空 白 その2
その日の放課後。茜色の夕陽が差し込む教室の中で、天崎と月島は向かい合ってテスト勉強に励んでいた。
最終下校時刻間近のためか、教室内には他に誰もいない。窓の外から、部活に勤しむ生徒たちの声が届くくらいだ。とても静かで、それでいて心地の良い穏やかな空気が二人の間に満ちていた。
ふと、静寂を壊すように月島が唸り声を上げた。
「うわーん。難しいよぉ」
弱音を吐いた月島が、シャーペンを放り出して机に突っ伏してしまった。
その様子を見た天崎は、頭を抱えて呆れるばかりだ。
「えー……これ、二年の初めでやる問題だぞ。マジで今度のテスト大丈夫か? 三学期期末だから、この一年間の総まとめだろうし」
「うーん、大丈夫じゃないかも。その……私、そんなに長生きするつもりじゃなかったから」
「ああ……」
伏し目がちに言われて、天崎も思い出した。
本来なら月島は、姉の魂に引っ張られて、去年の十月辺りに亡くなっているはずだった。それを天崎が命からがら助け出したのだが、月島自身も年は越せないと薄々感づいていたため、あまり勉強をしてこなかったのだろう。責められるわけがなかった。
とはいえ今までの遅れを二週間で取り戻すのは、かなり難しい。毎日死ぬ気で勉強しなければ間に合わないことは明白だ。
「もうすぐ最終下校の時間だし、そろそろ終わりにするか」
「うん。ありがとね、天崎さん」
「おう、続きは明日だな」
そう言って、天崎は教材を片付け始める。
だが月島は一向に動こうとせず、何やらそわそわしていた。
「どうした?」
「その……天崎さんにお礼がしたくて」
俯いた月島の顔は、茜色に輝く夕陽よりも真っ赤に火照っていた。
そして鞄の中から丁寧に包装された小箱を取り出すと、天崎に手渡してくる。
「バレンタインのチョコ……です。受け取ってくれませんか?」
「えっ?」
あまりにも予想外な出来事に、天崎は情けない声を漏らしてしまった。
正直なところ、月島からはチョコを貰えるものだと信じて疑わなかった。だから、この光景を想定していなかったわけではない。
けど、バレンタインは明日なのだ。自分が日付を間違えていたのかと、混乱してしまう。
「月島。言いにくいけど……今日はまだバレンタインじゃないぞ?」
「うん、もちろん。けど、どうやって渡そうかさくらさんに相談したら、天崎さんはモテるから前日に渡して印象付ける作戦も有りだって……」
「な、なるほど」
自分がモテるかどうかはともかく、その作戦は理に適ってるなと思った。
チョコをたくさん貰える奴からすれば、普通に渡しても大勢の中の一人としてしか認識されない可能性が高い。しかし当日でなく前日なら、それだけ印象にも残る。事実、あまりのサプライズに天崎も少しばかり放心していたところだ。
まさか、こんなことがあろうとは……と、天崎は心の中で犬飼に土下座した。
月島の意図を明確に理解した天崎は、差し出されたチョコレートを快く受け取った。
「ありがとう、月島」
「うん」
渡した方も受け取った方も不慣れなため、照れ臭くなった二人は顔を背ける。天崎もまた、自分の頬が熱を帯びていることに気づいた。
ただ、いつまでもドギマギしているわけにはいかない。最終下校時刻は目前だ。
無理やり熱を冷ました天崎は、月島に向けて「さあ、帰ろう」と促す。しかし彼女はゆっくりと首を横に振った。
「その……実はチョコはそれだけじゃなくて、もう一つあるの」
「もう一つ?」
すると突然、月島がカーディガンのボタンを外し始めた。制服のポケットにでも入れてるのか? と思って見守っていたのだが、どうやらそういうわけではないらしい。さらに月島は、セーラー服のリボンも取っ払ってしまう。
さすがに黙って見ていられなくなった天崎は、声を張り上げて制止した。
「ちょ、ちょっと待て月島! 何をしようとしてるんだ!?」
「えっと……早く食べないと零れちゃうから……」
「零れる?」
だが、先に零れたのは月島の大きなバストだった。
