第三十八話 地図を捨てた救助班
三日間、安西は地図を作らなかった。
代わりに、人へ電話をかけ続けた。
第六層の搬送員。
第七層の救助班。
第八層の坑道管理者。
何を見たら経路を変えるか。
何を見ても変えないか。
崩落音。
魔物の臭い。
床の湿り。
工事の振動。
人の流れ。
地図には書かれていなかった情報ばかりだった。
白石律は口を出さなかった。
四日目の朝。
安西が共有網へ新しい画面を出した。
地図ではない。
地点ごとの確認札だった。
《B路入口》
最終目視 十四分前。
通行者 採掘班一組。
異音 なし。
工事 あり。
判断者 佐伯。
《B路中間》
最終目視 三十二分前。
天井剥離 不明。
判断者 なし。
経路を一本の線で安全表示しない。
見た人間と、見ていない範囲を分ける。
「これなら地図より安全だと思ってる?」
成瀬が聞く。
安西は首を振った。
「分かりません」
「じゃあ再開できない」
「再開しなくていいです」
成瀬が少し黙る。
「使いたい班だけ使います。安全保証はしない。通る前に誰かが見た場所だけ分かる」
「責任逃れに見える」
「責任は逃げません」
安西は画面を指した。
「俺が線を引くと、線が正解に見える。だから線を捨てました」
笹木が横から言う。
「警報も同じかもしれません」
全員が見る。
「危険、って赤く出すと、危険じゃなかった時に次を信じなくなる。確度と観測内容を分けます」
成瀬がため息をついた。
「どんどん不親切になるな」
「現場の人に決めてもらいます」
森下が言った。
「それで死んだら?」
成瀬の問いに、森下はすぐ答えなかった。
「決めさせた側の責任も残します」
「便利な言葉だ」
律は三人のやり取りを聞いていた。
以前なら、責任範囲を文章にした。
今はしない。
まだ文章にする段階ではない。
◇
試験は正式再開しなかった。
ただ、第八層の二つの救助班が自主的に確認札を使い始めた。
その日の夜。
一件の救助要請。
第八層南西、搬送路D―3。
負傷者一名。
確認札には、D―3中間地点の情報がない。
最終目視、二時間前。
救助班長が通信で言う。
『前の地図ならC路に回したよな』
安西は答える。
「今は分かりません」
『役に立たねえな』
「はい」
『じゃあDを行く』
「理由は」
『近いから』
「記録します」
救助班はD路へ入った。
五分後。
途中で黒い胞子を発見。
通行不能。
班長は引き返す。
『Cへ変える』
安西は言う。
「C入口、十八分前に通行あり。中間不明です」
『分かった』
今度は安全だと言わない。
救助班はC路を進んだ。
負傷者へ到達。
生存。
搬送開始。
帰路で魔物に遭遇。
一人が肩を負傷した。
完璧な経路ではない。
それでも、地図を信用して突っ込むことはなかった。
成瀬は報告を読み終えて言った。
「成功例一件で再開とは言わない」
「言いません」
安西が答えた。
◇
翌週。
吉岡真司の遺品が第五層救助所へ届いた。
回収袋は小さい。
腕時計。
割れた通信端末。
救助班の識別札。
森下が三級実地研修の最初の回収補助として立ち会うことになった。
律は正式処理できない。
別の回収員が確認する。
吉岡の端末には、事故直前の音声が残っていた。
『Bで行く。安西さんの図なら担架が通る』
安西はその場にいなかった。
森下が端末を見つめる。
「これ、共有網の事故検証に使いますか」
律は答えなかった。
正式な所有者は遺族へ移る。
使えるかどうかは遺族が決める。
森下は端末を袋へ戻した。
「返してから聞きます」
「はい」
「断られたら?」
「使えません」
森下は少し考える。
「それで次の人が死んでも?」
律は答えを持っていた。
以前なら、すぐ言った。
今は言わなかった。
「それも、遺族が背負うんですか」
森下の問いに、律は首を振った。
「いいえ」
「じゃあ誰が」
救助所の自動扉が開く。
吉岡の妻が来た。
森下は袋を持って立ち上がった。
質問の答えは、まだ作らなかった。
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