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妹に婚約者を奪われたので、冷酷公爵様のもとで自由に生きます~と思ったら、なぜか溺愛されています~  作者: 雪野みゆ
第一章

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5.気づかされたもの

 間抜けな声になってしまったのは、仕方がないと思う。


 つい先ほどまで婚約解消の話をしていたのに、突然求婚されたのだ。


 だから、つい聞き直してしまった。


「あ、あの……。今、何と仰いましたか?」


「私と結婚してほしいと言った」


「……私と、ですか?」


「他に誰がいる?」


 私は思わず周囲を見回したが、図書室には私たち二人しかいない。


 公爵閣下の顔をうかがうと、とても冗談を言っているようには見えない。


「で、ですが、公爵閣下。私たちはこれまでお話したことはございませんし、ほとんど接点がございません」


「そうだな」


「それなのに、どうしてですか?」


「理由を説明する前に、一つ尋ねたい」


 私の言葉を遮ることなく、公爵閣下は静かに続けた。


「君は今後どうするつもりだ?」


「今後……ですか?」


「婚約を解消した後の人生だ。新たな婚約者を探すのか? それとも、しばらくは独身で過ごすつもりなのか?」


 私は答えることができずにしばらく考え込む。


 実のところ、そんなことは何も考えていなかった。


 ヴィクターとの婚約が解消された後のことなど、想像もしていなかったのだから。


 しかし、貴族の娘である以上、いずれ次の婚約のことも考えなければいけない。


 でも――


「……まだ、分かりません」


 正直にそう答えるしかなかった。


「今まで結婚した後のことばかり考えておりましたから。これから自分がどうしたいのか、ゆっくり考えてみようと思っているところです」


「そうか」


 しばらく考えるように黙っていた公爵閣下が意外なことを口にした。


「ならば、私との結婚をその選択肢に加えてほしい」


「……選択肢……ですか?」


「ああ。もちろん、今すぐ返事をしろと言うつもりはない」


 公爵閣下は落ち着いた声でそう告げた。


 その表情からは、何を考えているのか読み取れない。


 私はしばらく彼を見つめた後、そっと視線を落とした。


「あの……公爵閣下」


「アルベールで構わない」


「い、いえ。さすがにそれは……」


 特に親しいわけでもないのに、目上の公爵を名前で呼ぶわけにはいかない。


「では、今はそれでよい。それで、何だ?」


 迷いながらも私は口を開いた。


「どうして、私なのでしょうか?」


 エーデルシュタイン公爵家は王国でも名門の大貴族だ。我が家も侯爵家ではあるが、曾祖父の時代に伯爵から陞爵したばかりで、特に名門というわけではない。


 公爵閣下は冷酷と評されているが、優秀な方だと聞く。


 そんな方であれば、結婚相手にと望む貴族が大勢いるだろう。


 私よりも相応しい令嬢はいるのだ。


「私は特別な才能があるわけではありませんし、社交界で目立つ存在でもありません。それに……先日まで婚約していた方は妹を選びました。婚約者の心をつなぎ留めることすらできなかった私に公爵閣下の妻が務まるとは思えません」


 言葉を重ねるほど、自分がひどく頼りない人間に思えてきて、少しみじめな気分になった。


「公爵閣下には私よりも、もっと相応しい方がいらっしゃると思います」


 言い終えてから、胸がちくりと痛む。


 本当はそんなことが言いたいわけではない。自分で自分を貶めるようなことを……。


 だが、自分が公爵閣下に選ばれる理由が思い浮かばなかったのだ。


 しかし、公爵閣下はわずかに眉を寄せた。


「君は……自分に価値がないと思っているのか?」


「そ、そういうわけでは……」


 否定しようとしたが、言葉が続かなかった。


 私にはどれほどの価値があるというのだろう?


