第6話 勝手に決めるな
放課後。
帰りのホームルームが終わった途端、教室は一気に騒がしくなった。部活へ走る奴、友達とだべり始める奴、机に突っ伏して帰る気配のない奴。
俺もさっさと帰ろうと、机の中の教科書を鞄へ放り込んでいく。その途中で、昼休みに久我から聞いた話がふと頭をよぎった。
中一で俺に負けて、それから二年以上、炎一本。
俺に勝つために。
改めて考えても、やっぱり面倒くさい奴である。
「久我くん、ずっと遼くんを追いかけてたんだね」
横から飛んできた声に、ファスナーを閉めかけた手が止まった。
顔を上げると、依織が長い黒髪を肩の後ろへ払いながら、何でもない顔でこっちを見ている。
「……なんで知ってんの?」
「聞いてたから」
「どこで?」
「校舎裏の花壇の横。茂みのところ」
「いたのかよ」
昼に俺と久我が話していたベンチのすぐ近くだ。まったく気づかなかった。
依織は少し頬を膨らませる。
「だって、久我くんが遼くんに余計なことしそうだったら止めようと思って」
「余計なことって?」
「いろいろ」
にこっと笑ったまま、右手だけがぎゅっと拳を作る。
今日の昼に見た、頭を包帯でぐるぐる巻きにした久我が脳裏を横切った。
「……命拾いしたな、久我」
「ちゃんと話してたから、何もしなかったよ?」
「何もしない判定でよかったな、あいつ」
本人が知らないところで、危うく包帯を追加されるところだったらしい。
俺は鞄のファスナーを閉めながら、ふと思い出す。
「そういや、お前は最初から久我のこと知ってたよな」
「うん。有名だよ」
「有名?」
依織は机に軽く腰を預けると、指を折りながら話し始めた。
「うちにも魔法戦の推薦で入ってるし、中学の頃から大会で何度も上まで残ってるよ。優勝した大会もあるし、同学年で競技やってる人なら知ってる人、多いと思う」
「……そんな強かったのか、あいつ」
昼に聞いたのは炎一本に絞ったって話だけで、その後どこまで結果を出したのかまでは知らなかった。
推薦でこの学校に入り、大会でも結果を残している。つまり、二年以上炎を出して遊んでいたわけじゃない。ちゃんと強くなっている。
「遼くん、本当に知らなかったんだね」
依織が可笑しそうに目を細めた。
「昼にやっと思い出したくらいだからな。『炎の奴』って」
「それ、本人に言ったの?」
俺が頷くと、依織は案の定という顔で笑った。
「怒ったでしょ?」
「怒った。結構本気で」
「やっぱり」
小さく肩を揺らして笑われた。
まあ、俺だって逆の立場なら少しくらい腹は立つ。
たぶん。
俺は机に腰を預ける。
二年以上、一つだけ磨いて、推薦を取るくらい勝ってきた。
じゃあ今、久我はどんな選手になってるんだろう。
昼にはそこまで聞かなかったし、本人も細かく話さなかった。ちょっと見てみたい気はする。
そう思ったところで、教室の前の扉が開いた。
「相馬」
噂をすれば金髪。
頭には昼と同じ包帯、サングラスも健在だ。
久我は教室へ入るなり俺を見つけ、その隣にいる依織を見てぴたりと止まった。
「……篠原いるじゃねえか」
「いるよ?」
依織がにっこり笑って手を振ると、久我の身体がほんの少し後ろへ引いた。
分かりやすい。
昨日の傷、頭より心に残ってるな。
「相馬。ちょっと廊下来い」
「なんでだよ」
「ここ危ねえから」
「本人の前で言ってんじゃねえか」
依織の笑顔が、ほんの少し深くなる。
「久我くん?」
「何も言ってません!」
速い。
昨日で完全に学習している。
「で、何しに来たんだ?」
俺が机に片手をつくと、久我は一度咳払いし、さっきまでの怯えた顔を引っ込めた。
昼休みの最後に見せたのと同じ、真っ直ぐな目で俺を見る。
「相馬。俺と勝負しろ」
「嫌だ」
「早えよ!」
考える必要ないだろ。
俺は肩へ掛けかけていた鞄を机へ戻した。
「昼にも言ったけど、俺、今まともに魔法使えないんだぞ。それで何をどう勝負するんだよ」
「だから昼に話して決めたんだ。やっぱ一回やる」
「話の着地点おかしくない?」
久我が俺の机へ片手をつき、ぐっと身を乗り出した。
「お前、もう競技を諦めたわけじゃねえんだろ?」
鞄の紐を掴んでいた手が少し止まる。
諦めたと言ったことはない。実技で何も感じられなくても毎日やってるし、駄目なら次、今日駄目なら明日で一年以上続けてきた。
「……まあ、諦めてはいないけど」
「だったらやろうぜ」
「だから一段飛ばしてんだよ」
俺は久我の頭の包帯を指差した。
「お前、推薦で入ったくらい強いんだろ?」
久我が眉を上げる。
「知ったのか?」
「さっき依織から聞いた。大会でも結構勝ってるんだって?」
「まあな」
「余計無理だろ。今やったら、魔法使えない俺を推薦選手のお前が一方的にボコるだけだぞ」
久我が盛大に顔をしかめた。
「言い方が最悪だな!」
「でも合ってるだろ」
「じゃあ、いつならやれる?」
「知らねえよ」
「一週間」
「知らねえって」
久我は腕を組んでしばらく考え込み、少し真面目な顔で言った。
「……じゃあ二週間」
「なんで一週間刻みなんだよ」
「二週間ならいいよ」
今度は、俺でも久我でも依織でもない声だった。
