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第1話 先生、異世界へ

毎週金曜日を目安に投稿していきたいなと考えております。

いつまで続くかわかりませんが、多くの方に見ていただけるよう頑張りますのでよろしくお願いいたします。

 その日も、ナキはいつも通り仕事を終えた。


「はぁー……今日も疲れたぁ」


 夜道を歩きながら、ナキは大きく伸びをする。


 保育士という仕事は、体力勝負だ。


 朝から子どもたちと遊び、泣けば抱き上げ、喧嘩が起きれば仲裁し、転んだ子がいれば傷を確認する。


 大変な仕事だ。


 それでもナキは、この仕事が嫌いではなかった。


「先生ー!」


「ナキ先生、見てー!」


「せんせー、お歌うたってー!」


 そんな子どもたちの声を思い出すと、自然と頬が緩む。


「……明日もいっぱい遊ぶかぁ」


 そう呟いた、そのときだった。


 道路の向こうから、甲高い子どもの泣き声が聞こえた。


「……ん?」


 ナキが顔を上げる。


 歩道には、一人の母親がいた。


 誰かと話しているらしく、スマートフォンに夢中になっている。


 その隣には、乳児を乗せたベビーカー。


 そして。


 ベビーカーの車輪が、ゆっくりと動き始めた。


「……え?」


 ほんの一瞬だった。


 母親は気づいていない。


 ベビーカーは歩道の傾斜に押され、少しずつ車道へ向かっていく。


「危ない!」


 ナキは走った。


 考えるより先に身体が動いていた。


 ベビーカーへ手を伸ばす。


 間に合う。


 あと少し。


「止まれぇぇぇっ!」


 ナキは全力でベビーカーを押し戻した。


 車道から歩道へ。


 赤ん坊は無事だ。


 だが。


 ナキ自身は、道路の中央に取り残されていた。


 クラクション。


 ヘッドライト。


 迫る大型トラック。


「……あ」


 次の瞬間。


 強烈な衝撃が、身体を吹き飛ばした。


     ◇


 目を開ける。


 白い。


 どこまでも白い空間だった。


「……病院?」


「いいえ」


「うわっ!」


 突然、目の前に老人が現れた。


 白い髭。


 白い服。


 そして、どう見ても人間離れした雰囲気。


「誰!?」


「神です」


「…………」


「神様です」


「いや、一回聞いたって」


 ナキは頭を抱えた。


「っていうか俺、どうなった?」


「あなたは亡くなりました」


「……そっか」


 意外なほど、すんなり受け入れられた。


 最後に見た光景を思い出す。


「……あの子は?」


「無事です」


「そっか」


 ナキはほっと息を吐いた。


「よかった……」


 神は、そんなナキをじっと見つめていた。


「あなたは、自分の命よりも見知らぬ子どもの命を優先した」


「まあ……」


 ナキは少し照れくさそうに頭を掻く。


「子どもが死ぬの、嫌じゃん」


「だから、あなたにお願いがあります」


「お願い?」


「別の世界を救ってほしいのです」


「……異世界?」


「はい」


 神が手をかざす。


 すると、白い空間に巨大な光景が浮かび上がった。


 剣。


 魔法。


 モンスター。


 そして。


 泣いている子どもたち。


「この世界では、多くの子どもたちが苦しんでいます」


「……」


「大人たちは子どもたちを弱い存在として扱い、才能のない者を切り捨てる」


 ナキの目が細くなる。


「……それ、嫌いだな」


 神は微笑んだ。


「だからこそ、あなたなのです」


「俺?」


「あなたの経験、あなたの知識、あなたの歌、あなたの身体能力。そして何より」


 神は静かに告げた。


「子どもを見る目」


 その瞬間。


 ナキの身体を淡い光が包んだ。


「あなたが元の世界で培ったものは、この世界では特別な力として形を変えます」


「……俺、魔法とか使えんの?」


「ええ」


「剣は?」


「使えます」


「怪力とか?」


「……それは元々でしょう」


「そっか」


 ナキは少し笑った。


「じゃあ、やってみるよ」


 神は頷く。


「どうか、この世界の子どもたちをお願いします」


「任せて」


 ナキは胸を張った。


「俺、先生だからさ」


     ◇


 そして。


 ナキは異世界へ降り立った。


 森。


 木々の隙間から差し込む陽光。


 聞いたことのない鳥の鳴き声。


「……すげぇ」


 ナキは辺りを見回した。


「本当に異世界じゃん」


 だが。


 感動している暇はなかった。


「……?」


 遠くから、何かが聞こえる。


 獣の唸り声。


 そして。


「たすけてぇぇぇっ!」


 子どもの声。


 ナキの表情が変わった。


「……子ども?」


 走る。


 森の奥へ。


 そこには、数匹の魔物に囲まれた荷馬車があった。


 魔物は狼に似ていた。


 しかし、普通の狼とは明らかに違う。


 体長は大人の男ほどもあり、灰色の毛並みには黒い斑が混じっている。


 口元から覗く牙は長く鋭く、赤い瞳が獲物を狙うようにぎらついていた。


