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月夜の鵺  作者: 空木弓
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第二部 鵺 (二)

 

 文九郎に嫁を世話しようというのではない。

 文九郎がめでたく栗本から手札をもらってからというもの、なぜか文九郎に綾音の再婚話が次から次へともたらされているのだ。縁談の相手は大店の若旦那だ。

 彼らの魂胆が文九郎には見え見えである。旗本と縁戚を結んで、御店に箔をつけようというのだ。

 町人になっても出自が旗本というのは消えない。正確に言えば、表向きには消すのだが、内緒にするわけがない。隠すどころか表看板並みに扱うだろう。

 金を積めば抱席の御家人の身分が買える世の中になっていたが、通常ならいくら金を積んでも五百石もの旗本の娘が商人の嫁になることはない。しかし綾音の場合は母親が町人、且つ離婚歴ありということで、商人達に脈ありと思わせているらしい。本当なら手に入らないものが金を積んでどこまで手に入れられるか、挑戦する気なのかもしれない。

 文九郎は本当に良い縁談ならば、仲立ちすることに吝かでないつもりでいるが、残念ながら、これまでのところは少々難ありの話ばかりだった。わざわざ綾音の耳に入れることもないと、綾音にはもちろん、新見屋敷の誰にも話していない。


 文九郎は早速用件を切り出した。

「姉ちゃん、圭之助様の叔父上のお医者様に会いたいんで、仲立ちしてもらえねえかな」

「林様にですか?何故?」

 文九郎はどこまで打ち明けたものか、迷いながら答えた。

「通夜の時にあの御方が仰ったように、例の辻斬りは圭之助様の顔見知りとしか考えられねぇからだよ。あの辻斬りがこのまま大人しくしてるとも思えねえし、なんとしても辻斬りを捕らえてぇんだ。そのためには圭之助様に関わりのあるお人に話を聞かねぇとならねぇ」

「確かに大奥様は会ってくださらないでしょうけど……わたくしがもっと色々お話できれば良いのですけど……」


 文九郎は綾音の知っていることはとうに教えてもらっていた。

 あの屋敷で暮らした五年の間に圭之助の知り合いが訪ねてきたことは数えるほどしかなく、数少ない訪問者は体格が違っていたり、ちょうど上方在番していたりと、いずれも辻斬りではないと町方が判断できていた。猿か鵺との関わりについては、閃いた時には「それだ」と思ったが、落ち着いて考えてみたら、あまりに確証が無さすぎて尋ねていない。


 綾音は少し思案した。

「前にもお話しましたけど、林様は稲葉の御家に婿養子として入られた、圭之助様のお父上の末の弟君です。稲葉家は兄君の養子先ですから、お見えになることはあまりなく、わたくしが嫁いでいた間にお見えになったこともたったの三度です。わたくしが仲立ちするまでもなく、文九郎が直に会いに行って支障ないと思いますよ。むしろその方が喜ばれるのではないかしら」

「え?どうして?」

「あのお通夜の日に文九郎の相貌がお祖父様に似ていると仰った御様子には、懐かしさと嬉しさがありましたもの。文九郎に好感を持っておられます」

 綾音はあの薄暗がりでしっかり儒医者の表情を見ていたのだ。やはり綾音は良い御用聞きになりそうだと文九郎は思った。

「わたくしが一緒に参りましょうか」と言ってきたのには、激しくかぶりを振って文九郎は断った。


 いきなり会いに行っても問題ないという綾音の言葉と引っ越していなければ麻布の田島町に住んでいるという情報に、文九郎は新見屋敷からすぐに田島町へ足を向けた。

 林英昌の住居は番屋で尋ねた。武家屋敷の借家人で、田中という御旗本の拝領地の一角に住んでいるという。医者としての評判も悪くないようだった。

 いざ行ってみると、林英昌の家は塀に後ろを囲まれた角の一軒屋だった。入り口は路地に面した方にあり、戸は大きく開け放たれていた。中からは人の話し声が聞こえた。

 文九郎はそっと中を覗いてみた。

 一畳ほどの細長い土間があるだけですぐに上がり框と板の間がある。土間には草履が三足あり、そのうちの二つはくたびれきった草履だった。

「良いな、二度と約束を破るでないぞ。一度でも酒を飲んだら、元の木阿弥だ」

 相手はぼそぼそと答えていたから、文九郎にはどう答えたか聞き取れなかった。

 間もなく赤ら顔の老人と若い女が板の間に現れた。文九郎は慌てて路地を進んだ。

「お父つぁん、言ったでしょ、約束破ったらすぐにばれるって」

「てやんでぃ、酒を絶ったら他になんの楽しみがあるってんだ」

「何言ってるの。具合悪くなったのはお酒のせいじゃない!今度先生との約束破ってお酒飲んだら、苦しがっても放っておくからね!」

 父と娘は大きな声で言い合いながら、遠ざかっていった。

 文九郎は少し間をおいてから、入り口の前に戻って声をかけた。

「ごめんくださいやし。あの、林英昌先生はご在宅でやしょうか?」

 土間は奥に細長く延びていた。文九郎はその先から誰かが答えたと思ってそちらを向いた。ところが直後にふっと目の前に人の気配が湧いてでた。慌てて目を戻すと、そこに通夜の席に見た林英昌が立っていた。

 ――忍びかよ!

