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月夜の鵺  作者: 空木弓
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第二部 鵺 (十九) ~ 結

  

「天玄寺で死んでいる浪人の一人ってことにいたしましょう」

 栗本の声だ。文九郎は声がした方を向いた。

 栗本が自身の小者と白銀の親分を連れて、わずか二間ほど後ろに立っていた。太吉爺さんだけ来ているはずがなかったが、気配を感じていなかった文九郎には、してやられた感があった。

「盗賊と辻斬りが斬りあったのですよ。鉢合わせたとしてもよいけれど、仲間割れってことにしてもいい。口裏合わせに少々金子を用意していただく必要はありますが、それですべて丸くおさまります」

「賊はまだ二人、逃げているぞ。そいつらが嘘だと言い立てたら……」

「大丈夫でございます。二名とも捕縛しました。一人は先月、辻斬りを追いかけるのを邪魔した男に良く似ていたので、話を聞こうと捕まえたのですが、あっさり押し入った天玄寺から逃げてきたと白状しました。ですから、押し入った連中は辻斬りと何らかの繋がりがあるということです。捕まえた奴の戯れ言からは、連中、自分たちのことを単なる盗賊ではないと思っていたようで、辻斬りも自分たちと思いを同じくする輩ではないかと思い込んでいたようですが、しでかした事からは、ただの盗賊です」

 途中から栗本は意味深な笑みを浮かべていた。


 金子までしっかり要求し、そんな収め方をしていいのかと文九郎は大いに疑問を感じたが、圭之助があの残虐な辻斬りだったと暴露したところで、今となっては稲葉家が潰れるだけだ。

 あの稲葉の大奥様には教えたいという気持ちが文九郎にあったが、知ったところで、圭之助が辻斬りをしたのが自分のせいとは思わず、全部誰かのせいにする気がした。これまでにも似たような人物を何人か見聞きしたことがある。ああいう手合いは何事もどこまでもひとのせいにするのだ。

 町方も目付方も、辻斬りに関しては死亡し、今後現れないことが明確ならば、それで良いのだろう。

 栗本には手柄になるが、栗本という同心は自身の手柄にこだわらない稀有な男なのだ。その気性ゆえに成瀬が後押しをし、太吉爺さんもその下で働こうという気になったのである。文九郎が御用聞きになりたいのもそんな栗本だからだ。

 ――いや、盗賊の捕縛で目付方と寺社方に恩を売れるんだ。表向きの手柄より栗本の旦那にとって大きいかもしれねぇ……


「……で、新見家は文九郎が継いで、万事、めでたし、めでだし、だな」

 栗本の笑いを含んだ声に、文九郎は慌てた。

「なにがめでたし、めでたし、ですか!」

「さっき言ったことをもう一遍言わせる気か、文九郎」

 太吉爺さんがすかさず返してきた。

「世の中、そうそうてめぇの思うとおりにはいかねぇんだよ。なによりもおめぇの大事(でぇじ)な御姫様のためだ。御姫様だけに背負わせるな。幽霊屋敷を生き返らせろ。それがおめぇの目の前にあるつとめだ」

 誰かが大笑いし始めた。声で権七だと文九郎はわかった。その嘲る笑いに殴りたい気になったが、権七に向いた時にはもう川村が殴っていた。

 なんてことだと文九郎は頭を抱えてしゃがみこんだ。まさかの落ちだ。

 柔らかな手が文九郎の手を包んできた。

「ごめんなさいね、文九郎。でも大丈夫です。文九郎ならば、大丈夫」

 文九郎が顔をあげて見た綾音の目は、驚いたことに夢で見た幼女の目だった。文九郎を頼りにしている目、すがりついてくるような目だ。

 文九郎は自分の手を握る綾音の手の甲を見た。一段と傷だらけで、所々に固まった血が黒く見えていた。

 自分が新見の家を繋げば、この傷が消えるだろうか。綾音が本当に望んでいることは何なのだろう。それを尋ねないといけない。

 そう考える一方で湧き上がってくる感情があった。

 ――こんなに嫌がってるのに、世間は玉の輿とか囃すんだろうな。そうはいくか。すぐに跡継ぎ見つけてやる。見つかりかけてるって言ってたじゃねぇか。それでもって、すぐに町地に戻ってやる。思うようにいかないことも、思うように変えてやる。爺ちゃんを見返してやる。

