空 白 その3
「……あれ?」
目が覚めたら、周りが真っ暗だった。
コスプレ喫茶『ファンタジースクエア』の店内は照明が落とされ、非常灯だけが小さく灯っている。客はおろか、スタッフの女の子も一人もいない。完全に閉店後だった。
「いつの間にか眠っちまってたのか?」
だとしてもおかしい。普通、居眠りしていた客を放置して店を閉めるか? 真っ暗な映画館の中で隠れていたわけでもないし、客の存在に気づかないなんてことはないだろう。
耳鳴りがするほどの静けさの中、天崎は席から立ち上がった。
とりあえず外へ出ようとエントランスに向かう。当然、入り口のドアは施錠されているのだが、こちらは内側。開けるのは簡単だ。
しかしドアに触れる直前、天崎はふと思い出した。
「……確かこういう店の閉店後って、無暗に扉を開けちゃダメなんだっけ?」
セキュリティを掛けているはずなので、解除せずにドアを開けようとすると、自動的に警備会社へ通報されるという話を聞いたことがある。あんまり大事にしたくないし、ここから出るのは諦めることにした。
「となると、裏口へ回るしかないか」
薄暗い店内を足元に気をつけながらバックヤードへ向かう。
たぶん裏口もセキュリティが掛かってるよなぁと思いつつ、とりあえず事務所へ。残念ながら、結果は予想通り。事務所は消灯され、店長も不在だった。
「まいったな。マジでみんな帰っちゃったのか……」
客を残して店を閉めるとは、どういう了見か。少しずつ怒りが込み上げてくるも、天崎は一縷の望みを抱いて、最終的に更衣室へと辿り着いた。
ドアに手を掛け、中に誰かいないか、ちょっとだけ様子を見ようとしたのだが……ふと、天崎の脳裏にトラウマが蘇った。去年のクリスマス、ノックもせずに入室したせいで、着替え中の女の子たちと遭遇してしまったのだ。
「危ねぇ。同じ轍を踏むところだった」
深呼吸をした天崎は、ドアを叩くのとともに大きな声で呼びかけた。
「すみません! 誰かいませんか! リベリアもいないのか!?」
しかし返事はなく、ドアに耳を当ててみても衣擦れ一つ聞こえない。
本当に誰もいないのか。念のため、少しだけ中を確認しようと、ゆっくりとドアを開ける。
「「「キャー!!」」」
次の瞬間、幾人もの女の子の悲鳴が更衣室内に響き渡った。
店内や事務所とは違い、更衣室の中は明るかった。しかもスタッフの女の子たちがちょうど着替えていたようで、そのほとんどが下着姿のまま天崎から逃げるように背を向けていた。
やっちまったと喉を引き攣らせた天崎は、すぐに引き返す。
「す、すみません!」
慌ててドアノブを回したのだが……何故か鍵が掛かっており、ドアはまったく開く気配がなかった。
「なんで!?」
いや、そもそもの話、自分はいつの間に更衣室の中に入っていたのだ? さっきはただドアの隙間から顔を覗かせただけなのに。
「い、今すぐ出ますから!」
ドアをぶっ壊しそうな勢いで、天崎はなおもノブを回し続ける。
ふと、悲鳴が止んでいることに気づいた。顔なじみといえど、着替え中に男が侵入してきた割には、最初の悲鳴以外困惑した様子もない。
恐る恐る室内の方へ首を回してみる。下着姿のままニヤニヤと微笑みかけてくる女の子たちが目に入った。
「もう、天崎君ったら。それならそうと最初に言ってくれればよかったのに。お姉さんたち、サービスしちゃうぞ」
「そうそう。なーんにも怖がることなんてないんだから。私たちに任せて!」
「ねー」
不気味な笑みを貼り付けた女の子たちが、じりじりとにじり寄ってくる。退路を塞がれている天崎は、いとも簡単に捕まってしまった。
「ちょっと! 何するんですか! ダメですって!」
女の子たちの大胆な行動に、今度は天崎が悲鳴を上げる番だった。
両脇に回った二人が自分の胸を天崎の腕に押し当てて、シャツを捲り上げてくる。さらには正面で屈んだ女の子がズボンを下げようとするので、さすがにそれだけは阻止しようと必死に抵抗した。
しかし力づくで振り解くわけにもいかず、天崎はただただ弄ばれるのみ。
そして全身を弄られているうちに、なんだか気持ち良くなってきた。まあ彼女たちも任せろと言っているし、たまにはこういうのもアリかと、天崎は快楽に身を委ねようとした――その時だった。
群がってくる女の子たちの後ろで、ロッカーがひとりでに開いたのが見えた。中から着物姿の童女が這い出てくる。
「ま、円ぁ!?」
なんかつい最近も同じようなセリフを吐いた気がすると思いつつも、今回は意味合いが異なっていた。驚きよりも、むしろ助かったという安堵の方が大きかった。
あぁ、これでようやく夢から覚めることができる。
覚醒の引き金となる円は、女の子たちにもみくちゃにされている天崎を発見すると、一目散に駆けてきた。両腕を広げ、てててと小走りで女の子の群れに突撃する。
だが残念なことに、円が天崎の元へ到達することは叶わなかった。
女の子たちのお尻の壁に阻まれて、弾き飛ばされたのだ。まるでバランスボールから落ちた猫のように、体重の軽い円は更衣室の床に倒れてしまう。
