第6章 バレンタイン後日
「…………」
「…………」
朝。円を除く、天崎、リベリア、さくらの三人で朝食を囲んでいたのだが、その全員の箸が止まっていた。
ただし前者一人と後者二人では、その意味合いがまったく異なっていた。天崎は眠たそうにうつらうつらと舟を漕ぎ、リベリアとさくらは、そんな彼の様子を呆然と見つめているのだ。
あまりにも大きく身体を揺らす天崎に、見かねたさくらが問いただした。
「東四郎さん。ずいぶんと眠たそうですが、昨夜はちゃんと眠れましたか?」
「いや、まあ……」
床に入ったのはいつも通りの時間だったが、悪夢に起こされた後は、なかなか寝付けなかった。また恐ろしい夢を見るんじゃないかと、妙に怯えてしまっていたのだ。
そう正直に伝えるのは気恥ずかしかったため、天崎は適当に誤魔化した。
「テスト勉強をしていたので、普段よりは遅めでしたね」
「それで授業中に居眠りしてしまったら、本末転倒でしょうに」
と言って、さくらが呆れ気味に肩を落とした。
「とにかく、東四郎さんはお兄さんなのですから、円さんのお手本になるよう心がけてください。食事しながらの居眠りなど、もってのほかです」
「……はい、すみません」
円の方が自分の何倍も生きてるはずなんだけどなぁと思いつつ、天崎は押し入れの方へと目を向ける。ここ数日と同じように、彼女は寝坊助だった。
とりあえず円への注意は帰宅してからにしよう。そう心に決めた天崎は、無理やり眠気を振り払って、朝食をかっ込んだのだった。
バレンタインの惚気た空気はたった一日で消え失せ、代わりに教室内は再来週に差し迫った学年末テストのせいで陰鬱としていた。とはいえ赤点を余裕で回避できる天崎にとっては、単なる通過儀礼のようなもの。特に気を張るほどのことでもない。
まあ、危ない奴もいるみたいだが。
「転校生だから、点数が悪くても進級できる……はず!」
すでに半分諦めている月島が、根拠のない理由で自分を慰めていた。
転校生の成績がどう扱われるか知らない天崎としては、月島が留年しないことを祈るばかりである。
そして、この日は何事もなく下校時間になった。
「天崎さん。帰ろっか」
「おう」
月島に声を掛けられ、天崎は席を立った。
あまりにも自然に誘われたので、反射的に返事をしてしまったが、本当に良かったのだろうかと天崎は思う。
出会った当初は良からぬ噂を立てられないように、用事がある時は時間をずらして下校していた。それが今や肩を並べて帰宅するのが当たり前になっている。
第三者からしたら、やっぱり自分たちは付き合ってるように見えるのだろうか?
同じアパートに住んでいることに関しては、月島が天崎を追いかけていったと解釈しているクラスメイトも少なくない。しかも一緒に帰宅するとなれば……いろいろと勘繰られるのも仕方のないことだった。
そもそも月島はそれでいいのだろうか?
いいんだろうなぁ。と、天崎は心の中で嘆息した。
空美やさくらの後押しもあってか、クリスマスに告白してきてから、月島はずいぶんと積極的になった。もしかしたら、あの二人に何か吹き込まれたのかもしれない。例えば一緒に下校をして、既成事実を作るのも作戦の一つとか言われて……。
などと勘繰っている自分に気づき、天崎は反省した。彼女の内心を勝手に推し量るのはよろしくない。
再来週の学年末テストのことで憂鬱になっている月島を元気づけながら、校門へ向かって歩く。そこで久しぶりの顔に出会った。
「よっ!」
ハイネックの暖かそうなニットセーターに身を包んだ少女から声を掛けられたのだ。
「おっ、コバンザメじゃねえか。こんな所で何してるんだ?」
「コバ……誰が魚類じゃ! せめて小林と間違えろ!」
「小林と間違えるのはいいのか……」
変なこだわりがあるんだなと、天崎は感心した。
門の横で待っていたのは、妖精コレクターの渡井小噺だった。確か最後に会ったのは始業式の日だったので、およお一ヶ月ぶりである。
ただ以前と違い、今は天崎一人ではない。当然、月島が怪訝な眼差しを向けてくる。
「えっと、天崎さん。そちらの方は……」
