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もう一度、君に追いつくまで  作者: ヤソタケル


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3/13

第3話 見えるもの、見えないもの

教室に入った瞬間、何人かの視線がこっちへ向いた。


正確には俺じゃない。隣を歩く依織だ。


「篠原さん、おはよう! 昨日の大会見たよ!」


「優勝おめでとう!」


「ありがとう。おはようございます」


依織は慣れた様子で笑顔を返していく。


そのまま自分の席へ向かうのかと思ったら、なぜか俺の後ろをついてきた。


「お前、席あっちだろ」


振り返って指差すと、依織は長い黒髪を揺らして首を傾げた。


「知ってるよ。みんなに挨拶しに来たの」


「ああ、なるほど」


俺の席の周りには、すでに見慣れた三人が集まっていた。


「おー、篠原。久しぶり」


真っ先に片手を上げたのは航平だ。


俺より一回り肩幅が広く、声も反応もだいたい大きい。黙っていれば頼れそうなのに、口を開くとその印象がちょっとだけ崩れる。


その隣では、細身の直哉が椅子の背にもたれながら笑っていた。


「昨日テレビで見た人が、翌朝普通に教室にいると変な感じするな」


こっちは何をするにも一歩引いているくせに、面白そうなことには必ず首を突っ込んでくる。


そして最後の一人。


ひよりは依織を見つけた瞬間、椅子からぱっと立ち上がった。


「依織ちゃん! 昨日の試合、見たよ! 最後の踏み込み、すっごかった!」


肩のあたりまである髪を弾ませ、目をきらきらさせて身を乗り出す。表情も動きもころころ変わるので、何を考えているか一番分かりやすい奴だ。


「ありがとう、ひよりちゃん」


「その前の切り返しも! あれって最初から狙ってたの?」


「あれは相手の動きを見てからだよ。最初はもう少し外から回るつもりだったんだけど――」


依織が説明を始めると、ひよりは何度も大きく頷いた。


一応、二人はもう友達だ。


ただ、ひよりの場合、その友情の下にかなり分厚い『篠原依織ファン』が敷かれている。


本人を前にして普通に試合の感想を言えるようになっただけ、入学した頃よりはだいぶ進歩したと思う。


「朝から濃いなあ」


俺が鞄を机の横へ掛けると、航平が俺と依織を交互に見た。


「そういや、お前ら一緒に来たのか?」


「そうだけど」


何気なく答えると、依織も俺の隣で頷く。


「今朝、遼くんの家に行ったから」


航平の太い眉がぴくりと上がった。


直哉も笑ったまま少し首を傾け、ひよりまで依織との魔法戦談義を止める。


なんだ、その反応。


「朝から家に?」


「うん。遼くんを起こして、それから一緒に来たの」


三人の視線が揃って俺へ向く。


嫌な予感しかしない。


俺は椅子を引きながら、先に釘を刺しておいた。


「言っとくけど、うちの親が入れたんだからな」


「ベッドまで起こしに行ったよ」


「お前はなんで余計な情報を足すんだ!」


依織はきょとんとしている。


航平は片手で額を押さえ、直哉は口元を隠して肩を震わせた。ひよりも俺と依織を交互に見ながら、なんとも言えない顔をしている。


やがて航平が大きく息を吐いた。


「なあ。俺、前からずっと聞きたかったんだけどさ」


「なんだよ」


「お前ら、なんで付き合ってないの?」


知らんがな。


俺は椅子へ腰を下ろし、机に肘をついた。


「なんでって言われてもなあ」


「ねえ?」


なぜか依織が俺に同意を求めてくる。


「なんで俺を見るんだよ」


「私にも分からないから」


「それは俺も同じ」


航平が勢いよく机を叩いた。


「そこ二人で納得するところじゃないだろ!」


直哉がとうとう堪えきれず、声を出して笑う。


「でも俺も航平に一票かな。朝から家まで迎えに来て、寝室まで起こしに行く幼馴染って、だいぶ仕上がってるぞ」


「何がだよ」


「幼馴染として」


「仕上がるってなんだ」


そんな完成形は知らない。


ひよりまで困ったような笑顔で、小さく手を上げた。


「私も……最初は二人が付き合ってると思ってたかな」


味方がいない。


依織は少し考え込んだあと、俺の机へ片手をついた。


長身を屈めて顔を近づけてくる。肩から流れた黒髪が、さらりと机の上へ落ちた。


