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2


収録は、驚くほど順調だった。

さすが白鳥凛。

現場慣れしている。


スタッフへの気配りも、カメラの抜かれ方も、トークの間も完璧。


しかも、数年前よりさらに柔らかくなっていた。


バラエティ慣れしたというより肩の力が抜けた感じだ。


MCも笑う。

共演者も話しやすそうにしている。


モニター越しに見ながら、俺は小さく息を吐いた。


……これは取れる。


高視聴率間違いなし。

編成も喜ぶだろう。


そんなことを考えていた時だった。


「あれ?」


隣のADが小さく呟く。

俺もつられて視線を向けた。


ゲスト席。

白鳥凛の隣には、ベテラン俳優の黒崎誠司が座っていた。


芸歴二十年以上。


演技派として有名だが、女性関係の噂も絶えない男。


その黒崎が妙に距離が近い。

肘が触れそうなほど。

しかも、トーク中に何度も凛の肩へ顔を寄せて話しかけている。


凛は笑って返している。

返してはいるが。

長年現場にいると分かる。


あれは愛想笑いだ。

収録中だから崩していないだけ。


「……」


嫌な感じがした。

そして休憩に入った瞬間、それは確信に変わる。


「白鳥ちゃんさぁ、今度飯行こうよ」


黒崎がやたら馴れ馴れしい。

距離が近いし、声も大きい。


凛は困ったように笑っている。


「ありがとうございます、でも最近忙しくて……」


「そんなの調整できるでしょ〜」


肩に触れようとした手を、彼女がさりげなく避けた。


周囲のスタッフも気づいていた。

空気が微妙に引き攣っている。


でも相手は大御所俳優。

誰も強く言えない。


「いや〜白鳥ちゃんってさ、テレビで見るより全然可愛いよね」


「ありがとうございます」


笑っている。

でも目が笑ってない。


昔の記憶が蘇る。


十年前。


怒鳴られていた小さな女の子。

周りに大人はたくさんいるのに、誰も動かなかった。


――放っておけなかっただけ。


昔と同じだ。


気づいた時には、俺は立ち上がっていた。


「白鳥さん」


現場の空気が少し止まる。


俺は台本を片手に、できるだけ自然に言った。


「この後のコーナー、段取り確認いいですか?」


一瞬彼女の目が、少しだけ大きくなる。


「あ、はい」


凛が立ち上がると黒崎が露骨に嫌そうな顔をした。


「え〜今?」


「進行変更入ったので」


にこりともせず返す。


さすがにスタッフも察したのか、


「あ、そうですね!」


「急遽変更になったので!」


と空気を繋ぎ始めた。


俺はそのまま凛を連れて離れる。


廊下に出た瞬間、彼女が小さく息を吐いた。


「……助かりました」


「いや、普通に確認必要だったし」


嘘だった。

普通に助けに入った。

でも、そういうことにしておく。


彼女は少しだけ笑う。


「昔と変わらないですね」


「なにが」


「榊さん」


その言い方が、少し懐かしかった。


収録はその後も問題なく進み無事終了した。

撤収作業が始まり、スタジオが慌ただしくなる。

大道具が動き。

ADが走り回る。


俺はカンペ類をまとめながら、ようやく肩の力を抜いた。


すると、


「榊さん」


振り返るとさっきまでの衣装のまま凛が立っていた。

数年前より大人っぽくなったのに、こうして近くで見ると時々昔の顔に戻る。


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ。助かったよ」


「本当に?」


「数字取れる」


「ふふ、現実的」


昔みたいに笑う。

少しだけ、胸が苦しくなる。


「でも」


彼女は小首を傾げた。


「昔と変わらないですね」


「だから何が」


「助けてくれるところ」


目を逸らしたくなり俺はわざと軽口を叩いた。