「えっ……うっそ、あんた彼女できたの? 一ヶ月前までボッチだったのに? あっ、でもクリスマスは女連れだったっけ。もしかして、その子?」
「そうだけど、彼女でもねえしボッチでもねえよ」
興味本位で訊ねてくる小噺と、彼女扱いされても特に否定せず、恥ずかしそうに俯く月島。なんかやりづらいなぁと、天崎は肩を竦めた。
「コイツは妖精コレクターの渡井小噺。妖精専門の『専門家』だ。ちょっと前に訳ありで知り合ったんだよ」
「ぬあっ! それ普通に言っちゃう!?」
「マズかったか?」
「マズいってわけじゃないけど、一般人に向けて妖精コレクターって紹介されるのは、ちょっと恥ずかしいというか、なんというか……」
小噺の態度が急にしおらしくなった。
初対面の時に堂々と名刺を渡してきた奴が何を言ってやがる。と、天崎は目を細めた。
「自分の職業にプライドを持ってた渡井小噺はどこに行ったんだ?」
「うちは他の『専門家』と違って、世間との距離はちゃんと弁えてるっつーの。どっからどう見ても普通の女の子でしょ?」
「女の子? ……うん、そうだな。間違いない。普通の女の子だ」
「今、不自然な間があったぁ!?」
「そうそう、月島。コイツはこんななりでも俺たちよりも二つ年上らしいから、ちゃんと敬うように」
「こんななりって、どういう意味よ!?」
「そのまんまの意味だけどな」
小噺は月島よりもやや背が低く、また年上と思えない程度には童顔である。しかも月島に比べて、とある一部分が非常に控えめとなっているため、何も言われなければ年下とすら勘違いしてしまうほどだった。
「まあ、月島は一般人よりかはそういう職業に理解のある方だから、あんまり気にしなくてもいいと思うぞ」
「そうなの?」
最後の希望に縋るような眼差しで、小噺は月島の顔を窺う。しかし期待に反し、月島はぽかんと口を開けたまま何度も瞬きをしていた。完全に妖精コレクターなど認知の外といったような反応である。
ガーン! と、ショックを受けて凹む小噺。なんだか面倒くさいなぁと思った天崎は、さっさと紹介を続けた。
「んで、こっちがクラスメイトの月島だ。最近おののき荘に引っ越してきたんで、今から一緒に帰るところだったんだよ」
「よ、よろしくです」
おずおずといった感じで、月島は頭を下げた。初対面の相手に対しては、未だ人見知りが出る様子である。
「よろしく。ふーん、あのおののき荘に新しい入居者ね。物好きもいたもんだわ」
「お前な……」
「待って。うちは別にバカにしたいわけじゃないの。それも含めてちょっと伝えたいことがあるから、歩きながら話しましょ」
「?」
その伝えたいことというのが、彼女が待ち伏せていた理由なのだろう。しかし天崎としては小噺が共有したい情報などに心当たりがなく、首を傾げるばかりだった。
ひとまず歩き出した小噺について行く。
横に並ぶと、彼女はさっそく本題に入った。
「最近この街でいろんな怪事件が起きてるでしょ? そのせいで少しずつ『専門家』が集まり始めているの」
「ああ、その話なら安藤から聞いたな」
「安藤?」
あっ、しまった。と、天崎は小噺に見えないように苦い顔をした。
安藤も、自分の存在を『専門家』に暴露されたくはないだろう。
「……いや、忘れてくれ。そっち方面に詳しい知り合いがいるだけだよ」
「ふぅん。ま、ある程度事情を知ってるなら話が早くて助かるわ。それでさぁ、暇そうだからって、うちも調査を手伝って来いって上に言われてさぁ。妖精の鱗粉を集めるだけしか能のないうちが、『調査員』の真似事なんかできるわけないっつーの!」
「自己評価が高いのか低いのかよく分からんな」
自分が一番若いとか言ってたし、上司にこき使われているのだろう。怒り任せに地団駄を踏む下っ端を眺めながら、天崎は心の中で「ご愁傷様」と両手を合わせた。
「ってなわけで、しばらく目立った行動はしない方がいいわよ。特におののき荘にも一人いるでしょ? 人外登録されていない吸血鬼が」
一人? と、天崎はおののき荘の面々を思い浮かべた。
確かに吸血鬼は一人だ。しかし登録されていない人外は、もっといるはず。円のことは小噺も知っているはずだし……。
