中山①
翌朝、楽人は学校への道を猛ダッシュで走っていた。
入念にセットした目覚まし時計のアラームも、疲労困憊の楽人の安眠を妨げることはできなかった。それどころか、毎日家に来ている紬が起こそうと躍起になったが、楽人のかつてないほどの熟睡に紬は逡巡した結果、楽人を置いて家を出てしまったことをハクだけは知っていた。
「いて~…!」
走る度に全身が筋肉痛に襲われているが、構っている場合ではない。始業まであと10分だ。
普段体育や友達と遊ぶくらいでしか体を動かす機会のない楽人にとって、昨日のハクとのランニングと手合わせは十分すぎるほど過酷な運動だったと体が物語っていた。
交差点で止まった瞬間、楽人が「ハクのせいだ…」と呟くとハクが申し訳無さそうに「ごめんみゃ~」と眉をしょんぼりさせた。
「あと5分、土手から近道する!」
ハクに言いながら楽人が土手の歩道に登った瞬間、河原に人がいるのが見えた。
いや、それだけであれば珍しいことではない。景色もよく、散歩や釣りのスポットとして近隣住民には人気の河原だ。人がいる事自体は全くおかしくない。しかしその時楽人には違和感があった。
思わず足を止めてその人を注視すると…うずくまっている。そして、動かない。
楽人は思わず目を見張って、
「ハク、あの人なんか倒れてない!?」とハクに言った。ハクも同じ方を見て、
「ん~…?本当だ、あ、でも楽人あの人はね…」
「やばいよね!でも遅刻…いやでも、もしかしたら大変な病気かもしれない!ええい!人命優先!すみませんーーーん、そこの人、大丈夫ですかーーーー!?」
楽人が土手を駆け下りて話しかけると、うずくまっている人がわずかに楽人の方に顔を向けた。
「大丈夫ですか?」楽人が近づいてもう一度訊くとうずくまっていた男性は短い無精髭に囲まれた薄い唇をわずかに開いた。
「め…」
「え、なんですか?」
「めし…」
「あ、も、もしかしてお腹空いてます!?ええっとこれ、僕の弁当で良ければ…」
弁当袋を取り出した瞬間、中山の目が光り、右手が伸びてきた。
「あ、僕じゃなくて親戚のおばさんが作ってるんで怪しいものとか入ってないし…」
渡しながら楽人が言うのも気に留めず、いつの間にかあぐら座りになっていた男性は弁当袋から箸を取り出し、手を合わせると楽人の弁当をかきこみ始めていた。
無言で弁当をかきこむ男性を楽人は改めて観察した。
長いグレーの髪は後ろで束ねられ、前髪が顔の半分程を覆っている。前髪に覆われていない部分は髪と同じくグレーの短い無精髭が生えている。着ている暗いベージュのワイシャツとジーパンはともにどこか薄汚れている。この人ってまさか…
「ごちそうさま…」
いつの間にか楽人の弁当を完食していた男性は、人指指と中指の間に箸を挟んだ状態でパン!と手を合わせた。
弁当箱は中に何が入っていたか想像もつかないほど、見事に空になっていた。
「ああ美味かった…この辺の時代は本当に飯がうまくてありがたい…」
「あのー、おじさんってもしかして…」
楽人が気になっていることを言いかけた時、ハクの首元の鈴が鋭く鳴り響いた。
楽人は思わず学校での事件を思い出した。しかし鈴の音はその時より大きく、何度も鳴り響き続けている。まるで楽人たちに何かを知らせるかのように。
「な、なに!?」楽人は思わず叫んだ。