「じゃあ遼くん、付き合う?」


「今この流れで決めることじゃないだろ」


近くで聞いていたらしいクラスメイトから、どっと笑い声が上がった。


聞かれてたのか。


俺は額を押さえる。


入学して一か月。どうやら俺たちの関係は、すでにクラス内でかなり面白い玩具になっているらしい。


非常に困る。


主に俺が。


◇ ◇ ◇


午前の授業をいくつか終え、俺たちは学校指定の実技着に着替えて魔法戦用の実技場へ移動した。


高い天井に、衝撃を逃がす加工がされた広い床。壁際には訓練用の補助装置や安全設備が並んでいる。


入学した初日は、さすが強豪校と素直に感心したけど、一か月も通えばもういつもの景色だ。


慣れってすごい。


準備運動を終えると、担当教師から今日の前半メニューが告げられた。


まずは魔力操作の基礎。


魔力は、魔法を使うためのエネルギーだ。


身体の中だけにあるわけじゃない。大気にも地面にも、この実技場の中にも、そこら中にある。


人間はそれを感覚で捉え、自分の中にある魔力と周囲から取り込んだ魔力を練って使う。


火を出す。風を起こす。身体を強化する。


魔法っていうのは、要するにその魔力をどう使うかって話だ。


この実技場にある補助設備だって、俺たちの力を勝手に何倍にもしてくれる夢の装置じゃない。周囲の魔力を集めて濃くし、選手が取り込みやすい状態にしてくれているだけだ。


だから、まず感じられなきゃ始まらない。


で。


俺には、その最初がない。


周囲では、生徒たちが順番に魔力を取り込み始めていた。


手のひらに熱を集める奴もいれば、薄く風をまとわせる奴もいる。足へ魔法をかけ、床を軽く蹴っただけで身体を鋭く前へ運ぶ奴もいた。


やり方は違っても、みんな当然のようにそこにある魔力を掴んでいる。


俺だって昔はそうだった。


手を伸ばせば届くし、息を吸えば空気が入る。それくらい当たり前に、そこにある魔力を感じていた。


「相馬、次」


呼ばれて指定された位置へ出る。


「はい」


肩を軽く回してから足を開いた。


さて、今日こそ何か起きてくれれば嬉しい。


毎回そう思ってはいるけど。


ゆっくり息を吸い、まずは自分の身体の内側へ意識を向ける。そこから少しずつ、周囲へ感覚を広げていく。


あるはずだ。


俺の中には今も魔力が残っているし、検査をすればちゃんと数値にも出る。この実技場には設備で集められた環境魔力だって大量にあって、周りの連中はそれを普通に感じて取り込んでいる。


なのに、俺には何も分からない。


真っ暗というのとも少し違う。暗いなら、その先に何かあるかもしれないと思える。


俺の場合は、暗い部屋へ入る扉そのものが見つからない。


そんな感じだ。


一度息を吐き、もう一度探る。


熱でも痺れでも、ほんの少しの違和感でもいい。指先がぴくっとする程度だって、今なら大歓迎である。


それでも何もない。


右手を前へ出し、昔の感覚を思い出しながら魔力を練ろうとしてみるが、やっぱり駄目だった。


掴めなければ練れないし、練れなければ魔法にもならない。


単純で分かりやすい。


そのぶん困る。


「相馬、無理に出力しようとするな。力んでも変わらんぞ」


担当教師の声に、俺はようやく肩から力を抜いた。


「ですよねえ」


今日も駄目だった。


高校へ入って一か月。設備も変わったし、教わる相手も変わったのに、ここだけは見事なくらい変わらない。


ずいぶん頑固だな、俺の魔力感覚。


持ち主は俺なんだけど。


「もう一回やります?」


「いや、今日はいい。次のメニューに移れ」


「了解です」


だからといって、落ち込んでその場に座り込むほどでもない。


それは中学時代に散々やった。


駄目なら次へ行けばいい。今できることをやって、できないこともそのうち何とかする。


まだ高校生活は始まったばかりだ。ここで全部終わった顔をしていても仕方ない。


列から外れようとしたところで、実技場の壁際に小さな人影があることに気づいた。


最初に目へ入ったのは赤だった。


赤いジャージに、不揃いな短い髪を後ろで適当に結んだ小さな頭と眼鏡。


倉橋環先生。二十八歳、物理担当。


身長は百四十センチにも届かず、遠目には小学生が赤ジャージを着て立っているようにしか見えない。


その倉橋先生が、じっと俺を見ていた。


なんだ?


