第二十四話 律がいなくても救える
最終審査の日。
白石律の通信権限は、閲覧だけに制限された。
第五層北部緊急待避所。
治療室の冷却は停止中。
重症患者は地上へ直接搬送する。
審査員は探索者協会、医療監査、東都ダンジョンサービス、保険会社。
成瀬航と御堂恭介も同席している。
「救助要請が入っても、白石さんは指示を出さないでください」
赤坂が言った。
「判断が誤っている場合は?」
「生命に差し迫った違法行為を除き、止めない」
律は机の上へ左手を置いた。
右腕は固定されたまま。
「承知しました」
午前十時十四分。
警報が鳴った。
第五層東部貨物通路。
運搬昇降機が停止。
作業員三名。
一名が籠と壁の間へ右脚を挟まれている。
一名は籠内。
一名は上部点検足場。
笹木悠斗が通信を開く。
「三人全員、返事をしてください」
三人分の応答。
生命反応、三。
確度、物理確認済み。
重要度、高。
「設備情報を蓮見さんへ共有。片瀬さんへ映像。安西さんへ搬送図面」
笹木は警報を出した後も、一人で結論を決めなかった。
◇
運搬昇降機は、床面から一・八メートル下で止まっていた。
非常用の手動蓄圧器だけが動いている。
上部の作業員がポンプを押すたび、籠は落下を免れる。
同時に。
内部圧力が危険域へ近づく。
「ポンプを止めたら落ちます」
笹木が言う。
「続けても破裂する」
蓮見紗季が設備図を確認する。
「二回に一回へ減らして。圧力が下がる間隔を測る」
現場へ向かったのは久我直哉と、資格を持つ保守員二名。
安西孝志は待避所に残る。
肋骨が治っていないため、現場へは行けない。
片瀬美冬は搬送後の受け入れ準備。
律の名前は、判断欄のどこにもない。
現場映像に、挟まれた作業員が映る。
顔色が白い。
痛みは、最初より減っている。
「改善ではありません」
片瀬が言った。
「血流と神経反応が落ちています。解除後の出血を想定してください」
久我が昇降籠の索を確認する。
主索、二本。
補助索、一本。
補助索の外装が膨らんでいる。
「中で切れてる」
蓮見が拡大する。
「補助索を外さないと、籠を上げた時に主索へ絡む」
「切るぞ」
久我が言った。
「所有者承認が必要です」
笹木が答える。
補助索の所有者。
東都ダンジョンサービス。
帳簿価値、四十二万円。
御堂が審査席で資料を見る。
律へ視線を向けた。
律は口を開かない。
「所有者として切断を承認します」
御堂が言った。
「交換費用は当社負担です」
久我が補助索を切断する。
籠が一センチ沈んだ。
挟まれた作業員が叫ぶ。
片瀬が呼びかけを続ける。
名前。
年齢。
現在地。
意識を保たせる。
◇
籠を四センチ上げれば、右脚を抜ける。
だが、圧力を上げると主索へ偏った荷重がかかる。
久我が一本の固定棒を床と籠の隙間へ差し込む。
《一点固定》。
籠の傾きを、細い棒へ集める。
「長くは持たない」
「何秒ですか」
安西が尋ねる。
「上げてから十秒」
現場には、負傷者を引く人間が一人足りない。
上部点検足場の作業員は、手動ポンプから離れられない。
「ポンプ停止後、圧力が落ちるまで十七秒あります」
安西が記録を読む。
「十四秒で梯子を降り、残り三秒で引き出してください」
「間に合わなかったら?」
上部の作業員が尋ねる。
「籠が落ちます」
「別の救助員を待てない?」
笹木が言う。
片瀬が患者の脚を見る。
「待てば、切断の可能性が上がります」
安西が決める。
「実行します」
律なら、別の救助員を待つ損失と、十七秒の作業を比較していたかもしれない。
だが。
今は安西の判断だった。
役割を分ける。
久我。
固定棒。
保守員一。
上半身を保持。
保守員二。
脚を引き、止血。
上部作業員。
ポンプ停止後に降下。
開始。
十七秒。
ポンプ停止。
十四秒。
作業員が梯子を降りる。
十秒。
蓮見が圧力を一度だけ解放する。
籠が四センチ上がる。
八秒。
