第5話 面倒くさい奴
翌日の昼休み。
昨日は依織の弁当があったが、毎日出てくるほど世の中は甘くない。今日は普通に購買である。
財布を片手に廊下を歩いていると、前方にやたら目立つ金髪を見つけた。
昨日と同じサングラスに、着崩した制服。ただし頭には、昨日までなかった包帯がぐるぐる巻かれている。
「……生きてたか」
俺が声をかけると、久我はゆっくり振り返り、包帯の端を忌々しそうに指で叩いた。
「第一声がそれかよ。逃げなきゃ死んでたんだよ」
「昨日、依織が血まみれで帰ってきたけど。あれ、お前の?」
「見りゃ分かんだろ!」
ああ、やっぱり。
久我は盛大に顔をしかめると、俺の肩を指で突いた。
「お前さあ、飼い主ならちゃんとリードつけとけよ。放し飼いにすんな、あんな猛獣」
「誰が飼い主だ。あと本人の前でそれ言うなよ。次は包帯じゃ済まないぞ」
「言うわけねえだろ! 俺だって命は惜しいわ!」
昨日一日で、ずいぶん学習したらしい。
周りを通る生徒がちらちらこちらを見ていることに気づいたのか、久我はサングラスを押し上げながら廊下の奥を顎で示した。
「ここじゃ目立つな。ちょっと来いよ」
「ちょうどいい。俺も聞きたいことあったし」
購買はあとでも間に合うだろう。
たぶん。
俺たちは校舎裏へ回った。
昼休みでも、ここまで来る生徒はほとんどいない。壁際には自動販売機とベンチが並び、校庭から運動部の声だけが遠く聞こえてくる。
久我が自販機で缶ジュースを買ったので、俺も一本買う。
缶を開けて一口飲み、そのまま本題に入った。
「で、お前、俺のこと知ってるだろ」
久我の手が止まる。
「……何の話だよ」
「昨日、自分で言ったじゃん。『マジで今こんなんなのかよ』って。初対面の奴がする言い方じゃないだろ」
缶を口元まで持ち上げたまま、久我が黙った。
俺も急かさず待っていると、やがて諦めたように息を吐く。
「……やっぱバレたか」
「バレるわ」
本気で誤魔化せてると思ってたのか。
久我はばつが悪そうに顔を逸らし、ぽつりと名前を口にした。
「久我水樹」
「ん?」
「俺の名前。久我水樹。これでもまだ分かんねえ?」
言われて、頭の中の古い大会記録をひっくり返す。
久我水樹。金髪はたぶん昔からじゃないし、顔だって今より幼かったはずだ。
大会、ジュニア、久我水樹――。
「…………」
「おい」
久我の眉がぴくっと動いた。
「待て。今探してる」
「探すな! 普通すぐ出てくるだろ!」
「俺、大会かなり出てたんだぞ。対戦相手全員覚えてるわけないだろ」
「俺をその他大勢に入れんな!」
えらく傷ついている。
二年以上前の話なんだから、少しくらい猶予をくれてもいいと思う。
久我は頭を抱えようとして、包帯に触れかけた手を慌てて引っ込めた。
「中一の時だよ! お前と一回戦っただろ! 俺が炎飛ばして、最後お前に懐入られて――」
「あ」
そこで繋がった。
「思い出した。炎の奴!」
「炎の奴って覚え方やめろ!」
「いや、でもお前、あの頃も炎使ってただろ?」
「使ってたけど、他も使ってたわ!」
そうだった。
思い返してみれば、あの頃の久我は炎だけを使う選手じゃなかった。身体を強化して距離を詰めたり、守りに回ったり、その場に合わせて普通に戦い方を変えていた。
最後は俺が懐へ入って勝った。
そこまで思い出すと、久我がじろりと睨んでくる。
「やっと思い出したかよ」
「悪い悪い。髪も違うし、サングラスなんてしてなかったし」
「二年もありゃ人は変わるんだよ」
「サングラス方向に?」
「そこはいいだろ!」
結構気に入ってるらしい。
久我はベンチへ腰を下ろし、背もたれに腕を掛けて缶を傾けた。
「俺は覚えてたぞ。ずっと」
さっきまでとは、少しだけ声が違った。
俺も隣へ腰を下ろす。
「当時のお前、マジでムカつくくらい何でもできたからな」
「褒めてる?」
「褒めてねえ」
即答だった。
久我は缶を持った手で俺を指す。
「近づけば近接で返してくる。距離取れば普通に撃ってくる。速いし、守れるし、こっちが戦い方変えても、二回目にはもう対応してくる。何やっても駄目だった」
「ああ……」
言われてみれば、昔の俺はそういうのが得意だった。
一つの形にこだわるより、相手を見て、その場で一番やりやすい方法を選ぶ。風が使いやすければ風、近づいた方が早ければ近づく。相手が接近戦を嫌がるなら追いかけるし、逆なら距離を取る。
自分で言うのもなんだけど、あの頃の俺は大体のことができた。
久我は缶を膝の上で転がしながら続ける。
「それで思ったんだよ。全部できる奴に、全部で勝とうとしても無理だって」
「ずいぶん早く諦めたな」
「違えよ」
久我の口元が吊り上がった。
「全部で勝つのを諦めただけだ。一個でいい。何か一個、お前より上に行けばいい」
そう言って、右手を開く。
「だから俺は、炎に決めた」
「炎一本?」
「ああ。あの試合からずっとな」
中一からなら、もう二年以上になる。
その間ずっと、一つだけ。
俺みたいに使えるものを片っ端から使うタイプからすると、かなり極端だ。でも、だからこそちょっと気になった。
こいつの炎が、今どうなっているのか。
