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3


熱愛報道が出たのは、二日後の朝六時だった。


凛はマネージャーからの鬼電で目を覚ました。


「凛!! 起きて!!」


「……ん……」


「撮られた!!」


一気に眠気が吹き飛ぶ。

ベッドから飛び起き、スマホを開く。


そこには大きく


『国民的女優・白鳥凛、ついに熱愛発覚』


という文字。


そして帽子を深く被った凛と、隣を歩く榊の写真、店から出るところ、並んで歩いているところ。


最後には凛の頭を撫でる榊の姿まで、しっかり撮られていた。


「……っ」


顔が熱くなる。

嬉しいとか恥ずかしいとかじゃない。


まず最初に浮かんだのは。


――終わった。


だった。


榊とならいつ撮られてもいいと思っていたがやはり現実になるとそうはいかなかった。

凛はその場で記事を開く。


《お相手はテレビ局勤務の敏腕ディレクターA氏》


《白鳥が長年想い続けていた相手では、との声も》


《業界内では有名な存在》


どんどん血の気が引く。

でも記事の中の写真を見るたび少しだけ胸が苦しくなる。

だって、あの日凛にとっては特別だった。


頭を撫でてもらって


“大丈夫だよ”って言われて


もう付き合ってるみたいだと、本気で思ってしまった。浮かれていた。幸せだった。


だからこそ怖い。


榊はきっと、また距離を取る。

外では会わないって言うかもしれない。

いや最悪五年前みたいに、全部終わるかもしれない。

そう思った瞬間涙が滲んだ。


その日の昼、事務所は軽く騒然としていた。


マネージャーは各所へ連絡。

広報は対応確認。


凛は社長室へ呼ばれた。


怒られるそう思っていた。


なのに社長は記事を見ながら、のんびり言った。


「やっちゃったね〜」


「……すみません」


「でもまぁ、凛ももう二十五だし」


軽い。

拍子抜けするくらい。


社長はコーヒーを飲みながら続けた。


「相手変な男じゃないんでしょ?」


凛が少し黙る。


「……優しい人です」


「ならいいんじゃない?」


「……」


「好感度下がるとか気にしてる?」


図星だった。

凛は小さく頷く。


社長は笑う。


「今の時代、恋愛したくらいで終わる女優じゃないでしょ君」


そう言われても不安になる。

そして凛にとって一番の問題はそこじゃない。


榊だ。

榊悠真がどう思うか。それが怖かった。


帰宅後スマホを開くと、LINEが来ていた。


【榊】


胸が跳ねる。


『大丈夫?』


たった四文字。

でも優しすぎて泣きそうになる。

なんて返せばいいのか分からない。


『大丈夫じゃないです』


って送ったら困らせる?