 四本の脚には普通の狼よりも太い筋肉がつき、その爪が地面を引っ掻くたび、土が跳ねる。


「……狼?」


 ナキは思わず呟く。


「いや、デカすぎだろ……」


 その大型の狼型魔物たちは、荷馬車を囲んでいた。


 そして、その前には数人の男たちがいる。


「くそっ!」


「こいつら、しつこすぎる!」


 男たちは必死に逃げようとしていた。


 その中で。


 一人の小さな男の子が、地面に倒れていた。


 オレンジ色の髪。


 元々はツンツンしていたのだろう。


 しかし今は泥と埃でぐしゃぐしゃだ。


 身体は細く、同年代の子どもより明らかに小さい。


 服もボロボロで、ところどころ破れている。


「た、助け……」


 少年が震える声を漏らす。


 ナキが駆け寄ろうとした。


 そのとき。


「そいつを置いていけ!」


 男の一人が叫んだ。


「え?」


「そいつは奴隷だ! 餌にしてる間に逃げるぞ!」


 男は、少年の身体を魔物の方へ突き飛ばした。


「……」


 ナキの足が止まった。


 数秒。


 いや。


 ほんの一瞬。


 ナキの中で何かが切り替わった。


「……おい」


 低い声だった。


 男たちが振り返る。


「今、何した?」


「な、なんだお前は!」


 ナキは少年の前に立つ。


 魔物との間に身体を滑り込ませる。


「子どもを囮にして逃げるって……」


 ナキは拳を握った。


「随分と立派な大人様だな?」


「ひっ……!」


 その瞬間。


 狼型の魔物が一匹、地面を蹴った。


 巨体が一気に迫る。


 開いた顎から、鋭い牙が覗く。


「おにいさん……!」


 少年の声。


「大丈夫」


 ナキは振り返らない。


「今、助けるからね」


 魔物が飛びかかる。


「……邪魔」


 ナキの拳が、その顎を真正面から捉えた。


 ドゴォンッ!


 巨体が宙を舞う。


 そのまま十メートル近く吹き飛び、地面を転がった。


「…………」


 男たちは固まった。


 ナキ自身も拳を見つめる。


「……神様」


 少しだけ遠い目になる。


「これ、元々の怪力じゃないよね?」


 答える者はいない。


 残った魔物たちが一斉に唸り声を上げる。


「グルルルル……」


「……まあいいか」


 ナキは少年を背中に庇った。


「まとめて来いよ」


 数分後。


 森には、魔物たちの呻き声だけが響いていた。


     ◇


「……大丈夫?」


 戦いが終わると、ナキはすぐに少年の前へしゃがみ込んだ。


 声の調子も、表情も変わっている。


 さっきまでの鋭さは、もうない。


「怖かったね」


「……」


「もう大丈夫だよ」


 少年は震えながらナキを見る。


「……殺さない?」


「殺さないよ」


「……怒らない?」


「怒らない」


 ナキはゆっくり手を差し出した。


「名前、なんていうの?」


「……レン」


「レンか」


 ナキは微笑んだ。


「俺はナキ。先生だよ」


「……せんせい?」


「うん」


「年はいくつ?」


「5さい…」


 レンは、差し出された手を見る。


 しばらく迷って。


 小さな手を、そっと重ねた。


「……お腹、空いてる?」


「……」


 レンは答えない。


 その代わり。


 ぐぅぅぅ……。


 小さなお腹が盛大に鳴った。


「…………」


「…………」


 ナキは思わず笑ってしまった。


「そっか」


 そして、レンの頭を優しく撫でる。


「じゃあ、まずご飯食べよっか」


「……ご飯?」


「うん。いっぱい食べよう」


「……俺も?」


「もちろん」


 レンは信じられないような顔をした。


「全部……俺が食べていいの?」


「うん」


 ナキは笑う。


「レンのご飯だからね」


 レンの目に、涙が浮かんだ。


「……うん」


 小さな手が、ナキの手をぎゅっと握る。


 その手は。


 驚くほど細かった。


「……先生」


「ん?」


「……俺、どうすればいい?」


 ナキは少し考えて。


 優しく答えた。


「困ってるならさ」


 レンの目を見つめる。


「先生についておいで」


「……いいの?」


「いいよ」


 ナキは立ち上がった。


「これから、いっぱい食べて、いっぱい寝て、いっぱい遊ぼう」


「……遊ぶ?」


「そう。レンはまだ5歳なんだから」


「ごさい……」


「うん」


 ナキは笑った。


「子どもは子どもらしくしてていいんだよ」


 レンはしばらく黙っていた。


 そして。


 小さく笑った。


「……うん!」


 それは。


 奴隷として扱われていた少年が、この世界で初めて見せた笑顔だった。


 そしてナキは、まだ知らない。


 この小さな少年が。


 やがて世界でも名を知られる剣士へと成長することを。


 そしてその未来を作る最初の一歩が。


 剣でも、魔法でもなく。


 一杯の温かい食事と。


「よく頑張ったね」


 という、たった一言だったことを。

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