第5章 バレンタイン当日
バレンタイン当日は、やはり学校の雰囲気がいつもと違っていた。
まずは下駄箱の中にチョコが入っていないか確認する男子生徒がちらほら。こればかりは、さすがの天崎も苦笑した。手紙とかならともかく、上履きの上に食べ物を置く女子などいないだろう。本命ならなおさらだ。
つづいて教室へ。予想通り、机の中を覗く男子が散見できた。
しかし今は早朝。まだ登校してきていない女子も多く、よほどのことがない限り、朝一でチョコを入れる機会などありはしない。夢を見るのもいいけど、もっと現実にも目を向けようぜと、天崎は鼻で笑った。
そもそも天崎も当事者の一人なのに、何故こうも余裕でいられるのか。
その理由は、月島には昨日チョコを貰ったばかりだし、リベリアからは今夜渡すと明言されているからである。さくらの言う通り、確かにドキドキする醍醐味は失ったが、これはこれで優越感に浸れるので悪い気分でもなかった。
そんなこんなでバレンタイン当日は過ぎていく。
天崎もいくつか義理チョコを貰い、友人たちと数を報告しながら一喜一憂して楽しんだのだった。
おののき荘に帰宅すると、円が元気な姿で出迎えてくれたため、ひとまず安心する。
昨日と同様、今朝も非常に眠たそうだったのだ。さくらに聞いたところ、起床時間を遅らせたら普通に朝ごはんを食べていたらしい。つまり特に具合が悪いわけではなく、ただ単に寝不足だったのだろう。それはそれで夜更かししないように注意しなければならないが。
そして今日も今日とて月島と勉強会である。夕方に訪れた月島を迎え入れ、顔を突き合わせて勉強を始めたのだが……昨日の夢のせいか、どうしても彼女の顔を直視することができなかった。
具体的に言えば、自然と月島の胸元へ視線が下がってしまうのである。そこにある大きなバストが露わになったのを想像して、その都度体温が上昇するのを感じていた。
それからしばらく勉強を続けるも、今日はリベリアが働いている店に行くため、昨日よりも早めに切り上げることになった。どうやらそれは月島も承知していたらしく、特に不満を言われることなく解散となったのだった。
「なるほど、安藤君の言うことはもっともだ。真っ新な状態から『種の根源』を調べるのは、まず不可能だろうからね」
天崎の話を聞いた『ファンタジースクエア』の店長は、深々と頷いた。
店で行われるバレンタインイベントの前に事務所へ足を運び、安藤の言を伝えたのだ。すなわち『種の根源』を知るきっかけとなった資料を、どこで読んだのか。
「うーん……申し訳ないけど、もう何百年も前の出来事だからなぁ」
「まったく覚えていないんですか?」
「いや、そうでもないよ。まず資料を目にしたタイミングは、自分がほぼ不老不死だと判明した後なのは間違いない。彼女が死んで、自暴自棄に陥っていた時期を乗り越えて、身体が変化していることに気づいた。それで似たような症状がないか、調べようと思ったんだ。それでも四百年か五百年くらい前の話だからね」
「五百年……」
「想像できないだろ? 五百年前の記憶なんて」
「そりゃ俺はまだ十八年しか生きてませんから」
ニヒルな笑みを見せた店長に対し、天崎は苦笑いを浮かべた。
「あっ、そうだ。天崎君の顔を見て思い出した」
「俺?」
「確か資料の著者は天崎四方継という名前だったはずだ。つまり君の遠い先祖なんだと思う」
「天崎四方継?」
その名前は記憶に新しい。
天崎四方継。年末年始に実家へ帰省した際、土蔵の中で見た家系図に記されていた名前だ。記憶が確かなら、天崎家を興した平安時代の先祖だったはず。
「つまり店長さんは、すでに『完全なる雑種』だった天崎家なら、何かヒントがあると思って調べたわけですか?」
「どうだったかなぁ。どういう経緯で天崎家を知ったのかは、ちょっと……」
「どのみち、その資料は俺の実家にあるかもしれないってわけか」
店長が口ごもったのを見て、天崎は呟いた。
ただ正月に家の中を探し回った時は、それらしき物は見つからなかった。天崎四方継という名が記されているなら、無関係と決めつけて見逃したりはしないだろう。
「ちなみに天崎君の実家は、どこにあるんだい?」
「この県の海沿いです。電車を乗り継いで一時間くらいですね」
そう言って、天崎は実家の住所を伝えた。
「あの辺りか。行ったことはあるけど、住んだことはないかな」
その言葉を機に、二人の間に沈黙が生まれた。
音らしい音を失ったせいか、事務所の外からスタッフの女の子たちの賑やかしい声が聞こえてくる。もうすぐイベントが始まるのだろう。そろそろ移動しなければ。
そう断りを入れようと、天崎は腰を浮かせる。すると眉間に皺を寄せて俯いていた店長が、ふと顔を上げた。
「天崎家については、誰かに教えてもらったような気がするな」
「誰にですか?」
「行きずりの人だったはずだから、さすがに個人までは……いや、いやいやいや。違うな。今はっきりと思い出したよ。人間じゃなかった。確か黒猫だった」
「黒猫?」
「喋る猫なんて初めて見たから、印象に残ったんだ」
天崎の脳裏に、市営団地の廃墟で出会った、あの猫又の姿が浮かんだ。
「アイツかな?」
「アイツ?」
「今月の頭に、俺も同じような猫又と遭遇したんです」
天崎は、その時の出来事を簡潔に話した。
「さすがに同一個体かは分からないな。ただ猫又になるくらいだから、それなりの年月を生きていると思う。あの時の黒猫だったとしても不思議じゃない」
