↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/42

第三話 捨てた道具に、助けられる

遺品返却室には、値札のない物ばかりが並んでいた。


刃の欠けた長剣。


ひびの入った腕輪。


血の染みが落ちなかった革袋。


画面の割れた通信端末。


生前の所有者にとっては必要だった物でも、遺族にとって価値があるとは限らない。


「長剣と指輪だけで結構です」


机の向こうで、遺族の男が言った。


五十代ほど。


亡くなった探索者の兄だった。


職員が確認票へ印をつける。


「通信端末と財布、防具類についてはいかがしますか」


「処分してください」


「こちらの工具も、ご本人の所持品として回収されています」


職員が、最後の一点を机へ置いた。


手のひらほどの金属工具だった。


錆びた円筒形の柄。


先端には、細い針と小さな歯車が付いている。


市販品には見えない。


製造番号も、所有登録もなかった。


男は工具を一度見ただけで首を振った。


「そんな物は知りません」


「ダンジョン内で、ご本人の荷物の下から発見されています」


「兄は装備を買う金には困っていませんでした」


男が長剣を見る。


有名工房の刻印が入った、百万円を超える武器だった。


「そんな錆びた物を使っていたとは思えません」


「では、所有権を放棄する形でよろしいでしょうか」


「はい」


男は端末へ指を置いた。


確認表示が緑色へ変わる。


――所有権放棄を受理しました。


白石律は、返却室の壁際に立っていた。


返却担当者が工具を廃棄箱へ入れようとする。


「確認してもよろしいですか」


律が言った。


男が振り返る。


「それに何か価値があるんですか」


「まだ分かりません」


「錆びた道具でしょう」


「はい」


「兄が使っていた高級装備より?」


律は長剣へ視線を移した。


刃には魔力を通しやすい銀の線が刻まれている。


状態も悪くない。


「比較する目的が異なります」


男の眉が寄った。


「よく分かりませんね」


「長剣は、魔物を倒すための物です」


律は工具を持ち上げた。


「これは、別の目的で使われていた可能性があります」


男は肩をすくめた。


「好きにしてください。私はいりません」


返却確認が終わると、男は長剣と指輪を受け取り、部屋を出ていった。


扉が閉じる。


返却担当者が小さく息を吐いた。


「白石さん、あれを回収するんですか」


「所有権は放棄されました」


「そういう意味ではなくて」


工具の表面には赤茶色の錆が浮いている。


持ち手も歪んでいた。


中古市場へ出しても値段はつかない。


律は工具を机へ置いた。


指先が、柄の側面へ触れる。


冷たい金属の奥に、途切れた感覚が残っていた。


針を押し込む。


止める。


右へ回す。


戻す。


再び押し込む。


同じ動作が、何百回も繰り返されていた。


目の前に、見えない構造が浮かぶ。


魔石の位置。


魔力の流れ。


継ぎ目。


詰まり。


破損箇所。


完全な知識ではない。


一つの道具に対してだけ残された、調整の手順だった。


律の指が止まる。


「何かありました?」


「魔道具の整備に使われていました」


「整備工具ですか」


「一種類だけです」


「一種類?」


「内部の魔力経路を開くための工具です」


返却担当者が、錆びた道具を見直した。


「それ、珍しい物なんですか」


「現物を確認しないと判断できません」


律は工具を袋へ入れた。


「回収します」


その日の午後。


管理棟の一階が騒がしくなった。


探索者が四人、受付へ詰め寄っていた。


全員、黒と金で統一された装備を身につけている。


胸には、企業系探索団《金獅子》の紋章。


先頭に立つ男は、周囲より一回り大きかった。


肩に担いだ大剣から、青白い光が漏れている。


「だから、今すぐ整備士を呼べと言ってるんだ」


男が受付台を叩く。


「第十層への入場予約は一時間後だぞ」


受付職員が頭を下げる。


「申し訳ありません。専門整備士は現在、別の封鎖事故へ出動しています」


