第2話 適性確認
その言葉に重なって、背後で低い唸りがした。
振り返ると、さっきくぐった入口の奥で、
分厚い壁が一枚、上から下りてくるところだった。
壁は床の溝にはまり、重い音を立てて止まった。
間を置かず、手前の壁が下り始める。
音は一枚ごとに、こちらへ近づいてくる。
最後の壁が、入口を塞いだ。
外の光は、消えた。
近くにいた男が、壁に駆け寄った。
平らな黒い面を両手で叩く。
音は、ほとんど返ってこない。
「適性確認って、何を確かめるんですか」
前の方で、若い女性が聞いた。
白石は微笑んだまま、答えなかった。
「皆さまには、十人ずつのチームを組んでいただきます。
どなたと組むかは、皆さまでお決めください」
白石は、手首の時計に目を落とした。
「お時間は、三分です。
三分を過ぎてチームに入っていらっしゃらない方は、
適性確認にご参加いただけません」
一瞬、誰も動かなかった。
それから、あちこちで人が立ち上がる。
家族の名前を呼び合い、隣の人の肩をつかむ手が伸びる。
俺も立ち上がった。
三分で、十人。
仕事の段取りを組むときのように、頭の中で数を並べる。
すぐ横に、家族が座っていた。
中学生の兄と、小学生の妹を連れた夫婦。
俺は、その前にしゃがんだ。
「一緒に組みませんか。俺は一人です」
父親が母親と顔を見合わせ、それから頷いた。
「……お願いします」
立ち上がりかけたところで、後ろから声がかかった。
「三人なんですけど、入れてもらえますか」
振り向くと、男が二人と、女性が一人立っていた。
「どうぞ」
四人と三人、俺を入れて八人。
あと二人。
見回すと、壁際に老夫婦が座っていた。
互いの手を握り合って、立ち上がろうとしない。
周りの人たちは、二人の前を素通りしていく。
俺は人のあいだを抜けて、二人の前に膝をついた。
「あと二人なんです。一緒にお願いできませんか」
おばあさんが、夫の顔を見た。
おじいさんは、しばらく黙って俺を見ていた。
それから、握っていた手を離し、膝に手をついて立ち上がった。
「足は、遅いですよ」
「構いません」
二人を連れて、家族のところへ戻る。
一人ずつ、指で数えた。
十人。
振り向くと、白石が手首の時計から目を上げたところだった。
駐車場のあちこちに、十人ずつの輪ができていた。
その輪と輪のあいだに、どこにも入れなかった人たちが立っている。
十数人はいた。
輪に近づいては、首を振られて離れていく人がいる。
壁際から、一歩も出てこない人もいる。
やがて、その誰もが足を止め、駐車枠の線の上に突っ立って、動かなくなった。
俺は、十人を数えた指を、まだ下ろせずにいた。
天井の奥で、細い羽音が立った。
見上げると、照明のあいだから、黒いものがいくつも降りてくる。
両手に収まりそうな大きさの、ドローンだった。
十、二十。
数えるのをやめたころには、羽音が天井いっぱいに広がっていた。
一基が、輪に入れなかった人たちの頭上で止まる。
「動かないでください」
平らな声だった。
抑揚も、間もない。
別の場所からも、同じ調子の声が降ってくる。
「列から離れないでください」
「その場に留まってください」
俺の真上でも、羽音が止まった。
ドローンの腹で、小さな光が一つ、こちらを向いている。
隣で、兄妹の父親が子どもたちの肩を引き寄せた。
話し声は、もうどこにもなかった。
駐車場の中ほどに、ブルーシートで覆われた一角がある。
そこにだけは、最初から誰も座っていなかった。
ドローンが数基、シートの端に降りる。
端をつかみ、そのまま横へ滑っていく。
シートが床を擦る音がして、下から白い線が現れた。
白線で描かれた丸が、一つ、二つ並んで、また一つになる。
同じ並びのコースが、十本、平行に延びていた。
「けんけんぱだ」
妹が、小さく言った。
父親が、黙って首を振る。
一基だけ、ほかより一回り大きなドローンが、高い位置に止まっていた。
声は、その大型ドローンから降りてきた。
「これより、避難経路の歩行確認を行います」
さっきの声とは違った。
人の話し方に近い。
ただ、白石の声にあった柔らかさは、どこにもなかった。
「一つのコースを、一つのチームが使います。
一人ずつ端まで進み、折り返して戻ってください。
戻った方が次の方に触れたら、交代です。
