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荒波の将軍  作者: 夕月日暮
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第二十二話「大塔宮」

 赤松円心がこちらに与したことで、大塔宮は焦りを見せ始めた。

 ここのところ大人しかったが、やはり打倒足利を諦めたわけではなかったらしい。

 そんな折、尊氏は後醍醐帝に呼び出された。

 公式の要件ではない。個人的に話がしたいのだという。

 阿野廉子と組んで大塔宮を除こうとしている。その後ろめたさもあったが、尊氏はやむなく内裏へと向かった。

 いつ来ても内裏は落ち着かない。

 しかも、後醍醐と二人で会うのだ。このような機会は滅多にあるまい。

 時折尊氏は後醍醐に拝謁していた。しかし、そういうときは大抵廷臣が間に入る。尊氏は直答すら許されない有様だった。

「尊氏よ、良く来た。他の者はおらぬ、そう構えるな」

 出会い頭、後醍醐は浴びせかけるような口調で声をかけてきた。そのまま勢いよくどしりと腰を下ろす。何度か目にして来てはいたが、後醍醐の仕草は帝らしくないようなところがある。

「朕がそちを呼び出したのは他でもない」

 ぎょろりと、後醍醐の大きな目がこちらに向けられる。それだけで、尊氏は身体を固くしてしまう。

「近頃、世上は酷く乱れておる。朕としては出来る限りのことをしているつもりだが、どうやら手足が言うことを聞かぬらしい」

「は」

 その手足とは、自分や大塔宮のことか。

 答える尊氏の声は震えた。

「……尊氏、そちの私見を聞かせてみよ。誰じゃ?」

「は?」

 後醍醐の問いかけの意味が分からず、尊氏は間の抜けた顔を浮かべてしまった。

「誰、とは?」

「そちは阿呆か。それとも朕を阿呆と見なしておるのか。話の流れで分かるであろう。私腹を肥やし、いたずらに綸旨を悪用し、武士どもの不安を煽っている輩がおるはずじゃ。それは、そちの目から見て、誰じゃ、と聞いておる」

 言われて、尊氏は滝のような汗を流した。

 緊張のせいだけではない。

 帝に対する、ある種の感動だった。

 ……わしの言葉を覚えておられた!

 武士は恩賞のために働く。働きに見合った恩賞がなければ不満を抱く。それが世上を乱れさせる。

 後醍醐は、そのことを理解している。

 傍から見ている分には、後醍醐自身も豪奢な暮らしに溺れているように見える。無論、立場上暮らしぶりは豪華になるのは当然だが、後醍醐はそれで堕落するような気骨の持ち主ではなかった。

 誰が見ても勝ち目などなかった鎌倉との戦。それを起こし、最後まで諦めず旗印になり続けたのである。

 ただ豪華な暮らしをしたければ、鎌倉に追従しながら一生を過ごしていれば良かったのだ。危険を顧みず鎌倉打倒を志した後醍醐には、何としてもやりたいことがあったに違いない。

 ただ、周囲に人がいない。

 政務からは離れたところにいる尊氏にまで声をかけてきたのは、後醍醐自身それを痛感しているからではないか。

「私めは、政務とは縁遠き身。あまり良き意見は申せませぬが」

「むしろ、そうした者の言葉を聞きたいのじゃ。物事は中から見るだけで分かるものではなかろう。不満を抱いておるのは武士や庶人ども。その代表は、そちであろうが」

「は。しかし……」

「安心せい。そちの言葉は朕の胸の内にだけ秘めておくわ。この場には朕とそちしかおらぬことだし、遠慮のう申せ」

 そこまで言われては、引き下がれない。

 尊氏は度胸を据えて、後醍醐と向き合った。

「では、畏れながら申し上げまする。世上の乱れの原因は、大塔宮様にござります」

「ほう、護良がな」

 後醍醐はさして驚きも見せずに頷いた。近頃の大塔宮について、阿野廉子からあれこれと聞かされているのかもしれない。あるいは、廷臣からかもしれない。

 今の後醍醐の反応が、大塔宮の立場を如実に表しているような気がした。

「大塔宮様は、鎌倉との戦の折、獅子奮迅の働きをなされました。天台座主の身で弓を取る道を選び、楠木正成殿、赤松円心殿らと共に前線で戦い続け……おそらくは、その余韻が未だに抜けておられぬのでしょう」