「円! 大丈夫か!?」
天崎が心配するまでもなく、円は勇敢にも立ち上がった。
そして再びお尻に向かって突進する……が、結果は同じ。突撃の角度を変えたりして、何度か試行錯誤していたようだが、弾力のあるお尻を攻略することはできず、そのたびに円は床へ倒れることとなった。
最終的に彼女は突撃を止め、腕力で道を開く方法に切り替える。密集する女の子たちの太ももを、まるで密林を探索する冒険隊のように掻き分けたのだが……それがいけなかった。
女の子たちの圧力に押し負けた円が、群集の中で転んでしまったのだ。さらには誰かの足が彼女の小さな背中を勢いよく踏みつけた。
「円ぁ!」
その光景を見た瞬間、天崎の頭から理性が吹っ飛んだ。
絡みついている女を無理やり振り解き、絶え間なく群がってくる彼女たちを強引に押し退ける。なんとかして円の側まで辿り着くと、天崎は彼女を守るように覆い被さった。
「大丈夫か?」
「……うん」
見たところ外傷はなさそうなので、天崎はホッと安堵の息を吐いた。
しかし安心したのも束の間、亡者の如く迫り来る女の子たちの勢いは止まらない。円から天崎を引き剥がそうと、服を引っ張り上げてくる。自分が退けば、円が圧死してしまうと理解している天崎は、なんとしてでも離れまいと必死に抵抗するのだが――、
突如として、急激な負荷が天崎の背中を襲った。
円を庇ったまま、限界まで首を回してみる。十人……いや、二十人以上もの女の子が、不気味な笑みを貼り付けながら天崎の背中に積み重なっていた。
「――ッ!? いったい何人いやがるんだ!」
仮に一人五十キロだとしても、軽く一トンは越える重量。しかも絶え間なく人数が増え続けているのか、天崎の身体に掛かる負荷はとどまることを知らない。
「くそっ……」
支えとなっている両腕が、重さに耐えきれず震え始めてきた。
だが自分が耐え凌がなければ、円が潰されてしまう。たとえこの身が壊れようとも、それだけは回避しなければ。なんとかして円だけでも脱出させられないだろうか。
額に滲んだ汗が、頬を伝って顎から滴り落ちる。
その時、いつの間にか円が仰向けになっていることに気づいた。
水晶のように透き通った彼女の瞳が、天崎の脳内へ静かに語り掛けてくる。
『東四郎。力を抜いても大丈夫。私を信じて』
「……分かった」
何故、大丈夫なのか。何が大丈夫なのか。
一寸たりとも疑うことなく、また一瞬の逡巡もせず、天崎は円を信じた。
耐えることを止め、両腕の力を抜く。すると奇跡など起こるはずもなく、天崎と円は数トンにも及ぶ肉の塊の下敷きになってしまった。
「――ッ!?」
テレビのチャンネルを切り替えるように、天崎は一瞬で現実へと帰還した。
掛け布団を投げ出すほどの勢いで跳ね起き、すぐにでも動けるよう、片肘を胴体と敷布団の間に挟み込む。その体勢のまま、ゆっくりと周囲を見回した。
真っ暗ではあるが、ここはおののき荘の自室だ。見間違えるはずはない。
「現実……だよな?」
頬を抓ってみると痛みはあった。つまり今まで見ていた光景は夢だったのだろう。
しかしリベリアや月島が出てきた昨日一昨日とは違い、ついさっきまで見ていたにもかかわらず、その大半を忘れてしまっていた。何か気持ちの良い感覚に身を委ねた後、とてつもなく重い物体に圧し潰されたのをぼんやりと覚えているだけ。
とはいえ身も凍るほどの悪夢だったことは、額や背中にべったりと滲んでいる寝汗が物語っていた。
そこで、ふと思い出した。確か夢の中では、円も一緒に潰されたはずだ。
「円!」
押し入れの方に顔を向け、思わず声を上げてしまう。
だが開け放たれた襖を発見するのと同時に気がついた。足の辺りが何やら重い。
「円……?」
もう一度、静かに呼びかけると、足元で眠っている円が不機嫌そうに眉を寄せた。
その様子を見て、天崎は安堵する。これといって怪我をしているわけではなさそうだった。
いや、当たり前だろう。圧し潰されたのは単なる夢。天崎の頭の中だけに映し出された映像なのだから、現実に被害が出るわけがない。あまりの悪夢に、ちょっとばかり神経質になっているようだ。
異常がないか、改めて室内を見渡してみる。最終的に問題なしと判断した天崎は、再び布団に潜り込んだのだが……すぐには寝付けなかった。
横になったまま、いろいろ考えてしまう。
もしかして円が倒れ込んできたから、何か大きな物体に潰される夢を見たのか? いや、たとえそうだとしても、自分が見た夢の内容で彼女を責めるのは酷だろう。問題はもっと根本的な所にある。
円が寝ぼけてこっちに来たのは、もう三日連続になるはず。こんなことは未だかつてなかった。一緒に寝たいのなら最初にそう言えばいいだけだし、寝ぼけている自覚がないのなら本気で心配しなきゃならない。っていうか、座敷童って夢遊病になるのだろうか?
とにかく、一度円と話し合わないと。
そんなことを考えている間にも、夜はすっかり更けていく。