 文九郎の心の内にやる気が満ちてきた。

 ――俺は圭之助様とも、ろくでなしの父親とも違うぜ。長屋で生まれ、町の衆に揉まれて育った男の底力を見せてやる。

 また微かにぴー……ひょお~……という鵺の鳴き声が聞こえた。先ほどよりもかなり遠くからの声だ。そのせいだろうか。文九郎には明るい笛の音に聞こえた。





 ―― 結 ――



 女がこちらに背を向けて泣いている。

 文九郎はいつもの夢だと思った。

 母のお文だと、文九郎はいつものようにその背に近づいた。

 すると、座り込んだ畳の上に何かが散らばっているのに気づいた。

 文九郎はそれに手を伸ばした。幼児の手だ。紙切れだった。おどけて見える猿の顔が描かれていた。

「拾っちゃだめ」

 その声が聞こえた途端、文九郎の手から紙が取り上げられた。

 女は紙切れをポイとまた畳の上に落とし、文九郎を膝の上に抱いた。

 文九郎は女の顔を見あげたが、ぼやけてはっきりしない。

 幼い文九郎は「あれは何?」と聞きたかった。それを察した女が言った。

「アレは怖い化物の絵なの。だから、文九郎は見ちゃダメ。あるお人があたしにくれたんだけど……だから、捨てられたのに、捨てられなかったんだけど、やっと踏ん切りがついたわ」

 女は優しく文九郎の頭を撫でた。

「おとっつぁんを……文九郎にはお爺ちゃんね。お爺ちゃんを頼んだわよ。あの人、捕物しかできないんだから。大きくなったら助けてあげて」

 文九郎はふっと畳に散らばる紙切れを見た。断片を見渡して、見えてきたものに夢を見ている文九郎は息を呑んだ。

 猿の頭に蛇の尾、狸の体から伸びた虎の脚……鵺の声で鳴く化物の絵だったのだ。


 ――あの放蕩息子も鵺の声で鳴く化物を好んでいたのか?口説いた女にそんな絵を与えるなんて、何考えてたんだ……ん?てことは、姉ちゃんが特に鵺を好きだったのは、父親譲り?……するってぇと、放蕩息子が屋敷にいようとしなかったのは、避けていたのは、厳しい父親じゃなくて、甘やかしていた母親の方?


 畳に散らばる化物の絵の間をどろどろとした何かが渦巻いている気がした。こちらを見ているおどけた顔の猿が歪んでいく。

 バラバラにちぎられた鵺の声で鳴く化物の絵に、顔も知らない父親を、その気を文九郎は感じた。あの辻斬りを目撃した時に感じた気と似ていた。悪寒がした。


 そこで目が覚めた。

 ただの夢ではなく、本当にあった幼い時の出来事だという気がして仕方なかった。

 圭之助と綾音によって、埋もれていた記憶が今頃になって掘り起こされたという気がして仕方なかった。

 文九郎は夢を引きずり、新見の大奥様の言動を思い返した。


 ――そうか……父親は、俺が似てるっていう爺さんは、息子を突き放したから、息子の方も突き放せたんだ。けど、あの婆さんは息子が可愛くて放そうとしなかった。息子も愛情という()()()()に相手をなかなか突き放せなかった……見た目や人当たりは違うけど、やっぱり稲葉の大奥様とおんなじで、本当に息子のことを思ってたんじゃねぇんだ。てめぇの思いどおりにしようとしてただけなんだ……二組は同じような……あの放蕩息子も一つ違えば……いや、殺ったことがあったんじゃねぇか?ひょっとして、無宿人を斬ったことがあったんじゃねぇか?


 夢で見たバラバラの鵺の声で鳴く化物の絵が頭に甦る。夢で感じた、どろどろとした何かに起きた悪寒が再び起きた。


「文九郎ならば、大丈夫」

 綾音の声が聞こえた。文九郎を見つめていたその時の目が、その時の手の感触までも甦った。








 ―― 完 ――










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