「以前、護良が言っていたな。そちが第二の鎌倉となる、と」

「杞憂でございます。吾ら武士は働きに見合う恩賞が得られればそれで良し、と考えております。鎌倉政権が生まれたのも、元はその不満があったからこそ。不満もなくして、なにゆえ帝から離れましょうや」

「そこを、護良がいたずらに突き、世の武士どもを騒がせておる、というわけか」

「大塔宮様は、吾らの思いを理解なされぬ。例え吾ら武士を今潰したところで、やり方を変えねば結局同じこと。武士がいなくとも、庶人も不満を抱けば武器を持ちまする」

 言ってから、尊氏は心配になってきた。ここまで言う必要はなかったのではないか。

 だが、後醍醐は不快な色も見せず、鷹揚に頷いて見せただけだった。

「そちの言い分はもっともじゃ。王朝の下、皆が安らかに暮らせる世を作らねばならぬ。そのようなとき、いたずらに世上を騒がせる護良は言語道断じゃのう」

「は」

「あやつは、さしずめヤマトタケルといったところか。勇猛果敢で戦の折には役に立つ。じゃが、敵となる者がおらねば己を持て余す性質のようじゃ。そちを執拗に敵視するのはそのせいかのう」

「……」

「平時には無用の男であったようじゃ。少なくとも、京に置いておくには危険過ぎる」

 そのとき、後醍醐の表情が少しだけ曇った。

 言葉とは裏腹に、それはどこか、我が子を気遣っているようにも見えた。

「畏れながら申し上げます」

「なんじゃ」

「これはあくまで武士の身としての意見にございます。しかし、一方の言葉だけ聞くようでは正しき聖断も出来ぬものかと……。ここは、大塔宮様の御言葉も」

「来ぬ」

 その一言で、尊氏の言葉は打ち消された。

「再三呼び寄せたが来ぬ。廷臣の中には、それを以て護良に叛意ありと抜かす者もおるが……」

 呟く後醍醐の姿が、とても物憂げに見えた。


 大塔宮が捕えられたとの報告が尊氏の元に届いた。

 建武元年(一三三四年)、十月のことである。

 捕えたのは、後醍醐の側近となっていた名和長年、それに結城親光である。

「結城の倅がな」

 この日が来ることを予感していた尊氏は、大塔宮が捕えられたこともそうだが、結城氏のことを想い浮かべていた。

 結城親光は、尊氏同様幕府の御家人だった結城宗広の子息である。宗広は武士の中でも朝廷の信頼が厚く、後醍醐、北畠親子らと昵懇だと聞いている。現に、宗広は子息を朝廷に残しつつ、自身は北畠親子と共に陸奥へ下向していた。

 結城親光が大塔宮を捕えたということは、大塔宮が完全に孤立していたことを示している。無頼漢たちも、命をかけてまで大塔宮を救うつもりはないのか、件の知らせを受けて散り散りになってしまった。

 京の治安は、僅かながら回復した、とも言える。

 足利氏当主の立場としては、待ちに待った展開のはずだった。大塔宮を政局から排除したことで、今後はじっくりと腰を据えて公家衆の相手が出来るようになる。そして遠くないうちに主導権を握り、武家社会の取りまとめに乗り出す。

 だが、尊氏自身はその未来絵図を、どこか他人事のように眺めている。

 大塔宮が捕えられたことで内心浮かれだした家来衆を、どこか冷めた目で見ていた。

「殿」

 穏やかな声で我に変える。

 目の前には、細川頼春が座っていた。

「いかがでございます? 京の味も良いのでしょうが、やはり私は鎌倉の方が好みに合います。殿もそうであろうと思ったのですが」

 頼春は尊氏の一つ上だった。細川氏は足利氏の庶流で立場も低い。だからかどうかは知らないが、頼春は足利一族が持つ名門意識をひけらかさない。本人の性格もあるのだろうが、尊氏としては親しみやすい一族の一人だった。

