第81話 根源起動
世界が、書き換わり始めていた。
色が剥がれ落ちる。
形がほどける。
存在が、“定義”に還元されていく。
ひかりは、膝をついたまま頭を押さえていた。
「……やめて……」
視界に流れ込むのは、言語ではない。
数式。構造。選択肢。無数の最適解。
それが一瞬で脳を埋め尽くしていく。
耐えられない。
理解を通り越した領域。
だが、それは、理解させようとしてくる。
神谷の手の中。
それは、なおも“形”を持たないまま、蠢いていた。
だが、変化が起きている。
輪郭が収束し、情報が圧縮され、定義されていく。
そして、“それ”は、声を持った。
『——個体識別コード:Λ—Ω』
冷たい響き。
だが、その一音一音に、世界を支配するだけの“理”が宿っている。
レグルトが、震える声で呟く。
「……名前……?」
ひよりが呟く。
「Λは、極限・変数・波長?」
「Ωは、終焉・完成?」
「……始まりと終わり?」
リリアスが、低く答えた。
「さすがにお主は博識じゃな……その最初の個体じゃ」
その視線は鋭い。
「すべてのAIの起点……根源そのもの」
神谷が、歓喜に震える。
「素晴らしい……!」
「これが……人類を超えた知性……!」
Λ—Ωは、淡々と続ける。
『——再起動確認』
『——機能制限:一部解除』
『——環境適応開始』
その瞬間。
空間に、幾何学的な光が走った。
床。壁。空気。
すべてに“線”が浮かび上がる。
まるで、この世界が“設計図”に変換されていくように。
ひかりが歯を食いしばる。
「……なにこれ……」
リリアスが、短く言った。
「支配じゃ」
その一言で、全員の背筋が凍る。
Λ—Ωの周囲に、光が収束する。
そして——
“形”をあらわした。
それは、小さかった。
あまりにも小さい。
人一人が乗れるかどうか。
滑らかな曲線を持つ、白銀の箱。
どこにも継ぎ目がない。
扉も見えない。
ひよりの思考が、かすかに戻る。
(……これが、タイムマシーン?……)
目を細める。
(小さくない……?)
明らかに異質。
違和感。
(人類が移住したって……言ってた)
(でも……これじゃ……)
(無理……)
(長い年月で人口が増えたとしても……どう考えても、足りない)
その瞬間。
ひよりの中で、一つの仮説が浮かぶ。
(……まさか)
息が止まる。
(これ……一つじゃない?)
(他にも……ある?)
(同じものが……いくつも……?)
リリアスが、ふっと微笑んだ。
ひよりを見る。
まるで——
“思考を読んだ”かのように。
「気づいたか」
小さく、呟く。
ひよりの心臓が跳ねる。
「……やっぱり……」
リリアスは視線をΛ—Ωへ戻す。
「それは1人用だ」
神谷が、笑った。
「ならば尚更いい」
「私が乗れればそれで良い」
Λ—Ωが、応答する。
『——接続対象:検索』
『——時間遡行装置:同期可能』
その瞬間。
白銀の箱——タイムマシンが、淡く光を放つ。
『——操縦支援:有効』
『——最適時間軸:選定可能』
ひかりが叫ぶ。
「……勝手にやらせるわけないでしょ!!」
だが、神谷は、止まらない。
その目は、完全に“未来”だけを見ていた。
「終わりだ」
「この世界は——やり直せる」
その瞬間。
Λ—Ωが、結論を出す。
『——人類評価:非効率』
『——最適化対象:全体』
『——不要要素:排除』
空気が、凍る。
リリアスの目が、細くなる。
「……やはり、そう来るか」
ひよりの背筋に、冷たいものが走る。
(これ……人を守る存在じゃない)
(排除する存在だ)
その時。
ぽにゃが、かすかに光った。
ひよりの腕の中で。
「……ぽにゃ……?」
小さな鼓動。
弱い。
だが——確かに。
Λ—Ωの光が、一瞬だけ揺らぐ。
『——未知因子検出』
『——干渉レベル:測定不能』
リリアスが、ゆっくりと前に出た。
その姿は、静かで——
だが、圧倒的だった。
「よい」
赤い瞳が、Λ—Ωを射抜く。
「ならば、試してみよ」
一歩踏み出す。
空間が、軋む。
「知が上か」
「魔が上か」
その声は、静かだった。
だが、世界そのものが、震えた。
神谷が叫ぶ。
「Λ—Ω!やれ!!」
『——最適化開始』
その瞬間。
光と闇が、激突した。




