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月夜の鵺  作者: 空木弓
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第二部 鵺 (十八)

 

「文九郎様は正真正銘、先代のお孫、当主である主馬様の異母弟ですから、届け出には支障がありませぬ。幼子で亡くなることが多いので、元服するまで届け出ないことが珍しくありませんし。その、御生母をお文殿にはしておりませんが……」

「大奥様の御指図ですな」

 太吉爺さんだ。

「はい。主馬様の後見人である、本家筋の新見十左衛門様にもご賛同と後押しをしていただいて、まぁ、その辺りはうまく……。文九郎様には大奥様が改めてお話することになっておりました。公にするのはその後ということで……」

 文九郎は呆気にとられて、身動きもできなかった。

 今朝、前を通りがかった時に居間の障子が開いたのは、大奥様が文九郎にその話をするためだったということだ。

「こうなったらとりあえずは、文九郎、おめぇが新見家を繋ぐしかねぇな。けっけっけっ」

 太吉爺さんの面白がっている声に、文九郎の金縛りが解けた。

「そ、それじゃ、騙りと変わらねぇじゃねえか!冗談じゃねえ!栗本の旦那から手札ももらってるんだ!今さら御旗本のお家に入れるかってんだ!かわら版や、近所の御旗本連中のいたぶりのネタにされるだけじゃねえか!」

 文九郎には、役についたばかりの旗本や御家人が朋輩にいじめられて刃傷沙汰を起こしたという事件がいくつか思いおこされていた。大抵は誰かが命を落とし、事件の関係者は皆、切腹、改易から蟄居といった重い処罰を受けている。

「おめぇ、御姫様や俺の話、聞いてたか?世の中そうそうてめえの思うようにはならねぇんだよ。それにな、新見家を繋ぐこともできねぇようなら、真っ当に御用聞きを勤めるこたぁできねぇぜ」

「そりゃ、新見家を継いだら御用聞きは勤められねぇよ。何を当たり前なことを」

「あのな、俺は『繋ぐ』って言ったろが。おめぇみてぇなのが、一生御旗本でやってけるはずがねぇんだ。繋ぎだよ、繋ぎ」

 文九郎はやっと太吉爺さんが言わんとしていることに気づいた。

「つまり、どこかの部屋住みの御方が新見家の養子になるまでの繋ぎってことか……いや、それにしたって……」

「それが御姫様のためだって気づけよ、この阿呆が」

「また俺を阿呆呼ばわりする!俺が阿呆なのは、あんたに似てるからだよ!」

「おめぇはまだほんとうの世間というヤツも人の心のふけぇこともわかってねえんだよ。それにまだ気づいてねぇことがわかってねぇから、阿呆だってんだ。色々話をしたらしいが、御姫様の抱えてるもんには全く気づいてなかったろうが」

 確かに文九郎は綾音が抱えて苦しんでいるものに気づいていなかった。今もわかったとは言いがたい。

 長く町方同心の御用聞きをして世の中の裏も表も見てきた男の言うことだけに、文九郎は即座には返す言葉が出なかった。

 クスクスという複数の笑い声が聞こえた。誰が笑ってるのかと思ったら、三之助と川村だった。

「いや、ほんとうに仲のよろしい祖父と孫ですな」

 そう言った川村は、大笑いしたいのをこらえている風だ。三之助はうつむいていたが、肩が震えている。

 その様子に文九郎はハッとした。


 天玄寺へ向かう道中に川村が話したことは、文九郎に嫡子届けを受け入れさせるための布石だったのではないか。綾音に指図を受けて朝早いうちにこなした用とは、主馬の死を本家筋である新見十左衛門へ知らせることだったのだ。


 文九郎はどうにも騙された気分だった。笑いをこらえている川村を睨み付けた。睨んでも川村は平然と文九郎を見返してきた。

「文九郎が羨ましい……文九郎のまっすぐな気性は、お祖父様が文九郎の言うことを真摯に受け止めてこられたからなのですね……」

 綾音の声だ。いつの間にか手を下ろし、顔を見せていた。涙に濡れた目で爺さんと文九郎を交互に見つめている。

「さんざん怒られてきたんだけどな」

 文九郎が言っている間に、爺さんは綾音の目に照れたように顔を背けてよっこらしょと立ち上がった。

「でも、口答えするなと言われたことはないでしょう?」

 綾音の言葉に文九郎はそんなことないと返そうとして、またもハッとした。


 綾音の言うとおりだった。言われた覚えが無かった。

 お前の言うことは、こうこうだから間違っている、やろうとしていることは、これこれだから駄目なのだと、太吉爺さんの言うことには常に理由があった。単に口答えするな、祖父の云うことを聞けというような怒られ方をしたことはなかった。文九郎に言い返すこと自体がいけないと怒ったこともなかった。

 太吉爺さんは、文九郎が幼い時から、いつも本気で相手をしてきたのだ。場合によっては大人げないと他人に言われそうなくらい、本気で喧嘩の相手をしてきた。

 そんな太吉爺さんの孫への接し方が本当によかったのか、正しいことなのか、文九郎にはわからない。ただ綾音や三之助の言葉から、彼らと違って自分の目が外に向いていることだけはわかってきた。

 そして今、育ての親である太吉爺さんに決して頭を押さえつけられていないこともわかった。

 文九郎の心は真に自由だ。


 爺さんは綾音に手を差し出した。立ち上がらせようとしている。

「同じように子供や孫のことを思ってても、育て方を間違っちまう親ってのは少なくねぇ。あっしはてめぇがされて嫌だったことはしないようにしてきただけだが、それがその子にうまくはまるかどうかがまた絶対じゃねぇ。あっしも娘のお文ではうまくいかなかったしね。御姫様もそちらの三之助様も、圭之助様も、そこんところは不幸だったが、気持ちは理屈のようには割りきれねぇもんだが、少なくとも自分で自分を縛っちゃいけねぇと思いやす。どこかで断ち切らなきゃ。簡単なことじゃねぇが、絶対無理ってこともねぇはずだ」

 自分の子供の育て方が母のお文ではうまく行かなかったと太吉爺さんは言ったが、果たしてそうだろうかと文九郎は思った。

 一方、お文が惚れた相手である綾音と文九郎のあのろくでなしの父親は、結局は自身を甘やかしていたとしか文九郎には思えないのだが、実は綾音や圭之助、三之助と同じような苦しみを抱えていたのだろうか。そんなこともふと頭を過った。


 太吉爺さんが三之助のほうに目を向けた。

「三之助様、あなた様もここにいる面々が秘密を知ったことで、少し気が楽になったんじゃございやせんか。お家のためにやったことなら、あなた様がしないといけないことは、兄上様の菩提を弔うことであり、自害することではありやせんよ」

「そう思って天玄寺へ来たのに、盗賊と鉢合わせたのだ!そして、また殺生を……」

 三之助の声は震えていた。

 文九郎が綾音から三之助に目を移すと、汚い物を見るような目で己の両手を見つめていた。

「この度も降りかかった災いを見事に切り抜けたじゃございやせんか。あの盗賊は最近立て続けにお武家様のお屋敷やお寺に盗みに入っていた連中だ。大手柄です。あなた様にはそれだけの技量がおありだということです。あなた様がここで自害したら、それこそ兄上に疑惑が向くかもしれやせん。お家騒動があったと思われかねねぇ……」

 三之助がはっとしたように太吉爺さんを見た。

「辻斬りの始末はどうするのだ?」






*次回が最終回です。

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