第7話 別の道
放課後の実技場。
俺は学校指定の実技着に着替え、訓練スペースの中央に立っていた。
目の前には、いつもの赤ジャージ姿の倉橋環先生。
そこまではいい。
問題は、その後ろだ。
制服姿の依織に、航平、直哉、ひより。四人そろって壁際に並び、どう見てもこれから始まる何かを見物する気満々である。
「……なんでお前らまでいるんだ?」
俺が聞くと、航平が腕を組んだまま当然のように答えた。
「篠原から聞いた。お前、今日から倉橋先生に見てもらうんだろ?」
「だからって全員で来る?」
「面白そうだったからな」
横から直哉がさらっと答える。
隠す気すらない。
ひよりも元気よく手を挙げた。
「私は、たまちゃんがちゃんと先生してるところ見たい!」
環先生がゆっくりそちらへ顔を向ける。
「私はいつもちゃんと先生だよ」
「うん!」
「その返事、絶対信じてないだろ」
最後に依織を見ると、長い黒髪を背中へ払いながらにこっと笑った。
「私は心配だから。邪魔はしないよ?」
「その後ろに三人連れて?」
「ついてきちゃった」
「遠足じゃないんだぞ」
まあ、環先生本人が追い返す気もないらしい。好きにさせることにして、俺は軽く肩を回した。
「それで先生、何するんです?」
「まず、いつも通りやってみて」
「いつも通り?」
「魔力を練って」
なるほど。
二週間あれば魔法を使えるようになるかもしれない。そう言われたばかりだけど、まずは現状確認かららしい。
俺は足を肩幅に開き、ゆっくり息を吸った。
身体の内側へ意識を向ける。
そこに魔力があること自体は分かっている。検査をすれば数値にも出る。
問題は、俺自身にはさっぱり分からないことだ。
身体の中にも、この実技場に大量に集められているはずの周囲の魔力にも、何の手応えもない。
それでも昔の感覚を思い出しながら、魔力を使おうと意識する。
やっぱり駄目か。
そう思ったところで、二の腕に何かが触れた。
「ん?」
環先生の手だった。
ぺたぺた。
二の腕を触ったかと思えば、今度は肩。そのまま俺の横へ回って、首筋の近くから背中、肩甲骨のあたりまで手を這わせていく。
「……先生?」
「そのまま続けて」
「いや、続けますけど」
今度は脇腹。
腰。
太腿。
触る。
とにかく触る。
「先生、これ魔力の診察ですよね?」
「そうだよ」
「だんだん健康診断にも見えなくなってきましたけど」
返事はない。
環先生は真顔のまま俺の手首を掴み、指先まで確かめ始めた。
なんなんだ、この診察。
ちらっと壁際を見る。
航平と直哉はなんとも言えない顔。ひよりは楽しそう。
依織は笑顔だった。
……どうしてだろう。
一番怖い。
「相馬くん」
「はい」
「今、何か感じる?」
環先生は俺の手首を持ったまま尋ねた。
「何かって、魔力ですか?」
「熱とか、痺れとか、流れてる感じとか。なんでもいいよ」
「何もないですね」
「身体の中も?」
「ないです」
先生が俺の腕から手を離す。
「昔は?」
「昔?」
「魔法を使えてた頃。魔力ってどう感じてたの?」
聞かれて、少し困った。
どうって。
「……普通に?」
環先生が俺を見る。
壁際の四人まで俺を見る。
なんだよ、その目。
「普通って?」
「使おうと思ったら、そこにあったというか。周りの魔力も、取ろうと思えば取れたというか」
「魔力の流れを意識して追ったりは?」
「ないですね」
環先生が少し首を傾げる。
「身体のどこに魔力があるか、一つずつ探す練習は?」
「それもないです」
「周囲の魔力を感じて、少しずつ取り込む基礎練習」
「……そんなのありました?」
今度こそ、後ろが静まり返った。
振り向くと、航平が口を半開きにしている。
「お前、マジで言ってんの?」
「何が?」
「それ、魔法覚える時に一番最初にやるやつだぞ」
直哉まで珍しく呆れた顔をしていた。
「俺でもやったぞ。目閉じて、自分の身体の中にある魔力を追いかけるやつ」
「私もやったよ!」
ひよりも胸の前で両手を握る。
「小さい頃、毎日やってた。今日は指まで分かったー、とか!」
「……俺、全然覚えてないんだけど」
三人の顔が引いた。
やめろ。
そんな珍獣を見るみたいな目をするな。
依織だけは何か思い出したらしく、懐かしそうに目を細めた。
「遼くん、最初からできちゃったからねぇ」
「俺?」
「うん。先生に教えてもらう前から、普通に魔法使ってたよ」
依織は顎へ指を添え、昔を思い出すように少し上を向く。
「最初に教室へ行った時も、『まず自分の魔力を感じてみましょう』って先生が説明してる横で、遼くん火を出してた気がする」