『すみません』は違う気がする。


『離れないで』なんてもっと言えない。


入力しては消して、また入力してその繰り返し。


すると突然スマホが震えた。

榊からの電話だった。


「……っ」


数秒迷って、通話を押す。


「もしもし」


『うん』


声を聞いた瞬間泣きそうになる。

榊はいつも通りだった。

落ち着いていて、静かで、優しい。


『大丈夫か』


「……わかんないです」


正直に言ってしまった。


少し沈黙後、榊が小さく笑う。


『まぁ、びっくりするよな』


「榊さんは平気なんですか」


『平気ではない』


「……」


『朝から局でめちゃくちゃいじられた』


少しだけ笑ってしまう。

榊は続ける。


『でもまぁ、今のところ局から怒られてはない』


「ほんとですか?」


『今んとこは』


それから榊はずっと凛の話を聞いてくれた。


怖いこと、不安なこと、また離れられたら嫌なこと。

全部否定せずにちゃんと聞いてくれた。


「……私、榊さんにもう会えなくなるのが一番嫌です」


気づけばそんなことまで言っていた。

電話の向こうで、少しだけ息を呑む気配。


でも榊は、


『会えなくならないよ』


そう言った。

優しく、自然に。


「……ほんと?」


『うん。今度は美味しい焼き鳥屋行こう』


それだけで、少し泣きそうになる。

ずるいこの人は、本当に。

どれだけ自分を安心させれば気が済むんだろう。


しばらく話しているうちに、凛も少しずつ落ち着いてきた。

最後にはもう、普通に笑えるくらいには。


「……やっぱりおじさん、修羅場慣れしてますね」


『誰がおじさんだ』


「三十五歳」


『ギリ傷つくライン攻めるな』


凛がくすっと笑う。

その笑い声を聞いて、榊も少し安心したようだった。


電話を切る直前、榊がぽつりと言う。


『……凛』


「はい?」


少しだけ間。


『ごめんね』


凛は目を瞬く。


「なんで謝るんですか」


『いや……不安にさせたなと思って』


その言葉に凛はとうとう泣いてしまった。


好きだ。本当にどうしようもないくらい。



熱愛報道が出てから数日。

局内はまだ少しざわついていたが、榊は無理やり気持ちを切り替えることにしていた。


落ち込んでいても仕方ない。

番組は待ってくれない。

スポンサーも、収録も、会議も、全部普通に進む。

テレビ業界なんてそんなものだ。


だから榊は、いつも通り仕事をしていた。


……していたのに


その日の昼、突然スタジオの空気が凍りついた。


「榊悠真ってどこ!?」


甲高い怒鳴り声。

聞いた瞬間、榊の顔色が変わる。


スタジオ入口。


そこにいたのは、凛の母親だった。

派手な服、ヒステリックな声。


十年前と何も変わっていない。


周囲のスタッフがざわつく。


「ちょ、誰……」


「白鳥さんのお母さんらしい」


「えぇ……」


母親は榊を見つけるなり、一直線に詰め寄ってきた。


「あなたのせいで凛のイメージが最悪になったのよ!!」


スタジオ中に響く声にスタッフたちが固まる。


「凛にはもっと大物じゃなきゃ駄目なの!」


「局員ごときが!!」


「勘違いしないでちょうだい!」


榊は何も言わなかった。

いや、言えなかった。


凛がずっと、この人の言葉を浴びて育ってきたんだと思うと胸が重くなる。


「あなたが凛を壊したのよ!!」


母親がさらに叫ぼうとしたところで、警備員が駆け込んできた。


「お客様、困ります!」


「離しなさいよ!!」


数人がかりで引き離されていく。


それでも母親は叫び続けていた。


「凛はあなたなんかに騙されてるだけ!!」


「気持ち悪いのよ!!」


その声が、最後までスタジオに響いていた。


誰も何も言えない。


榊は少しだけ疲れた顔で、


「……すみません、続けましょう」


とだけ言った。


その夜凛から電話が来た。


声が震えていた。


『……ごめんなさい』


開口一番、それだった。


『またお母さんが……』


「凛が謝ることじゃない」


『でも』


「お前は悪くないだろ」


電話の向こうで、小さく息を呑む音がした。


榊は天井を見上げる。

凛も大変だな。


本気でそう思った。あんな親を持って。

ずっと一人で耐えてきたんだろう。


「今日はちゃんと休め」


『……うん』


「ネットも見るなよ」


『無理かも』


「見るな」


少し強めに言うと、凛が小さく笑った。

その笑い声に少し安心した。


……その時までは。


翌朝。


地獄みたいな記事が出た。


『人気女優・白鳥凛を洗脳か』


『テレビ局ディレクターA氏の異常愛』


『子役時代から目をつけていた疑惑』


榊は通勤中のタクシーで記事を開き、固まった。


《A氏は凛が子役時代から異様に接触》


《精神的に依存させる“グルーミング”か》


《白鳥本人は当初関係を嫌がっていたとの証言も》


笑えるくらい全部デタラメだった。


だけどネットは一瞬で燃えた。


『うわ最悪』


『ロリコンじゃん』


『気持ち悪すぎる』


『凛ちゃん可哀想』


『洗脳されてるのでは?』


『グルーミングってやつ?』


『業界の闇』


スマホを閉じる。胃が痛い。


でも何より子役時代の話。

あれは今まで一度も表に出たことがなかった。


凛も、榊も、誰にも話していない。


つまり情報源は一人しかいない。


……母親だ。


局へ着く頃には、榊は完全に悪人扱いだった。


もちろん面と向かって言う人はいない。

でも空気で分かる。


スタッフたちも困惑していた。


「あの記事マジなんですか……?」


「いや、榊さんそんな人じゃ」


「でもネットやばいっすよ……」


若いADなんて露骨に怯えた顔をしていた。


榊はそれを責められなかった。

記事だけ見れば、そう思う人もいる。

むしろ当然だ。


スマホが震え見てみると凛からだった。


でも榊はすぐに出られなかった。


今、何を言えばいい。


“気にするな”?