「これでも少し偉くなったんですけどー」


「知ってます」


「ゴールデンのディレクターですよ今」


「はいはい、すごいです」


「扱い軽くない?」


「だって榊さんですし」


くすくす笑う。

その空気が、妙に心地いい。

危険なくらいに。


数年ぶりなのに、不思議だった。

間が空いていた感じがしない。


沈黙すら自然だ。


すると彼女がふと言った、


「榊さん、ちゃんと寝てます?」


「……なんで第一声それなんだよ」


「昔から寝てないから」


「ディレクターは寝ない生き物なんだよ」


「またそうやって」


呆れたように笑う。


その時だった。


「凛ちゃーん!」


マネージャーの声が飛び彼女が振り返る。


「はーい!」


返事をしてから、また俺を見る。


「じゃあまた」


その言葉に、一瞬心臓が跳ねる。


また。


その響きが妙に嬉しかった。


彼女は去っていく。

スタッフたちに囲まれながら。


国民的女優。


誰もが憧れる存在。


なのに、去り際、一度だけ振り返った彼女は五年前と同じ目をしていた。


その日の深夜、編集室で残った素材をぼんやり確認しているとスマホが震えた。


画面を見ると、


【凛】


一瞬、呼吸が止まりそうになる。


数年前はあんなに頻繁に来ていた通知なのに、今ではそれだけで妙に緊張する。


『今日はありがとうございました』


短いメッセージ。


その下に続けて、


『助けてくれて嬉しかったです』


と来た。


昔と同じだ。

ああいう時、この子はちゃんと気づく。


俺は少し迷ってから返信した。


『大したことしてないよ』


既読がつくのが早い。


『ご飯行きませんか?』


思わず天井を見上げる。

相変わらず直球だ。

なんて返すべきか悩んでいると、追加メッセージが来た。


『もうスキャンダルくらいで潰れない程度には大きくなりました』


「……」


苦笑が漏れる。


本当に、その通りだった。


白鳥凛はもう、数年前の若手女優じゃない。

事務所に守られるだけの存在でもない。

数字を持っていて世間にも愛されていて多少の熱愛報道で終わるような立場じゃない。


だからもう大丈夫だよって。

きっと彼女はそう言いたいんだろう。


画面を見つめる。

ここで「すごく大人になったな」とか、「立派になったな」とかそういう返事もできた。


でもそれを言った瞬間。


また距離ができる気がした。


“昔助けてくれた大人”と、“成長した女優”。


そういう関係に戻ってしまう気がして。

それが、妙に嫌だった。


だから俺は、


『何その脅し文句』


と返した。


数秒後、


『ふふ』


『榊さんっぽい』


それからは、なんてことないやり取りだった。

最近寝れてるかとか。

相変わらずカップ麺ばっかりなのかとか。

昔一緒にロケした変な店がまだ営業してるとか。


気づけば、自然に会話が続いていた。

空白の数年なんて、なかったみたいに。


そして結局、食事に行くことになった。


個室のある小料理屋。

芸能人御用達でもなんでもない、落ち着いた店。


彼女は帽子を外しながら言った。


「榊さん、こういうお店好きでしたよね」


「覚えてたのか」


「そりゃ覚えてますよ。ロケでたくさん行ったんだから」


当たり前みたいに言う。

昔と違うのは、酒を飲めるようになったことくらいだった。


「ビール飲むんだ」


「もう二十五歳ですよ」


「時の流れ怖」


「榊さんは相変わらずハイボールですね」


「痛風になったら嫌だろ」


「おじさん」


「うるさい」


なんでもない会話で笑い合った。


仕事の話、最近見た映画の話、局の後輩がやばい話、彼女のマネージャーが過保護すぎる話。


なんでもない話なのに楽しかった。

凛は本当は五年前もし付き合えなくてもこんなふうに榊と食事をしながら談笑したかったのだ。

でも絶対にないと言われて意固地になってしまった。