「俺、そんな嫌な子供だった?」
「すごく楽しそうだったよ?」
「余計駄目じゃん」
環先生がしみじみと頷く。
「天才だったんだねぇ」
「過去形が地味に刺さるんですけど」
でも、待てよ。
俺は先生へ向き直った。
「じゃあ、それじゃないですか?」
「何が?」
「俺が今、魔力を掴めない原因です。基礎をすっ飛ばして使えてたから、事故で感覚が飛んだあと、戻し方も分からないとか」
言ってみると、結構それっぽい。
後ろの三人も「なるほど」と言いたげな顔になった。
環先生は少し考えてから、
「いや、関係ないねぇ」
あっさり言った。
「何だよ! 言い損じゃねえか!」
航平が吹き出し、直哉も顔を逸らして肩を揺らす。
環先生はまるで気にせず、俺の周りをもう一周した。
「だって昔は使えてたんでしょ?」
「使えてましたけど」
「なら、基礎練習をしてなかったこと自体は問題じゃないよ。ただ、本人が昔どうやってたか説明できないから、こっちが調べるのはちょっと面倒」
「それ先に言ってくださいよ」
真剣に自分の幼少期を反省した時間を返してほしい。
環先生は俺の肩へもう一度手を置き、しばらく黙った。
それから、ぽんと手を離す。
「ほい。だいたい分かったよ」
「分かったんですか?」
「うん」
思ったより早い。
俺が一歩近づく。
「何が分かったんです?」
「それはあとで」
「なんでです?」
先生は眼鏡を押し上げた。
「相馬くん、悪いけど一回着替えてきてくれる?」
「はい?」
「そのあと、うち来て」
今度は全員が止まった。
「……先生の家?」
「うん」
環先生は俺たちを順番に見て、それから何でもないことみたいに付け足した。
「みんなも来る?」
「行きます」
依織が即答した。
「早いな、おい」
航平と直哉も顔を見合わせて頷き、ひよりはもう行く気満々である。
俺の個人指導だったはずなのに、いつの間にか社会科見学みたいになっていた。
まあいい。
先生の家でしかできない何かがあるんだろう。
この時の俺は、普通にそう思っていた。
◇ ◇ ◇
「……ここですか?」
「うん」
学校から歩いてしばらく。
俺たちは、二階建ての古いアパートの前に立っていた。
外壁はところどころ色が褪せ、階段にもかなり年季が入っている。別に住めないほどじゃないけど、物理教師の自宅として想像していたものよりは、だいぶ渋い。
環先生が階段を上り、端の部屋の前で鍵を取り出した。
「いや~、ごめんねぇ。ちょっと散らかってるけど」
「別にそれくらい――」
鍵が開く。
扉が開く。
俺たちは中を見た。
「…………」
誰も動かなかった。
散らかってる。
先生は確かにそう言った。
でも俺が知ってる「散らかってる」と、先生が知ってる「散らかってる」は、どうやら違う言語らしい。
床には服、本、段ボール、空になった菓子箱、よく分からない資料、何かの部品、そしてまた本。
その隙間に、かろうじて人間一人が通れそうな道が一本だけ伸びている。
「先生」
「なに?」
「ここ、地震ありました?」
「ないよ」
後ろで航平が顔を引きつらせた。
「これで?」
直哉が部屋の奥を覗き込み、静かに首を振る。
「地震のせいにするのは地震に失礼だろ」
「たまちゃん……」
ひよりだけは本気で心配そうだった。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるよ」
昼に校舎裏で草摘んでたけどな。
依織もさすがに驚いたらしく、長い黒髪を耳へ掛けながら部屋の中を見回している。
「先生、どこで寝てるんですか?」
「あそこ」
指差した先に布団らしきものが見えた。
半分埋まっている。
救助が必要なんじゃないか、この部屋。
「とりあえず入って」
「どこ踏めばいいんです?」
「適当に」
「一番信用できない指示だな!」
結局、五人で足元の物を避けたり端へ寄せたりしながら進んだ。
部屋の中央にローテーブルらしきものがあったので、まずそこから発掘する。
本を積む。服を畳む。空き箱をまとめる。
途中、航平が謎のコードを持ち上げた。
「先生、これどこです?」
「その辺」
「その辺を今片付けてるんです!」
十分ほどかかって、ようやくテーブルの周囲に人間が座れるだけの空間ができた。
なんで俺たち、魔法の特訓に来て部屋の掃除してるんだろう。
全員がテーブルを囲んで座ると、環先生だけは何事もなかったように本の山から紙とペンを引っ張り出した。
「じゃあ始めようか」
