第3章 いつも通りの朝……?
朝。天崎と円とさくら、そして例によって朝食をたかりに来たリベリアの四人で、いつものように食卓を囲んでいた……のだが、普段とは違う円の様子を目の当たりにして、他の三人は唖然としたまま箸を止めていた。
瞼を半開きにした円が、茶碗を持ったままうとうとと舟を漕いでいるのだ。
珍しい光景に、他の三人は無言で目配せをする。
その時、円の身体が不意に大きく傾いだ。
「おっと」
倒れそうだなと予感していた天崎が、その小さな身体を慌てて抱きとめた。
ハッと目を見開く円。思い出したように朝食を再開するも、一分もしないうちに再び食事の手が止まり、うつらうつらとしてしまう。
その様子を見かねたさくらが、ため息混じりに注意を促した。
「円さん、眠りながらの食事は行儀が悪いです。しかし眠たいのなら仕方がありません。私はしばらくこの部屋にいますので、朝食はまたひと眠りしてからにしましょう」
言うと、半開きになった円の目がさくらを捉えた。
そして素直に頷く。
「うん……そうする」
茶碗と箸をちゃぶ台の上に置いた円が、ふらつく足取りで押し入れの方へ歩いていく。そのまま襖の前で反転すると、彼女は深く頭を下げた。
「ごめんなさい。おやすみなさい」
そう謝罪して、円は自分の寝床へと引っ込んでいってしまった。
彼女の一連の行動を見ていたリベリアが、箸を咥えながらぼやいた。
「珍しいですね。円さんが朝ごはんの時に、あんなに眠たそうにするなんて」
「昨日はいつも通りの時間に寝たはずなんだけどなぁ」
とはいっても、押し入れに入った円が何時に眠ったかは天崎も把握していないが。
「そういや、昨日の夜は寝ぼけて俺の頭へダイブしてきたな。それで起こされた」
「へえ、よくあることなんですか?」
「たまにあるぞ。かといって、それで寝不足になるわけじゃないと思うけど」
むしろ、あそこまで眠たそうな円は初めて見た気がする。クリスマスに夜通しでプレゼントを配るなど、何かイベントごとがあった時以外では。
「そういう訳なので、東四郎さんが登校した後も、しばらくここに残っています」
「ええ、お願いします」
さくらの申し出に、天崎は遠慮なく甘えることにした。
いつも一緒だった一人が欠けた中、黙々と朝食が進んでいく。そこでリベリアが思い出したように話しかけてきた。
「あっ、そういえば天崎さん。明日の夜ってお時間空いていますか?」
「まあ……空いてると思うぞ」
「お店でイベントやりますので、よかったら来ませんか? その時に私の手作りチョコレートをお渡しします」
「ぶふっ!」
何故かさくらが吹き出した。
意外な所からの意外な反応に、天崎とリベリアは不思議そうに顔を見合わせる。すると息を整えたさくらが、怒ったようにちゃぶ台を乗り出してきた。
「リベリアさん、ダメじゃないですか! 当日まで内緒にしておかないと!」
「え、そうなんですか? 別にチョコを渡すだけだから、そんなにもったいぶって隠さないでもいいのでは?」
「ダメです! 男性としては、バレンタイン当日にチョコがもらえるかどうか、そわそわするのも醍醐味なんですから! ここで言ってしまったら面白味がなくなるじゃないですか!」
この人、本当に人魚なんだよな? と、天崎はさくらに疑いの眼差しを向けた。
「はえ~、そういうものなんですか。でも手作りかどうかはさておき、私が天崎さんにチョコを渡すのは確定事項みたいなものなので、特に期待するほどでもないかと思います。ね、天崎さん」
「え? あ、おう。そうだな……」
同意を求められたので、ついつい頷いてしまった。
それを見たさくらは、満更でもなさそうに頬を緩める。
「まあ、それはそれで……」
何か変なことを考えてるんだろうなと察した天崎は、さくらを視界に入れないようにした。
にしても、リベリアのチョコか……。
「血が入ってそうだな」
「失礼な! いくら私でも、そんなことはしません!」
「そりゃそうだよな。悪かった」
「…………」
天崎は謝るも、今度はさくらからの白い眼がリベリアを貫いていた。
ただ『血が入ってそう』と言ったのも、天崎の咄嗟の照れ隠しだった。
思い出すのは、ついさっき見た夢。
夢の中で誘惑してきた美少女が、今まさに手の届く場所にいる。
夢で現れた姿と寸分違わぬ美しさをもって、自分の隣に座っている。
もし現実で同じような行為をしたら、彼女は受け容れてくれるだろうか。そして夢の続きができるだろうか。
朝食を口へ運びながらも、チラチラとリベリアの方を窺う天崎の頭の中では、夢で見た彼女の美しい肢体と、その後の行為のことでいっぱいだった。もちろん夢と現実の区別はちゃんとついているので、実際に手を出したりはしないけれど。
「んん? 天崎さん、さっきから私の方ばかり見てますが、顔に何か付いていますか?」
「……いや、なんでもない」
「ははーん。天崎さんもついに私のナイスバディに欲情するようになっちゃいましたか」
「お前よりもナイスバディな女性は何人も見てきたからな。俺もけっこう目が肥えちゃったから、それはなさそうだ」
「ひどい!」
いつか誰かと同じやり取りをした気がするなと思いつつ、天崎は真っ向から否定した。
だが危うく図星で言葉を詰まらせそうになったのも事実だ。そうなれば彼女たちは妙な勘繰りをし、天崎を茶化してきただろう。そっち方面のアンテナが鋭いさくらは、特に。
ひとまず誤魔化せそうだなと安堵した天崎は、ボロが出る前に早々に朝食を平らげた。それからリベリアは自分の部屋へ戻り、天崎も円をさくらに任せて登校の準備を始める。
「いってきます」
玄関を開けると、二月中旬にしては暖かい風が頬を撫でた。
清々しい朝だ。一部、そうではない人もいるみたいだが。
「おはようございます、空美さん。今そっちから来たってことは……朝帰りですか?」
おののき荘の外階段を下りたところで、空美とばったり出くわしたのだ。
しかも公道からゆっくりと現れた彼女は、ずいぶんとやつれているようだった。
「……お? おぉ……東四郎か。その通りだ」
ここまで気分が悪そうな空美は久々に見た。
お隣さんへの社交辞令として、天崎は身体を労わるように声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「お前はこれが大丈夫なように見えるのかよ。飲みすぎちまって、もう何回か吐いた後だ」
あっ、こりゃアカンやつだ。面倒なことになるやつだ!
そう察した天崎は、登校という大義名分を盾にして逃げるように学校へ向かったのだった。




