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月夜の鵺  作者: 空木弓
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第一部 姉(二十三)


 殺られると文九郎は思ったが、目の前の浪人が素早く後ろへ飛び退いた。

 同士討ちを避けるためのその動きが文九郎に逃げ道を与えた。

 急に相手が退いたから、文九郎は前へのめった。

 木刀が手から離れたが、のめった勢いを使って、文九郎は素早く橫転した。腰を刃が掠めたようだ。

 後ろへ退いた浪人がまた刀を振り下ろしてきた。

 文九郎は刀が肩へ落ちてくるよりわずかに早く横転から立ち上がると、相手の右手首を押さえて懐へ入り込んだ。間髪おかず、鳩尾に拳、膝横へ膝蹴りを入れた。相手が腹を押さえて倒れこむと、首筋に手刀を落とした。どれも急所にきっちり見舞ったから、浪人は刀を落として意識を失った。

 直後にはもう一人の一撃を後ろから食らうと思い、そちらを見た。ところが振り向く途中で悲鳴が聞こえ、振り向き終えた時には件の輩が文九郎の方へ倒れてきた。文九郎は慌てて飛び退いた。刀を持っていたが、もう一人は破落戸の成りだった。

 倒れた破落戸の向こうには刀を抜いた侍がいた。

 ――誰だか知らねぇが、助かった!


「文九郎様、お怪我は?」

 文九郎が礼を言う前に助太刀が声をかけてきた。川村の声だ。文九郎は呆気にとられた。

「なんであんたが……俺の後をつけてたのか!ま、それは後だ。斬ったんですかい?」

 文九郎は仰向けに倒れている破落戸の脈を探った。

「峰打ちにしましたから、骨が折れているくらいかと」

 散歩途中のような呑気さで川村が答えた。

「骨が折れてるくらい、ね。お侍ぇ様は言うことが違うや。縄なんか持ってたりしやせんよね?持ってたら、こいつらを縛りたいんだが……」

「刀の下緒ならあります」

「十分でやす。それでこいつを縛ってくだせぇ。こいつらも下緒持ってるかな……」

 そこで文九郎は辺りを見回した。

 先ほど地面を這っていた二人は、座りこんだまま怯えた表情でこちらを見ていた。一人は寅吉だが、もう一人は初めて見る顔である。

「二人とも大丈夫(でぇじょうぶ)かい?寅吉、こちらのお方は誰だい?」

「ぶ、ぶ、文九郎か。度胸あるなぁ、おめぇは」

「おめぇが度胸無さすぎるだけでい。こちらの旦那は?」

「あ、あたくしは表伝馬町で古手屋を営んでおります、孫右衛門と申します。文九郎様と仰るのですか。お助けくださり、誠にありがとう存じます。縄をお探しのようですが、これがお役に立ちましょうか」

 孫右衛門は震える手で袂から紐を出してきた。下緒と同じ真田紐だった。

 文九郎は強度と長さを確かめ、俯きに倒れている浪人の手足をまとめて縛った。効率のよい縛り方は太吉爺さんから教わり、身に付けている。

「番屋へ知らせて参りましょうか」

 破落戸を縛り終えた川村が立ち上がりながら言ってきた。

「頼みやす」

 文九郎は川村の縛り方を確認し、少しだけ修整して役人達が来るのを待った。

 その間には寅吉が用心棒として古手屋に雇われていたと聞いて、大笑いした。

 用心棒は寅吉だけでなくもう一人雇っていたのだが、そちらは真面目に務めをこなした結果、少し離れたところで息絶えていた。文九郎は真っ当な用心棒の亡骸に手を合わせた。

 血の臭いはその用心棒からだったようで、寅吉も孫右衛門も擦り傷程度で済んでいた。

 襲った二人組はこの前辻斬りを助けた連中か、その仲間であることを文九郎は願った。自分の手柄のためではない。これ以上この辺りで襲われる人が無いように願ってだ。あとは町方のお役人に任せるだけである。


 辻番と戻ってきた川村に、文九郎は改めて自分の後をつけてきた理由を尋ねた。

「綾音様が胸騒ぎがするから、後を追うようにと仰いました」

「女は怖ぇな……」

 呟いた文九郎に川村がニヤリとした。

「あんたにずっと後をつけられていることに気づかなかった俺も大したことねぇや」

「文九郎様が自信をなくすことはありませぬ。某は各種武芸を修行した身。これでも通った道場で免許皆伝を受けております。文九郎様は尾行に敏感ですから、間を広めに開けましたし」

 川村ののんびり、且つ淡々とした人柄は、武芸に秀でた自信の裏返しらしい。


 川村が呼んできた辻番も、孫右衛門も寅吉も、きちんとした身なりの侍が町人姿の文九郎を様付けして敬語で話すものだから、不思議そうに二人の会話を聞いていた。そこへ息を切らせてやって来た栗本が三人を更に混乱させた。

「文九郎様、大手柄じゃねぇですか」

 文九郎は栗本に様付けで呼ばれて虫酸が走った。

「だ、旦那、様付けするのはやめてくだせぇ……」

「良い土産ができましたなぁ。新見家のご嫡男となっても、周りに大きな顔できますぞ」

「誰が新見家のご嫡男ですか。あっしはそんなもんになりゃしませんぜ。何早とちりしてらっしゃるんですか」

 文九郎の返しに栗本は信じられないことを聞いたという顔つきになった。

「おめ……いや、文九郎様、五百石ですぞ。五百石といえば、四公六民で俵に換算すれば五百俵!黙っていてもあの俵が五百も貰えるご身分を棒に振るってんですかい?」

「あっしがあの広いお屋敷でふんぞりかえっていられると思いやすか?無理だ。あっしはあの太吉の孫ですよ」

 文九郎の言葉に栗本はポカンと口を開けた。

「あっしは旦那方、町方の御用聞きになりてえんだ。前から言ってるでやしょう。その気持ちは変わってねぇ。それどころか、この二人を取り押さえたことで、その気持ちはむしろ強くなりやした。あの爺さんを説得するにはまだ時がかかるだろうけど、あっしは諦めませんよ」


