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榊が「ちゃんとしよう」と決意してから三日後。
その決意は、テレビ局らしい方法で粉々に砕かれた。
「……は?」
会議資料を見た榊は固まった。
特番企画、ゲスト白鳥凛。
恋愛トーク、密着映像、芸能人生振り返り。
そしてページの下に小さく書かれている。
【サプライズ企画あり】
嫌な予感しかしない。
「これ誰が考えたんですか」
榊が聞くと、プロデューサーが満面の笑みで言った。
「視聴者」
「絶対違う」
「スポンサー」
「もっと違う」
「俺」
「帰ります」
本気で帰ろうとした。
しかし捕まった。
収録当日スタジオには異様な熱気が漂っていた。
凛が登場すると、観客席から歓声が上がる。
今や今回の騒動のおかげで、以前にも増して注目度が高い。
司会者が笑いながら言う。
「いやぁ〜今一番話題の女優さんですよ!」
凛も慣れた様子で笑う。
「変な意味でですよね」
会場が笑う。
そこからは普通だった。
子役時代の話、大学時代の話、復帰したきっかけ、仕事への向き合い方。
真面目なトークが続く。
……続くと思った。
「ではここで!」
司会者が急に声を張る。
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
「凛さんのマネージャーさんからコメントをいただいております!」
モニターに文字が映る。
《恋愛に関してはとても一途です》
会場がざわつく。
凛が頭を抱える。
「やめてください本当に」
しかし誰も止まらない。
《あと時々匂わせ投稿してます》
凛が顔を覆う。
榊は副調整室で頭を抱える。
「止めろよ誰か」
スタジオは大盛り上がりで止める人なんていない。
むしろスタッフ全員楽しそうだった。
そして
《毎回惚気のような凛のハイテンション恋バナを聞く役目は私です》
爆笑。ハイテンション恋バナってなんやねんと周りからツッコミが入る。
凛が机に突っ伏す。
「なんで言うんですか!」
「事実だからですねぇ!」
司会者が笑う。
地獄だった。
そして本当の地獄はここからだった。
司会者がニヤニヤしながら言う。
「実はですねぇ」
嫌な予感しかしない。
「凛さんの好きなタイプにそっくりな方が、このスタジオにいらっしゃるんですよ」
観客が沸き凛が一瞬固まる。榊も固まる。
「いやいやいや」
副調整室で立ち上がる。
「待て待て待て」
プロデューサーが肩を叩く。
「行ってこい」
「行かない」
「数字」
「知らない」
「スポンサー」
「知らない」
「全国民が待ってる」
「待ってない」
しかし数分後榊はなぜかスタジオ袖に立っていた。
意味が分からない。
司会者の声が響く。
「それでは登場していただきましょう!」
拍手と歓声と共に榊は死んだ目で出て行った。
会場が爆笑する。
「こりゃそっくり過ぎて凛ちゃんもびっくりだね」
凛も吹き出していた。
「ひどい……」
榊が弱々しくつぶやくが誰の耳にも届かない。
司会者は楽しそうだった。
最悪だ。
「せっかくなので!」
まだ続く!?