「代わりを呼べ」


「施設内に対応できる者がおりません」


「俺たちが今日どれだけの契約を抱えてると思ってる」


男の声が広間へ響く。


周囲の探索者が距離を取る。


《金獅子》は、民間依頼を多く受ける有名探索団だった。


中でも男――城戸征司は、重装前衛として知られている。


大剣型魔道具《蒼断》を使い、第九層の大型魔物を単独で倒した実績もある。


城戸が大剣を受付台へ置いた。


青い光が不規則に明滅している。


「さっきまで正常だった。入場検査を通した直後に出力が落ちたんだ」


職員が検査記録を開く。


「魔力出力は基準値の三十二パーセントまで低下しています」


「そんなことは見れば分かる」


「安全規則上、この状態では持ち込めません」


城戸の後ろにいた女が腕を組む。


「予備武器は?」


「第十層で大型種を相手にする予定だ。市販品では火力が足りない」


「依頼を延期するしかないわね」


「延期すれば違約金が出る」


城戸の奥歯が鳴った。


その横を、律が通り過ぎようとする。


受付職員が顔を上げた。


「白石さん」


律が足を止める。


「何でしょうか」


「魔道具の内部構造に詳しいですか」


城戸が律を見る。


作業用の黒い服。


腰には回収袋と最低限の工具だけ。


高価な武器も、防具もない。


「誰だ、こいつは」


「遺品回収員の白石さんです」


「整備士を頼んだはずだ」


「専門ではありません」


律が答えた。


「なら時間の無駄だ」


城戸が大剣へ手を伸ばす。


律の視線が、明滅する青い線を追った。


柄。


鍔。


刀身の根元。


光が弱くなる間隔は一定ではない。


魔石自体が劣化しているなら、出力は滑らかに落ちる。


今は、急激に止まり、戻り、また止まっている。


「内部の流路が詰まっています」


城戸の手が止まった。


「見ただけで分かるのか」


「完全には分かりません」


「なら黙っていろ」


「ただし、そのまま魔力を流すと破裂する可能性があります」


広間が静かになった。


城戸が律を見下ろす。


「この剣が?」


「はい」


「この装備がいくらするか知ってるか」


「知りません」


「一千八百万だ」


城戸が柄を叩く。


「専属工房が整備している。お前が拾っている廃品とは違う」


律は大剣へ手を触れなかった。


「最後に整備したのはいつですか」


「三日前だ」


「その後、強制出力を使用しましたか」


城戸の後ろの女が視線を動かす。


城戸は答えない。


「第九層で一度だけ使った」


「規定時間を超えましたか」


「倒すのに必要だった」


「冷却せず、続けて使用しましたね」


城戸の眉が動く。


「だから何だ」


「内部の魔力経路が熱で変形しています」


「断定するな」


「では、確認します」


律が回収袋から錆びた工具を出した。


城戸の顔が歪む。


「それを、俺の剣に使うつもりか」


「はい」


「ふざけるな」


城戸が大剣を持ち上げる。


「こんな物に傷をつけられるくらいなら、依頼を延期する」


「分かりました」


律は工具を袋へ戻そうとした。


城戸の仲間の女が口を開く。


「待って」


「何だ」


「もし本当に破裂するなら、持ち帰る方が危険よ」


「こいつの話を信じるのか」


「少なくとも、強制出力を使ったことは当てた」


城戸が黙る。


女は受付職員を見る。


「検査装置で内部温度は測れる?」


「表面温度のみです。内部診断は整備士でなければ」


城戸は大剣を見る。


青い光が消えた。


次の瞬間、柄の奥で小さな破裂音がした。


金属の継ぎ目から白い煙が漏れる。


周囲が一斉に下がった。


律だけが動かなかった。


「触らないでください」


城戸の手が止まる。


「内部に魔力が残っています」


「直せるのか」


「直せません」


城戸の顔に怒りが戻る。


「では――」


「詰まりを一時的に開くことはできます」


律が工具を取り出す。


「出力は戻ります。ただし、完全な修理ではありません」


「どれくらい持つ」


「現在の状態では不明です」


「第十層を突破できるか」


「保証できません」


城戸の拳が震える。


