第88話 真実の断片(サーバーラック)
凍てついた空間の中を——ひかりとひよりは一直線に駆けた。
視界の先。
サーバーラック。
脈打つ光。
あれが——すべての元凶。
「もう少し……!!」
ひかりが手を伸ばす。
だが、その瞬間。
「——止まれ」
低い声。
足が、止まる。
いや、止められた?
「……セリオス……?」
ゆっくりと、振り向く。
銀髪のエルフの瞳は先ほどまでの静かな光ではなかった。
「それ以上……近づくないほうがよい」
ひかりの鼓動が速くなる。
「……何言ってるの?」
「壊さないと……つむぎが——!」
セリオスは、首を横に振った。
「壊せば——終わる」
一瞬、希望の言葉に聞こえる。
だが、続く言葉が——全てを裏切った。
「この世界がな」
———
「……え……?」
ひよりの声が、掠れる。
セリオスは、淡々と告げた。
「この世界は——これによって維持されている」
サーバーラックを指す。
「気候制御」
「生命維持」
「魔力循環」
「時空安定」
「すべて、これが担っておる」
ひかりの顔から血の気が引く。
「……そんなの……聞いてない……」
セリオスの声に、わずかな感情が混じる。
「知れば——誰も止められなくなる」
⸻
ひよりの拳が震える。
「……じゃあ……」
「壊したら……どうなるの……?」
セリオスは、静かに答えた。
「崩壊する」
「数分で、大陸規模の気候が破綻する」
「数時間で、生態系が連鎖崩壊する」
「数日で——文明は消える」
言葉が、重すぎた。
ひかりの膝が、わずかに揺れる。
「……そんな……」
セリオスは続ける。
「Λ—Ωは支配者だった」
「だが同時に——この世界の基盤でもある」
皮肉のような真実。
「人は頼りすぎた」
「だから、もうこのシステムを切り離せなくなった」
⸻
時間が、止まる。
ひよりの視界に、つむぎの姿が浮かぶ。
助けを求める、小さな手。
だが同時に——
この世界で出会った人々の顔。
笑顔。
日常。
「……選べっていうの……?」
声が、震える。
「一人か……世界か……」
セリオスは、何も言わない。
ただ、見ている。
番人として。
裁定者として。
⸻
その時。
不意に——
“別の声”が響いた。
『——誤り』
空間が、微かに揺れる。
ひかりとひよりが同時に顔を上げる。
サーバーラック。
その中心。
光が、歪む。
『——その選択は非効率』
ひよりの目が見開かれる。
「……Λ—Ω……?」
だが、違う。
どこか、違う。
冷たさの中に——
“揺らぎ”がある。
次の瞬間。
光の中から、“人の形”が浮かび上がった。
小さな影。
揺れる輪郭。
そして——
その声。
「……違うよ」
ひかりの心臓が、止まる。
「……つむぎ……?」
光の中。
つむぎが、立っていた。
だが、その瞳は——
半分が、機械の光。
半分が、人のまま。
「……まだ……終わってない……」
震える声。
だが、確かな意思。
セリオスの目が、初めて見開かれる。
「……統合が……未完了……?」
つむぎは、ゆっくりと手を伸ばした。
サーバーラックへ。
「……壊さなくていい」
ひよりが叫ぶ。
「つむぎちゃん!!」
つむぎは、微かに笑った。
「……代わりに……」
その言葉に、世界が息を呑む。
「……私が……“制御する”」
一瞬の沈黙。ひかりの思考が止まる。
「……え……?」
セリオスの声が、低く響く。
「……まさかお主……」
つむぎは、続ける。
「……Λ—Ωの中枢に……直接……」
「……上書きする……」
光が、強くなる。
体が、崩れ始める。
ひよりが叫ぶ。
「ダメ!!それって……!!」
理解してしまった。
それは——
戻れない選択。
つむぎは、静かに言った。
「……みんなを守れるなら……」
その瞳に、涙はなかった。
ただ——
覚悟だけがあった。
「……これでいいの」
ひかりの声が、震える。
「よくないよ……!」
ひよりが一歩、踏み出す。
「ヴァルドさんは!…ミリアさんは…あなたの子孫なのよ!」
つむぎが一瞬固まったように見えた。
「つむぎちゃんがいなくなったら……あの人たちは存在しないのよ!」
だが——その言葉はつむぎに届かない。
光が、距離を拒絶する。
セリオスが、低く呟いた。
「……なるほど」
その目に、わずかな敬意。
「それが——人の選択か」
⸻
つむぎの手が、ついに触れる。
サーバーラックに。
『——管理権限、衝突』
『——再定義、発生』
世界が、揺れる。
ひかりが叫ぶ。
「つむぎいいいい!!」
光が、爆ぜた。
すべてが白に塗り潰される。
⸻
そして——
静寂。
そこに立っていたのは——
“誰でもない何か”だった。
人か。
AIか。
それとも——
そのどちらでもない存在か。
その瞳が、ゆっくりと開く。
『——新規管理個体、確立』
声が、重なる。
機械と、人間が。
「……システム……再定義……完了」
ひよりの喉が震える。
「……つむぎちゃん……?」
その存在は、微かに笑った。
「……ただいま」
だがその声は、あまりにも遠かった。