途中、彼女がふと笑った。


「榊さん、昔よりちゃんと笑うようになりましたね」


「そうか?」


「昔もっと死んだ顔してました」


「誰が社畜だ」


「でも今の方が好きです」


さらっと言う。


昔ならここでぐいぐい来ていた。

好きですとか、会いたかったとか、真っ直ぐぶつけてきた。


でも今の凛は違った。

ちゃんと距離を測っている。

大人になったんだと思う。


……だからこそ。


帰り道妙に苦しくなった。

店を出て、夜風の中を並んで歩く。


彼女は少し先を歩いていた。

髪を揺らしながら穏やかに笑って。


綺麗で


大人で


完璧な女優、白鳥凛だった。


ふと、思ってしまった。


――もう俺なんか、必要ないんじゃないか。


昔みたいに必死に追いかけたりしない。

俺が突き放しても泣かない。

ちゃんと距離を保って。

大人同士みたいに笑ってる。


それが何故か悔しいような寂しいような。

今更ながら自分勝手だなと乾いた笑みがでる。


でも胸の奥がざわついて気づけば手が動いていた。


「……え」


凛の手首を掴む。

自分でも何してるんだと思った。

彼女が振り返り街灯の下で、目が合う。

俺は慌てて言葉を探した。


「いや、その」


意味が分からない。

何がしたかったのか、自分でも分からない。

ただこのまま帰られるのが嫌だった。


でもそんなこと言えるわけなくて。

口から出たのは、酷く情けない言葉だった。


「……凛、変わりすぎだろ」


彼女が、少しだけ目を丸くする。


昔みたいに感情を全部ぶつけてこない。

泣きながら好きだと言わない。

距離を守るり大人になる。


それが当然なのに、それなのに俺は。

勝手に寂しくなっていた。


凛は数秒黙って。


それから、ふっと笑った。

柔らかく、どこか嬉しそうに。


「……大人になったので」


小さな声だった。


「感情隠すの、上手くなったんです」


その言葉に、胸が締め付けられる。


もうあの頃の追いかけてきた凛はいない。

彼女の柔らかい笑みは何を考えているのか、ほんと少しでも自分に未練はないのか、後悔してももう遅い。


凛は、少しだけ悪戯っぽく笑い、昔みたいに飛びついてはこない。距離を詰めすぎない。


それでもその目だけは、昔と変わらなかった。


「……また食事、行きましょうね」


優しい声。


逃げ道をくれるみたいに。


俺は手を離した。


「……ああ」


その返事だけで精一杯だった。


帰宅後。


シャワーを浴びながら、さっきの自分の行動を思い出して頭を抱える。

何やってんだ俺、三十五にもなって。


しかも手なんか掴んで。完全に不審者だろ。


お風呂上がり自己嫌悪の最中スマホでSNSを内容なんて頭に入ってこないのに見ていた。


凛のインスタ更新がふと出てきた。

何気ない食後の写真。

ワイングラス、料理、そして、端っこに映り込む、見覚えしかない黒いキーケース。


「……俺のじゃねぇか!!」


思わず深夜の部屋で叫んだ。



その夜凛は帰宅してからも、ずっと顔が熱かった。


メイクを落として、部屋着に着替えて、ソファに座って。


それでも、口元が緩む。


「……やばい」


クッションに顔を埋める。

榊悠真と食事に行った。

それだけでも夢みたいだったのに。


最後手を掴まれた。


あの榊さんが!

自分から!!


思い出しただけで心臓がうるさい。


しかもあの顔。本人も何してるのか分かってない顔だった。


あれはずるい。

三十五歳の男がしていい顔じゃない。


「……好き」


ぽそっと呟いて、さらに自爆する。


もう何年好きなんだろう。

十歳の頃からずっと。


その勢いのまま、凛はインスタを更新した。


ワイングラス、料理、そして端にちょっとだけ映り込む黒いキーケース。


本当にちょっとだけ。

ファンには絶対分からない。


でも榊さんなら気づく。


――これ、俺のじゃね?