 彼は、鎌倉で千寿王や直義の政務を助けている。尊氏の面子を気にしてか、彼も蔵人に任官されているが、頓着している様子はまったく見られない。

 頼春は、手土産として甘味の菓子を持参してきていた。

「うむ。まあ、そうだな。わしも、やはり坂東の味の方が馴染み深くて良い」

「そうでございましょう。なにせその菓子、登子様が殿にと用意されたものですから」

「登子がか。それは危なかった。もし今一などと答えていたら、源九郎、お前告げ口するつもりであったろう」

「さて。ただ、私は奥方様に嘘を申すような真似は出来ませぬが……」

「言いよるわ。こやつ」

 源九郎とは、こういう他愛もない話をすることが多かった。

 師直は信頼出来るが、どうしても足利家に関わる雑事が話題に上り、煩わしく思うことが多い。特に近頃は、足利氏を取り巻く状勢が状勢なだけに、面白くもない話ばかりが続いている。

 直義は鎌倉だし、登子や千寿王もそうだ。それに登子や千寿王の前では家長として、直義の前では兄として振舞ってしまう。どこか素の自分に成り切れなかった。

 鎌倉も決して安穏ではないことは、尊氏にも分かっている。東日本は鎌倉政権の、つまり北条氏の根拠地が数多くあったのだ。残党の決起も少なくない。

 今年の三月には北条譜代の臣である渋谷氏・本間氏が北条高時の一族を旗印にして決起した。これは直義の命を受けた足利氏の一族・渋川義季が撃退している。

 また、八月にも葛西氏・江戸氏といった鎌倉政権譜代の者たちが決起し、直義を悩ませている。

「義季は頑張っておるようだが、どうにも北条の残党の抵抗は厳しいようだな」

「はあ、御舎弟ともども頭を抱えている日々でございます。せっかく奥方を迎えられたのに、夫婦でのんびりとする暇もないようで」

 鎌倉府に移ってから、尊氏は渋川義季の姉を直義に娶せている。血気盛んな若武者である義季のことを気に入っていたこと、そんな義季と直義の結びつきを強くしようとしたこと、直義にまだ正室がいなかったことを憂慮したことなど、理由はいくつもある。

「登子と千寿王はどうしている?」

「ほぼすべてを御舎弟に任せておられます」

「それで良い」

 直義は昔から、強烈な反北条の感情を持っている。そのため北条氏出身の登子に対しては、どこか必要以上に距離を置いている。尊氏の正妻・嫡子と、その弟との間で意見が揉めるようなことがあれば、鎌倉府が分裂しかねない。

「殿。御舎弟の力により鎌倉府も落ち着きを見せつつあります。奥方様と千寿王様をこちらに呼ばれてはいかがでしょう」

「源九郎、余計な気を回すな。わしも会いたいが……あまりあやつらに、ここに来て欲しくはない」

 はて、と首をかしげる頼春に、尊氏はうんざりした様子で言った。

「ここに長居すると、毒される」


 それから幾日も経たないうちに、頼春は鎌倉へ戻ることになった。供の者たちと、思わぬ客人を連れての帰還となる。

 行列の中ほどに籠が見えた。中にいるのは、大塔宮である。

 尊氏は、離れたところで一人それを見送っていた。供の者たちは師直に命じて控えさせている。師直自身は残ろうとしたが、尊氏は下がるように言った。

 籠の中の大塔宮は、今どのような心境だろう。

 大塔宮が捕えられて間もなく、尊氏の元に朝廷から正式な使者が来た。大塔宮は先の戦乱での功に驕り、帝を除こうとしていた。そのために挙兵の準備すらしていた。だから捕まえたのだ、という。

 そんなはずはない、と尊氏は頭を振った。

 大塔宮が敵視していたのはあくまで尊氏だ。後醍醐をどうこうするという発想など持っていなかったに違いない。挙兵するにしても、おそらく今の大塔宮には挙兵するだけの声望もない。大方、阿野廉子辺りが作り上げた虚構の名目であろう。

 ……わしにとっては、初めての対等な『敵』だったな。

 武士だからだろうか。こんな形ではなく、もっと別の決着をつけたかった。

 広々とした青野原。坂東から駆け上ってきた自分の脇には、直義や師直、頼春たちがいる。対する大軍勢を率いるのは大塔宮。その側には、楠木正成や赤松円心がいる。

 尊氏が軍配を振るう。大塔宮が刀を抜き、先頭になって駆け出す。

 そんな風に、正面から競い合ってみたかった。

 こんな願いも、勝者の傲慢でしかないのだろう。それでも尊氏は、そう思わずにはいられなかった。

 籠は遠くなっていく。

 それが見えなくなるまで、尊氏はその場に立ち続けていた。

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