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第二話 捨てたなら、回収します

平日の午前八時。


駅へ向かう会社員と、ダンジョンへ向かう探索者が同じ横断歩道を渡っていた。


スーツ姿の男の隣で、鎧を着た女がスマートフォンから魔物素材の相場を確認している。


十五年前なら、誰もが振り返った光景だ。


今では、ダンジョンの封鎖情報が電車の遅延情報と同じ画面に表示されている。


管理棟の壁面モニターには、昨日の映像が流れていた。


短剣を持った男が踏み込む。


白石律が半歩前へ出る。


次の瞬間には、男の腕が背中側へ折り畳まれていた。


『遺品を奪おうとした探索者を現行犯で拘束』


再生回数は、二百万を超えている。


「本人だ」


「昨日の回収員じゃない?」


小声が聞こえた。


律は足を止めず、関係者用の階段を下りた。


地下二階の廃棄区画では、作業着姿の若い職員が待っていた。


胸元の名札には、森下とある。


「白石さんですね。本日はよろしくお願いします!」


声が廊下へ響いた。


近くの職員が振り返り、森下は肩を縮めた。


「すみません。配属されて三日目で」


「白石律です。よろしくお願いします」


「昨日の映像、十九回見ました」


「そうですか」


「最後は〇・二五倍速です」


律は一度だけ森下を見た。


「何を確認したかったんですか」


「どうやって刃を避けたのかです」


「避けていません」


「え?」


「加速する前に、腕を止めました」


森下は口を開けたまま、律の後ろをついてきた。


廃棄区画には、大型台車が三台並んでいる。


曲がった剣。


亀裂の入った盾。


焼けた外套。


中央から折れた長槍。


「三日前、第八層から白石さんが回収した装備です」


森下が端末を開いた。


「回収担当者の最終確認が必要なので、来ていただきました」


台車の向こうに、男が座っていた。


三十代半ば。


右脚を固定具で覆い、左腕には包帯が巻かれている。


男の視線は、折れた槍から動かない。


「所有者の久我直哉さんです」


「余計な説明をするな」


久我が吐き捨てた。


森下の肩が跳ねる。


律は久我の前へ立った。


「装備を回収した白石です」


「俺も、お前が運んだらしいな」


「はい」


「槍もか」


「はい」


久我は端末へ親指を押し当てた。


画面に所有権放棄の確認が表示される。


「処分してくれ」


森下が長槍を見た。


「本当に、よろしいですか」


「直せない。売れない。置く場所もない」


「ですが、十一年使った装備だと――」


「だからだよ」


久我の声が強くなった。


森下が黙る。


久我は折れた槍を見つめた。


「柄も穂先も何度も交換した。それでも、ずっと同じ槍として使ってきた」


包帯の巻かれた左手が動く。


「最後には、俺を守って折れた」


久我は視線を床へ落とした。


「壊れたまま置いておきたくない」


律は槍の登録番号を確認した。


事故現場の写真。


破損箇所。


付着物。


記録に誤りはない。


「廃棄が確定するまでは撤回できます」


「いらないと言ってるだろ」


「処理後は返却できません」


「分かってる」


「廃棄後に再利用される可能性があります」


「鉄くずでも何でも、好きにしろ」


律が森下を見る。


森下は少しためらってから端末を操作した。


本人確認。


保険会社の査定。


返却意思なし。


利用権の放棄。


最後の項目が緑色へ変わる。


――所有権放棄を受理しました。


久我は目を閉じた。


律が台車へ近づき、折れた槍の柄を握る。


冷たい感触の奥に、一本の線が残っていた。


右足。


腰。


肩。


肘。


手首。


長年、何度も繰り返された動き。


律の右足が半歩下がる。


「白石さん?」


折れた柄を構える。


穂先はない。


長さも半分ほどしか残っていない。


それでも姿勢だけは、槍が完全だった頃の形を取った。


右足が床を押す。


腰が回る。


肩と肘が、わずかな時間差を保ったまま前へ進む。


折れた柄の先端が空気を貫いた。


鋭い風切り音が響く。


森下が目を見開く。


久我の瞼も開いた。


「もう一度やれ」


律は同じ構えを取った。


二度目の刺突は、わずかに右へ逸れた。


「それは俺の突きだ」


久我が松葉杖をつかむ。


「何をした」


「槍に残っていた動作を回収しました」


「俺の技を盗んだのか」


「回収したのは、一度の刺突だけです」


律は槍先を床へ向けた。


「あなたの経験や判断は、回収していません」


「同じ動きだった」


「形の一部が残っていました」


久我は包帯の巻かれた腕を見る。


「今の俺には、もうできない」


「今は、です」


久我が顔を上げる。


「槍を捨てても、あなたが積み上げたものまで失われたわけではありません」


久我は答えなかった。


森下は折れた槍を見つめていた。


査定額はゼロ。


