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初陣⑤

翌日、上野公園を三人と一匹で散歩しながら楽人がぼんやりと言った。

「本当にあの人…漱石で合ってるのかな…道真が狙ってるの…」

空は雲一つないいい天気で、上野公園は散歩を楽しむ家族連れや老人で溢れていた。そんな中、中学生の楽人、壮年で長髪を後ろで束ねた中山、軍服を脱いだとはいえ、短髪で明らかに只者ではない雰囲気を放ちながらハクを肩に乗せる宮崎の三人が、周囲からさり気なく遠巻きにされているのを楽人はいたたまれなく感じていた。

「わからん…。一度怨霊に狙われていたというヒントだけで漱石の身辺捜査を買って出ていたが…」

中山が頭をボリボリと掻きながら答えた。

「…明治時代は政治面でも文化面でも激動の時代でもある…。天才は数多くいる…漱石のことは本人の神経症見て、そろそろ違う人物を調べ始めたほうがいいかもしれないな…」

宮崎がハクを撫でながら中山から言葉を引き取った。

楽人は中山と宮崎の言葉を頭の中で反芻させた。明治時代の天才作家…漱石…相手は天才の脳を狙う怨霊…現れない次の敵…漱石の疑心暗鬼……疑心暗鬼?

「そもそも…なんで漱石はあんなに人を疑うんだろう?」歩みを止めて、呟いた楽人を二人が振り向く。

「元来漱石という人物は繊細で神経質というのは有名なことだ…。神経症をこじらせて胃潰瘍が原因で亡くなったという話も有名だ…が、しかし…。」

「確かにあそこまで疑心暗鬼なのは…楽人、お前さんが言いたいのは誰かが裏で糸を引いているんじゃないか、そういうことか?」

楽人は深呼吸する。何かを見落としている気がしてならなかった。

「そう…漱石は神経質で…それを利用して、疑心暗鬼にして…彼を孤独にすれば…」

「襲う機会が増えて、敵には好都合だ…そしてそれを可能にするのは…」宮崎が言葉を飲み込んだ。

「一番身近で、漱石に信頼されている人間。」楽人はたどり着いたその結論に、自分でも驚くように顔を上げた。宮崎、中山、ハクと目が合う。

「この瞬間が絶好のチャンス…」楽人が声を上げると、宮崎が「戻るぞ」と言って走り出し、中山、楽人もそれに続いた。


漱石邸が見えてきた瞬間、ハクの鈴が突然けたたましく鳴り響いた。河原のときと同じく、連続でりんりんりんりんりん…!と鳴り響くその音に街行く人が振り返った。

宮崎は走りながら、背中に携えていたものを楽人の方へ差し出した。

「これを使え…俺の古い軍刀だ…まだ切れ味は保証する。」

楽人は走りながら受け取り、漱石邸へ向かう足を早めた。

「漱石さん!」楽人が漱石の名前を呼びながら引き戸を開けると、居間の方から「た、助けてくれ…!」という漱石の声が聞こえた。

楽人たちが急いで居間のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは真っ黒な一対の翼だった。翼の下に、漱石の姿が見える。大きな鳥のような足でうつ伏せになった背中を押さえられている。漱石のうめき声が聞こえる。翼の上には、黒髪を後ろで一つに束ねた頭が乗っているように見えた…いや、違う。少しずつ見えてきた。割烹着を着た人間に、大きな鳥の翼が生えているのだ。束ねた黒髪にも、割烹着にも、楽人は見覚えがあった…。

「あら…皆さん…どうしたんですか…。先生が近づくなとおっしゃったのに…言いつけを破ってはだめじゃないですか…。」

黒髪の頭がゆっくりと楽人たちを振り向き、笑顔を見せた。その笑顔は、昨日楽人たちに散歩を促したきよそのものだった。

「お前が先生を支配して僕達を疑うように仕組んでたんだな…!」楽人はきよに向かって叫ぶ。漱石がどのような状態にあるかわからず、身動きを取ることができない。

「…嫌ですね…先生が疑り深いのは元来の性質によるもの…私はその種に…水を撒いただけじゃあありませんか…!ふふ…あははははは…もう遅い!!」

言うが早いか、翼が大きく羽ばたくとともに、きよの体が天井めがけて大きく浮き上がった。割烹着の下から生えた大きな鳥の足が、漱石の背中をがっちりとつかみ、そのまま電灯と天井にぶつかり、屋根を壊しながら空中へ浮き上がっていった。

「こいつの脳はもう私のもの!道真様に一番貢献するのはこのきよで決まりです!」

楽人が駆け出し、連れ去られる漱石に手を伸ばすが、ぎりぎりのところで届かず、漱石ときよは大空へ舞い上がる。

その瞬間、宮崎が静かに軍刀を抜き、地面に突き立てた。

「座標平面領域、展開。」

宮崎が言うと、地面に光の線が走り、縦横に格子が広がった。

上昇していたきよの動きがぐらりと揺れる。

「なにをした!?」きよが振り向くと同時に、銃声とともにきよの横を弾丸がかすめた。

きよは銃を構えている中山を睨みつけ、叫んだ。

「人間の分際で!」

きよが大きく羽ばたくと、無数の羽が中山に向かって放たれた。きよの放った黒い羽が地面に鋭く突き刺さる。中山は身を翻しながら羽を躱し、きよへ向けた銃口から弾丸を撃ち続けた。羽や体をかすめる弾丸にきよは苛立ち、中山めがけ突進してきた。

「定義完了、最短距離、地点3,10,17。」宮崎が軍刀をきよへ向けて呟くと、宮崎の体が一瞬で消え、きよの真上へ現れ、軍刀をきよの翼めがけて一気に振り下ろした。

地上の中山に気を取られていたきよは突然頭上に現れた宮崎に気づくまもなく翼を切られ、ふらふらと飛行軌道が崩れた。

「おのれ、おのれええええ!」

きよはバランスを崩しながら宮崎を振り払うと、落下する宮崎向けて大きな鳥の足を蹴り下ろした。

「ぐあ…!」

きよの一撃をくらった宮崎は座標の展開された地面へ叩きつけられる。

きよはそのままぎらりと中山を睨むと、「風刃!」という言葉とともに翼を一気に振り下ろした。

中山が回避するが間に合わず、中山のふくらはぎが刃物で切られたように切り裂かれ、血が吹き出す。

「この私の体をよくも傷つけたなあああああああ!」

叫びながらきよは宮崎、中山へ風の刃と突風を繰り出し続けた。応戦する二人の体がよろめき、血が吹き出し続ける。

その時、宮崎が風の刃を軍刀で防ぎながら楽人へ叫んだ。

「今だ!」短い言葉に弾かれるように、楽人は軍刀を抜き、走り出した。

中山と宮崎に猛攻をしかけ、反撃にも応戦しているきよは楽人の存在に気づかない。

楽人はきよの真下にたどり着くその瞬間、叫んだ。

「宮崎さん、いけます!」

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