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もう一度、君に追いつくまで  作者: ヤソタケル


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第11話 一歩と一振り

放課後。


実技着に着替えて実技場へ向かう途中から、今日はやけに人が多いと思っていた。


廊下を歩く生徒のほとんどが俺と同じ方向へ向かっているし、すれ違いざまにこっちを見て、ひそひそ話を始める奴までいる。


嫌な予感しかしない。


いや、今日は二年ぶりの試合だ。多少の嫌な予感くらい、むしろちょうどいい。


朝から身体の奥がずっと落ち着かなかった。緊張してるのか、楽しみにしてるのか、自分でもよく分からない。


たぶん両方だ。


そんなことを考えながら実技場の扉を開けると、予感はきっちり当たった。


「……なんだこれ」


観覧スペースが、人で埋まっていた。


一年だけじゃない。二年も三年も混じっていて、俺が中へ入った途端、ざわざわしていた声が一段大きくなる。


「相馬だ」「本当にやるんだ」「相手、久我だろ?」


そんな声に混じって、


「でも相馬って、入学してから魔法使えてなかったよな?」


まで聞こえてきた。


聞こえてる。


ものすごく聞こえてるぞ。


せめて本人が通り過ぎてから噂してくれないだろうか。


二週間前、久我との試合を環先生が勝手に受けた時には、こんな大事になるなんて思ってなかった。


誰が広めたのかは知らない。


いや、久我なら自分で言いふらしてても全然驚かない。


実技場の中央を見ると、その張本人がもう立っていた。


金髪にサングラス。実技着姿で腕を組み、いかにも「待ってました」と言わんばかりの顔をしている。


俺を見つけた久我が、すぐに口元を吊り上げた。


「遅えぞ、相馬」


「時間ぴったりだよ。お前が早すぎるんだ」


「逃げたかと思ったぜ」


「二週間待たせて逃げたら、さすがに俺でも格好悪いわ」


久我は鼻で笑って腕を解くと、俺を上から下まで眺めた。


「で、魔法は使えるようになったのか?」


「一応な。見りゃ分かる」


「……へえ。言うじゃねえか」


サングラスで目は見えない。それでも、二週間前より明らかに楽しそうなのは、吊り上がった口元だけで分かった。


やっぱりこいつ、本当に楽しみにしてたんだな。


面倒くさい奴だ。


……まあ、人のことは言えないかもしれない。


俺だって、実技場に入ってからずっと妙に口元が緩みそうになっている。


勝つとか負けるとか、その前に、またこうして対戦相手と向かい合える。


それだけで、ちょっと嬉しい。


観覧スペースへ目を向けると、すぐに航平が両腕をぶんぶん振った。


「相馬ー! とりあえず生きて帰ってこいよー!」


「試合前に送る第一声がそれかよ!」


周囲から笑いが起きる。


航平の隣では、ひよりも負けじと両手を振った。


「遼くん頑張ってー! 私はちゃんと応援してるからねー!」


「今のところお前が一番まともだ!」


「負けても明日学校あるから」


直哉が腕を組んだまま淡々と言った。


「前言撤回! 三人まとめて応援下手だな!」


ひよりが吹き出し、航平は「緊張ほぐしてやってんだよ」と胸を張る。


頼んでない。


いや、ちょっと助かってるけど、それは絶対言わない。


そんな三人の横で、依織だけは何も言わずにこっちを見ていた。


目が合うと、長い黒髪を肩の後ろへ払い、そのまま観覧スペースから降りてくる。


「遼くん」


「ん?」


何かと思った次の瞬間、長い腕が背中へ回った。


「おわっ」


そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。


「頑張って」


耳元で、いつもの穏やかな声がした。


「……うん。頑張るけど」


俺は依織の肩越しに周囲を見る。


近くにいた生徒たちが、さっきまでとは違う意味でこっちを見ていた。


「依織。人めっちゃいるぞ」


「いるね」


「気にならない?」


「別に」


ですよね。


観覧スペースから航平が身を乗り出した。


「お前らそれで付き合ってないの、やっぱおかしいだろ!」


「試合前にその話いる!?」


ひよりまで口元を押さえて笑い、直哉は「いつものことだから」と妙に達観した顔をしている。


依織はまるで気にした様子もなく俺から離れると、柔らかく笑った。


「いってらっしゃい、遼くん」


「……おう」


なんだかんだ、少し肩の力が抜けた。


よし。


やるか。


「はいはい。そろそろ始めるよ」


聞き慣れた声と一緒に、小さな赤い影が実技場の中央へ歩いてきた。


環先生だ。


今日も赤ジャージ。


試合の審判くらい何か違うものを着るのかと思っていたけど、完全に通常営業だった。


「先生、その格好で審判するんです?」


「いつもの仕事着だから」


「もうちょっと審判っぽいものとかないんですか?」


環先生は少し考えてから、ジャージのポケットをごそごそ探った。


出てきたのは笛だった。


「あるよ」


「形から入る場所、そこだけ?」


先生は俺の言葉を無視して笛を首へ掛けると、俺と久我を手招きした。


二人で中央へ寄ると、環先生の顔からいつものゆるい感じが少し消える。


「今回は一本勝負。相手が降参するか、戦闘を続けられなくなった時点で終了。それと、危険だと私が判断した場合も止めるからね。私が止めたらそこで終わり。あとから文句言っても聞かないよ」


「分かってる」


久我がすぐに頷き、俺も「はい」と返した。


ちゃんと仕事してる。


一週間前に生徒からガチャ代を巻き上げた人と同一人物とは思えない。


人間、仕事中だけなら結構なんとかなるものらしい。


「じゃあ、開始位置へ」


環先生に促され、久我と距離を取る。


開始位置で向かい合うと、さっきまで騒がしかった観覧スペースも少しずつ静かになっていった。


正面に対戦相手がいる。審判がいて、観客がいて、あとは開始の合図を待つだけ。


事故のあと、何度も想像した。


もう一度こうして誰かと向かい合ったら、どんな気分なんだろうって。


もっと感動するのかと思ってた。泣きそうになるとか、胸がいっぱいになるとか。


実際は違った。


早く始めてほしい。


それしかない。


久我が肩をぐるりと回した。


その両拳と両足へ炎がまとわりつく。


映像で何度も見た、今の久我の構えだ。


「相馬。手加減しねえぞ」


ふざけた感じは一切なかった。


俺も一度だけ息を吐き、肩から力を抜く。


「しなくていいよ。俺もそのつもりだから」


「そうこなくちゃな」


久我の口元が上がる。


この二週間で、できたことは多くない。


昔みたいに何でも使えるようになったわけじゃないし、外の魔力なんて今でも何一つ感じない。


でも、今できることだけは嫌になるくらい繰り返した。


だったら十分だ。


せっかく、またここまで来たんだ。


思い切りやろう。


環先生が俺たちの間から下がり、片手を上げる。


実技場が静まり返った。


「それじゃ――始め」


手が下がる。


同時に、久我の腰が沈んだ。


来る。


何度も映像で見た姿勢だ。


足元の炎が一気に膨らみ――爆ぜた。


「――っ!」


速い!


