第4章 バレンタイン前日
「おっす、天っち」
昇降口で上履きに履き替えていると、同じく登校してきた犬飼と遭遇した。
そういえば、コイツと会うのも一週間ぶりか。そう思いながら挨拶を返そうと顔を上げたところで、天崎は訝しげに眉を寄せる。何故か犬飼が満面の笑みを浮かべていたからだ。
「なんか、ずいぶんと嬉しそうだな。何か良いことでもあったのか?」
「おいおい。惚けんなよ、天っち。明日が何の日かくらい知ってるだろ?」
そりゃ知っている。明日は二月十四日。男子にとっては一日中落ち着かない日である。
それは分かる。犬飼がテンションアゲアゲな気分になるのも理解できる。でも明日なのだ。バレンタインは明日なのだ!
「いやー、バレンタイン前に学級閉鎖が明けて本当に良かったな!」
「あんまり喜びすぎると、ターニャに何を言われるか分かったもんじゃないぞ。あいつ嫉妬深いだろ? 他の女子からチョコを貰ったってことがバレたら、怒り狂うんじゃないか?」
「大丈夫だって。どんなけチョコを貰っても、俺の気持ちはターニャちゃん一筋だからって事前に言ってあるから」
「うわー……軟派男の常套句じゃねえか」
友人の軽すぎる態度に、天崎もドン引きしてしまった。
とはいえ他人事である。二人の行く末がどうなろうと、天崎は知ったこっちゃない。
「にしても、ちょっと浮かれすぎだろ。ターニャっていう本命からはチョコ貰えないんだし」
「イヤだなぁ、天っち。別にチョコじゃなくてもいいさ。そこはほら、気持ちがあれば?」
そう言いながら、犬飼は自分のスマホを見せびらかしてきた。
どういう意味か分かってしまったため、天崎は嫌悪感を露わにしながらも、周囲を気にしつつ慌てて制止した。
「分かったから、ここで変な動画を垂れ流すなよ」
「うっひっひ」
特に否定することもせず、犬飼は卑猥な笑い声を上げるのだった。
「とにかく」
教室に到着したため、天崎は最終的に自分の言いたいことで話を締めくくった。
「断言してもいい。お前も今日は絶対にチョコなんて貰えないだろうから、はしゃいでも無駄だぞ。その元気は明日にとっとけ」
「えっ、天っちは俺にチョコを渡してくれる女子はこの世に存在しないって言うのかよ!」
「そうじゃなくて、今日はまだ十三日だから……」
「ひどいよ天っち! 俺だって……俺だってチョコをくれそうな女子の一人か二人か三人くらい、ちゃんといるわい!」
何故かヒステリックな声を上げた犬飼が、涙を流しながら走り去っていった。
「いや、バレンタインは明日だから今日は貰えないだろって意味で言ったんだが……」
いったい何を勘違いしたのやら。訳の分からない天崎は、あっという間に小さくなっていく友人の背中を、ただただ呆然と見送るばかりだった。
というか、天崎だって奴が一個もチョコを貰えないとは思っていない。男女分け隔てなく友人の多い犬飼は、むしろ平均よりも多い方だろう。事実、去年はそうだった。
「ま、どうでもいいか」
心の底から興味を失った天崎は、何事もなかったかのように教室に入った。
授業の用意をしていると、先に安藤が登校してくる。
「おはよう。なんかさっき、犬飼が泣きながら廊下を走ってたんだけど?」
「気にするな。いつもの発作だ」
「あぁ、いつものか」
犬飼は定期的にアホな行動をする。友人の間では常識になりつつあった。
「で、天崎。ちょっといいか? 昨日の話の続きがしたい」
「お、もう『種の根源』について調べてきてくれたのか?」
「無茶を言うな。まだ一日も経ってないだろ。何を調べるにしても時間が足りないよ」
安藤は鞄を下ろしながら苦い顔を浮かべた。
「一晩じっくり考えてみたけど、やっぱり何か足がかりのような物がないと調べようがない。となると、鍵は店長が見たっていう資料だ。どこでどんな資料を目にしたのか、がんばって思い出してくれって言っといてくれないか?」
「まあ、確かにな。……分かった。明日の夜に行くから、その時に聞いておく」
「明日?」
「店でイベントがあるみたいで、リベリアに誘われたんだよ。一緒に行くか?」
「行くわけないだろ。明日はマジョマジョさんと過ごすことになっている」
「うわー、これが彼女持ちの余裕か」
完膚なきまでの敗北感を味わった天崎は、がっくりと肩を落とした。
というか、安藤の目が『バレンタイン当日にそんな店に行くのは本命が貰えなかった非モテの奴くらいだろう』と語っていそうで、天崎としては早く話題を変えたかった。
「そうそう。ここ最近、『調査員』だけじゃなくて『専門家』もちょくちょく見かけるようになったから、気をつけてくれ」
「『専門家』?」
「『調査員』の数が増えたのは、獣人たちが一時的に避難してきたからだろう。『専門家』に関しては……」
一旦言葉を切った安藤が、ここ一年でベスト3に入るくらいの盛大なため息を吐いた。
「一昨年からいろいろなことがあったからね。サンタの大軍に始まり、吸血鬼の襲来やデパートで起きた首切り事件とか。果てには獣人の里が全焼するような火災。今後また異変が起きてもすぐに対応できるように、『調査員』が暇な『専門家』に招集をかけたみたいなんだ。とはいっても数は少ないし、何も起こらなければ彼らから動くことはないと思うけど……僕としては本当に勘弁してほしいものだよ」
「ご愁傷様。リベリアたちにも伝えとく」
「よろしく頼んだ」
朝の情報交換は、それで終わりだったようだ。話すことだけ話し終えた安藤は、自分の席へ戻っていこうとする。
するとそこへ、月島が小走りで駆け寄ってきた。
「うぅ、天崎さーん……」
しかも何故か泣き出しそうだった。
そういや忘れていたなと、天崎は心の中で反省した。今朝、一緒に登校するかどうか月島に声を掛けてすらいなかったのだ。
まさか、それで恨み言でも言われるのか? と思い、天崎は身構えていたのだが……どうやら考えすぎだったようだ。天崎の机の横でしゃがみ込んだ月島が、潤んだ瞳で見上げてきた。
「あ、天崎さん。折り入って相談が……」
「相談?」
「勉強教えてぇ!」
「ああ……もう二週間もしないうちに期末テストだもんね」
隣で見ていた優等生は、嫌味になるほど余裕そうだった。
「そうなの! お姉ちゃんと対話できなくなってから、勉強の仕方がよく分からなくなっちゃって……」
「今までのツケが回って来たってことか」
常にもう一人……しかも優秀な奴が側で語り掛けてくるなら、そりゃ勉強する意味もないわなと、天崎は納得した。
「とはいっても、俺も他人に教えられるほど勉強ができるわけじゃないからな。ここは安藤にでも頼った方がいいんじゃないか?」
「バカなのか君は。バカなのか君は!」
「なんで二回も言うんだよ……」
罵倒された理由が分からず、天崎は文句を言いたそうに顔を顰めた。
優秀な安藤に教わった方が効率が良いはずだと、合理的なことを言ったつもりだったんだけどなぁ。なんて思いつつも、天崎は仕方なく了承する。
「分かった、分かった。今日から少しずつ勉強を見てやるよ」
「本当!? あ、ありがとう!」
絶望の淵から一縷の希望を見出した月島の表情は、とても眩しかった。




