第11話「久世と菱沼」
◇久世
モニターの一つが、ホテル食堂を映している。
三日目の昼で、配膳の列はまだ半分も進んでいない。
カレーの鍋の前で、誰かが三種類を全部、皿に載せていた。
耳の中で、キーロンの声がする。
「ヘリが一機、こちらへ向かっています。
オーナー企業の機体です。到着まで、およそ十分」
「なぜだ。計算では、まだ来ないはずだった。
なぜ、こんなに来るのが早い」
立ち上がった拍子に、椅子が後ろへ倒れた。
床に当たった音が、思っていたより大きい。
モニターの前を右へ歩き、左へ戻る。
「お、落ち着け。これは想定の範囲内だ」
壁の端まで行って、また引き返す。
「この私のビルを、まだ渡すわけにはいかない」
「所有者は本社です」
「私は久世だ。知っているのか、久世なんだぞ」
「存じています」
キャタピラ型のガードロボの後ろへ回る。
低い車体の陰にしゃがむと、モニターの壁が半分隠れた。
「キーロン、どうする。……どうすればいい」
少し、間があった。
「まず、座ってください。椅子を起こしてから」
言われたとおりに椅子を起こし、座る。
キーロンの声が、いつもより柔らかい。
「……なぜ来る」
「被害甚大と報告しましたから。確かめに来るのでしょう」
「……無傷だと知られたら、人を送ってくる。観測の邪魔だ」
「被害甚大と聞いても、来ます」
地震の夜から、キーロンに本社への回線を止めさせている。
向こうへ流していたのは、被害の報告だけだ。
屋上のカメラを、正面の画面に出す。
ヘリが傾きながら降りてきて、植栽の入っていない屋上に脚をつけた。
回転翼が止まると、操縦席の扉が開いた。
降りてきた男が後ろへ回り、客席の扉を開ける。
そこから、二人が降りた。
「役員が二名。もう一名は、パイロット兼護衛です」
二人は背広で、一人は黒い上着だった。
背広の一人が、屋上のカメラのほうへ顔を上げる。
「久世くんを呼んでくれ、と言っています。年配の役員です」
「キーロン、頼んだ」
「残念ですが、久世くん、と指名されています。諦めてください」
肘掛けをつかんだ手が、離れない。
「キャタピラ型は、拠点防衛のため、ここに残します。
人型と犬型のガードロボを連れて出てください」
「……そうする」
「犬型を使うことを、菱沼さんにもお伝えしておきます」
モニターのヘリから目を離さずに答えた。
「ああ。なんでもいい」
副防災センターを出る。
前を人型のガードロボが歩き、その背中の後ろにつく。
犬型の脚が床を打つ音が、四つずつ、すぐ横で続く。
角を曲がると、廊下の先に菱沼が立っていた。
菱沼は私を見ない。人型も見ない。見ているのは犬型だ。
「キーロンさんが、動画くれたんですよ。こんな感じって」
「……キーロン」
「『ああ。なんでもいい』とお返事なさいました」
キーロンの声は、私の耳の中にしかない。
菱沼は犬型の前にしゃがみ、鼻先に手のひらを差し出していた。
「はじめまして。くんくんしていいですよ」
「菱沼さん、こ、困ります」
「大丈夫です」
「キーロン、菱沼さんに伝えろ。これは公務だと」
「目の前にいらっしゃいます」
菱沼は聞いていない。
立ち上がって、犬型の周りをゆっくり一周する。
「この子、乗ってもいいですかあ」
「何キロまで大丈夫なんですか」
犬型が歩き出すと、菱沼も横について歩く。
首を傾けて、犬型の足もとを見ている。
「前足の運び、柴っぽいですね」
「の、乗り物ではない」
「ほら、取っ手がここについてますよ」
言い返す言葉を探しているうちに、菱沼は犬型の背中にまたがっていた。
犬型は止まらない。
菱沼を乗せたまま、同じ速さで歩き続ける。
「白石さんが、役員を会議室へご案内しました。
お茶を出して、下がっています」
会議室の扉の前に、笹川が立っていた。
壁にもたれている。
「なんで俺まで――」
笹川の目が、犬型の上の菱沼で止まる。
人型の陰から、声をかける。
「ひ、菱沼さん。その、降りてください。お願いします」
「えー」
菱沼は降りない。
不満そうに、犬型の首を撫でている。
「ねえ、まだ乗ってたいですよねえ」
「さすがにまずいですよ、菱沼さん。役員の前ですから」
菱沼はすぐに降りた。
私が頼んだときは、降りなかった。
口を開いたが、何も出てこない。
扉の取っ手に手をかけ、開ける。
長机の向こうに、役員が二人座っていた。
どちらの前にも湯呑みがあり、どちらも手がつけられていない。
目は顔より先に、袖口へ行く。二人とも、背広に汚れひとつない。
壁際に、黒い上着の男が座らずに立っている。
腰に、警棒が下がっていた。