「凛さん、この機会にお願いしたいことありませんか?」
普通なら遠慮する。
そう思った。
しかし白鳥凛は違った。
目が輝いている。
嫌な予感しかしない。
「あります」
即答だった。
榊が天を仰ぐ。
「聞くな」
榊の意見はもうないも同然。
司会者が身を乗り出す。
「なんでしょう!」
凛が真顔で言う。
「後ろからハグしてほしいです」
スタジオが爆発した。
悲鳴と歓声と拍手に包まれる。
榊は頭を抱えた。
「無理だろ」
「どうしてですか」
「全国放送だぞ」
「だからです」
「意味が分からん」
凛は完全にノリノリだった。
数年前なら言えなかっただろう。
でも今は違う、隠さない好きだから。
ただそれだけだった。
司会者も当然引かない。
「視聴者の皆さんも見たいですよね!」
拍手喝采に観客総立ち。
敵しかいない。
榊は周りを見回した。
スタッフ
笑っている。
プロデューサー
笑っている。
カメラマン
笑っている。
凛
期待に満ちた目。
完全包囲だった。
「……」
榊は数秒黙った。
そして人生最大級のため息をついた。
「一回だけだよ」
その瞬間スタジオのボルテージが天井を突き抜けた。
凛の顔が一瞬で真っ赤になりさっきまでの勢いはどこへやら。
凛が完全に固まってしまった。
「え」
「お前が言ったんだろ」
「いや」
「今さらか」
「だって本当にやってくれると思わなかった」
会場中が笑う。
榊も思わず笑ってしまう。
その顔を見た瞬間、凛はまた心臓が暴走し始めるのだった。
休憩に入ると、スタジオの熱気が少しだけ落ち着いた。
出演者たちは飲み物を飲んだり、スタッフと打ち合わせをしたりしている。
その隙に榊は凛のところへ向かった。
「疲れてない?」
凛が顔を上げる。
「大丈夫ですよ?」
「無理してないかと思って」
凛は少しきょとんとした。
榊は言葉を探しながら続ける。
「ほら、今日の企画」
「うん」
「盛り上げようとして無茶してるとか」
本気でそう思った。
テレビの収録は独特で求められる空気がある。
凛はプロだから、それに応えようとしている可能性もあった。
でも凛は数秒榊を見つめてそれから頬を少し赤くした。
「……違います」
「ん?」
「普通に嬉しかっただけです」
「……」
「だから大丈夫です」
そう言って笑う。
榊は返事に困った。
そういうことを本人が真正面から言うから困る。
昔からそうだった。
十年以上経っても全然変わらない。
むしろ前より破壊力が増している。
「そっか」
結局それしか言えなかった。
凛はその反応すら嬉しそうだった。
そしてそのやり取りを共演者たちはしっかり見ていた。
最悪だった。
収録再開後、司会者がいきなり言う。
「いやぁ〜休憩中も仲良かったですねぇ」
凛が固まる。
嫌な予感。
「榊さんずっと心配してましたよね?」
観客席がざわつく。
「大丈夫?疲れてない?って」
「言うなよ!」
榊が思わずツッコむ。
俺芸人じゃないんですけどと思っていたが、ツッコまずにはいられない。
さらに別の出演者が追い打ちをかける。
「さっき普通にイチャイチャしてたよね」
榊はもう諦めることにした。
凛がしてないですよーなんて否定するが顔は真っ赤だった。
説得力ゼロである。
会場から可愛い〜という声が上がる。
榊は頭を抱えた。この番組絶対おかしい。
しかし視聴率は間違いなく高いだろう。
収録は何とか最後まで終了した。
全て終わって控室へ戻った時には、榊はぐったりしていた。
「……疲れた」
人生で一番疲れた収録かもしれない。
普通収録して放送するまで結構日にちがかかるのに、次の放送日にはなぜか放送されていた。話題のものは逃がさないプロデューサーの鬼すぎるスケジュールに恐怖した。
スマホを見とSNSは案の定大騒ぎだ。
『もう付き合え』
『誰も反対してない』
『結婚特番まだ?』
『榊さん観念しろ』
ひどい。
正直当事者である自分からすると需要あるか?と思うが凛の注目度の高さに驚愕する。
だが同時に思う。
もう限界だな、と。
凛の気持ちを知りながら自分の気持ちにも気づきながら曖昧なままにしておくのは違う。
この前の収録で改めてそう思った。
だから榊はスマホを手に取った。
【今日、時間ある?】
すぐ既読がつく。
【あります】
驚くほど早くて笑ってしまう。
【話したいことがあるんだけど】
数秒いや、二秒も経ったず凛から
【はい】
緊張しているのがこっちまで伝わってくるような返事がくる。
榊は少し考えた。