「結構思い切ったな」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「俺のせいにするなよ」
「お前に勝つためだっつってんだろ!」
知らんところで進路変更の原因にされていた。
責任が重い。
久我は一度笑ったあと、缶に視線を落とした。
「で、やっと形になってきた頃に、お前が消えた」
笑いが少しだけ薄れる。
事故のあと、俺は大会に出なくなった。
俺にとっては、身体を治して、リハビリして、魔力感覚を戻そうとして、その続きを毎日やっていただけだ。
でも外から見れば、ある日を境に突然いなくなったようなものだったんだろう。
「事故ったって話は聞いた。復帰するって噂もあったし、もう駄目だって話もあった。どれが本当か分かんなかった」
「それで昨日、知らないふりしてたのか?」
「ああ。実際に見たかったんだよ」
久我はサングラスを少し押し上げ、その奥から真っ直ぐ俺を見る。
「本当に今のお前が、相馬遼なのか」
「名前まで確認しておいて?」
「うるせえな」
少し恥ずかしかったらしい。
すぐにサングラスを戻す。
「それに、お前が俺を覚えてるかも見たかった」
「そこは悪かった」
「即答すんな。余計腹立つ」
思わず笑う。
でも久我は笑わなかった。
少しだけ間を置いて、低い声で言う。
「……俺が追いかけてた相馬遼は、こんなんじゃねえ」
今度は俺の口が止まった。
昨日も似たようなことを言われた。でも、今度は意味が違う。
「そりゃそうだろ」
俺は缶を膝の上へ置いた。
「好きでこうなったわけじゃない」
久我が黙る。
「事故って、身体治して、一年近くリハビリした。それでも魔力の感覚だけ戻らなかった。高校入ってからだって毎日やってるよ。今日の実技も、相変わらず何も感じなかったけどな」
言ってから、我ながら景気の悪い話だと思った。
なので少し笑う。
「昔の俺がどんなだったかなんて、お前より俺の方が覚えてる。毎日嫌でも比べられるし」
昔ならできたことが、今はできない。身体も頭も動くのに、魔法だけが動かない。
そんなこと、他人に教えてもらわなくても毎日分かってる。
「俺だって、事故ってからずっと寝転がってたわけじゃねえよ」
思ったより強い声が出た。
久我はしばらく何も言わなかった。
それから、ふっと鼻を鳴らす。
「知らねえよ」
「おい」
こっちはわりと真面目に話したんだぞ。
久我は俺の顔を見ると、悪びれもせず続ける。
「お前が一年頑張ったとか、事故だったとか、俺には関係ねえ。俺は別に励ましに来たわけじゃねえし、可哀想だなって言いに来たわけでもない」
そう言って、ベンチから身体を起こす。
「俺はお前を倒したかったんだよ」
まっすぐだった。
同情も慰めもない。
本当に、それだけらしい。
「何年も炎やってきた。次に会ったら絶対ぶっ倒すって思ってた。それなのに勝手にいなくなって、やっと会えたと思ったら魔法が使えねえ?」
久我の眉間に皺が寄る。
「ふざけんなって思うだろ、普通」
「普通ではないと思う」
「うるせえ」
でも、ようやく少し分かった。
昨日、こいつが俺をじっと見ていた理由だ。
馬鹿にしてたんじゃない。自分がずっと追いかけてきた相手が、本当にここにいるのか確認していたんだ。
それで出てきたのが、期待していたものとは全然違う今の俺。
そりゃ腹も立つ。
いや、普通は立たないか。
やっぱりこいつが変だ。
「お前、面倒くさいな」
「今それ言うか?」
「だって面倒くさいだろ。二年以上前に一回戦った相手に、勝手に炎一本に絞って、勝手に追いかけて、勝手に怒ってんだぞ」
「お前な……!」
久我のこめかみに青筋が浮く。
しばらく睨み合ったあと、先に久我が吹き出した。
「……まあ、そうかもな」
認めるんだ。
久我は飲み終わった缶を軽く放る。
缶は綺麗な弧を描いて、少し離れたゴミ箱へ入った。
「でも俺は、まだ諦めてねえから」
「何を?」
「お前に勝つのをだよ」
久我は立ち上がると、両手をポケットへ突っ込んだ。
「今のお前がどうだろうが知らねえ。俺は勝手に待つし、勝手に追いかける」
「ほんと勝手だな」
「そのうち戻ってこいよ、相馬」
「簡単に言うな」
「簡単じゃねえから言ってんだよ」
それだけ言って、久我は校舎へ向かって歩き出した。
数歩進んだところで、ふと思い出したように振り返る。
「あと篠原には言っとけ」
「何を?」
久我は自分の頭に巻かれた包帯を指差した。
「次やったら警察呼ぶって」
「自分で言えよ」
「嫌に決まってんだろ!」
そこは即答だった。
そのまま久我は校舎の中へ消えていく。
俺はベンチに座ったまま、遠ざかる金髪を見送った。
炎一つを、二年以上。
俺に勝つために。
知らないところで、ずいぶん面倒な奴に目標にされていたらしい。
でも、悪い気はしなかった。
戻れるかどうかなんて、まだ分からない。だったら、分かるまでやればいい。
今日駄目ならまた明日。今までも、それしかやってこなかった。
俺は残っていたジュースを飲み干し、空き缶を捨てて立ち上がる。
さて。
昼飯を買いに行かないと。
久我のせいで、購買のパンが残ってるか怪しくなってきた。
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