「あっ、問題を起こしそうな人外って意味か。納得、納得」
「そこの信頼性は高いのね、あの吸血鬼」
合点がいったと深く頷く天崎に対し、小噺は呆れたように空を仰いだ。
「とはいっても、今のあいつが『調査員』のお世話になるレベルの問題事を起こすとは思えないけどな。大丈夫じゃないか?」
「そうね。吸血鬼ハンターの心得で一番最初に教えられる教訓が、『そもそも吸血鬼と敵対しないこと』だって言われるくらいだもんね。彼女がターニャ=リリィウッドみたいに無差別に暴れ回りでもしない限り、排除命令なんて出ないでしょう」
「んなことリベリアはしないし、俺がさせねぇよ」
「ま、妖精コレクターのうちには関係ないことだから、別にどうでもいいけど」
「どうでもいいって、お前な……」
興味なさげに吐き捨てた小噺を見て、天崎はふと気づいた。
本当にどうでもいいなら、いつ帰宅するかも定かではない天崎を待ち伏せてまで忠告しに来たりはしないだろう。少なくとも気に掛けてくれているのは間違いないようだ。
こいつも存外素直じゃないなと、天崎は小噺に気づかれないように小さく笑った。
「分かった。忠告、ありがとな」
「あれれ、やけに素直じゃない」
「俺の友人のためにわざわざ教えに来てくれたんだから、礼くらい言わなきゃ失礼だろ」
「へえ」
天崎の殊勝な態度に、小噺もまた笑みで返した。
ふと天崎の頭に悪い考えが浮かんだ。末端とはいえ、小噺も一応は『専門家』だ。安藤にばかり頼るわけにもいかないし、これを機に少しばかり利用させてもらおう。
「ついでで悪いんだけどさ、他の『専門家』のことも詳しく教えてくれないか?」
「あー……ごめん。『専門家』みたいな職業って、横の繋がりがほとんどないのよね。だからどの組織がどう動いてるかなんて、うちが所属してる妖精管理協会の上層部でも把握してないと思う。それらの動きを統括しているのが『調査員』なわけだけど……『調査員』の知り合いとかはいないのよね?」
「いないな」
「なら残念。『調査員』の情報なしで詳細を把握するのは、まず不可能な話ね」
「そっかぁ」
「ただ確実に言えるのは、うろついてる『調査員』が普段よりも多くなったこと。それにうちみたいに、各組織の下っ端もいるんじゃないかと思う」
「なるほどな」
それも含めて明日安藤に相談してみるかと、天崎は思った。
そうこう話しているうちに、帰路の半分以上を進んでいたようだ。おののき荘の最寄りのコンビニが見えてくる。
「あっ、そうだ」
唐突に何かを思い出したような声を上げた小噺が、ポケットの中から包装された小さな箱を取り出した。
「はい、チョコ」
「チョコ?」
「昨日バレンタインだったでしょ? あんたにはちょっとばかしお世話になってるから、日頃の感謝の意味も込めて、あげた方がいいかと思ってね」
ずいぶんと素っ気ない言い方で、小噺が小箱を押し付けてきた。
まあ彼女は自分たちより二つも年上だし、この性格からして高校時代はそれなりに交友関係も広かったと見受けられる。きっとバレンタインチョコも渡し慣れているのだろう。
そう勝手に解釈した天崎が、気兼ねなく受け取ろうとしたのだが……。
この場に、そういう行事にあまり慣れていない人物がいたことを、すっかり忘れていた。
「チョコ……」
小噺とは逆の方面から、月島が恨めしげに見つめてきた。
今まで専門的な話をしていたため、遠慮していたのだろう。しかし気配まで消すのはやめてほしい。背後から幽霊の如く囁かれるのは、本当に心臓に悪い。
驚きのあまり喉を引き攣らせた天崎は、慌てて月島の方へと振り返る。
だが天崎が何かを言う前に、小噺は人当たりの良い声で取り繕ってくれた。
「ううん。大丈夫、義理だから。一応手作りだけど、心なんてこれっぽっちも籠っていない義理中の義理だから。でも、ちゃんと食べるのよ。溶けちゃうかもしれないから、今日中に食べて。もちろん円ちゃんにも分けてあげてね。そうしないと殺すわよ!」
「んなこと言われた俺は、どう反応すればいいんだ」
拒否って刺されるのも嫌なので、天崎は素直に受け取っておいた。