 栗本は文九郎が言葉を切ってからも、まだ暫く無言で文九郎の顔を見続けていた。

「君と寝ようか、五千石とろか、なんの五千石、君と寝よ……」

 突然、栗本が歌いだした。去年の秋に世間を驚かせた、禄高約五千石の大身の旗本、藤枝外記(ふじえだげき)と遊女、綾衣(あやぎぬ)の心中事件から生まれた端唄だ。

「……ならぬ、五百石とろか、十手にしよか、なんの五百石、十手にしよ、かよ」

「……五千石だったら、五千石とったかもしれやせん」

 文九郎の素直な言葉に、ワッハッハと栗本だけでなく、文九郎も川村も笑い出した。

「しかし、それで新見の大奥様が納得されるかね?」

「姉ちゃ……姉があっしの味方になってくれやして、他家から養子を迎えるよう、大奥様を説得すると言ってくれやした。でもその姉が婿をとって、そのお婿さんがあの家を継ぐってのがあっしの描いてる絵でやすよ」

「そうするって、姉君が仰ったのかい?」

 川村が文九郎の視界の隅で驚いていた。

「いえ、そこまでは……ただ他家から養子を迎えるということしか……でも見た目も中身もあれだけの人なんだから、あの家の養子になろうってお人は、きっと姉を放っておけなくなりやすよ」

 文九郎はその点に自信があった。あとは変な奴が養子に選ばれないようにしないといけない。もちろん文九郎は養子候補の念入りな素行調査をする気でいる。

「そうか……色々と惜しい気もするな。おめぇみてぇな奴が五百石の御旗本としてどう生きていくか見たかったところもあるんだが……よし。太吉爺さんの説得は俺に任せろ。五百石を振ってまで御用聞きになりてぇなんて、底抜けにめでてぇ奴だ。そんな奴につける薬はねぇ」

 文九郎は栗本の言葉を半信半疑で聞いた。あの爺さんがそう簡単に折れるわけがないのだ。


 栗本は辺りを見回した。杢二郎とその下っ引き三人が賊を番屋へ運ぶ準備を整え、栗本の指図を待っていた。「おう、連れてけ」と一声かけ、栗本は再び文九郎に向いた。

「杢二郎の下ってより、おめぇには直接手札渡した方が良いだろうな。後ろには太吉爺さんがいるからな。おめぇを使う奴が変な気ぃ使うだろう。だが岡っ引きは一人じゃできねぇ。下っ引きがいるぞ。すぐにとは言わねぇが、手伝わせる奴を考えておけ」

「へい」

 何故か寅吉が栗本の後ろで、おれ、おれと口を動かしながら、自分の鼻を指差していた。文九郎は無視した。

 まだ栗本の言うことに半信半疑でいる文九郎だった。下っ引きを使うような立場になるのはもっと先だと思っていたから、全く考えていなかった。

「文九郎様、助太刀が必要な時は某にお知らせくだされば、お手伝いいたしますぞ」

 川村が真顔で言ってきた。

 ――話をややこしくしねぇでくれ……


 川村に助けてもらったとはいえ、大捕物を成し遂げた文九郎は、番屋で用意してもらった提灯片手に意気揚々と長屋へ戻った。

 爺さんはもう眠っているだろうと、そろりと引戸を開けたところが、横になっていただけで眠っていなかった。

「文九郎、遅かったじゃねぇか。新見のお屋敷でご馳走になってきたのかい」

 文九郎は捕物のことを黙っているつもりだったが、起きて待っていられては仕方ない。覚悟を決めた。

「遅くなったのは新見のお屋敷に行ったからじゃねぇよ。帰りに賊を掴まえたんだ」

 太吉は起き上がって文九郎に向いた。

 文九郎はざっと川村に助太刀してもらった捕物から栗本との会話までを正直に話した。

「おめぇ、馬鹿か!」

「しっ、爺ちゃん。声が大きいよ」

 太吉は文九郎に顔を近づけ、小声で続けた。

「決めるの早すぎだろ。そういうこたぁ、もっとじっくり考えてから決めるこった。一生を決める大事(でぇじ)なことだろが」

「爺ちゃんもあいつらに怒ってたじゃねぇか。勝手過ぎるって」

「俺には勝手過ぎる話だ。だが『これから』を考えたら、おめぇには勝手だからと一蹴りして済む話じゃねえ。五百石だぞ。今は幽霊屋敷だって、おめぇが暮らすようなったら、変わるかもしれねぇじゃねぇか」

「だってよ、俺には五百石も五千石もピンとこねぇもん。姉ちゃんにはあの家継がなくたって会えるし」

 栗本には五千石なら……と言ったが、本当のところは「五百より多い」程度の感覚しか文九郎にはない。

「五百と五千を一緒にする奴があるか。桁が違うじゃねぇか」

「じゃあ、爺ちゃんはピンとくるのかよ」

「くるわけねぇだろ!」

 太吉はぷいと文九郎に背中を向けて横になり、布団を被った。

 ――ま、こんなもんだよな。

 文九郎は爺さんの枕元から立ち上がり、自分の布団を押入れから下ろした。





―― 第一部 姉 完 ――


*「第二部 鵺 (一)」は、8日(金)の公開/掲載予定です。

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