一千八百万の武器。


探索団の象徴。


今日の依頼に必要な主力装備。


それを、無名の回収員が持つ錆びた工具に預けることになる。


「傷をつけたら弁償できるのか」


「できません」


「壊したら?」


「すでに壊れています」


城戸の口が閉じた。


周囲で、誰かが息を漏らした。


律の口調は変わらない。


「使用するかは、所有者が決めてください」


城戸は大剣を見る。


それから、仲間を見る。


誰も何も言わない。


「やれ」


律が受付台の横へ大剣を置く。


「魔力供給を切ってください」


城戸が柄の安全装置を外す。


青い光が完全に消えた。


律は刀身の根元へ指を当てる。


工具から回収した感覚をなぞる。


針を差し込む場所は見えない。


だが、継ぎ目の一箇所だけ、魔力の残留が不自然に弱い。


錆びた針を押し込む。


一ミリ。


止める。


右へ回す。


内部で何かが擦れた。


城戸の頬が引きつる。


「今、何をした」


「流路へ入りました」


「そんな場所に整備口はない」


「整備口ではありません」


律は工具を半回転戻す。


「放熱用の隙間です」


「そこから触る設計じゃない」


「通常は、そうです」


針をもう一度押す。


今度は二ミリ。


小さな歯車が回る。


内部から、硬い物が砕ける音がした。


城戸が一歩出る。


仲間の女が腕をつかんだ。


「待って」


律の手は止まらない。


押す。


回す。


戻す。


三度目。


刀身の中央まで、細い青い光が走った。


白い煙が止まる。


律は工具を抜いた。


「魔力を最小出力で流してください」


城戸が安全装置を操作する。


柄が光る。


青い線が鍔を越え、刀身の先端まで伸びた。


検査装置が数値を表示する。


三十二。


五十六。


七十八。


九十一。


出力は、基準値の九十一パーセントで止まった。


広間がざわめく。


城戸は画面を見たまま動かない。


「直ったのか」


「詰まりを開いただけです」


律は錆びた工具を布で拭う。


「強制出力は使用しないでください。通常出力でも、三十分ごとに冷却が必要です」


「第十層へ持っていけるか」


「大型種との戦闘には推奨しません」


「九十一パーセント出ている」


「数値が戻っても、変形した流路は戻っていません」


城戸は大剣を握る。


青い光は安定している。


周囲の探索者が、感心したように剣を見ていた。


「お前には分からないだろうが」


城戸が言う。


「この武器がなければ、今日の依頼は失敗する」


「はい」


「だから使う」


「承知しました」


律は受付職員を見る。


「使用制限を記録してください」


「え?」


「強制出力禁止。三十分ごとの冷却。異音発生時は即時撤退です」


城戸が顔を上げる。


「勝手に条件をつけるな」


「修理ではなく、応急措置です」


「俺の武器だ」


「はい」


「使い方は俺が決める」


「そのとおりです」


律は端末へ処置内容を入力する。


「ただし、入場を許可するかは管理側が決めます」


城戸の顔が固まった。


受付職員が端末を確認する。


安全規則。


応急処置された魔道具を持ち込む場合、処置者の制限事項を入場条件へ反映する。


違反した場合、探索者資格の停止対象。


城戸は画面を見つめる。


「最初から、これを狙っていたのか」


律は錆びた工具を袋へ戻した。


「何をでしょうか」


「直した後では、俺が条件を拒めない」


「使用しない選択もできます」


「依頼を捨てろと言うのか」


「判断するのは、所有者です」


城戸の呼吸が荒くなる。


だが、反論は続かなかった。


剣を使うなら、条件に従う。


条件を拒むなら、剣は使えない。


どちらを選んでも、自分で署名するしかない。


城戸は端末を受け取った。


指が止まる。


やがて、使用制限への同意欄を押した。


――入場条件を更新しました。


受付職員が息を吐く。


「第十層への入場を許可します」


城戸は大剣を肩へ担いだ。


律の前を通り過ぎる。


数歩進んでから、足を止めた。


「その工具はいくらだ」