そんな軽い問題じゃない。


下手をすれば凛のキャリアにも傷がつく。


少しして、また着信。


今度は震える指で通話を押した。


「……もしもし」


『榊さん』


声を聞いた瞬間、凛が泣いているのが分かった。


『ごめんなさい』


また謝る。榊は思わず目を閉じた。


「だからお前は悪くないって」


『でも、お母さん絶対……』


「分かってる」


『私、ちゃんと否定します』


「駄目だ」


即答だった。

凛が息を呑む。


「今お前が動くと、余計燃える」


『でも!』


「凛」


少し強めに名前を呼ぶ。


電話の向こうが静かになる。

榊はゆっくり息を吐いた。


「俺は大丈夫だから」


嘘だった。

全然大丈夫じゃない。


でも今この子まで壊れる方が嫌だった。


凛はしばらく黙ってそれから、小さな声で言った。


『……榊さん、怖くないの』


榊は少し考える。

怖い。

そりゃ怖い。


「怖いよ」


正直に答えた。


「でも」


窓の外を見る。


慌ただしく働くスタッフたち。現場の音。いつものテレビ局。


「お前が一番怖いだろ」


その瞬間、電話の向こうで、凛が堪えきれず泣き出した。



凛は昔から、“白鳥凛”だったわけじゃない。


もっと幼い頃、まだ本名で呼ばれていた頃から母親は、凛を“作品”みたいに扱っていた。


「笑って」


「もっと可愛く」


「泣き方が下手!」


まだ小学校にも入っていない子供に向ける言葉じゃなかった。


でも幼い凛には、それが普通だった。


母親が喜んでくれるのが嬉しかった。

オーディションに受かれば褒めてくれる。

ドラマに出れば抱きしめてくれる。


だから頑張った。

母親に愛されたかった。


ただ、それだけだった。


けれど凛が有名になるにつれて、母親の欲はどんどん膨らんでいった。


「主演じゃなきゃ意味ない」


「もっと売れなさい」


「あの子より上に行きなさい」


気づけば凛自身の気持ちは、どこにもなかった。

服も、髪型も、仕事も、友達も、全部、母親が決める。


「あなたはママの夢なの」


何度も言われた。


最初は嬉しかった言葉が、だんだん怖くなっていく。


そしてある日凛は初めて、母親に逆らった。


「……この仕事、やりたくない」


たったそれだけだった。


でも母親はヒステリックに叫んだ。


「あなたのためにどれだけ頑張ったと思ってるの!?」


「誰のおかげでここまで来れたの!?」


「恩知らず!!」


泣きながら怒鳴る母親を見て、幼い凛は思ってしまった。


――逆らったら駄目なんだ。


そこからだった。


どんどん逃げられなくなった。

相談もできない。

だって周りの大人たちは皆、“教育熱心なお母さん”として見ていたから、親子だから、そういうものだから。


誰も止めない。

誰も気づかない。

だから凛は自分が悪いんだと思い込むしかなかった。


そんな時だった榊悠真と出会ったのは。


まだADだった二十歳くらいの榊。

忙しくて、不器用で。

でも凛が泣きそうな顔をしている時だけ、必ず気づいた。


「次セット確認しまーす」


「監督呼んでます」


「台本変更入りました」


適当な理由をつけて、母親から引き離してくれる。


しかも助けてやった、みたいな顔をしない。

ただ自然に当たり前みたいにそれが凛には衝撃だった。


“自分を守ってくれる大人”なんて、初めて見た。


ある日、ロケの合間に榊がコンビニのおにぎりを食べながら言った。


「子供なのに働いてて偉いよな」


何気ない一言だった。


でも凛はその時、泣きそうになった。


頑張ってるって初めて言われた気がした。

そこから少しずつ。

凛の中で何かが変わっていく。


――もしかして。


――お母さんの言うこと、全部正しいわけじゃないのかもしれない。


その考えは怖かった。


でも榊と一緒に現場にいると、少しだけ息ができた。

世界は母親だけじゃないと知れた。


だから凛は、自分で決めた。


子役を辞める、と。


当然、母親は大反対した。


「何言ってるの!?」


「今辞めたら終わりよ!?」


「せっかくここまで来たのに!!」


泣いて、怒鳴って物を投げた。


でもその時事務所社長が味方になってくれた。


「いやいや、最近は学歴ある女優の方が強いですよ」


「良い大学入ってから復帰する子も多いですし」


「知性派路線、今後絶対武器になります」


口から出まかせみたいなことを並べながら必死に母親を説得してくれた。


最終的に母親は、


「賢い女優も悪くないかもね」


と、ころっと考えを変えた。


完全に社長に乗せられていた。


でもそのおかげで凛はやっと、芸能界から離れられた。


普通の学生になった。


友達と遊んでコンビニで肉まん食べて恋愛ドラマ見て泣いて、そんな普通の時間を過ごした。


だけど榊のことだけは忘れられなかった。

たった数ヶ月、一緒に仕事しただけなのに。

何年経ってもずっと。


あの時の言葉が残っていた。


――子供なのに働いてて偉いよな。


凛にとってあれは


“自分自身”を見てもらえた、初めての瞬間だった。


凛は、本当はあまり過去を思い出したくなかった。

子役時代の話を聞かれるのも苦手だった。


“昔から可愛かったですよね”


“お母様のサポートが素晴らしかったんですね”