って。


それが嬉しかった。

誰にも分からないのに、自分だけは分かるみたいな。


彼女でもないくせに。

そんなことを思ってる自分が、ちょっと恥ずかしくて、でも幸せだった。


翌朝、楽屋入りすると、マネージャーがじーっとこちらを見ていた。


「……なに?」


「昨日の投稿」


「うん」


「榊さんでしょ」


「ぶっ!?」


飲んでいたカフェラテを危うく吹きそうになる。

マネージャーは呆れた顔をした。


「分かるに決まってるでしょ。あのキーケース前見たことあるし、男物なんて凛持ってないじゃない。こういう時だいたい榊さんなんだからあんたは」


「……消した方がいい?」


「いや別に一般人は気づかないと思うけど」


はぁ、とため息。


「ほんと匂わせ好きねあんた」


「だってぇ……」


頬が緩む。

止められない。

好きな人関連になるとIQが下がる自覚はある。


マネージャーはそんな凛を見て、少しだけ表情を柔らかくした。


「でも、良かったね」


その言葉に凛は少しだけ目を丸くする。


「……うん」


小さく笑った。


この人はずっと知っている。

榊に振られて、泣いて、番組を見れなくなって。


それでも好きで。


雑誌のインタビューでつい匂わせてしまって、勝手に傷ついて、勝手に浮かれて。


その全部を、一番近くで見てきた。


「榊さんがね!」


そこからの凛は止まらなかった。


「食事の時、相変わらずハイボールしか飲まなくて!」


「はいはい」


「あと全然寝てなくて! なのに仕事の話になると急に楽しそうになるの!」


「うん」


「あと手!」


「ん?手?」


「……うん」


耳まで赤い。


マネージャーは思う。

数年前、泣きながら「もう嫌です」と言っていた凛に教えてあげたい。


――未来のお前、めちゃくちゃ幸せそうだぞ。


と。


それからというもの凛は暇さえあれば聞いてくるようになった。


「ねぇ、榊さんの局で何か仕事ない?」


「また?」


「バラエティでも特番でもドキュメンタリーでもいい」


「本人に言えば?」


「無理」


即答だった。


「なんで」


「またぐいぐい行ったら子供だと思われるかもしれないし……」


「十分思われてると思うけど」


「やだ!」


頭を抱える凛。


マネージャーは呆れながらも笑ってしまう。

国民的女優、映画賞総なめ、CM契約十社超え。


世間から見れば完璧な女。


なのに恋愛になるとびっくりするほど不器用だ。

でもだからこそ可愛い。


「ていうか」


マネージャーがスマホを見ながら言う。


「榊さん、絶対もう好きじゃん」


凛が固まる。


「……え?」


「いや、手掴んだんでしょ?」


「……うん」


「男って興味ない相手にそんなことしないから」


その瞬間。


凛の顔が、一気に赤くなった。


「……っ」


「分かりやす」


「ち、違……」


「違わない違わない」


凛はクッションを抱えて顔を埋めた。

耳まで真っ赤。


凛のベタ惚れ具合が面白くてマネージャーは当分笑ってた。


それから二人の連絡は、なんとなく続いていた。


毎日ではない。

でも、途切れない。


『今日の収録長すぎて死にそう』


『ちゃんとご飯食べました?』


『今からです』


『終わってる』


そんな他愛ないやり取り。

たまに電話もした。

とはいえ、昔みたいな一直線さはない。


凛はだってもう二十五歳だ。

好きだからだけで突っ走れる年齢じゃない。

仕事を飛ばせば、何十人にも迷惑がかかる。

自分の一言で記事が出る。

一枚の写真で現場が止まる。


それを知ってしまっている。


榊も同じだった。


ゴールデン帯の番組を任されるようになり、背負う責任は昔より遥かに重い。


だからお互い好きなのは分かっている。

多分、もう隠せてない。


でもどちらもその先へ進もうとはしなかった。


榊は今でも思っている。


――こんな俺で、本当にいいんだろうか。


十歳差、テレビ局員、不規則な生活、帰れない日も多い、世間が思うようなキラキラした世界の人間じゃない。