そう思ったところへ、横から元気な声が飛ぶ。


「たまちゃーん♪」


ひよりだ。


倉橋先生の背後へ回ったかと思うと、その小さな頭を両腕で抱え込み、髪をわしゃわしゃと撫で始めた。


「今日もかわいいねー。小さいねー」


教師に対する態度じゃない。


というか、猫か。


完全に猫を可愛がる手つきだ。


ところが倉橋先生は怒らない。振りほどきもしない。


ひよりに頭を撫で回され、頬をすりすりされても、されるがままだった。


なのに眼鏡の奥の目だけは、ずっと俺を向いている。


……なんだろう。


あれだけ好き放題されながら無表情で見られると、妙に落ち着かない。


倉橋先生の口が、小さく動いた。


「……?」


何か言ったらしい。


この距離じゃ聞こえない。


俺が首を傾げた直後、ひよりが先生を抱えたまま身体の向きを変えたので、視線も切れた。


まあ、いいか。


ひよりに猫扱いされながらする深刻な話も、そうそうないだろう。


◇ ◇ ◇


後半は近接形式の模擬戦になった。


魔法の使用はあり。


ただし大出力の遠距離攻撃は禁止。身体強化や加速、近距離で使える魔法を組み合わせて、先に有効打を取った方が勝ち。


魔法戦の基礎中の基礎だ。


そして依織の順番になると、それまで好き勝手に喋っていた連中の視線が自然と一か所へ集まった。


そりゃそうだ。


昨日、大会で優勝した選手が今日は目の前で戦うんだから、気になるものは気になる。


依織がスタート位置へ入る。


学校指定の実技着だから、昨日の大会で着ていた派手なロングコートはない。


それでも百九十センチを超える長身は、広い実技場の中でも嫌というほど目立つ。


対面に立った男子だって、強豪校へ実力で入ってきた選手だ。


決して弱くはない。


開始の合図。


先に動いたのは男子だった。


踏み込む直前、足元で魔法が弾ける。


脚へ身体強化と加速を重ねたらしい。


一気に距離を詰め、その勢いのまま右拳を振るう。


普通なら十分速い。


依織も動いた。身体強化を乗せた動きで、相手の拳をほんの半歩でかわす。


そのまま踏み込む。


床を蹴る音より先に、長い身体が相手の横へ滑り込んだ。


速いというより、もうそこにいる。


男子も慌てて身体を捻り、腕を強化して防御に回した。


悪くないけど、遅い。


依織は右手を引く。


掌の前で空気がわずかに歪み、そのまま掌底を打ち込んだ。


男子の防御へ触れる寸前、圧縮された衝撃が弾ける。


訓練用の防護設備が即座に反応して威力を大きく削ったものの、それでも男子の身体は床を滑り、二歩、三歩と後ろへ押し戻された。


「そこまで!」


ほとんど一瞬だった。


周囲から一斉に声が上がる。


「速っ! 今の見えた?」


「身体強化から切り替えるの早すぎだろ」


「やっぱ篠原おかしいって」


ひよりなんて両手を胸の前で握りしめ、本人以上に嬉しそうな顔をしている。


俺は依織ではなく、その足元を見ていた。


最初の一歩は綺麗だった。


加速が立ち上がる瞬間と、踏み込みのタイミングがぴったり合っている。


ただ、右へ切り返した二歩目だけ、ほんの少し外へ流れた。


昨日の試合でも似た動きがあった。


最初の加速を強くしたぶん、身体の切り返しがわずかに遅れている。


加速そのものに乱れはない。むしろ綺麗すぎるくらいだからこそ、身体側の小さなズレが目につく。


普通に見ていれば、たぶん気づかない。


でも昔から何百回とこいつの動きを見てきた。


だから分かる。


訓練を終えた依織が戻ってきたところで、俺は首にタオルを掛けながら声をかけた。


「二歩目、また少し外に流れてたぞ。昨日よりはマシだけど、右に切る時だけちょっと遅い」


依織が足を止める。


「やっぱり分かった? 昨日も?」


「動画で見た。最初の加速を強くしたぶん、次の切り返しが追いついてない感じがする」


依織はすぐに右足へ視線を落とし、その場で軽く踏み込みを繰り返して感覚を確かめる。


「出力を上げたせいかな……」