三人そろって振り返る。
教室の後ろには、赤いジャージ姿の小柄な倉橋環先生が立っていた。眼鏡の奥はいつも通り無表情で、しかも片手にはなぜか草の束まで抱えている。
情報量が多い。
「……何がですか?」
俺が聞くと、先生は瞬き一つせず答えた。
「勝負。二週間後」
「いや、俺まだ受けてませんけど」
「今、受けた」
「受けてません」
「じゃあ受けたことにする」
「教師が生徒の意思を捏造しないでください」
すると横から、久我があっさり頷いた。
「俺は二週間後でいいぜ」
「お前も乗るな!」
環先生は久我を見上げ、こくりと頷く。
「じゃあ決まり」
「だから決まってない!」
俺の試合なのに、俺だけ完全に蚊帳の外である。どういうことだ。
久我はもう成立したものと思っているらしく、満足そうに口元を上げた。
「二週間後な、相馬。逃げんなよ」
「だから受けてねえって言ってんだろ!」
「じゃあな」
「聞けよ!」
久我は言いたいことだけ言って、さっさと教室を出ていった。
包帯を巻いた金髪が扉の向こうへ消えるのを見送ってから、俺はゆっくり環先生へ向き直る。
「……先生。何、勝手に決めてるんですか」
「二週間後の試合?」
「それ以外に何があるんです?」
先生は草の束を胸の前で持ったまま、少し首を傾げた。
「大丈夫だと思ったから」
「何がです?」
「君」
「俺が? いや、俺、魔法使えないんですけど」
「知ってる」
知ってて決めたのか。
余計駄目だろ。
そこで、さっきから視界に入り続けているものがどうしても気になった。
「……というか先生、それ何ですか?」
「食べられる草」
「なんで持ってるんです?」
「校舎裏で摘んでた」
校舎裏。
俺の中で何かが繋がった。
「まさか、昼の俺と久我の話も聞いてました?」
「うん。花壇の横の茂みで」
俺は無言で依織を見る。
依織も、ちょっと驚いた顔で環先生を見ていた。
「先生もいたんですね。全然気づきませんでした」
「私も気づかなかった」
「同じ茂みに潜んでて?」
二人とも頷く。
なんなんだ、あの茂み。
一人は俺を見張りに来て、一人は夕飯を採りに来ていたらしい。用途の幅が広すぎる。
俺は環先生が持っている草へ目を落とした。
「……生活苦しいんですね、先生」
「今月ちょっと厳しい」
淡々と返された。
教師が校内で食料を自給してる理由なんて、聞くんじゃなかった。
環先生は草を片手に、てくてく俺の前まで歩いてくると、眼鏡の奥からじっと俺を見上げた。
実技の時にも思ったけど、この先生、人を見る時だけ妙に真剣なんだよな。
「相馬くん。二週間あれば、たぶん魔法は使えるようになると思う」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……俺が?」
「うん」
さっきまで出ていたツッコミが、そこで全部止まる。
「本当に?」
気づけば、すぐに聞き返していた。
環先生は相変わらず淡々としている。
「使えるようにはなると思う。ただ、勝てるかどうかは分からない」
「そこは保証してくれないんですね」
「久我くん、強いから」
さらっと言われた。
まあ、それはそうだ。向こうは推薦でこの学校に入り、大会でも結果を出している。こっちは今日も魔力を一ミリも感じられなかった男だ。
二週間後には勝てます、と言われた方がむしろ怪しい。
「それに、昔みたいに自由に魔法を使えるようになるって意味でもないよ。でも、戦えるところまでは持っていけると思う」
胸の奥が、少しだけ跳ねた。
身体は治ったし、一年近くリハビリもした。病院にも通った。それでも魔力だけは戻らず、今日だって駄目だった。
それをこの先生は、二週間で魔法を使えるところまでは持っていけると言う。
全部元通りになるわけじゃない。勝てる保証もない。
それでも、魔法は使える。もう一度、戦える。
そこまで言われて何も感じないほど、俺は諦めがよくない。
「……何するんです?」
俺が少し身を屈めて聞くと、環先生は顎を上げた。
「まず、君を見る」
「もう結構見られてますけど」
「ちゃんと見る」
「言い方がちょっと怖いんですよ」
隣で依織がくすっと笑う。
環先生は気にした様子もなく、草の束を抱え直して教室の扉へ向かった。
「実技場、来て。そこから考える」
俺はその小さな背中を見送った。
二週間後、推薦で入った久我と試合。
今の俺は魔法すらまともに使えないし、普通に考えればかなり無茶だ。
でも、魔法が使えるようになるかもしれない。だったら、やる前から寝転がる趣味はない。
「……まあ、どうせ勝手に試合まで決められたしな」
鞄を持ち直すと、依織が嬉しそうに笑った。
「頑張ろうね、遼くん」
「お前は何もするなよ。特に久我の頭に」
「分かってるよ?」
笑顔のまま、右手がまた拳を作っている。
「その手を開いてから言え」
依織が素直にぱっと手を開いた。
よし。
とりあえず一人の安全は確保した。
あとは俺だ。
二週間。
久しぶりに、締め切り付きの無茶が始まった。
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