隣を歩くなら、もっと華やかで、若くて、同年代の男の方がいいんじゃないか。

そんな考えが、どうしても消えなかった。


凛は凛で勢いのまま「付き合ってください!」と言ってしまいたい日は、今でもある。


でも五年前みたいに振られたら今度こそ立ち直れない気がした。

今の関係は、苦しいけど幸せだ。


連絡が来る、食事に行ける、笑って話せる。

それすら失うのが怖かった。


だから二人とも、あと一歩を踏み出せない。


そんなある日凛は榊の番組収録にゲスト出演していた。


最近また呼ばれるようになったのだ。


収録前メイク直しを終えてスタジオへ戻ろうとした時だった。


「え、榊さんってそんな昔からいるんですか!?」


若い女の声。


凛の足が止まる。

角を曲がった先。


そこには榊と、若い女性スタッフがいた。

たぶんAD。

まだ二十代前半くらい。

局ジャンパーの袖をまくって、楽しそうに笑っている。


「そりゃいるよ。もう十五年近いし」


「すご……」


「お前もそのうち感覚バグる」


「榊さんってほんと何でも知ってますよね」


「雑に長くいるだけ」


軽口を叩きながら、榊が台本を渡す。


その時女性スタッフが持っていた資料を落とした。


「あっ」


紙がばさっと広がり榊は自然にしゃがみ込んだ。


「大丈夫?」


「すみません!」


「焦んなくていいから」


紙を拾いながら、笑う。

柔らかい声、優しい顔。


そのスタッフは、ぱっと顔を赤くした。


……あ。


凛は、なんとなく察してしまった。

この子多分榊さんのこと好きになる。

まだ自覚ないかもしれないけど時間の問題だ。

そう思うと胸がきゅーっと締め付けられる。


だって榊悠真はずるい。


本人は無自覚なのに困ってる人を放っておけないし頑張ってる人にはちゃんと気づくし、偉くなってもスタッフを雑に扱わないし、疲れてるのに、周りには優しい。


しかもたまに不意打ちみたいに笑う。

好きにならない方が難しい。


「……」


胸の奥がもやっとする。

嫌だった。


でも同時に自分だけが知ってるわけじゃないんだ、とも思う。


榊の優しさは、特別じゃない。

誰にでも向けられる。


だからこそ怖い。


「白鳥さん?」


呼ばれて顔を上げる。

いつの間にか榊がこちらを見ていた。


「あ、ごめんなさい」


「もうすぐリハ入る」


「はい」


歩き出すその途中、さっきの女性スタッフが凛に気づいて慌てて頭を下げた。


「お、お疲れ様です!」


「お疲れ様です」


感じの良い子だった。

多分仕事も頑張ってる。


だから余計、嫌な気持ちになってしまう自分が嫌になる。


収録中凛はいつも通り笑っていた。

完璧に。


でも榊がそのスタッフに「無理すんなよ」と声をかけるたび、胸がざわつく。


休憩中凛は珍しく静かだったのでマネージャーがすぐ気づいた。


「どうしたの」


「……別に」


「榊さん?」


「なんで分かるの」


「顔」


凛はむすっとした。子供みたいに。

マネージャーは苦笑する。


「またなんかあった?」


「……榊さん、他のスタッフにも優しい」


「そりゃそうでしょ仕事なんだから」


「でも若い女の子に」


「あー」


察してマネージャーは笑いを堪える。


「嫉妬?」


「……」


図星だった。

凛は顔を逸らす。


「だって」


ぽつりと言う。


「榊さん、かっこいいし」


「うん」


「優しいし」


「うん」


「絶対モテるし」


「今さら?」


凛は本気で不安そうだった。


「他の子が好きになったらどうしよう」


その声があまりにも真剣でマネージャーはとうとう吹き出した。


「大丈夫でしょ」


「なんで?」


「だって榊さん」


マネージャーは少し笑って言う。


「あんたのこと好きじゃん、あれ」


凛が固まる。


「……え」


「雰囲気全然違うから」



収録は完璧だった。

トークも、リアクションも、コメントも。


現場スタッフですら「さすが」と言うくらい、白鳥凛は今日も完璧に“白鳥凛”を演じ切っていた。


なのに榊はずっと小さな違和感を覚えていた。


笑っている。