右脚が抜ける。
五秒。
三人で身体を引く。
二秒。
固定棒が曲がった。
昇降籠が二十センチ落下する。
誰も挟まれていない。
ただし。
主索の一本が衝撃で損傷した。
運搬昇降機。
全損。
復旧見積もり、九百万円。
第五層東部の物流は、少なくとも二週間停止する。
救助は成功した。
設備は失われた。
◇
負傷者は右下腿骨折と圧迫損傷。
解除後の出血を片瀬が遠隔で制御し、地上へ搬送する。
生存。
残る二名。
一人は過呼吸。
一人は梯子降下時の擦過傷。
全員生存。
救助者の負傷、なし。
審査室では、九百万円の損失が表示された。
成瀬が律へ尋ねる。
「あなたなら、同じ方法を選びましたか」
律は記録を見る。
別の救助員を待つ案。
籠全体を外部から吊る案。
主索へ追加の固定具を付ける案。
「違う方法を検討した可能性があります」
「では、彼らは間違えた?」
「結果だけでは判断できません」
「設備を失った」
「はい」
「あなたがいれば、失わなかったかもしれない」
「患者の脚を失った可能性もあります」
律は現場判断記録を閉じない。
設備損失。
九百万円。
死亡者。
ゼロ。
「私は、この判断を許可する仕組みを作りました」
「責任を取る?」
「はい」
「自分が決めていなくても?」
「権限を渡したのは私です」
成瀬は何も言わなかった。
◇
午後二時。
最終審査の結果が出た。
常設救助施設認定。
不認定。
浄水設備。
冷却設備。
予備電源。
三項目が基準を満たさない。
だが。
条件付き緊急救助所としての独立運用を承認。
期間。
九十日暫定管理の残り六十日。
権限。
独立した入場管理。
救助通信の一次判断。
緊急時の設備使用。
他階層からの救助中継依頼受領。
施設所有者の事前承認なしに、生命保護を目的とする応急処置を実行できる。
正式認定ではない。
それでも。
東都ダンジョンサービスの付属施設ではなく。
一つの救助所として、権限を得た。
赤坂が言った。
「白石さんが不在でも運用可能と判断します」
律は片瀬、安西、笹木の契約書を出した。
三十日間の試用終了。
三人を同じ職員として採用しない。
片瀬。
治療判断責任者。
安西。
搬送設計・引き継ぎ責任者。
笹木。
通信・不確実情報管理担当。
欠点は消えていない。
片瀬は一人へ集中する。
安西は搬送対象だけを見る。
笹木は誤報を恐れて遅れる。
だから。
一人に全体を任せない。
「正式採用ですか」
笹木が尋ねる。
「暫定管理終了日までの契約です」
「施設が残ったら?」
「再契約を提示します」
「残らなかったら?」
「存在しない仕事は約束できません」
笹木は不満そうな顔をした。
安西が先に署名する。
「できないことを、できると言われるよりいい」
片瀬も署名した。
最後に笹木が書く。
三人分の契約が開始された。
◇
夜。
律は管理権限の一部を解除した。
救助判断。
片瀬。
設備停止。
蓮見。
現場撤退。
久我。
通信警報。
笹木。
搬送開始。
安西。
律の承認を待たなくても動く。
壁面の施設名が更新される。
第五層北部緊急待避所。
その下に、新しい文字。
条件付き独立救助所。
成瀬が入口から表示を見る。
「拠点は残りましたね」
「六十日です」
「あなたは?」
「遺品回収員へ戻ります」
「管理を捨てる?」
「捨てません」
律は新しい責任者一覧を見る。
「置いていきます」
その時。
探索者協会から、正式依頼が届いた。
依頼区分。
特異遺品回収。
対象階層。
第七層。
死亡者。
ゼロ。
発生した遺品。
十二点。
律は依頼書を開いた。
生きて帰った探索者たちの名前が。
遺品の所有者欄へ並んでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になった方は、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