外は無理だ。今の二人が店にいたら写真を撮られ騒ぎになる。
落ち着いて話なんてできない。
だから少し迷った末に送る。
【うち来る?】
送信した瞬間榊自身が固まった。
さすがの凛もこれは断ってくる気がした。
数秒後スマホが震える。
【行きます】
即答だった。
しかも
【今からでも行きます】
【絶対行く!】
一方その頃凛はマネージャーの前で固まっていた。
「どうしたの」
「……」
「凛?」
スマホを差し出しマネージャーが読む。
【うち来る?】
マネージャーも信じられず沈黙してしまう。
「え?まじ?」
「ほんとまじってなる!」
凛が立ち上がる。
顔が真っ赤だ。
「うわぁぁぁぁ……」
「落ち着きなさい」
「無理です!!」
「まだ何も始まってないから」
「家ですよ!?」
確かにそうだった。
凛にとっては大好きな人の家。
しかも初めて。もはやデートとかそういう次元ではない。
マネージャーは呆れながらも少し笑った。
「行っておいで」
「……」
「ずっと待ってたんでしょ?」
凛はスマホを胸に抱きしめた。
十年以上ずっと好きだった。
始めは憧れのようなものだった。しかし榊に話しかけられると胸が高鳴ったし、笑顔が見えれば一日幸せと思うくらいには好きだった。
榊が何を話そうとしているのかなんとなく分かってしまう気がして天にも登る気持ちとはこの事かと訳分からんことを言う凛はマネージャーにも止められなかった。
次の日さっそく凛は榊の家に行った。
榊の家は、驚くほど榊らしかった。
綺麗ではある。
でも何もない。本当に何もない。
観葉植物もない。
おしゃれな照明もない。
趣味らしい趣味も見当たらない。
仕事用の資料、本棚、テレビ、ソファ
以上。
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
「なんだよ」
「榊さんの家だなぁって」
「悪かったな」
「褒めてます」
全然褒めてる顔じゃない。
凛は楽しそうだった。
実際、今の彼女は完全に浮き足立っている。
好きな人の家。しかも初めて。
本当なら部屋の隅々まで見たい。
どんな本を読むのか。
どんな映画を見るのか。
どこで寝ているのか。
全部気になる。
でも流石にそれはまずい。
二十五歳の女優としての理性が頑張っていた。
だから何とか平然を装いながらテレビを見ている。
榊は冷蔵庫を開いた。
数秒して閉じた。
「……」
「どうしました?」
「飲み物聞いたけど」
「うん」
「ビールとハイボールしかない」
凛が吹き出した。
「終わってる」
「仕事人間の家なんてこんなもんだ」
「お茶ないの?」
「ティーバッグならある」
「じゃあそれで。明日早いのでお酒はまた今度」
榊が振り返る。
「何時?」
「四時半」
「は?四時半?」
本気で驚いた。
なんせもう夜だ。
普通なら別日にする。
しかし凛は少しだけ視線を逸らした。
「だって」
「うん」
「榊さんの家、行ってみたかったんだもん…」
「……」
反則だった。
三十五歳の男に向かって、それを言うのは反則だ。
榊は悶絶しながらキッチンへ向かった。
お湯を沸かしティーバッグを入れる。
なんでもない作業なのに妙に緊張する。
今日、ちゃんと伝えるつもりだった。
逃げないと決めた。
なのにいざ本人を前にすると言葉が出てこない。
お茶を持ってリビングへ戻ると凛はソファの前のラグに座り、テレビを眺めていた。
無防備だった。
安心しきった背中。
その姿を見た瞬間。
榊はふと思う。
十年以上この子は待っていてくれたんだ。
何度も振られて。
何度も諦めようとして。
それでも好きでいてくれた。
その重みが胸に落ちる。
気づけば体が動いていた。
後ろから近づきそっと凛を抱きしめた。
「ひゃっ」
小さく肩が跳ねる。
榊は笑う。
「凛ちゃんは後ろからハグしてもらいたいらしいからな〜」
耳元で揶揄うように言う。
凛の顔が一瞬で真っ赤になる。
「それテレビだから!」
「ほんとに?」
「そうだよ!」
「じゃあ嫌?」
「……」
凛は数秒黙って。
それから小さな声で言った。
「いいじゃん、憧れだったの」
可愛すぎる。
本当にどうしようもないくらい可愛くて榊は思わず笑ってしまう。
そして凛の柔らかな髪に頬を寄せた。
すると凛がまた固まる。
心臓の音が聞こえそうだった。
榊は目を閉じる。
長かった。本当に。
遠回りした。
自分のせいでいっぱい悩ませた。
いっぱい泣かせた。いっぱい待たせた。
