3.好きなものを探すこと
翌日からまずは自分が好きなものを探すことから始めた。
朝食を終えた後、紙とペンを用意して机に向かう。
「お嬢様、お茶をお持ちいたしました。あら? 何をなさっているのですか?」
紅茶を用意してくれた侍女のアリンがそう尋ねてくる。
「自分の好きなものを書き出してみようと思って」
「好きなもの、ですか?」
アリンは不思議そうに首を傾げた。
「ええ。これからは自分のために生きようと決めたのだけれど、そもそも自分が何を好きなのか、よく分からないのよ」
「まあ、そうなのですか」
彼女は私が幼い頃から専属侍女として仕えてくれている。私がどれほど家族の顔色をうかがってきたのか、誰よりも知っているのだ。
だからこそ、私の行動に驚いたのだろう。
「とても素敵なことですわ、お嬢様」
「そうかしら?」
「はい。お嬢様はいつも誰かのために行動されていましたから。これからはご自分の時間を大切にすればよろしいかと思います」
アリンは私のことをちゃんと見ていてくれたのだ。それがうれしくて胸が温かくなる。
「ありがとう、アリン。好きなものを探すのを手伝ってくれる?」
「もちろんでございます」
私は頷くと、再び机に向かいペンを握る。
「ええと、好きなもの……」
すぐに好きなものが思い浮かばず、しばらく考え込む。
ふわりと紅茶のいい香りがする。冷めてしまったので、アリンが淹れなおしてくれたのだ。
「そうだわ! 紅茶が好きだわ」
「早速好きなものが一つ見つかりましたね」
「ええ! それから……」
二つ目の好きなものを思い浮かべようとして詰まってしまった。
「……簡単に出てこないわ」
ふふとアリンが微笑む。
「焦ることはありません。そうですわ! 気分転換にお庭の四阿でお茶の時間を過ごされてはいかがですか? 何か思い浮かぶかもしれませんよ」
「それはいいわね!」
アリンの素晴らしい提案に乗ることにした。
クロスフォード侯爵邸の庭園は広く、季節ごとに様々な花が咲く。
母とエイミーはバラが好きなので、庭園にはバラが多く植えられている。
今はバラの季節ではないが、華やかな花々が咲き誇っていてきれいだ。
眺めていると隠れるように白い小花が咲いているのが目に入る。
「あら、可愛い花ね」
私は四阿を出てその花が咲いているところまで行き、屈む。
華やかさはないが、白い花びらは可憐に風に揺れている。
「お嬢様、いかがされましたか?」
振り返ると、アリンが焦った様子でこちらに歩み寄ってきた。四阿を出てこんなところで屈んでいるので、心配してくれたのだろう。
「ねえ、アリン。この白い花の名前を知っている?」
「はい。確かスノードロップだったと思いますが……」
スノードロップ。雪の雫か。可愛い名前でこの花にぴったりだ。
「私、この花が好きだわ」
言葉に出してみて、自分でも驚いた。好きなものを見つけたのだ。
たったそれだけのことなのに、胸がドキドキする。
「好きなものが増えましたね」
アリンもうれしそうに微笑む。
私はもう一度、スノードロップを見つめる。
これから先、どれだけ好きなものを見つけることができるだろう。
考えると、未来が楽しみになった。
◇◇◇
しかし、そんな穏やかな時間は長く続かなかった。
夕食の席で父が私に報告をする。
「アリシア。明後日、アディントン伯爵家から使者が来ることになった」
「婚約解消の手続きについて、でしょうか?」
「そのとおりだ。正式な書類を持ってくるとのことだ」
父が淡々と告げると、隣に座る母は当然という顔をしていた。
私の隣に座るエイミーを横目でちらりと見れば、俯きがちではあるが口元に笑みを浮かべている。
「そうですか。承知いたしました」
「それから、お前にはしばらく社交の場を控えてもらおうと思っている」
「それは、どういうことでしょうか?」
これから社交シーズンが始まるというのに、なぜ控えねばならないのだろう。