ちゃんと笑っているのにほんの少しだけ、どこか上の空だ。

長年現場にいる勘みたいなものだった。


収録終わりゲストを見送り、片付けが始まる。

凛は端の椅子に座ってスマホを見ていた。

そこへ榊が缶のカフェオレを差し出す。


「はい」


凛が顔を上げる。


「……ありがとうございます」


「なんかあった?」


直球すぎて凛は一瞬目を丸くする。


気づかれてた。

あんなに普通にしてたのに。

その事実が、少し嬉しくもあり恥ずかしい。


榊は隣へ座った。


「今日、なんか変だった」


「えぇ、ちゃんとやりましたよ?」


「仕事は完璧」


「ならいいじゃないですか」


「でもなんか違った」


そういうところだ。

凛が十年も好きになってしまった理由。

ちゃんと見てくれる。

自分でも気づかない変化を、榊だけは拾ってしまう。


胸がくすぐったくなる。


でも同時にさっきの若いスタッフの顔が頭をよぎった。

榊さんに優しくされて、嬉しそうに笑ってた子。

きっとああいう子、これからも増える。


榊はモテる。本人が気づいてないだけで。


その不安を飲み込んで、凛は笑った。


「……じゃあ、今日ご飯行きます?」


「急だな」


「嫌ですか」


「いや」


榊は少しだけ笑う。


「行く」


その瞬間胸のもやもやが少し薄れた。

結局、自分は単純だ。


数時間後二人はまた、以前行った小料理屋にいた。


「で、その新人ADがさ」


「うん」


「初ロケで川にスマホ落として泣いてた」


「かわいそう」


「しかも局支給じゃなくて私物」


「最悪」


凛が笑う。

榊もつられて笑う。


話題は本当にどうでもいいことばかりだった。

業界の愚痴、最近ハマってるコンビニ飯、昔の変なロケ。


なのに楽しい。

不思議なくらい。


気づけば、さっきまでの嫉妬なんてどこかへ消えていた。


やっぱり好きだなと思う。

こういう時間が。榊といる空気が。


店を出る頃には、凛はすっかり機嫌を直していた。


夜風が少し涼しい。

並んで歩きながら、凛はちらりと隣を見る。


榊は今日も少し疲れた顔をしていた。

でも前よりちゃんと笑う。それが嬉しい。


幸せ過ぎて帰り道になると、急に不安が戻ってくる。


今はいい。

でもこの先は?ずっとこのまま?


自分だけ好きで。曖昧なままで。

そう思った瞬間、口が勝手に動いていた。


「……ねぇ」


「ん?」


「やっぱり」


少しだけ声が小さくなる。


「同じような仕事の人の方がいいですか?」


榊の足が止まった。


凛は自分でも何を聞いてるんだと思った。

重い、面倒くさい、最悪だ。


でも止められなかった。


榊は少し驚いた顔をしている。

たぶん凛がこんな不安そうな顔をすると思っていなかったんだろう。


昔はもっと一直線だった。


好き。


会いたい。


付き合いたい。


そんなふうにぶつかってきた子が今はこんな顔をする。その事実に、榊の胸が妙に締め付けられた。


……可愛いな。


ふと、そう思ってしまう。


不安そうに見上げてくる目が強くなったはずなのに、時々昔みたいな顔をするところが、愛しくてたまらなかった。


気づけば。


榊の手が動いていた。


ぽん、と。


凛の頭に手を乗せる。


「……榊さん?」


驚いた顔。


榊はそのまま、優しく頭を撫でた。


「大丈夫だよ。凛としかご飯行ってない」


甘く微笑まれて、本当は確信的な言葉がほしいのに頬を赤らめることしかできなかった。


それでも凛の中にあった不安が、一気に消える。


だって榊悠真は軽々しくそんなこと言わない。

適当な慰めもしない。


だから“大丈夫”って言われたら、本当に大丈夫な気がしてしまう。


凛は思わず笑ったさっきまで不安だったのが嘘みたいに。


「……ずるい」


「何が」


「そういうとこです」


榊は意味が分からない顔をする。ほんとに分かってない。

凛はそんな彼を見て、くすっと笑った。


そして心の中で思う。


――あぁ、やっぱり好きだな。

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