 今まで家族や婚約者のために生きてきたので、自分自身のことは分からないのだ。


「自分でもよく分からないのです。今まで自分がどうしたいかよりも周囲が何を望んでいるのかを考えてきました。だから、私自身に何か特別な価値があるとは思えないのです」


 公爵閣下は黙って私の話を聞いてくれていたが、やがて静かに口を開いた。


「なるほど。では、私から君の価値を教えよう」


「え?」


 公爵閣下は懐から一枚の紙を取り出した。


「アリシア嬢、これに見覚えはあるか?」


 差し出された書類の内容を目で追った私は驚いた。


 それは、王宮の予算に関する報告書だ。


 書式も数字の配置にも見覚えがある。


 これは私が作成した書類だ。

「これはヴィクター・アディントンが提出したものだが、作成したのは君だな?」


 そのとおりではあったが、何と答えようか私は迷っていた。


 ここで私が作成したものだと公爵閣下に答えてしまうと、ヴィクターの功績が疑われてしまうと考えたからだ。


 王太子殿下の補佐官見習いとして、ヴィクターも最初は苦戦しながらでも頑張っていた。私はそんなヴィクターの助けになればと、資料の整理をしたり、数字を確認するといった些細な手伝いをしていたのだ。


 だが、次第に頼まれることが増えていった。


 気づけばヴィクターの仕事を全面的に手伝うのが当たり前になっていったのだ。


 彼が王太子殿下に褒められたと嬉しそうに話してくれる。それだけで十分だった。たとえヴィクターが私の作成したものを自分の成果としていても。


 それは婚約者だったからだ。でも、今は違う。


 だからと言って、今さら彼の仕事を手伝っていたことを話してもいいのだろうか?


「……その書類は」


 そこまで口にして私は言葉を止めたが、公爵閣下は続きを促すことなく、黙って私を見つめている。


「いや。無理に答えなくともよい。だが、この書類を君が作成したものだということはすでに調べがついている」


「え……?」


 公爵閣下は手にした書類へ視線を落とした。


「ヴィクター・アディントンの報告書の質がある時期から変わった。内容がよく整理されていて、数字の分析も的確になった。以前の彼とは比べものにならないくらいにだ。何があったのか、調べてほしいと王太子殿下に頼まれたのだ」


 王太子殿下が公爵閣下に?


 そういえば、王太子殿下と公爵閣下は親しいと聞いたことがある。


「そうして調べていくうちに君に辿り着いたというわけだ。これは君が作成したものだろう?」


 決して責めるようなわけではないが、逃げ道を塞ぐような問いかけに、私はもうごまかしは効かないと悟る。


「……はい」


 私は小さく頷いた。


「私が作成しました。でも、アディントン伯爵令息のお仕事を少しお手伝いしただけです」


「少しか」


 公爵閣下はわずかに眉を上げた。


「この報告書をまとめるには、資料を集め、数字を照合する必要がある。片手間にできる仕事ではない」


「それは……」


「君は自分の仕事を過小評価しすぎだな」


「私が作成したと認めたら、彼の評価はどうなるのでしょうか?」


 自分から出た言葉に驚く。私はまだヴィクターのことを優先していると……。


 これからは自分のために生きる。好きなことを見つけて、自分の足で歩きたい。


 そう決めたはずなのに……。


「アリシア嬢」


 落ち着いた声が私の思考を遮る。


「私は君に彼を陥れろと言っているわけではない。事実を事実として認めることと、誰かを傷つけることは同じではない」


 私はゆっくりと顔を上げた。


「これは君が作成した。それだけのことだ。彼の功績を奪うわけでもなく、君自身の働きをなかったことにする必要はない」


「私が作成したもの……」


 公爵閣下の手元にある書類へ視線を落として、確かめるように呟く。


「自分の働きをどう扱うかは、君自身が決めればいいことだ。ただし、誰かを守るために自分を犠牲にすることは正しい選択だと思わないことだ」


 書類の筆跡は確かに自分のものだった。資料を集めて読み込み、何日もかけて考え抜いたものだ。


「今まで周りの人のことを考えてどうするべきか決めていました。でも、これからは、自分がどうしたいか、ちゃんと考えてみたいと思っています」


「ああ。それがいい」


 わずかに目を細めた公爵閣下は微笑んでいるように見えた。


「とりあえず、好きなものを探してみたいです」


「そうか。それではこの本を読んでみるといい。アリシア嬢の好きなジャンルかは分からぬが、面白いぞ」


 そうして公爵閣下が渡してくれた本は旅行記だった。

今日は20分後にもう一話投稿しております。

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