第四十一話 成瀬航は、正しい
実証開始から十二日。
成瀬航は救助網の停止を勧告した。
理由は感情ではない。
数字だった。
安全警報による作業停止、延べ百六十八時間。
代替装備費。
追加通信員。
三拠点分散時の物資移送。
救助班の待機増加。
吉岡真司、一名死亡。
新堂班、一名右脚切断。
「導入前より費用は増えた」
成瀬は資料をめくる。
「重大事故率はまだ統計的に下がったと言えない」
会議室には律だけではなく、片瀬、安西、笹木、蓮見、森下もいた。
「止めるべきです」
成瀬が結論を言う。
律は反論しなかった。
反論できなかった。
十二日では短い。
予防した事故は、起きていないため数えにくい。
止めた探索者の損失だけは、確実に残る。
片瀬が資料を閉じる。
「医療側からも、今のまま拡大は反対です」
律が顔を上げる。
「理由は」
「警報が増えて軽症搬送も増えた。必要な患者へ人員を回しにくい」
安西も言う。
「俺も反対」
「確認札は」
「使う。でも全階層共通の救助網にするのは早い」
笹木。
「通信員が足りません」
蓮見。
「北部救助所を中心にはしない」
森下は少し遅れて言った。
「私は続けたいです」
全員が見る。
「ただし、今の形じゃなくて」
律は初めて、自分以外から賛成と反対が分かれるのを眺めていた。
決めるのは自分だと思っていた。
現場責任者。
それでも、ここで「続けます」と言えば、五人の判断をまた一つへ押し込める。
成瀬が律へ問う。
「どうする」
「停止勧告を受けます」
森下が顔を上げた。
「白石さん」
「全体実証は止めます」
「じゃあ終わりですか」
「分かりません」
成瀬が少し目を細める。
律は続ける。
「今は、分からないまま止めます」
◇
その日の午後。
共有網の中央配信が停止した。
各施設は、自分の判断で残した機能だけを使う。
第六層北は装備故障情報だけ。
第七層入口は確認札。
第八層西は通信中継。
統一された救助網は消えた。
律は第五層救助所の机で、停止通知を書こうとしていた。
電子署名はまだ戻っていない。
最終確定は協会職員が行う。
森下が封筒を置く。
「RH―18のメーカーからです」
中には交換済み固定板の調査結果。
第七ロット四百八十六足のうち、実際に危険な熱処理不良が確認されたのは六十四足。
残りは正常。
成瀬の指摘通り、四百人以上を不要に止めたことになる。
別紙。
六十四足の使用履歴。
警報前に三足が破損。
警報後は破損ゼロ。
六十四足のうち十一足は、警告がなければ第七・第八層で継続使用予定だった。
事故になったかは分からない。
分からないから、数字にはできない。
律は紙を閉じた。
◇
夜。
第八層西から、笹木へ私的な連絡が入った。
『共通部品、見てくれ』
救助網は停止している。
正式な共有はできない。
映像だけが送られてくる。
運搬用の吊り具。
救助用の担架。
採掘用の補助枠。
三種類の装備に、同じ小さな留め具が使われている。
黒いU字ピン。
表面に白い筋。
笹木が律を呼ぶ。
「これ、破断予兆じゃないですか」
律は画面を見る。
《破損予兆判別》で分かるのは、目の前の物だけだ。
映像では能力は使えない。
ただ、形は知っている。
「現物が必要です」
「第八層です」
「行きます」
片瀬が後ろから言う。
「右腕」
「走りません」
「信用してません」
森下が立つ。
「私が行きます」
律が見る。
「現物を見ても、あなたは能力を使えません」
「持って帰れます」
「時間が」
「だから私が行く」
森下はもう準備を始めている。
律は止めなかった。
一時間後。
森下から写真が届く。
留め具は、現場で既に二本割れていた。
一つは第八層の懸垂搬送路。
もう一つは、明朝使用予定の大型吊橋補助索。
同じ白い筋。
救助網は止まっている。
中央警報も使えない。
明朝、その吊橋を三つの探索団と物資隊が渡る予定だった。
成瀬航の停止判断は正しい。
それでも、止めた仕組みの中にしか、この異常を一斉に伝える経路はなかった。
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