だから今度こそちゃんと言わなきゃいけない。
「凛」
名前を呼ぶ。
凛が小さく返事をする。
「……うん?」
榊は抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
そしてようやく
「いっぱい待たせてごめんね」
凛の肩が震える。
「……」
「好きだよ」
静かな部屋だった。
テレビの音だけが遠くで流れている。
それなのに凛には何も聞こえなかった。
ずっと、ずっと聞きたかった言葉。
何度夢に見たか分からない。
振られた夜も。
諦めようとした日も。
ぽろぽろと涙が溢れ止まらない。
榊は慌てる。
「え、なんで泣くんだよ」
「だって……」
声にならない。
「だってぇ……」
好きな人にようやく好きだと言ってもらえたのだから。
ぐしゃぐしゃの顔で凛は泣きながら振り返る。
でも世界で一番幸せそうに笑っていた。
「私も」
涙を拭う。
そして何年も胸の中にあった想いを改めて伝えた。
「私も、榊さんが大好き」
「明日、顔浮腫んでも知らないぞ」
榊は泣き続ける凛の頭をぽんぽんと撫でながら言った。
凛は榊の胸に顔を埋めたまま、
「絶対浮腫む……」
と鼻声で返す。
「女優なんだからまずいだろ」
「榊さんのせいだから」
「理不尽だな」
数年前はこんな時間が来るなんて思っていなかった。
榊は凛を抱きしめながら不思議な気持ちになる。
凛はようやく少し落ち着いたのか、そっと顔を上げた。
まだ目元は赤い。でも嬉しそうだった。
「俺の彼女は泣き虫なのかな?」
「榊さんって私の彼氏?」
榊は思わず笑ってしまった。
どこか凛らしい質問だった。
きっと凛にとっては大事なのだろう。
ちゃんと言葉が欲しい。
ちゃんと約束が欲しい。
榊はその気持ちが分かった。
だから迷わず答える。
「そう」
凛がじっと見つめてくる。
榊も見つめ返した。
「凛が俺の彼女」
その瞬間凛の顔がまたぐしゃぐしゃになった。
「また泣くのか」
「だってぇ……」
「今日何回泣くんだよ」
「知らない……」
でも顔は幸せそうだった。
ようやく安心できたのだろう。
十年以上抱えていた想いが、やっと形になったのだから。
その後も凛は完全に甘えモードだった。
ソファに座れば隣にくっついてくる。
少し離れるとまた寄ってくる。
肩が触れ腕が触れる。
榊は苦笑するしかない。
「近い」
「彼女だから」
「便利な言葉覚えたな」
「だって彼女だもん」
本当に嬉しそうだった。
そして時計を見る。
時間はもうかなり遅い。
「そろそろ帰るか?」
そう言うと凛が露骨にしょんぼりした。
分かりやすすぎて可愛い。
「帰りたくないなー」
「子供か」
「子供じゃないですー」
「明日四時半起きだろ」
「そうだけど」
頬を膨らませる。
完全に拗ねていた。
榊は頭を掻いた。
本当は帰した方がいい。
絶対その方がいい。
でも今日だけは無理して来てくれたし。
何より自分もまだ少し一緒にいたかった。
だから観念した。
「……今日だけだぞ?」
凛が固まる。
数秒後。
「ほんとに?」
「ほんと」
「やった」
ものすごい笑顔だった。
榊は負けた気分になる。でも可愛い。
その後部屋着代わりにとパーカーを貸した。
凛には少し大きい。袖も長くぶかぶかだ。
それなのに本人はご機嫌だった。
「榊さんの匂いする」
「やめろ」
「事実だもん」
「やめろ」
全然やめない。
そして榊がお風呂へ向かう。
「先入ってくる」
「はーい」
機嫌のいい返事。
ドアが閉まりシャワーの音が聞こえ始める。
すると凛はスマホを取り出した。
パーカー姿の自分をパシャリ。
もう一枚。パシャリ。
満足そうに写真を確認する。
そして少しだけ迷う。
マネージャーの顔が浮かぶ。
絶対怒られる。
でも今の凛は人生で一番幸せだった。
だからつい投稿してしまった。
《今日はよく眠れそう ☕️》
添えられた写真にはぶかぶかのパーカー姿の凛。
もちろん誰の物かなんて分からない。
分からないはずだった。
数分後。
マネージャーからLINE。
【そのパーカー榊さんのだよね】
さすがマネージャーよくお分かりで。
凛は思わず吹き出した。
【なんで分かったの】
すると数秒後。
【もう何年付き合いだと思ってるの】
【あと絶対ネットも気付く】
【今すぐ消しなさい】
凛はスマホを見ながら笑った。
それでも今回は消さなかった。
だって少しくらいは自慢したかったから。
ようやく本当に大好きな人の彼女になれたのだから。




