初陣②
「うっ…!」宮崎と呼ばれた青年は、なにかに叩かれたように下を向いた。
「え、何…?」楽人が困惑しながら声を発すると、中山が答えた。
「わからんが、ハクの可愛さに耐えきれなかったんじゃないか…?昔からあいつはああだ…。」
「え、あの、宮崎さん…?」楽人が尋ねると、青年は目だけを楽人の方に一瞬向けた。
「宮崎だ、よろしく。」と言って、またすぐ視線をハクに戻した。
「誰なの…?」と楽人が呟くと、宮崎はため息をつきながら抱いたままだったハクを自分の肩に襟巻きのように乗せた。ハクは宮崎の肩にぴったりフィットしてご機嫌そうだ。
「ガクジンの宮崎だ。今は明治時代にて奴らを追っている。ガクジンの出動がないときは軍で勤務している。よろしく。」そう言って手を出してきた。
そこで楽人は初めて宮崎が、教科書で見た昔の軍服のようなものを着ている事に気がついた。カーキ色の軍帽、制服、腰には先ほど戦いで使っていたと見られる軍刀が携えられ、長い軍靴を履いている。
襟巻きのようになっている真っ白なハクとのコントラストが強すぎて、まるで錯視のようだ、と楽人は思った。
「よろしく…」楽人も応えて手を差し出して握手をした瞬間、気がついた。
「明治時代!?」叫んだ楽人に、宮崎はため息をついた。
「どうせまた中山が何も説明せずに連れてきたんだろ…。まったく…。」
片眉を上げる中山に、完全に襟巻きになっているハクが宮崎の首元でフォローを入れる。
「ぼ、僕も説明忘れちゃってた~…ごめんみゃ、楽人~…」
申し訳なさそうに謝るハクを宮崎は無言で撫で、「ハクはいいんだ、そこにいるだけで」とだけ言った。
なんかこの人も強火だな…。ところで…
「ここって…明治時代…?」楽人は再び辺りを見渡す。木造の家屋に、木でできた塀。舗装されていない道路。なるほど、見覚えがあるわけだ。社会科や国語の教科書で見た風景にそっくりだったのだから。
楽人はまたしても空を見上げた。空がやけに広く、空気が澄んでいるように感じた。当たり前か。高層ビルができたり工業化が進んだりする前なんだから。しかし…
「タイムワープするなら流石に言ってよね…」楽人がため息をつくと、一人の男が走って路地に入ってきた。灰色の着物に、紺の半幅帯を身に着け、足元は簡素な草履を履いている。通った鼻筋に目じりの下がった目元が穏やかそうな印象を醸し出しているが、今は何かを探すように落ち着きなく辺りを見回している。男は息を切らしながら、楽人たちの前で立ち止まった。
「はあ、はあ…ここに、男が走ってこなかったかね…。私のペンを…」男は言いかけて、倒れている男と、その横に転がっているペンに気がついた。
「こ、これだよ!まさか、君たちが…?」男は楽人、中山、宮崎を順に見ながら訊いた。
楽人が曖昧に頷くと、男はしばらく楽人たちの姿を怪しいものを見るように見ていたが、しばらくすると諦めたように首を振った。
「いや、ありがとう…大切なペンなんだ、助かったよ…。」
中山が倒れている男のそばからペンを拾い上げ、男に渡しながら訊いた。
「もしかして、作家か文筆家なんかを?」
男は一瞬躊躇ったが、おずおずと口を開いた。
「あ、ええ、そうですね。大学で教鞭をとる傍ら、小説を書いておりまして、たまに新聞なんかで連載を持たせてもらってたり…」口ごもる男性に、中山は何かを考えた。
楽人は感心して、思わず言った。
「へえ!小説家って、なるのすごく大変なんでしょう?すごいですね!」
男性は少し口元をほころばせ、
「いや、大したもんじゃないが…ありがとう。漱石と言う名前で連載させてもらっている。」
中山と宮崎が一瞬顔を見合わせたが、楽人は気づかず興奮気味に続けた。
「え、漱石って僕知ってますよ!すごい人ですよね!」
「いや、本当に大したもんじゃないが…そうか、君のような年齢で私の作品を読んでいるとは、感心だ。そうだな…ペンを取り返してくれたお礼に、よかったらうちに来ないか。そろそろ晩飯時だし、ごちそうするよ。もちろん、お二人もご一緒にどうでしょうか。」
漱石は中山と宮崎の方を見て少し緊張がほぐれたように笑顔を向けた。
少し考えて、中山は答えた。
「猫は大丈夫ですか?」
「お気遣いありがとう、美しい猫だ。大歓迎ですよ。」漱石がハクを愛おしそうに見ながら答えた。
「ありがとう。それではお言葉に甘えさせていただきましょう。」
中山の細められた目といつもより上がった口角が、中山にとっての精一杯の社交的な笑顔だと楽人が気づいたのは、歩き出して少し経ったときだった。