年配のほうが、私を見て目を細める。
「久世くん、無事で何よりだ」
「は、はい」
若いほうが、私の横の笹川に目を移した。
「管理会社の方ですね。常駐の」
「ええ、施設の管理を担当しております」
「そちらは、どなたですか」
「ペットショップの菱沼です。この子の付き添いで」
菱沼が、犬型の頭に手を置く。
若い役員は、菱沼と犬型を見比べた。
「……そうですか」
手元の書類を一枚めくり、また戻す。
それから笹川に向き直った。
「被害の報告を受けて来ました。
設備のことは、あなたに伺うのが早いでしょう」
「それがですね、開業前でして、
引き継ぎがまだすべて終わっておりません。
システムまわりは、こちらの久世さんのほうがお詳しいかと」
役員が二人そろって、私を見た。
「……え、わ、私か」
口の中で言う。
「……裏切ったな、笹川」
年配の役員が、背もたれから体を起こした。
「被害甚大と聞いて飛んできたんだがね。無傷じゃないか」
「そ、それは、その……つ、通信の、エラーで。
ビルの状況に、ま、間違いが、あったようです」
耳の中で、キーロンが言う。
「『現在、復旧作業中です』と」
「げ、現在、復旧作業中です」
「『避難民を、三百八名、受け入れております』と」
そのまま言った。
年配の役員は、指で机を一度叩く。
「なら話が早い。本社の人間を、ここへ移す」
社員と家族を、ヘリで何往復かして連れてくるという。
「それと、管制の権限だ。本社のほうへ渡してもらう」
膝の上で、両手が固まる。
「『権限の移行には、時間がかかります』と」
「け、権限の移行には、じ、時間が、かかります」
若い役員が、書類をめくった。
「食料と部屋の数は。避難民は、何人まで減らせますか」
「『食料は、動物の分も食料庫から出しております』と」
そのまま言う。
若い役員のペンが止まった。
「動物、ですか」
「『ペットショップの動物が、一店舗分おります』と」
それも、言われたとおりに口にした。
「なら、まずそこからだ。処理しろ」
年配の役員が、手つかずの湯呑みを脇へ押しやる。
「殺さなくてもいい。外に逃がせば済むだろう」
イヤーピースから、次の言葉が来ない。
待たずに、口を開いた。
「こ、この環境下で、外に出すと……
お、おそらく、死にます。
それでも、よろしいのですか」
年配の役員が、私の顔を見た。
机の上で、指が止まる。
それから、若い役員のほうを一度だけ見る。
若い役員は、書類から顔を上げない。
「……構わん」
隣の空気が、冷えた。
菱沼の顔を見る。
表情が抜けていた。血の気も、引いていく。
犬型の頭に置いていた手が、下りる。
菱沼が、低く身を沈めた。
背中が、しなるように伸びる。
長机の端を回って、壁際の護衛へ。
足音はしない。
護衛が、腰の警棒へ手を伸ばす。
届く前に、みぞおちへ前蹴りが刺さった。
体が折れたところへ、顎に膝。
護衛は、その場に崩れ落ちた。
腰の警棒が、床に当たる音だけが部屋に響く。
若い役員が立ち上がりかけ、椅子が後ろへ滑る。
振り向きざまの掌底が、顎を跳ね上げた。
そのまま、机に突っ伏した。
年配の役員は、まだ座ったままだった。
目を見開き、口が半分開いている。
菱沼が椅子の後ろへ回り、右の手首を取った。
肘を返し、背中のほうへねじり上げる。
肩の奥で、鈍い音がした。
続けて、左。
年配の役員が、ここで初めて悲鳴を上げた。
菱沼が手を離し、一歩下がる。
細く、息を吐いた。
菱沼の顔に、表情が戻ってくる。
年配の役員の前へ回り、しゃがんで首をかしげた。
「さっき、何か聞こえたんですけど。気のせいですよね」
「処理しろ、とか。捨てろ、とか。……言ってませんよね」
にっこり笑う。
役員は黙って、首を横に振った。
「はい、いい子ですねえ」
人型のガードロボの後ろで、膝が震えて止まらない。
そこから、声を出す。
「そ、そんな要求が、通るわけがないだろう。
こ、この私が、いる限り」
最後のほうで、声が裏返った。
「久世さんも、そう言ってますし。
とりあえず、ねむねむしちゃいましょうね」
菱沼が椅子の後ろへ回り、首に腕を巻きつけて締める。
数秒で、年配の役員の首が前に落ちた。
菱沼はついでのように、外した両肩を一つずつ入れていく。
笹川が笑おうとしている。
口の端が、引きつっていた。
「このまま帰すのもなんですし。せっかく来ていただいたので、
この人たちにも、適性確認を受けてもらいましょう」
◇役員
年配の役員は、目を覚ました。
両肩の奥が、鈍く痛む。
顔を上げると、すぐ目の前に大型ドローンが浮いていた。
「適性確認を始めます」