「たぶんな。最初の加速は綺麗だったし、身体の方じゃない?」


「そっか」


顎へ指を添えたまま、依織はもう一度右足を動かした。


横から話を聞いていた航平が、眉を寄せて割り込んでくる。


「待て待て。今のでそこまで分かるのか?」


「見りゃ分かるだろ」


「分かんねえよ」


即答された。


直哉も腕を組んだまま、苦笑して首を振る。


「俺なんか『篠原、相変わらず速いな』で終わったぞ」


「雑だな、お前ら」


「お前が細かすぎるんだよ」


そうか?


昔から見てれば分かると思うんだけど。


依織は最後に一度だけ踏み込みを確かめると、俺へ向き直った。


「ありがとう、遼くん。次はそこ意識してみるね」


「おう」


この辺は昔から変わらない。


俺が気づいたことを言えば依織が試し、依織が何か見つければ今度は俺に言う。


昔はずっと、そうやって二人でやってきた。


今は俺の方に試す魔法がないくらいで、その関係自体は変わっていない。


「遼くんは今日はどうだった?」


依織が俺の顔を覗き込んでくる。


「見てなかったのか?」


「見てたよ。でも遼くんの感覚は、遼くんにしか分からないでしょう?」


「ごもっとも。いつも通り、なんにも分からん」


タオルで額の汗を拭きながら肩をすくめると、依織は「そっか」とだけ返した。


残念そうな顔もしなければ、無理に励まそうともしない。


事故のあと、周りが俺をどう扱えばいいのか分からなくなっていた時期でも、依織だけはずっとこんな感じだった。


「もう一年以上こんなんだけどな」


笑って言うと、依織は少し首を傾げる。


「大丈夫だよ。遼くんなら」


あまりにも当然みたいに言うものだから、こっちが困る。


「その自信、どっから出てくるんだよ」


「昔から知ってるから」


答えになっているような、なっていないような。


でも本人は本気らしい。


「そりゃどうも」


タオルの端を引っ張りながら顔を逸らす。


こういうのを真正面から受け取るのは、さすがにちょっと照れる。


◇ ◇ ◇


実技を終えて教室へ戻る途中、後ろから直哉に声をかけられた。


「そういや相馬。さっき、たまちゃん先生がお前のことずっと見てたぞ」


「知ってる。なんかすげえ見られてた」


横へ並んだ航平が、腕を組みながら笑う。


「妙に怖いよな。あのサイズで無言のまま、じーっと見られると」


「先生に向かってあのサイズとか言うなよ」


口ではそう言ったが、ちょっと分かる。


そこで、倉橋先生が何か呟いていたことを思い出した。


「そういや、なんか言ってなかったか?」


「ああ、言ってたぞ。ひよりに撫で回されながら」


直哉が指を鳴らす。


「よく聞こえたな」


「近くにいたからな。確か――」


直哉は眼鏡もかけていないくせに、倉橋先生の真似をするように無表情を作った。


「『……光らないねぇ』って」


思わず足が止まる。


「……何が?」


「知らん」


「聞けよ」


「俺に言うなよ」


直哉が笑い、航平も俺の肩をぽんと叩いた。


廊下の先へ目をやると、ひよりがちょうど倉橋先生を見つけたところだった。


「たまちゃーん♪」


嬉しそうに駆け寄ったひよりは、そのまま倉橋先生を捕まえて、また楽しそうに頭を撫で始める。


先生も逃げるでも抵抗するでもなく、いつものようにされるがままだ。


……本当になんなんだ、あの二人。


それより気になるのは、さっきの言葉だった。


光らない。


いったい何が光らないんだろう。俺の魔力なのか、それともまったく別の何かなのか。


考えてみても、今の俺に分かるはずもない。


俺は一度だけ倉橋先生の小さな背中を振り返り、それから歩き出した。


まあ、いいか。


答えが出ないものを考え続けるのは、魔力を探すだけで十分だ。

お読みいただきありがとうございます。

全13話執筆済みです。毎日1話ずつ更新予定です。

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