私が眉を寄せながら父を見ると、ため息を吐きながらこう切り出した。
「婚約解消の話が広まれば、いろいろと噂されるだろう。余計な詮索を避けるためにも、しばらくは屋敷で過ごすといいだろう」
「私が婚約を解消されたことを、恥ずべきことだとお考えなのですか?」
「そういう意味ではない」
不機嫌そうに父は眉を寄せた。
「お前のためを思って言っているのだ」
私のためだと言うが、本当に私のことを考えているのなら、どうして本人に相談もなく婚約解消を決めたのだろう。
だが、父にそう訴えたところで無駄なことだろう。
いつものように頷きかけて、はっとする。
もう、何でもかんでも受け入れるのはやめると決めたのだ。
「お父様」
「何だ?」
「婚約解消の手続きについては異存ありません。ですが、社交の場を控える必要があるとは思いませんわ」
料理に手をつけようとしていた父の手が止まる。
「アリシア。何を言っているの?」
母は驚いたように私を見た。
「婚約解消は私だけの責任ではありません。ヴィクター様がエイミーを選ばれたからこそ、こうなったのです。それなのになぜ私が恥じて隠れなければなりませんの」
「お姉様」
エイミーが今にも消えそうな声で私に呼びかける。
「私のせいでお姉様がつらい思いをするのは嫌です」
瞳にみるみる涙が浮かんでくるエイミーにいつもの私であれば、すぐに謝っていただろう。
しかし、今は違う。
「エイミー」
「……はい」
「私は貴女を責めているわけではないわ」
ポロポロと涙を零しながら、エイミーは顔を上げる。
「ただ、私が婚約を解消したからといって、社交の場を控える必要はないと言っているの」
「でも……」
「それに貴女がヴィクター様と結婚するのであれば、これからは貴女自身が彼を支えていかなければいけないのよ」
私はそのまま静かに続ける。
「私が今までしてきたことを貴女が引き継ぐの」
エイミーは目を見開いた。
「アリシア。お前はまだヴィクターに未練があるのか?」
父が不快そうに眉を顰める。
「いいえ」
私ははっきりと否定するように首を横に振った。
「未練はございません。ただ、これからは自分の時間を大切にしたいと思っているだけです」
「自分の時間だと?」
「はい。今まではクロスフォード侯爵家のため、家族のため、婚約者のために時間を使ってきました。これからは、自分が何をしたいのかを考えてみたいのです」
口にした途端、胸の奥がすっと軽くなった。ずっとこう言いたかったのだ。
「……お前はいったい何を言っているのだ?」
父は理解できないという顔をしていた。母も困惑しているようだ。
その両親の表情を見て、私は初めて気づいた。
この人たちは、私が自分の意思を口にするとは思っていなかったのだ。
私がいつまでも従順でいると、本気で信じていたのだろう。
「申し訳ございません。突然のことで戸惑われるかもしれませんね」
ナプキンをたたみ、椅子から立ち上がる。
「ですが、これは私が決めたことです。今後のことは、私自身で考えて決めます」
「アリシア!」
父が声を荒げるが、構うことなく食堂の出入口に向かう。
「失礼いたします。先に休ませていただきますわ」
食堂を出ると足を止めることなく、自室へ歩を進めていく。
怖くないと言えば、嘘になる。
これまで父に逆らったことはなかったが、初めて自分の意見を伝えた。明日になれば、きっと何か言われるだろう。
それでも――。
「……少しずつでいいのよね」
私は自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
いきなり何もかも変えることなどできない。
小さなことから一歩ずつ始めればいい。
好きなものを見つける。自分の時間を自分のために使う。そして、自分の気持ちを伝えること。
その一つ一つが今までの私にはできなかったことなのだから。
「明日は本でも読んでみようかしら?」