「何事もなかったみたいに始めるんですね」
「時間ないからね」
「主に掃除で減ったんですけど」
聞かなかったことにされた。
環先生は白い紙へ丸を一つ描く。
「相馬くん。魔法って、どうやったら出ると思う?」
「いきなり小学生みたいな質問来たな」
「基礎練習やってない人には、ここから」
「まだ引っ張るんですか」
後ろで航平たちが笑う。
俺は軽く息を吐いてから答えた。
「自分の魔力と、周りから取り込んだ魔力を混ぜて練る。それを使いたい魔法の形にする」
「うん。だいたい正解」
環先生が紙へ簡単な図を書き始める。
身体の中。
身体の外。
二つの丸から線を引き、中央で重ねた。
「今の魔法は、基本的に自分の魔力だけで使ってるわけじゃない。身体の中にある魔力と、大気や地面にある魔力を取り込んで混ぜる」
「実技場の設備も、そのためですよね」
「そう。周りの魔力を濃くして、取り込みやすくしてる」
そこまでは分かる。
何度も授業で聞いた話だ。
環先生は紙の外側に描いた丸を、ペン先でこんこんと叩いた。
「たぶん相馬くんが壊してるのは、ここ」
俺も紙を覗き込む。
「大気中の魔力?」
「正確には、それを感じ取る方。便宜上、感覚器官って呼ぶけど、本当に身体のどこかに専用の臓器があるって話じゃないよ」
先生が今度は俺を指した。
「君、大気中の魔力が分からないでしょ?」
「はい」
「だから流れが読めない。流れが読めないから掴めない。掴めないから取り込めないし、自分の魔力とも混ぜられない。その結果、練ることも魔法として満たすこともできない」
俺は紙を見つめた。
一番最初で詰まっているせいで、その先が全部動かない。
「でも、身体の中の魔力も俺には分からないんですよね?」
「うん。ただ、なくなってるわけじゃない。検査にも出てるしね」
先生は今度は紙の内側の丸をペン先で叩いた。
「たぶん君は、自分の中にある魔力だけを拾って動かすやり方を知らないんだと思う。外の魔力と一緒に使えてた時は、それで困らなかったから」
「ああ……」
魔力はある。
でも今の俺には、それだけを掴んで動かす方法が分からない。
「でも先生、なんでそんなことまで分かるんです?」
顔を上げると、環先生はごく普通のことみたいに答えた。
「魔力を練ってる人って、自分の魔力と外の魔力が反応して光るんだよ」
「……光る?」
その言葉に、何かが引っかかった。
『……光らないねぇ』
「……あ」
あの時だ。実技場で、ひよりに頭を撫で回されながら先生が呟いていた。
「先生。前に言ってた『光らない』って、これのことですか?」
「うん」
やっと繋がった。
俺は依織を見る。
「見える?」
「見えないよ?」
依織が首を横に振る。
航平にも聞いてみると、「見たことねえ」と即答。直哉も首を振り、ひよりは自分の手のひらをじっと見つめ始めた。
「私も見えない」
全員の視線が環先生へ戻る。
先生は無表情のまま眼鏡を押し上げた。
「私は見えるよ」
「なんで?」
「いっぱい見てたら、見えるようになった」
「そんな雑な進化あります?」
「ある」
断言された。
この先生の理論、たまに急に怪しくなるな。
環先生は紙へ視線を戻した。
「普通の人が魔力を練ると、自分の魔力と外の魔力が反応して、薄く光って見える。でも今日の相馬くんには、それがまったくなかった」
「全然?」
「全然。身体の中に魔力はちゃんとある。でも外と繋がってない」
そこで――俺の中で別の何かも繋がった。
「……ん?」
腕。
肩。
背中。
腰。
太腿。
さっき実技場で、この人がベタベタ触ってきた場所が次々と蘇る。
俺はゆっくり顔を上げた。
「先生」
「なに?」
「それ、見れば分かるんですよね?」
「うん」
「じゃあ、さっき実技場で俺の身体をあんなに触ってたの、何だったんです?」
静かになった。
航平が環先生を見る。
直哉も見る。
ひよりも見る。
依織まで見る。
環先生は黙っていた。
「…………」
そして。
それまでほとんど動かなかった口元が、ゆっくりと吊り上がった。
にちゃあ。
そんな音が聞こえそうなくらい、邪悪な笑みだった。
初めて見た。
この先生、こんな顔できるのか。
「…………若い男の子の、まだ発育途中の身体っていいよねぇ」
「おい、このセクハラ教師!」
航平が盛大に噴き出し、直哉はとうとうテーブルへ額をつけた。
ひよりが「たまちゃん……」と本気で残念そうな声を出す。
そして依織。
笑ってる。
すごく綺麗に笑ってる。
目だけ笑ってない。
「先生?」
「冗談だよ」
