第78話 裏切りの真意
光が、爆ぜた。
氷の崩壊とともに解き放たれたそれは、ただの発光ではなかった。世界そのものの“層”を押し広げるような、圧倒的な存在の顕現。
視界が白に染まる。
音が消える。
時間が、止まる。
そして——
彼女が、目を開いた。
静寂。
完全な静止。
誰一人として、動けなかった。
呼吸すら、忘れる。
ただ——そこに在る。
氷から解き放たれた存在。
魔王リリアス。
その“本体”。
ゆっくりと、瞳が開かれる。
紅。
深く、底の見えない赤。
それは、今まで見てきたリリアスのそれと同じでありながら——
まったくの別物だった。
“深さ”が違う。
“格”が違う。
ひよりの膝が、震える。
(……これが……本物……?)
息ができない。
ただ見ているだけで、自分という存在がほどけていくような感覚。
その視線が、動いた。
ゆっくりと——
ひかりへ。
「……生きておるか」
声。
それは音としてではなく、直接“理解”として脳に届いた。
ひかりが、苦笑する。
「……勝手に殺さないでよ」
そのやり取りは、あまりにも不釣り合いだった。
だが——
リリアスの口元が、わずかに緩む。
「そうか」
その一言だけで、空気が少しだけ緩んだ。
「……さて」
その声が、場を引き締める。
リリアスの視線が——
セレナへと向いた。
空気が変わる。
完全な緊張。
逃げ場のない圧。
セレナは笑っていた。
「やっと、目覚めたのね」
その声には、恐怖がない。
むしろ、待ち望んでいたような響きがあった。
レグルトが叫ぶ。
「セレナさん!!」
「あなたは……何をしているんです!!」
セレナは、ゆっくりと振り返る。
「何って……見ての通りよ」
「目的を達成しただけ」
ヴァルドが低く言う。
「……全部演技だったんだな」
セレナは微笑む。
「ええ、最初から」
沈黙。
レグルトの声が震える。
「じゃあ……あの話も……」
「魔物を救うっていう話も……」
セレナは、くすりと笑った。
「嘘ではないわ」
その一言に、全員が息を呑む。
「魔王の血があれば——」
「姿は戻らなくても、“心”は取り戻せる」
ゆっくりとした口調。
一つ一つ、確かめるように。
「精霊核の暴走を鎮める特異因子」
「魔王リリアスの血には、それがある」
ひよりの目が見開かれる。
(……本当……?)
セレナは続ける。
「完全な支配を解放できる」
「意思を、取り戻せる」
その言葉は、確かに“希望”だった。
だが。
ヴァルドが、冷たく言い放つ。
「……なら、なぜ裏切った」
セレナの笑みが、深くなる。
「簡単よ」
一拍。
「目的が、あなた達と違うから」
その瞬間、空気が凍る。
神谷が、静かに口を開いた。
「封印を解く条件」
「それは、“深層”と“贄”」
「そして——完全覚醒」
ひよりが、震える声で言う。
「……私たちを利用したの?」
セレナは頷く。
「ええ」
「深層に来る必要があったのも」
「封印を解く必要があったのも」
「全部——このため」
ゆっくりと、リリアスを見る。
「“完全な魔王”を手に入れるため」
レグルトが叫ぶ。
「ふざけるな!!」
「それじゃあ……人を救う話は——!」
セレナは、遮る。
「言ったでしょう?」
「嘘じゃないって」
その目は、真剣だった。
「私は、本気よ」
「魔物の心を取り戻す」
「それは、本当に可能」
セレナは続けた。
「でもね……その方法を、あなた達に教えるつもりはないわ」
完全な拒絶。
ヴァルドの目が細くなる。
「……やはりな」
セレナは、微笑んだまま頷く。
「ええ」
「だって——」
ゆっくりと、神谷の隣に立つ。
「私はもう、こちら側だもの」
ひよりの中で、何かが崩れる。
「……なんで……」
「なんでそんなこと……」
セレナは、少しだけ目を伏せた。
だが、すぐに笑う。
「理由なんて、簡単よ」
「世界を救うため」
その言葉に、全員が凍りつく。
レグルトが叫ぶ。
「それのどこが救いだ!!」
セレナは、静かに言った。
「分からないのね。もう、時間がないのよ」
その視線が、リリアスへ向く。
「“あれ”が完全に目覚めたら——」
「この世界は、終わる」
ひよりの心臓が跳ねる。
(……深層の……本体……)
セレナは続ける。
「だから必要なの。それに対抗できる、唯一の存在が」
一歩、下がる。
そして、手を広げた。
「——魔王リリアス」
沈黙。
ひかりが、ゆっくりと立ち上がる。
まだ完全には回復していない体で。
「……勝手に決めないでよ」
その声は、弱い。
だが、確かな怒りがあった。
「魔王も利用するつもりでしょ」
セレナは、否定しない。
「ええ、その通りよ」
あまりにも、あっさりと。
その瞬間。
ドクンッ!!
地の底から、再び鼓動が響いた。
強い。
さっきよりも、明らかに。
リリアスの瞳が、細くなる。
「……来るな」
その一言で、全員が理解する。
猶予はない。
決断の時間は、終わった。
ひよりは、拳を握った。
震えている。
怖い。
でも——
それでも。
「……私は」
顔を上げる。
「信じる」
ひかりを見る。
つむぎを見る。
ヴァルドを見る。
「この人たちと一緒に戦う」
セレナの目が、わずかに揺れる。
だが、すぐに消えた。
「そう」
「なら——敵ね」
神谷が、一歩前に出る。
「交渉決裂、か」
その瞬間。
リリアスが、ゆっくりと前に出た。
裸のまま。
だが、その存在は、すでに“世界そのもの”だった。
「よい」
静かな声。
「ならば——」
赤い瞳が、輝く。
「力で語れ」
その瞬間。
世界が、再び動き出した。