そう言われるたび、曖昧に笑って誤魔化してきた。

だって本当のことなんて、誰にも言えなかったから。


でも今回の記事で、全部ぶり返した。


母親の怒鳴り声、泣きながら謝っていた子供の自分、逆らったら愛されなくなる恐怖。


思い出すだけで息が苦しくなる。


なのに母親はまた同じことをした。

自分の思い通りにならないから。


榊を悪者にして凛を“かわいそうな被害者”にして世間を動かそうとした。


スマホを握る手が震える。


怖い。

今だって怖い。


全部話したらどうなるか分からない。

イメージが壊れるかもしれない。

仕事も減るかもしれない。


でも凛はゆっくり顔を上げた。


――このまま、お母さんの思い通りになってたまるか。


胸の奥で、何かが決まる。


元々、凛は勢いで動くタイプだった。

昔より大人になった。慎重にもなった。


でも大事なところでは、結局止まれない。


マネージャーが止める間もなく凛はスマホを開いた。


そしてSNSに文章を書き始める。


長く、正直な言葉を。


何度も書き直して。

震える指で投稿ボタンを押した。


――数分後。


ネットが止まった。


【白鳥凛 投稿】


トレンド一位。


凛の文章は、今まで誰にも話さなかった真実だった。

自分が昔、別の芸名で子役をしていたこと。

母親との関係。

幼い頃から母親の夢を押し付けられていたこと。

逆らうのが怖かったこと。


そしてテレビ局でADをしていた榊悠真が、何度も助けてくれたこと。


《榊さんは、私を支配した人ではありません》


《むしろ、初めて“私自身”を見てくれた大人でした》


《だから私は、自分の意思で仕事を辞めました》


《榊さんのせいではありません》


そこまで読んだ時点で、涙するファンも多かった。


だが投稿はそこで終わらなかった。


《あと、数年前に一度ちゃんと振られてます》


ネットがざわつく。


《立場が違うから》


《私の未来を潰したくないからって》


《すごく真面目に振られました》


《その時はいっぱい泣きました》


そこからさらに。


《なので“子供の頃から洗脳されていた”とかは本当に違います》


《むしろずっと片想いして追いかけ回していたのは私です》


《榊さんはずっと逃げてました》


《可哀想なくらい逃げてました》


深夜のネットに、少し笑いが混じる。


そして最後。


凛は少しだけ間を空けるように文章を書いた。


《あと、まだ付き合えてません》



次の瞬間、爆発した。


『え!?!?』


『まだ付き合ってないの!?』


『ここまでで!?』


『榊逃げ切りすぎだろ』


『むしろ誠実すぎる』


『え、普通にいい人では……?』


『凛ちゃんずっと片想いしてたの!?』


『急に純愛になるな』


コメントが流れていく。


でも凛は最後の一文だけは、何度も書き直した。


《そして、母とはもう縁を切ります》


《今後、私の人生に関わらせません》


《ずっと怖かったけど、もう大丈夫です》


《私はもう、自分で選べます》


投稿を終えた瞬間全身の力が抜けた。


怖かった。

でも不思議と、少しだけ息がしやすかった。


スマホが鳴り止まない。

事務所、マネージャー、友人、全部後回しにして凛は、ただ一人からの連絡を待った。


数分後画面が光る。


【榊】


心臓が跳ねる。

震える指で開く。

そこには短く。


『やりすぎ笑』


とだけ書いてあった。


その瞬間凛は泣きながら笑ってしまった。

凛の投稿は、一時間もしないうちに削除された。

事務所は大慌てで広報は頭を抱え、マネージャーは「だから勢いでSNSやるなって言ったのに!!」と叫んでいた。


でももう遅い。


スクリーンショットは一瞬で拡散されていた。

そして世間は、思った以上に凛の味方だった。