それを見た小噺が、ニタニタとイヤらしい笑みを浮かべてくる。
「彼女さんもいるし、ホワイトデーは普通に三倍返しでいいわさ」
「普通じゃなかったら何倍になってるんだよ……」
有り金全部毟り取られそうな勢いだった。
ともあれ用事はこれで終わりなのだろう。小噺が二人から離れた。
「んじゃ、うちは仕事があるからここで。円ちゃんにもよろしく言っといてね」
「おう。チョコ、ありがとな」
別れの挨拶もそこそこに、小噺は踵を返した。
だがしかし、すんなり解散することはできなかった。なぜなら災難とは、理不尽かつ唐突にやって来るものだからである。
天崎たちの進行方向、つまりおののき荘方面から悪魔がやってきたのだ。
「おやおやぁ? こんな真昼間から両手に華とは、東四郎も隅に置けないねぇ」
「――ッ!?」
冷やかしの声が聞こえた途端、小噺がビクッと背筋を震わせた。
そして顔の筋肉を極限まで引き攣らせながら、恐る恐る背後を振り返る。そこには彼女にとっての悪夢が存在していた。
「よう。洋子と……おっ、いつぞやの処女ビッチじゃねえか」
「ぎゃああああああ!!!」
空美の顔を見た瞬間、小噺は世にも醜い叫び声を上げた。
さらには一秒たりとも顔を合わせたくないと言わんばかりに、そのまま全速力で走り去っていった。
「うわっ、ビックリした。なんだあの処女ビッチ。人の顔を見るなり逃げ出しやがって」
「それだけ深いトラウマを植え付けたってことですよ」
心外そうに首を傾げる空美の様子を見るに、どうやらトラウマを与えたという自覚はないのだろう。さすがに小噺が可哀想だった。
「んで、東四郎と洋子は仲良く同伴下校か。いいねいいね、青春してるね。あたしゃそういうの大好きだよ」
「はは……」
口の端を吊り上げて、ニタニタと下品な笑みを浮かべる空美。それに対して天崎は曖昧に微笑み、月島は恥ずかしそうに俯いてしまった。
この状況で空美とは会いたくなかったなぁと、天崎は心の中で苦虫を噛んだ。
彼女は天崎が初めて月島を連れてきた時、「その女とセックスするんだろ?」などと訊ねてきた危険人物だ。きっと大好きなのは高校生の清い青春だけでなく、男女の性事情なんかもだろう。この後「二人はどこまで進んだのかなぁ?」とか煽ってきても不思議ではない。
サキュバスという種族柄、話題の傾向が下ネタに偏るのは仕方がないのかもしれないが……気まずくなるんだよなぁ。できれば、さっさと行ってほしい。
人知れず空美を邪険に扱った天崎は、諦めたように肩を落とした。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
不意に、空美の顔つきが真面目なものへと変わった。
「そういや東四郎。ちょっと訊きたいんだが、最近身体の調子はどうだ?」
「身体の調子、ですか?」
「なんか変に気怠かったり、知らない間にどこか怪我してたりとか。ないか?」
どことなく剣呑な雰囲気を漂わせながら、空美が訊ねてくる。その様子を単なる社交辞令ではないと捉えた天崎は、何か心当たりがないか真剣に記憶を探った。
眠気のあまり授業中に怠くなることはあるが、それは最近に限ったことではない。それに自分の身体を熱心に観察しているわけでもないため、知らない怪我があるかどうかも分からなかった。少なくとも変な痛みを感じたことはない。
「……いえ、特に異常はないと思いますけど」
「そうか。ならいいんだ」
と言って、空美は目を逸らした。
そして「引き止めて悪かった」と言って片手を挙げた後、そのまま何事もなかったようにコンビニへ入っていった。
「空美さん、なんだかいつもと雰囲気が違ってたね」
「だな」
普段の調子とは打って変わって、空美の表情はひどく硬かった。
そもそも彼女は、自分の内面を簡単に晒すような性格ではない。にもかかわらず、ああもはっきりと顔に表れているのは、それだけ追い詰められているということなのだろう。
何か自分だけでは対処しきれないほどの悩み事でも抱えているのだろうか? 少し心配になった天崎と月島は、呆然と顔を見合わせたのだった。




