第三十七話 正しい地図で、一人死んだ
事故は、古い地図のせいではなかった。
新しい地図のせいだった。
第七層北東。
共有救助網の試験運用四日目。
安西孝志が作った搬送経路図には、三本の退避路が載っていた。
A路。
最短。
B路。
傾斜が緩い。
C路。
魔物出現率が低い。
地図はその日の朝に更新されている。
第七層の救助班から、現場確認済みの印も付いていた。
午後二時十二分。
採掘区域で爆発事故。
負傷者二名。
一人は腹部裂傷。
もう一人は意識なし。
救助班長の吉岡真司は、B路を選んだ。
担架を運ぶなら最も安全だった。
安西も同意した。
「Bで」
通信越しに答えた声は迷っていなかった。
十二分後。
B路の天井が落ちた。
◇
第五層救助所で、笹木が最初に異常へ気づいた。
位置表示が止まった。
「吉岡班、応答ありません」
安西が再送する。
返事なし。
一分後。
非常ビーコンだけが点いた。
生存反応、三。
出発時は四人だった。
救助班二人。
負傷者二人。
「一人消えてる」
森下が言った。
律は立ち上がった。
右腕の固定は続いている。
片瀬が何も言わず固定帯を締め直す。
今度は止めなかった。
現場へ向かうのは律ではない。
第二救助班が既に第七層へ走っている。
律たちは情報を待つしかなかった。
十分。
十五分。
二十二分。
救出報告。
負傷者二名、生存。
救助班員一名、生存。
吉岡真司。
死亡。
落盤時、担架の頭側にいた。
天井材を避ける時間がなかった。
安西は椅子に座ったまま動かなかった。
誰も「あなたのせいではない」と言わなかった。
地図を作ったのは安西だ。
B路を選んだのも安西だ。
現場で最終判断したのは吉岡だ。
どれか一つへ責任を押し込めることはできない。
◇
夜。
事故地点の調査映像が届いた。
B路は朝の時点では安全だった。
午前十一時三十七分。
別班が壁へ補強杭を打っている。
その振動で、天井内部の魔鉱脈に細い亀裂が入った。
亀裂は外から見えない。
午後一時五十分。
小さな剥離片が一つ落ちる。
誰も報告していない。
二時二十四分。
救助班が通過。
荷重と振動で崩落。
地図は間違っていなかった。
古くなっただけだった。
二時間で。
成瀬が机に両手を置く。
「共有網を止める」
律は反対しなかった。
笹木が顔を上げる。
「全部ですか」
「経路共有は全部。装備故障は継続していい」
「でも止めたら」
「正しい地図を信用して人が死んだ」
成瀬の声は大きくない。
「分からない時に分からないと言う方が安全だ」
安西がやっと口を開いた。
「地図が悪いんじゃない」
「なら何が悪い」
「期限がない」
安西は自分の経路図を開いた。
更新時刻はある。
午前八時十五分。
「これを見たら、今日一日は使えると思う」
「実際は二時間で死んだ」
「だから地図に寿命が要る」
成瀬が首を振る。
「寿命を誰が決める。三十分か。一時間か。地層ごとに違う。工事が入れば五分でも古い」
安西は答えられなかった。
律が口を開きかける。
安西が先に言った。
「白石さん、今は黙ってください」
律は口を閉じた。
「これは俺の地図です」
安西は画面を消した。
「俺が作り直す」
「再開前提で話すな」
成瀬が言う。
「一人死んだ。試験は失敗したんだ」
安西の顔が歪んだ。
「失敗したら捨てるんですか」
「人命を使って改善する気か」
「違う」
「同じに聞こえる」
安西は立ち上がった。
肋骨の痛みで一度だけ息が止まる。
それでも座らなかった。
「俺は現場に行けない。だから地図を作った」
「それで吉岡が死んだ」
「分かってる!」
安西が初めて声を荒げた。
治療室から片瀬が顔を出した。
誰も止めない。
安西は自分で呼吸を整えた。
「……分かってる」
翌朝。
共有網から経路図が全て消えた。
代わりに、空白の画面が表示された。
《現在、安全を保証できる経路情報なし》
救助班から苦情が入った。
「何もないなら前より悪い」
その通りだった。
安西は机の前で、吉岡が最後に通ったB路の映像を繰り返していた。
律は一度だけ部屋へ入った。
安西は振り返らない。
「改善案、持ってきました?」
「いいえ」
「じゃあ何です」
律は吉岡の救助記録を机へ置かなかった。
手に持ったまま言った。
「返しに来ました」
「俺に?」
「あなたが作った記録なので」
安西は受け取らなかった。
「まだ要らない」
律は記録を持って出た。
その日、安西は一枚も新しい地図を作らなかった。
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