「査定額はゼロです」


城戸が振り返る。


律は続けた。


「所有者も、不要だと判断しました」


城戸の視線が、錆びた工具へ落ちる。


自分が一千八百万で購入した大剣。


専属工房が整備した主力装備。


それを動かしたのは、市場価値のない廃品だった。


広間にいる探索者たちも、その事実を理解していた。


城戸は何も言わず、入場ゲートへ向かった。


仲間の女だけが律の前で止まる。


「本当に、第十層で使えると思う?」


「制限を守れば、帰還できる可能性は上がります」


「依頼を達成できる可能性は?」


「それは、私の仕事ではありません」


女は一瞬だけ目を丸くした。


それから、小さく笑う。


「遺品を増やさないことが仕事?」


律は工具の袋を閉じた。


「はい」


三時間後。


《金獅子》は第十層から帰還した。


討伐依頼は失敗。


だが、四人全員が生きていた。


冷却時間を守ったため、大剣は破裂しなかった。


撤退直前、再び出力が低下したが、城戸は異音を聞いた時点で戦闘を中断していた。


受付へ戻った城戸は、泥と血にまみれていた。


肩の大剣は光を失っている。


「修理不能だそうだ」


翌朝。


城戸は廃棄区画へ来た。


律は、回収品の確認をしていた。


「工房から連絡が来た」


城戸が大剣を床へ置く。


「内部流路が完全に変形している。部品交換もできない」


「そうですか」


「廃棄する」


「所有権放棄の手続きを行ってください」


城戸は端末へ指を置く。


一千八百万の大剣が、廃棄品として登録される。


――所有権放棄を受理しました。


律が大剣の柄へ触れる。


内部に残っていたのは、強い斬撃ではなかった。


限界を超えた出力。


熱。


振動。


破損直前に発生する、わずかな異音。


大剣が壊れるまで記録し続けた、危険の兆候だった。


律の指が止まる。


「何が残っていた」


城戸が尋ねた。


「破損の予兆です」


「技ではないのか」


「はい」


律は大剣から手を離す。


「魔道具が壊れる直前の振動を、判別できる可能性があります」


城戸は黙った。


倒すために買った高価な武器は、最後に壊れ方だけを残した。


それは戦果にはならない。


金にもならない。


だが次からは、破裂する前に止められる。


「役に立つのか」


「遺品を減らせます」


城戸はしばらく大剣を見ていた。


やがて、背を向ける。


「昨日」


扉の前で足を止めた。


「制限を記録していなければ、俺は強制出力を使っていた」


律は返事をしない。


「そうすれば、依頼は成功していたかもしれない」


「可能性はあります」


「全員、死んでいたかもしれない」


「その可能性もあります」


城戸は扉を開けた。


「錆びた工具に助けられたとは、団員には言えないな」


「映像は残っています」


城戸の肩が止まった。


廃棄区画の天井。


記録用カメラの赤いランプが点灯している。


「安全教育に使用される予定です」


城戸はゆっくり振り返った。


律は大剣の登録番号を確認している。


声も、表情も変わらない。


城戸は何かを言おうとして、やめた。


扉が閉じる。


その日の午後。


管理棟の安全講習用ページに、新しい映像が追加された。


題名は簡潔だった。


『高出力魔道具の異常と撤退判断』


映像の冒頭。


一千八百万の大剣の横で、錆びた工具を持つ遺品回収員が映っている。


再生回数は、その日のうちに十万を超えた。


廃棄区画では、律が壊れた大剣を分解していた。


刃。


魔石。


柄。


変形した流路。


使える部品は、ほとんど残っていない。


それでも律は、破損した内部機構を回収箱へ入れた。


箱の側面には、新しい分類名が記されている。


――危険予兆記録。


捨てられた武器は、もう敵を倒せない。


代わりにこれからは、壊れる武器を見つけるために使われる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


続きが気になった方は、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。