分かってた。昨日まで散々映像を見た。


それでも実物は全然違う。


数メートルあった距離が一瞬で消え、久我が目の前まで飛び込んでくる。


炎をまとった右拳が振られた。


でも、見えてる。


足元の火勢が跳ね上がる瞬間も、肩が動く瞬間も。


俺は腰を落として右へ重心を乗せる。


右へ抜ける姿を頭に描く。


足元で風が弾けた。


身体が一気に横へ押し出され、久我の拳がさっきまで俺の顔があった場所を通り抜ける。


一メートル半ほど先で足を止め、そのまま振り返った。


一瞬、実技場から音が消えた。


「……今、魔法使ったよな?」


誰かが呟く。


それをきっかけに、観覧スペースが一気にざわついた。


「相馬、魔法使えたのか?」「風だよな、今の」「入学してから一度も使えてなかったんじゃないの?」


そっちか。


やっぱり驚くところはそこだよな。


俺にとってはここ一週間、嫌になるほど見慣れた風だ。


でも、こいつらからすれば、入学してからまともに魔法を使えていなかった奴が、いきなり試合で使い始めたことになる。


なんというか。


ちょっと気分いいな、これ。


久我も勢いを殺して振り返った。


「……使えてんじゃねえか」


「一応って言ったろ」


「それのどこが一応だよ」


「こっちにも色々あるんだよ」


久我は鼻で笑い、すぐに構え直した。


さっきより楽しそうなのが腹立つ。


そして俺も、たぶん同じくらい笑ってる。


「じゃあ――これはどうだ?」


足元の炎が強く噴き上がり、今度は真正面ではなく右へ弾けた。途中で身体の向きを変え、噴き出す位置まで切り替えて斜めから飛び込んでくる。


速い。


でも、それも映像で見た。


俺は斜め後ろへ重心をずらす。


その瞬間、一週間前の声が頭をよぎった。


『次、斜め後ろ』


『簡単に言いますね』


『横にできるなら、たぶんできるよ』


『その“たぶん”で何回床に転がったと思ってんです?』


数えてないし、数えたくもない。


ただ、できるようにはなった。


風が弾ける。


身体が斜め後ろへ滑り、久我の攻撃がまた空を切った。


着地と同時に構え直すと、久我もすぐに向きを変え、サングラス越しに俺を見る。


「そんな動きもできんのかよ」


「見りゃ分かるって言ったろ」


「面白え。だったら全部避けてみろ!」


「簡単に言うな!」


足元の炎が爆ぜ、久我が真正面から突っ込んでくる。


俺は左へ重心をずらして風を出し、すれ違うように攻撃を外した。けれど久我はすぐに噴射の向きを変え、今度は横から回り込んでくる。


後ろへ身体を弾けば、足元の炎がまた噴き上がる。


次は斜め。


俺も久我の動きに合わせて重心を動かし、必要な方向へ風を使った。


移動する距離はせいぜい一、二メートル。それ以上はいらない。


これは久我と競走するための魔法じゃない。攻撃が届く、その瞬間だけそこから外れればいい。


「相馬ぁ!」


「うるせえ! 聞こえてる!」


久我が笑いながらまた突っ込んでくる。


こいつ、試合になるとますますうるさいな。


……まあ、楽しいけど。


右へ、後ろへ、斜めへ。


久我の動きを見ながら身体を短く弾き、そのたびに炎をまとった拳や蹴りをぎりぎりで外していく。


心臓はうるさいし、息も少し上がってきた。でも嫌じゃない。


相手を見て、考えて、避けて、その次を読む。


これだ。ずっと遠くにあった感覚が、一つずつ手元へ戻ってくる。


いや、昔と同じじゃない。使ってる魔法も、戦い方も違う。


それでも俺は今、ちゃんと試合をしてる。


それがたまらなく嬉しかった。


観覧スペースから航平の声が飛ぶ。


「おおっ! ちゃんと避けてる!」


「言い方!」


思わず返すと、周りからまた笑いが起きた。


こっちは真剣なんだぞ。


「遼くん頑張れー!」


ひよりの声も続く。


依織の声は聞こえない。


たぶん黙って見てる。


昔からそうだ。試合が始まったら、余計なことは言わない。


そっちを見る余裕はないけど、見てるのは分かってる。


目の前でまた足元の炎が爆ぜた。


風を出して身体を後ろへ押し出すと、久我の拳が鼻先を掠めた。触れてもいないのに、まとった炎の熱気が顔へ叩きつけられる。


「熱っ!」


着地してすぐに構えると、久我もいったん足を止め、こちらを見ながら少し息を吐いた。


「……お前、それ何回使えんだ?」


「教えると思うか?」


「だよな」


久我が笑う。


一週間前なら、五回程度でほとんど空っぽだった。


今はもう少し持つ。