 内心で毒づきながら、そんな素振りは出さないように気をつけ、文九郎は軽く頭を下げて自己紹介しようとした。

「いきなりお訪ねして申し訳ありやせん。あっしは……」

「新見の文九郎殿であろう。圭之助の通夜で会ったではないか。わざわざこんなところへ来られるとはどんな御用かな?」

 文九郎はさらりと促されて、却って戸惑った。

「あ、あの……圭之助様のことでお伺いしたいことがありやして。町方が何をと思われるかもしれやせんが、圭之助様があのご不幸にあったのは町地ですし、下手人が例の辻斬りとあっては放っておけねぇんです」

「綾音殿のためでもあるのではないか?」

 林英昌の言葉に文九郎はハッとした。綾音は何も言わないが、誰よりも圭之助を殺した下手人が捕まることを願っているだろう。


(ねぇ)ち……綾音様と圭之助様との仲は良かったんでしょうか?」

 いきなりなんてことを尋ねるのだと、文九郎は自分でも驚いた。言葉を取り消せるなら取り消すところだった。

 儒医者はにやりとした。

「五年ほど前に偶然に圭之助と町地で会い、酒を酌み交わしたことがある。ほろ酔いになった頃に、わしに聞かせた話からは仲が良いと思ったな。わしが不躾に綾音殿の表情の堅さを口にしたら、圭之助はムッとした顔つきになり、こう申した。『綾音は気持ちを外に出すのが苦手なだけで、心中には溢れんばかりの優しさと思いやりがあります』わしは驚いて圭之助の顔を見てしまったよ。何よりもその時の圭之助は生き生きとしておった」

 聞くつもりのなかった問いだったが、返ってきた答えに文九郎は嬉しくなった。

 圭之助は綾音の人となりを理解していたのだ。離縁は圭之助から言い出したことではないというのは本当なのだ。

 文九郎は敢えて気楽をよそおって尋ねた。

「林様、ご家族は?」

「わしは独り身だ。若い頃に一度婿養子に入ったが、数年で離縁した。奉公人も通いだ」

「えー、あのぉ……申し訳ありやせん……」

「謝ることはない」

 英昌は軽く笑った。

 林英昌が独り身なのは綾音に聞いて知っていたことだ。敢えて知らないふりをして様子を見たのだが、けろりとしている様子に後ろめたさは全く感じられなかった。

「すぐそばにお堀がありやすけど、舟なんかはお持ちじゃないですよね」

「いや、持っておるよ。釣りが好きなもので、壊して薪にするというのをただ同然で譲り受けた。修理に思った以上に物入りだったがね」


 文九郎はまさかという気持ちだった。条件が揃いすぎている。あっさりと告げたのは後ろめたさがないからなのか、逆手にとっているのか。

 文九郎はともかく話を進めることにした。聞きたいことは来る途中に何度か頭の中で復唱した。

「圭之助様が通っておられた道場や塾を御存知でしたら、教えていただきてぇんですが」

「ふむ。もっともな問いだ。剣術を習わずに重ねての辻斬りはできぬからな」

 林英昌はひとつ頷いてそう言った後に告げた。

「日陰町の三田道場だ。」

 日陰町の三田道場なら、文九郎はよく知っている。道場そのものに入ったことはないが、裏口から庭には何度か入ったことがある。数年前に道場主が代替わりした。

「圭之助も三之助もあの道場に通っていたはずだ」

「お二人の剣術の、そのぉ……」

「腕前か?可もなし、不可もなしといったところではないかな。二人とも剣術について話しているのを聞いたことがない」

「林様はかなりの遣い手でいらっしゃいますね」

 文九郎はさらりと言うように心がけた。

「圭之助よりは上だな。三之助とは、どうかな。立ち会えば勝てると思いたいが……」

「え?三之助様は剣術がお得意なんでやすか?」

 文九郎の声音が一段高くなった。あのおどおどとした、感情の起伏の激しそうな三之助が剣術を得手としているとは思ってもみなかった。

「得意とまでは言えぬかもしれない。あやつは面白い男でな。型の稽古は素晴らしいのに、立ち会いとなると、からっきし駄目だったのだ」

 やっぱりそうかと、文九郎は幾分がっかりしながらも幾分は安堵した。

「それで、お塾の方は……」

「屋敷近くの老旗本が営んでいた塾だったはずだ。苗字は確か、相原。もう亡くなられたと思うが……」

 けろりさばさばと語る林英昌と話してもあまり得ることはないと判断し、文九郎は長居しなかった。直接尋ねるよりも周囲で林英昌の暮らしぶりを聞き込む方が大事だと考えたのだ。

 ――佐吉に頼もう。俺は三田道場への聞き込みだ。


  帰りがけにふと思い出したというように、草履を履いた後で文九郎は儒医者に尋ねた。

「鵺が好きなお人ってのは、どんなお人でやしょう?」



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