店長の推測に、天崎も同意した。
とりあえず、やることが二つできた。一つは改めて猫又と面会すること。どのみち定期的に廃墟の状況を教えてもらう約束になっているため、今週か来週の週末くらいに安藤を誘って会いに行こうと、天崎は思った。
二つ目は、実家に電話して天崎四方継の名が入った書物を探してもらうこと。もちろん自分が探した時には何も出てこなかったので、あまり期待はしていないが。
「店長さん。今一度お伺いしたいんですけど、その天崎四方継が遺した資料って、他に何が書いてあったか思い出せませんか?」
「僕が覚えていることは、ほとんど語ったつもりだよ。『種の根源』と呼ばれる場所があること。そこには完璧な『完全なる雑種』だけが到達できること。あらゆる生命体の元型が保管されていること。そして保管されている元型を弄って、生命体の遺伝子を自由自在に書き換えられること。大まかにまとめると、こんな感じだったと思う。ちなみに、天崎四方継の資料以外で『種の根源』という単語を目にしたことはない」
「ってことは、天崎四方継だけが『種の根源』の存在を知っていた? どこでどうやって知ったんでしょう?」
「それは想像するしかないな。すべては創作かもしれないし、今現在『種の根源』にいるのが天崎四方継なのかもしれない」
いや、それはどうだろう。口には出さなかったが、天崎は否定的だった。
天崎東四郎の父、天崎誠三までは完璧な『完全なる雑種』ではなく、西村狂一郎の血が混じったことによって、初めてその域に至ったのだ。平安時代の先祖が、『種の根源』に到達できていたとは思えない。
「『種の根源』の資料に関して、僕が言えるのはこれくらいかな。参考になったかい?」
「ええ、まあ」
「なら僕からも一つ質問をしよう。修行の方は順調かな?」
店長が勧めてきた漫画の話である。
ちゃんと漫画を読んでいるのか。もしくは血統の覚醒に役立ちそうか。二つの意味で捉えられたが、どのみち答えは同じだった。
「いやー……それが期末テストも近くて勉強しなくちゃいけないから、あんまり漫画ばっか読んでもいられなくて……」
「テスト勉強か。学生さんは大変だな。ま、慌てずゆっくりやっていけばいいと思うよ。そんな短期間で会得できるようなものでもないし。当面の目標は、リベリアさんの部屋にある漫画をすべて読破することかな」
「すべてか……」
たぶん店長はリベリアの部屋を見たことがないから、そんなに軽く言えるのだ。天井まで聳え立つ本棚にぎっしり詰まった漫画をすべてなど、いったい何日かかることやら。
天崎が絶望的な気分を味わっていると、時計を見た店長が慌てて立ち上がった。
「しまった。そろそろイベントの時間だな。天崎君は早く店の方へ行った方がいい」
追い出されるように事務所を出た天崎は、『ファンタジースクエア』の表へ回った。入り口から店内に入ると、今ではすっかり顔なじみになったミコミコが出迎えてくれる。彼女は含み笑いを浮かべて、店の奥へ目配せした。
「んっふっふ。いらっしゃい、天崎君。ささ、天崎君専用の席へご案内~」
さすがにそれには気が引けた。
「ミコミコさん。そんな専用の席とか用意してくれなくていいですから……」
「あれ、リベリベから聞いてないの? 今日はイベントだから座れる席が事前に抽選で決められててさ、そうじゃないと座れないお客さんが出ちゃうし」
「そうだったんですか」
店内を見渡してみると、確かにすべてのテーブルが綺麗に埋まっていた。
当然ながら天崎には応募した記憶はないので、リベリアが都合してくれたのだろう。そのせいで抽選にあぶれた誰かに、天崎は心の中で深く謝罪したのだった。
「ささ、こちらへどうぞ~。もうすぐイベントが始まるから、ちょっと待っててね」
ぽっかりと空いた一人席に案内され、天崎は適当にドリンクを注文する。するとイベントの時間になったのか、店内が薄暗くなった。
バーカウンターの隣に設けられたステージへスポットライトが当たり、店の女の子たちが横一列に並ぶ。バレンタイン仕様なのか、今日は全員がハートマークの刺繍の入ったピンク色のメイド服を着ていた。
進行役の案内の元、客が順番にステージへ上がり、女の子からチョコを貰ったりチェキを撮ったりしている。自分の番でおかしな行動をしないよう、天崎はその様子をしっかりと観察していたのだが……どうやら座った席によって、チョコを渡す女の子が決まっているようだ。だからこその抽選だったのだろう。
そして天崎の前は、当然のごとくリベリアだった。
謀られたなと、天崎は片目を閉じる。もちろん嫌なわけではないのだけれど。
自分の番になったため、天崎はステージに上がってリベリアの前へ向かう。その時、彼女が後ろ手でチョコを入れ替えるのが見えた。おそらく店が用意した物と自分の手作りを交換したのだ。
仕事用の愛想笑いを張り付けたリベリアが、可愛らしい仕草でチョコを差し出してくる。なんだ、チョコ以外は特別仕様じゃないのかと、拍子抜けした天崎だったが……思わぬところから不意打ちが来た。
顔を寄せたリベリアが、耳元で小さく囁きかける。
「本命ですよ」
ほんのり頬を紅潮させたリベリアの笑顔があまりにも眩しすぎて、天崎は思わず身を硬直させてしまった。
同時に、他の女の子たちがこちらを見てニヤニヤしているのにも気づく。恥ずかしさが限界を突破した天崎は、そそくさと自分の席に戻っていったのだった。