白線を踏んだ方は、その場で五秒間、停止していただきます」
「適性確認って、結局何なんだよ」
後ろの方で、男が声を上げた。
「各チーム、走る順番を決めてください。時間は一分です」
声の調子は、少しも変わらなかった。
十人で、輪になる。
兄が、自分から「一番、行きます」と言った。
おじいさんは、妻の手を握ったまま首を振る。
「私らは、後ろにしてください。前で遅れたら、取り返せませんから」
誰も、反対しなかった。
「じゃあ、最後は俺が走ります」
言ってから、何かあれば取り返すのは自分しかいない、と気づいた。
「時間です。第一組を指名します」
小さなドローンが何基か、輪の上を滑っていく。
俺たちの頭上で、羽音が止まった。
「第一組です。こちらのコースへ進んでください」
ドローンは、十本のうちの一本の手前まで、俺たちを先導した。
十のチームが、コースの手前に並んだ。
隣のコースでは、黄緑のジャージの男が、列のいちばん後ろに立っていた。
前にいた高校生くらいの少年の背中を、片手で押し出す。
「お前からだ。若いんだから、行けるだろ」
男のチームの誰も、何も言わなかった。
「第一組、開始します」
天井のスピーカーから、音楽が鳴り出した。
軽い太鼓と、跳ねるような管楽器。
小学校の校庭で、毎年聞いた曲だった。
十本のコースの先頭が、一斉に跳んだ。
けん、けん、ぱ。
兄が折り返して戻り、母親の手を叩く。
父親が跳び、妹が跳ぶ。
速い。
俺たちより前にいるのは、隣のジャージの男のチームだけだ。
たぶん、今は二位だ。
七人目が戻り、おばあさんが最初の丸の前に立った。
小さく跳んだ踵が、線にかかる。
小さなドローンが一基、おばあさんの顔の前に降りた。
腹の光が、赤に変わっている。
「停止してください」
五秒が、長かった。
後ろにいたはずのチームが、一つずつ俺たちを追い越していった。
おじいさんは、丸に降りるたびに膝に手をつきかけた。
二度、線を踏み、二度、ドローンが前に降りた。
隣のコースでは、黄緑のジャージの男が跳んでいた。
一つ目の丸で、靴が線を踏む。
「停止してください」
男は舌打ちをして、ドローンを睨んだ。
構わずに、次の丸へ跳ぼうとする。
ドローンが、男の顔の前へ滑り込んだ。
赤い光が強くなり、男は腕で目をかばった。
光が消えると、男は大股で跳び、また線を踏んだ。
「停止してください」
その横を、ほかのコースの走者が抜けていく。
おじいさんが戻り、俺の手のひらを叩いた。
俺は最初の丸に足を下ろした。
どのコースの先にも、もう走者はいなかった。
最後の丸を跳び越え、白線の外へ出る。
十本のコースで、立っているのは俺だけだった。
コースの脇へ戻ると、おばあさんが俺の前で頭を下げた。
「ごめんなさいね。私らのせいで」
おじいさんも、膝に手をついたまま頭を下げる。
「いえ」
俺は首を振った。
「誘ったのは、俺ですから」
おばあさんは、何か言いかけて、口を閉じた。
隣のコースの脇で、黄緑のジャージの男が声を荒らげていた。
「あんなもん、邪魔されなきゃ跳べてたんだよ」
男は頭上のドローンを指さし、それから、押し出した高校生の方を睨む。
高校生は、目を伏せたまま動かなかった。
第二組、第三組と、同じ音楽が二度鳴った。
俺は、おばあさんの背中に手を添えたまま、それを聞いていた。
最後の走者が戻ると、音楽が途切れた。
「以上で、歩行確認を終了します」
大型ドローンは、それ以上何も言わなかった。
何位だったのかも、何が見られていたのかも。
柱の陰から、白石が歩み出てきた。
「皆さま、お疲れさまでした。
お食事の用意が整っております。ご案内いたします」
従業員に先導されて、階段を何階分も上がった。
前を行くおじいさんの腰に、おばあさんがずっと手を添えていた。
扉の向こうは、ホテルの食堂だった。
白いクロスを掛けた長いテーブルが、奥まで並んでいる。
その上に、大皿が端から端まで置かれていた。
鉄板の上で脂を跳ねさせているステーキ、
氷の上に並べた刺身の舟盛り、殻ごと焼いた伊勢海老、
湯気の立つ白いご飯。
後ろで、誰かが喉を鳴らした。
白石が、テーブルの前に立つ。
「適性確認の結果に応じて、上位のチームから順にご案内いたします。
お好きなものを、お好きなだけ、お取りください」