別に魔力が増えたわけじゃないし、魔法そのものの燃費が急によくなったわけでもない。


単純に、無駄を減らした。


『身体が動き始めたあとまで風残ってるね』


環先生の声を思い出す。


『じゃあ切ります』


『できる?』


『できるようにするんでしょうが』


『そうだねぇ』


本当に簡単に言ってくれた。


最初は早く切りすぎてろくに進まず転び、次は出しすぎて飛びすぎ、その次は方向を間違えて航平に笑われた。


何回やり直したか覚えてない。


今は身体を押し出す瞬間だけ風を出して、動き始めたらすぐ切る。


一メートルで避けられるなら一メートル。二メートル必要なら二メートル。使うのは必要な分だけだ。


ただの節約だけど、今の俺にはその節約が命綱になる。


久我がもう一度腰を落とした。


「じゃあ、何回まで持つか試してやるよ」


「ほんっと嫌な奴だな!」


「褒め言葉だ!」


「褒めてねえ!」


言い終わるより早く、足元の炎が爆ぜた。


俺は右へ重心を乗せ、風を出そうとする。


その瞬間、久我が身体を捻った。


噴き出す炎の位置が変わり、突っ込んできた軌道が途中で曲がる。


「――っ!」


こっちへ来る。


いや、俺を追ってるんじゃない。


俺が避けようとした先へ、先に回り込んできた。


「読んだ!」


久我が笑う。


まずい。


風を出してからの移動は速い。でも、その前には俺自身が行きたい方向を決め、重心を動かす必要がある。


そのほんの一瞬の予備動作を、久我は見ていた。


とっさにもう一度風を出そうとしたが、間に合わない。


久我の肩が脇腹へ食い込み、息が一気に潰れた。


「ぐっ!」


身体が横へ弾かれ、そのまま床を滑る。


痛っ!


いきなりこれは効く!


観覧スペースがどよめき、その中から依織の声がはっきり飛んできた。


「遼くん!」


大丈夫。まだ動く。脇腹は痛いけど、こんなので終われるか。


床へ手をつき、その勢いのまま立ち上がる。


「っしゃ!」


自分でも妙な声が出た。


脇腹はじんじんするけど、身体はちゃんと動く。


久我は追撃せず、少し離れた場所で俺が立つのを待っていた。


両拳と両足の炎は、まだ消えていない。


「それだけじゃ俺には勝てねえぞ、相馬」


「……知ってるよ」


脇腹を押さえながら、思わず笑った。


やっぱり強い。


映像で見るよりずっと面倒くさいし、一回見せただけの動きもすぐ読んでくる。


だから面白い。


避けるだけじゃ勝てないなんて、一週間前から分かってる。


俺がもう一度腰を落とすと、久我も何かを察したのか姿勢を低くした。


今度は逃げない。


こっちから前へ出る。


「……来いよ」


「言われなくても!」


久我の足元の炎が大きく膨らみ、俺の心臓がまた跳ねた。


いきなりこんな奴が相手だ。


最高じゃん。


炎が爆発した。


久我が飛び出し、俺も同時に前へ出る。


今まで避け続けていた俺が真正面から向かってきたせいか、久我の口元から笑みが消えた。


それでも速度は落ちない。


そうだ。


そのまま来い。


一週間前、俺は環先生に聞いた。


『先生。避ける方は何とかなりそうですけど、攻撃どうします?』


『相馬くんが考えるんじゃなかった?』


『教師として少しくらい助けてくださいよ』


環先生は俺の風を眺めながら、少しだけ首を傾げた。


『ずっと出しておく必要はある?』


その一言で、考え方が変わった。


俺の魔力は少ない。


風の刃を作って、ずっと維持する余裕なんてない。


でも、ずっと必要なわけでもない。


久我との距離が一気に縮まる。


俺はさらに姿勢を低くし、両手を身体の右下へ引いた。


何もない空間で両手を重ねる。


剣の柄を握るみたいに。


炎をまとった久我の拳が迫る。


その懐へ走り込み、身体ごと踏み込んだ。


必要なのは、当てるその瞬間だけ。


両手を下から斜め上へ振り抜く。


「――っ!」


握った両手の先で、空気が鋭く歪んだ。


久我が目を見開く。


俺が握っているものは何もない。見えない柄も、実際にそこにあるわけじゃない。


それでも、剣を握って斬るように身体を動かせばいい。


ずっと刃を作っておく余裕がないなら――斬る瞬間だけ作る。


これが、今の俺が選んだ攻撃だ。


両手を振り抜く、その一瞬だけ。


風が、刃になった。

お読みいただきありがとうございます。

全13話執筆済みです。毎日1話ずつ更新予定です。

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