環先生は一瞬でいつもの無表情に戻った。
「戻るの早っ!」
「話戻すね」
「戻れるんですか、この空気から!」
強い。
いろんな意味で。
環先生は何事もなかったように、紙へ新しい丸を書き始める。
「相馬くんの問題は、だいたい分かった。でも壊れてる感覚を二週間で元に戻すのは無理」
さっきまで笑っていた空気が、少しだけ静かになった。
俺も姿勢を戻す。
「……やっぱり治せないんですか?」
「少なくとも私は無理だねぇ。長い時間をかけて、もう一度外の魔力を感じる練習はした方がいいと思う。でも、それで戻る保証もない」
環先生はそこでペンを止めた。
「だから、二週間はそっちを使わない」
「使わない?」
「大気中の魔力」
思わず眉を寄せる。
「でも、それが使えないから魔法が――」
「今の人はね」
先生が人差し指を立てた。
「昔の人は違った」
「昔?」
「かなり昔。今みたいに外の魔力を取り込む方法が上手くなかった頃」
環先生は紙の外側に描いた丸へ、大きくバツをつけた。
「昔の人たちは、大気中の魔力を取り込むのが苦手だったんだ。だから基本的に、自分の身体にある魔力だけで魔法を発動させるしかなかった」
航平が少し身を乗り出す。
「それで魔法出せるんですか?」
「出せるよ。ただし、ものすごく効率悪いけど」
「じゃあ、どうやって?」
俺が聞くと、環先生は少し考えてから両手を持ち上げた。
「そうだなぁ。相馬くん、手印って知ってる?」
「聞いたことはあります」
先生が指を組み合わせる。
見慣れない形だった。
「例えばだけど、火ならこう」
指の位置を変える。
「水ならこう」
また別の形になった。
「昔の人は、自分が使いたい魔法に合わせた決まった形を作って、それをきっかけに自分の魔力を魔法へ変えてたんだ」
ひよりがさっそく真似しようとして、両手の指を絡ませた。
そして戻らなくなったらしい。
一人で困っている。
直哉が先生の手元を見ながら尋ねた。
「手じゃなきゃ駄目なんですか?」
「ううん。手だけじゃないよ」
環先生は首を横に振って、俺たちを見回す。
「君たち、大会で技名叫ぶでしょ?」
一瞬、全員が黙った。
……叫ぶな。
俺も昔は普通にやっていた。
今思い返すと、ちょっと恥ずかしい名前もあった気がするけど、今は掘り返さないでおこう。
「技名も同じようなもの。言葉でもいい。手の形でも、決まった動作でも、呼吸でも、姿勢でもいいんだよ」
先生は人差し指でテーブルを軽く叩いた。
「これをしたら、この魔法を使う。そう身体と魔力に覚え込ませて、魔法を形にするきっかけを作る」
直哉が顎へ手を当てた。
「発動のスイッチみたいなものか」
「そう。魔法を発動させるキー」
そこでようやく、先生が何を言いたいのか分かった。
俺は少し身を乗り出した。
「じゃあ先生――」
「うん」
環先生が頷く。
「相馬くんに合ったキーを見つける」
先生の人差し指が、今度はまっすぐ俺を指した。
「大気中の魔力は使わない。感じなくていい。君の身体の中に今ある魔力だけを使って、直接魔法を発動させる」
「でも、俺はその中の魔力も自分じゃ掴めないんですよね?」
「だからキーを使うんだよ」
先生は自分の胸元を、人差し指で軽く叩いた。
「自分で一つずつ探して動かすんじゃなくて、決まった動作や言葉をきっかけにして、身体の方から直接動かす。昔の人がやってた方法を、相馬くん用に探す」
自分で開けられないなら、別の場所からスイッチを押す。
そういうことか。
「……俺にも、できるんですか?」
「たぶんね」
相変わらず軽い。
でも、この人が何も考えずに言ってるわけじゃないことくらいは、もう分かっている。
環先生はもう一本、指を立てた。
「ただし、自前の魔力だけだから燃費は最悪だよ。昔みたいにいろんな魔法を次々使って、長時間戦うなんてまず無理」
昔みたいに何でも使って、相手を見ながら切り替えて、その場で一番いいものを選ぶ。
俺が一番得意だった戦い方は、もうできない。
でも、今はそんなことどうでもよかった。
もう一度、魔法が使える。
気づけば、膝の上に置いていた手を強く握っていた。
「それでもいいです」
環先生が俺を見る。
俺は握った拳に、もう少しだけ力を込めた。
「魔法が使えるなら、それでいい」
二年近く、何をやっても動かなかった。
だったら昔と同じ道じゃなくてもいい。
別の道があるなら――そっちを走ればいい。
お読みいただきありがとうございます。
全13話執筆済みです。毎日1話ずつ更新予定です。