『え、普通に純愛では?』


『十年以上片想いしてるの凄すぎる』


『榊さん逃げ続けてたの逆に好感度高い』


『ちゃんと振ってるの誠実』


『付き合ってないの面白すぎる』


『もう結婚しろ』


ネットはほぼ祭り状態だった。


しかも凛の子役時代の芸名が知られたことで、


『え、あの子だったの!?』


『あの有名子役!?』


『全然気づかなかった』


と別方向でも盛り上がっていた。


榊はその流れを、局の休憩室で死んだ目をしながら眺めていた。


「……またこの感じか」


数年前にも似た空気はあった。


“凛ちゃんの恋を応援しよう”みたいな。


でも今回は違う。

今回は榊悠真という名前も、顔も、世間に知られてしまっている。


逃げ場がない。しかも最悪なことに局の上層部が妙に乗り気だった。


「これ逆に特番できない?」


「純愛ドキュメントみたいな」


「数字持ってるぞこの二人」


「榊ぃ〜、使えるもんは使わないとなぁ?」


本気で言っている。

テレビ局の人間らしい発想だった。


榊はげんなりした顔で、


「俺一般人なんですけど」


と言ったが、


「局員は半分タレントみたいなもんだろ」


で終わった。

地獄だった。


そして何より最近、局内の空気がおかしい。

凛が現場に来ると何故か周囲の人間が、すっと消える。


「じゃ、俺あっち確認してきます!」


「資料取りに行ってきます!」


「飲み物買ってきますね!」


露骨すぎる。気づけば榊と凛、二人きり。


わざとにもほどがあるだろ。

今日もそうだった。


収録終わりスタッフたちが異様な速度で散っていき、気づけばスタジオ端に二人だけ残される。


榊はため息をついた。


「お前絶対裏でなんか言ってるだろ」


「言ってないです」


凛が楽しそうに笑う。

絶対嘘だ。でもその笑顔を見ると、強く追及できない。


凛は最近、前より自然に隣にいる。

肩の力が抜けたというか。

ちゃんと“大人の距離感”を覚えたのにそれでも時々榊を見る目だけは、昔と変わらない。


真っ直ぐ好意を向けてくる目。

その視線を向けられるたび。

榊は少しずつ、おかしくなっていった。


……なんでここまで。


そんなことを考えてしまう。

凛ほど可愛い子なら、いくらでも恋人ができただろう。


俳優だってモデルだって金持ちだって選び放題だったはずだ。なのに十代の頃から、ずっと自分だけ。


普通じゃない。

ここまで来ると、もはや執着に近い。

依存なのかもしれない。


あの頃母親しか世界がなかった凛にとって、たまたま優しくした自分が、特別になってしまっただけなんじゃないか。

刷り込みみたいなものだったのかもしれない。

恋なんて、もっと軽くて自然なものだろう。


そう考えるたび榊の胸は少し痛んだ。


でも。


同時に。


安心してしまう自分もいた。


――この子一生俺の事好きそうだな。


本当に最低だと思う

でもそう思った瞬間、どうしようもなく安心した。


凛は今日も、自分を見る。

好きだと隠しもしない目で。

それが嬉しい、愛しい、そして怖い。


榊は気づいていた。


もうとっくに手遅れだ。

凛を誰かに取られる想像をすると、胸がざわつく。

他の男と並ぶだけで嫌だと思う。

それなのにまだ“付き合う”と言えない。情けない。

凛の気持ちに甘えて好きでいてくれることに胡座をかいて曖昧なまま繋ぎ止めている。


それがどれだけ残酷か、分かっているのに。


それから、静かに思った。


もう、ちゃんとしないと駄目だ。

この子の気持ちに甘えているだけじゃ駄目だ。

逃げ続けるのは、優しさじゃない。

覚悟を決めなきゃいけない。



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