修理不能。


所有者からも捨てられた。


それでも、何も残っていなかったわけではない。


「ほかの装備にもありますか」


森下の声が弾む。


「可能性はあります」


「なら、全部調べた方が――」


金属が擦れる音がした。


三人が台車を見る。


積まれていた鎧の腕が動いた。


「今、動きませんでした?」


鎧の隙間から、黒い脚が伸びる。


一本。


二本。


四本。


潰れた兜の内側から白い牙が現れた。


破損した防具に潜む、小型魔物だった。


「離れてください」


律が言った。


魔物が台車を蹴る。


剣と盾が床へ崩れ落ちた。


森下が後ろへ下がろうとして、盾に足を取られる。


尻もちをついた。


魔物の顔が森下へ向く。


口が開く。


牙の間から黒い液体が落ちた。


「森下!」


久我が松葉杖を投げる。


魔物の背中へ当たったが、硬い外殻に弾かれた。


魔物が久我へ顔を向ける。


久我は椅子から立とうとして、右脚から崩れ落ちた。


魔物が床を蹴る。


律は折れた槍を拾った。


穂先はない。


短い柄では、硬い頭部を貫けない。


律は魔物と久我の間へ入った。


「どけ!」


律は動かなかった。


右足を後ろへ引く。


柄を腰の横へ置く。


魔物が加速する。


頭部が低く下がる。


正面から受ければ、律ごと押し倒される。


距離が二メートルを切った。


魔物が跳ぶ。


牙が開く。


硬い外殻と喉の間に、細い隙間が現れた。


律の右足が床を押した。


腰が回る。


肩が前へ出る。


最後に肘が伸びる。


折れた柄が一直線に進んだ。


先端が喉の隙間へ入る。


鈍い衝撃が腕まで伝わる。


律は正面から押し返さず、柄を握ったまま右へ一歩移動した。


魔物の突進が横へ逸れる。


黒い身体が台車の側面へ激突した。


大きな音が響く。


魔物は床へ落ち、二度だけ脚を動かした。


律が柄を押し込む。


動きが止まった。


廃棄区画に、森下の荒い呼吸だけが残る。


律は測定器を向けた。


「死亡を確認しました」


「それだけですか?」


森下の声が裏返った。


「けがはありますか」


「ありませんけど、死ぬかと思いました!」


「はい」


「はい、じゃないですよ!」


森下は怒鳴った後、自分の手が震えていることに気づいた。


指を握ろうとしても力が入らない。


律は森下の前へしゃがむ。


「四秒で吸ってください」


「え?」


「六秒で吐きます」


律が指で数える。


森下は言われたとおりに呼吸した。


二度目には、肩の震えが少し弱くなった。


「立てますか」


「多分」


「急がなくて構いません」


律は久我の右脚も確認した。


固定具にずれはない。


久我は、魔物の喉に刺さった折れた槍を見ていた。


「俺なら、頭を狙ってた」


律は返事をしなかった。


「あの突きは俺のものだ。それでも、俺と同じ使い方はしなかった」


「槍に残っていたのは、突く動作だけです」


「狙う場所は、お前が決めたのか」


「はい」


久我はしばらく黙った。


それから、律が差し出した松葉杖を受け取った。


「俺の全部が、あの槍に入っていたわけじゃないんだな」


「回収できたのは一部だけです」


久我は短く息を吐いた。


森下が立ち上がり、倒れた台車へ近づこうとする。


律が片手を上げた。


「近づかないでください」


「ほかにも潜んでいるかもしれません」


「だからです」


律は非常ボタンを押した。


警報が鳴り、隔離扉が閉まり始める。


「専門班が確認するまで、廃棄処理を中止します」


森下が折れた槍を見る。


「それ、持って帰らないんですか」


「技能は回収済みです。槍としての機能も残っていません」


久我が小さく笑った。


「記念品にもならないか」


「保管費用がかかります」


森下が吹き出した。


久我も目を丸くした後、肩を揺らした。


律だけが、槍に付着した体液を布で拭っている。


一度。


もう一度。


胸元の端末が振動した。


昨日回収した遺品について、遺族と連絡が取れたという通知だった。


返却予定品が表示される。


長剣。


指輪。


通信端末。


財布。


破損した防具。


そして、所有登録のない古い工具。


遺族が引き取らなければ、所有者のない物として処理される。


「次の仕事ですか?」


森下が尋ねた。


「はい」


「また危険な仕事ですか」


「遺族へ、遺品を返します」


森下の表情が少し緩む。


久我が律を見る。


「返した後で、いらないと言われたら?」


律は端末を閉じた。


折れた槍を、廃棄用の台車へ戻す。


「そのときに確認します」


「何を」


「本当に、捨てるのかを」


隔離扉の向こうから、専門班の足音が近づいてきた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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