第八話 二千四百万円の所有者
水瀬結衣が救助されて二日後。
探索者協会の会議室に、旧補給拠点を運営していた東都ダンジョンサービスの法務部長、御堂恭介が現れた。
机へ置かれた請求書は、二千四百万円。
封鎖板、防護扉、低代謝保全装置。救助のために壊した設備の修繕費だった。
城戸征司が請求書を押し返す。
「中に子供を三年置き去りにして、修理代を取るのか」
「当時の捜索では生存者なしと判断されています」
御堂は声を荒らげなかった。
「救助が正しかったことと、設備の所有権は別問題です」
白石律は請求書を読み直した。
「御社は、現在も施設を所有しているという立場ですね」
「はい」
「では、閉鎖後の管理義務も継続していると?」
御堂は契約書を差し出した。
閉鎖施設の管理義務は封鎖状態の維持に限定。内部設備の点検は探索者協会の承認で免除できる。
三年前、協会側も署名していた。
「管理責任を主張されるなら、まずこの免除の有効性を争うことになります」
数字を出せば終わる相手ではなかった。
律は遠隔監視記録を表示する。
三年間、毎月一度だけ発生していた魔力消費。
そして、結衣を救助した日に東都ダンジョンサービスの管理センターへ届いていた救助信号。
「担当者が確認した記録を提出してください」
「正式な監査合意が必要です」
蓮見紗季が机の下で拳を握る。
「私が毎月、設備を見ていました。止めたら、緊急灯も信号も消えていたから」
「無断侵入です」
「その違反で一人、生き残った」
御堂の表情は変わらなかった。
「結果と手続きは別です」
律が請求書を閉じる。
「現時点では、どちらの責任も確定していません」
「では訴訟になります」
「その前に、現状を保存します」
律は三つだけ提示した。
修繕費請求を九十日間凍結する。
施設と監視記録を現状のまま保全する。
探索者協会が救助目的に限って九十日間の暫定管理を行う。
御堂は書類を読み、最後に一つだけ条件を足した。
「正規の許可証を持つ弊社監査員の立ち入りを認めること」
蓮見が反発しかける。
律は先に答えた。
「事前通知と、拠点職員の立ち会いを条件にしてください」
「受け入れます」
電子署名が入った。
所有権は移らない。
二千四百万円の請求も消えない。
得たのは九十日だけだった。
◇
その日の午後、律たちは旧補給拠点へ戻った。
主電源を入れる。
照明が三つ点き、四つ目で消えた。
制御盤の奥から焦げた臭いが広がる。
「全部直すなら三週間。部品代だけで五百万円」
蓮見が電源を落とした。
探索者協会が出せる復旧予算は三百六十万円。
九十日後に返す可能性がある施設へ、それ以上は出ない。
「全設備を動かす必要はありません」
律は焼けた配電部品を外した。
監査担当が再利用不能として廃棄承認した部品だった。
所有権放棄を確認して触れる。
停電。
負傷者。
残り少ない魔力。
休憩室を切る。
倉庫を切る。
浄水を切る。
最後まで、治療室と通信だけを生かす。
《生命維持優先配電》。
設備を直す知識ではない。
壊れたまま、何を捨てるかを選ぶ手順だった。
律は見取り図へ三本だけ線を引いた。
治療室。
緊急通信。
入口の開閉装置。
「浄水まで止めるの?」
「飲料水は地上から運びます」
「休憩室は真っ暗」
「眠る場所より、死なない場所を先に作ります」
蓮見は不満そうに配線図を見た。
「三日なら持つ。四日目に予備線が焼ける」
「三日で交換します」
二人は作業を始めた。
二日目の夜。
主回路へ戻るはずの魔力が、閉鎖された倉庫側へ流れた。
治療室の照明が明滅し、入口扉も途中で止まる。
その時、救助要請が入った。
第五層で負傷者一名。
到着まで四分。
「倉庫と浄水を物理的に切ってください」
「今切ったら戻せない」
「負傷者は四分後です」
蓮見は一秒だけ迷い、工具を取った。
二本の導線を切断する。
火花が散った。
倉庫の冷却器が止まり、薬剤の一部が使用不能になる。
損失、四十八万円。
代わりに治療室の照明が安定した。
通信設備が復帰する。
入口扉も最後まで開いた。
三分四十七秒後。
肩を裂かれた探索者が運び込まれた。
止血、洗浄、固定。
地上搬送までの二十二分、治療室は止まらなかった。
翌朝、協会の検査員が仮の管理札を取り付けた。
第五層北部緊急待避所。
治療と通信のみ使用可。
浄水、宿泊、補給は未対応。
全面復旧ではない。
それでも、昨日まで閉じていた扉は開いている。
復旧費と損失を差し引いて、手元に残ったのは百四十五万円。
残された九十日のうち、二日を使った。
あと八十八日。
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