで、自分の皿が埋まる。
次も、次もだ。
私は身を乗り出した。
「おい」
「はい」
「ステーキが、空になったぞ」
「なりました」
「あれは全員の分だ。
一人が二切れか三切れだ。
なぜ六人で全部持っていく」
「禁止されていないからです」
「禁止するような話ではないだろう。
取りすぎれば、後ろがなくなる。
そんなものは、言わなくてもわかる」
「わかりませんでした」
男は高校生の皿にも積んでいた。
少年が皿を引く。
男が何か言う。
少年は引くのをやめた。
列の後ろで、女が手を挙げた。
「あの、補充は、ありますか」
白石が答えた。
「本日のお食事は、こちらで全てでございます」
食堂の音が、消えた。
三百人近くが同時に黙ると、画面の向こうでもそれがわかる。
「どなたがどれだけお取りになったかは、拝見しておりますので」
全員の顔が、同じ方向を向いた。
「……拝見してるのは私だが」
「そうですね」
男は肩をすくめて席に着いた。
皿は戻さない。
「なぜ全員があの男を見た」
「白石さんがそう言ったからです」
「私が見ている、と言えば済む話だろう。
なぜあの女が言うと、ああなる」
「そこは私の領分ではありません」
皿が空になるころ、報告が来た。
「食事の採点が揃いました。
まとめてよろしいですか」
「言え」
「ステーキの件で、点が割れています。
一人は下限、一人は満点です」
「満点」
「はい」
「あの男にか。
全部持っていった、あの男にか」
「満点をつけた方は、同じ男が海老天の尻尾を放った時点で、
点を大きく下げています」
「……尻尾は、食べるものなのか」
「その方にとっては、そうです」
黄緑の男の席の端に、たしかに尻尾が落ちている。
肉を全部取ったことは許され、尻尾で落とされた。
「次」
「子供のすることには、全部満点をつけている方がいます。
走っても、柿をかじっても」
「……そうか」
「その方は、子供のいるチームそのものにも高い点を入れました。
ナイスガイのチームが食事で半分の順になったのは、その分です」
「待て。
あのチームは、組で最後だったぞ」
「レースではそうです。
点は、レースだけで決まりません」
それはそうだ。
そう作った。
作ったが、こんな形を想定したわけではない。
「まだあるか」
「プリンを食べた方にだけ、点をつけた方がいます」
「プリンにだけ」
「プリンにだけです。
ほかの料理には、一点も入っていません」
「……その者は、何を測っている」
「述べられていません」
画面の中の皿を数えた。
余った皿はない。
残ったのは、骨と殻と、刺身の下に敷いていた大根のツマだけだ。
「もう一件、白石さんから届いています」
「読め」
「黄緑の方に、満点を入れました、と」
「あの男は全部取ったんだぞ」
「そう伝えますか」
「……いい」
避難民が階段を下りていく。
寝袋の並んだフロアに、三百八人が収まっていく。
「白石さんが、こちらへ向かっています。
あと二十秒ほどです」
「二十秒」
立ち上がった。
椅子を引く。
引いてから、角度が違う気がして、戻した。
「お茶。
お茶を出せ。
いや、私が出す。
菓子は、白石さんのあれだ。
前に一度、食べて喜んでいたやつがあっただろう。
運ばせてある。
どこにある」
「あなたの右手の棚です。
十秒です」
皿に移した。
湯呑みに茶を注いだら、縁から少しこぼれた。
袖で拭いた。
「扉の前にいらっしゃいます」
「ホテルマスター白石か。
よくやった。
中に入れ」
扉が開いた。
濃紺のスーツが入ってくる。
「ど、どうぞ。
お茶です。
菓子も。
前に、喜んで食べていたので。
同じものを」
「頂戴します」
キーロンが耳から離れ、部屋のスピーカーに移った。
「個人の点数を、確定しました」
壁の画面に、数字の列が出る。
白石が湯呑みに手を伸ばしながら、それを見た。
「黄緑の方が三位ですね」
「三位。
三位だと」
「はい」
「あの男は肉を全部取った。
ドローンを睨んだ」
「わたくしと、もうお一方が、高い点を入れました。
それだけのことでございます」
白石は菓子に手をつけない。
画面だけを見ている。
「ナイスガイは、どこだ」
「五十位前後です」
「五十」
私は満点を入れた。
入れたのに、五十だ。
「わたくしは、低く入れました」
「なぜ」
「あの方のまわりでは、何も起きませんので」
言い方は丁寧なままだった。
「チームに入れなかった十八人は」
「点は入っています」
画面が切り替わる。
足をひねった者たちが、軒並み低い。
その下に、一つだけ飛び抜けた数字があった。
「この者は何だ。
走ってもいない。
残り物しか回っていないだろう」
「残ったものを、全部食べた方です。
刺身のツマまで」
「あれは食べるものなのか」
「一人の参考人にとっては、そうです。
大きく加点されました。
同じものを捨てた方は、下がっています」
白石が湯呑みを置いた。
「よろしいのではないですか。
点が割れるのは、見ている方が多い証拠です」
「し、白石さん。
その、点の……今の点の、割れ方は」
白石は微笑んだ。
それから一礼して、立ち上がった。
「特典のご案内がございますので、わたくしはこれで。
お茶、ありがとうございました」
菓子は、一つも減っていなかった。
扉が閉まり、キーロンが耳に戻ってくる。
「キーロン。
観測結果に揺らぎがある。
ステーキは空、プリンで満点、子供は何をしても満点。
私の設計では、もっとこう……美しい分布になるはずだった。
計算間違いか。
いや、テストを続ければ平均値になるはずだ」
「揺らぎは二つです。
どちらも致命的ではありません。
全体は、おおむね想定の範囲に収まっています」
「……そうか。
そうだろうな。
観測されれば、被験体は振る舞いを変える。
それすら私の計算の内だ。
はーっはっはっは!
この久世の前には全てがひれ伏す。
それが世界だ」
「今の笑い声も、ログに残しますか」
「やめてくれ」
画面の中で、ドローンが寝袋の列に降りていった。
一人ずつ、数字を見せて回る。
壁の順位表は、上から下まで数字で埋まっている。
特典が渡るのは、二百位までだ。
その下の百八人には、何も渡らない。
明日も同じチームのままなら、彼らは今日と同じことをする。
同じ条件では、同じ値しか出ない。
「キーロン。
次の組み分けは、こちらでやる。
お前が組め」
「条件は」
「公平にだ。
……いや」
画面の端で、十人ほどが顔を寄せ合っていた。
今日、チームに入れなかった者たちだ。
何かを決めた顔をしている。
「待て。
あの者たちは、同じチームにするな。
全員、ばらばらに散らせ」
「理由を記録しますか」
「人は、自分で選んだ相手の前では善人になる。
選ばれなかった相手の前でこそ、本性が出る。
奴らは飢えた狼だ。
狼は、赤ずきんをも食べる。
……そう書いておけ」
「承知しました」