セーラー服を脱ぎ捨てたことにより、あまり派手ではないブラジャーが露わになる。しかも両腕で寄せるものだから、普段よりも大きく見えた。
「バカ! こんな所で何してるんだ! 誰か来たら……」
慌てて周囲を見回すも、最終下校時刻間近なので、他の生徒が近くにいる気配はない。そうでなくとも、今の天崎には絶対に誰も来ないという不思議な確信があった。
見てはいけないと思いつつも、やはり本能には逆らえない。顔を背けながら、視線はどうしても彼女の魅惑的なバストへ惹きつけられてしまう。
天崎が葛藤している間にも、月島は溶かしたチョコレートを胸の谷間に流し込み始めた。
「どうぞ、天崎さん。食べても……いいよ」
恥ずかしそうに目を逸らし、頬を真っ赤に染めた月島が誘惑してくる。
谷間に注がれたチョコレートが揺れるのを見て、天崎は生唾を飲み込んだ。
あの奥手な月島が、自分のためにここまでやってくれている。なら、拒否できるはずがないだろう。というか『月島の柔らかそうなバストを堪能したい!』と、本能が訴えかけていた。
「ほ、本当にいいのか?」
「……うん」
最終的な確認をしてから、天崎はゆっくりと月島の胸元へ顔を近づける。
視界いっぱいに広がる胸の谷間。緊張した月島が身を強張らせると、胸全体が波打った。いったい、どれだけ柔らかいというのか。
いや、ともあれ、まずは彼女の要望に応えるべく、チョコを舐めるべきだ。
そう判断した天崎は、月島の胸に顔を埋めるように前屈みになる。そして性欲に従うまま、カカオたっぷりのチョコレートへ向けて舌を伸ばした――、
――その時だった。
バンッ! という何かが破裂したような音が轟き、天崎は反射的に飛び退いた。
「うわあぁ!」
情けない声を上げ、月島から距離を取る。周りの机のおかげで大転倒は避けられたものの、支えがなければ立っていられないほど腰を抜かしてしまった。
机に身体を預けながら、天崎は爆発音がした方へ顔を向ける。
そこで掃除用具ロッカーの扉が開いていることに気づいた。
「ま、円ぁ!?」
中から現れたのは、小さな同居人だった。
ロッカーの扉を勢いよく開け放った後、彼女は一目散に天崎の方へ駆け寄ってくる。その足取りは、どこか怒気を帯びているようにも感じられた。
「な、なんで円が教室に? って、何をする気だ?」
突然、円が天崎の身体を押し始めたのだ。
無暗に抵抗するわけにもいかず、天崎はされるがまま円に従う。だが無言の円に連れて行かれた先が窓際だと知り、天崎の脳裏に嫌な予感が過った。
「ま、まさか……」
気づいた時には、もう遅かった。円が天崎の身体を窓の外へ突き落としたのだ。
抵抗する猶予もなく窓枠から放り出された天崎は、真っ逆さまに落ちていく。
「うわああああああ!!!」
迫り来る地面に向けて、天崎は絶叫を上げたのだった。
「――ああああああ!!!」
落下する夢から覚めた天崎は、飛び跳ねるように起床した。
肩で息をしながら、ゆっくりと周りを見回してみる。そこは学校ではなく自室だった。
しかも蛍光灯は点いておらず、室内は輪郭でしか捉えられないほど真っ暗である。枕元のスマホで時刻を確認すると、午前三時だった。
そうだ、全部思い出した。
夢の中で交わした月島との会話は、途中までは本物だった。一緒に勉強をして、それが終わったところでバレンタインのチョコを渡されたのだ。前日に渡すことで、印象付けるためだと言って。
ただ夢と違うのは、勉強会の場所が教室ではなく、天崎の自室――つまりここだったこと。そして当然ながら、セーラー服を脱ぎ捨てて胸元にチョコレートを注ぎ込むような出来事もなかった。残念だけれども。
なんであんな夢を見たんだろうなぁと、天崎はため息を吐く。
ふと足元を見ると、またしても寝ぼけてダイブしてきた円が横になっていた。
「昨日に引き続き、か」
二夜連続でピンク色の夢を見て、さらには美味しい場面で円に邪魔される。
なんか作為的なものを感じるなと思いつつも、急に眠気が襲ってきた天崎は、チョコレートの注がれた月島の魅惑的なバストを思い出しながら、悶々と床に就いたのだった。




