空 白 その1
「ん、ん~……」
窓から差し込む夕陽が瞼を刺激し、天崎は呻き声を上げた。
ゆっくりと上体を起こして、寝ぼけ眼で周りを見回す。壁際には漫画やライトノベルがぎっしりと詰まった本棚が並んでおり、側には読みかけの漫画が放り出されていた。
思い出した。安藤が帰った後、漫画の続きを読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまったのだ。
部屋の主であるリベリアの姿はない。おそらく、まださくらの部屋にいるのだろう。
大あくびをかまして背筋を伸ばした天崎は、読みかけだった漫画を一瞥した。こうやってリベリアの部屋で漫画を読み漁るようになった理由は、店長の言葉があったからだ。
各種族の能力を使いこなすためには、豊かな想像力が必要である。より正確に言えば、自分がその種族になりきることが何よりも重要なんだそうな。
だからこそ店長は漫画を読むことを勧めてきた。手軽に人外の物語へ参加する手段として。
ただ天崎としては少々懐疑的だったりする。本当にこんなことで『完全なる雑種』の力を十全に発揮できるのか。
とはいえ今のところ別の方法が思いつかないのも事実。ひとまず店長を信用してみよう。そもそも漫画を読むだけで、何か損をするわけでもないのだし。
「いや、あるな……」
今は買い物や夕飯の支度はさくらがやってくれているが、それと引き換えに、やや自由が失われた感も否めない。端的に言えば、勉強関連だ。来年度は受験生だし、漫画ばかり読んでたらさすがに怒られるだろう。
「しゃーない。夕飯までに予習復習くらいはやっておくか」
そう独り言ち、天崎は漫画を片付けるために立ち上がった。
そこで、ふとタンスが目に入った。同時に、安藤との会話が思い起こされる。
安藤はマジョマジョの部屋を訪れた際、たまにタンスを勝手に漁るんだとか。おそらくマジョマジョは、普段あまり性に関心がなさそうな安藤が、自分に興味を持ってくれていることに喜んでいるのだと思う。もちろん天崎は女心が分かる歳でもなければ、特定の女性とお付き合いしたこともないため、想像の域を出ないのだが。
どのみち、それは恋人同士だから許される行為。友人にやられたらドン引きだろう。
そこまで考えが至ったところで、天崎の中に邪な気持ちが生まれた。
リベリアはいったいどのような下着を身に着けているのだろうか?
安藤はマジョマジョの下着に興味があるわけではなく、彼女を喜ばせるためにやっているだけだと言っていた。しかし天崎は元が悪魔などではない、いたって普通の男子高校生である。リベリアほどの美少女が身に着けている下着に、興味がないわけがなかった。
気づけば天崎は玄関の方を一瞥し、全神経を聴覚に集中させていた。
帰ってくる様子はない。今ならタンスの中を見てもバレないんじゃないか?
天崎に悪魔が囁く。もちろんメガネを掛けた奴ではないし、さらに『でちでち』とか『なりなり』とかほざく天使は何も言ってこなかった。
生唾を呑み込んだ天崎は、忍び足でタンスへ近寄っていく。
そして音を立てないように、そっと引き出しを開けた――その時だった。
「おや? 天崎さん、何をしているんですか?」
「――ッ!?」
驚きのあまり、心臓が口から飛び出すかと思った。
慌てて後ろを振り返る。玄関の扉が開閉した音は聞こえなかったはずなのに、すぐ背後にはリベリアが立っていた。
「リ、リベリア!? これは誤解だ!」
「あら~。なるほど、そういうことですかぁ」
タンスから手を放し、喉を引き攣らせながらも言い訳をまくし立てる天崎。
だがリベリアは怒るどころか、何故かニコニコと笑みを浮かべていた。
「もう、天崎さんったら。私の下着が欲しいのなら、そう言ってくださいよ。いつでも差し上げますのにぃ」
「はあ!?」
と言って、リベリアはいきなり自分のデニムパンツをずり下ろした。天崎に制止の猶予を与えることもなく、さらにショーツも脱ぎ始める。
コンマの早さで下半身だけすっぽんぽんになったリベリアから目を背けるように、天崎は天井を見上げた。
「バカッ! お前、何してんだよ!」
「何してるって、決まってるじゃないですか。私の下着を欲しがってる天崎さんに、脱ぎたてほやほやのパンツを差し上げようかと思いまして」
「そ、そんなもの……」
要らない! そう答えようとして、天崎は言葉を詰まらせた。
本当に要らないのか? まったくもって欲しくないのか?
下心の葛藤が、さらなる隙を生んだ。
脱ぎたての下着を強引に天崎へ押し付けたリベリアが、そのまま押し倒してきた。吸血鬼の腕力に敵うわけがなく、天崎は背中を強かに打ち付ける。そして仰向けに倒れた天崎の元へ、リベリアが下半身丸出しのまま馬乗りになってきた。
「天崎さん。私はいつでもいいんですよ?」
ゆっくりと顔を近づけてくるリベリア。
長いまつ毛の下には、ガラス水晶のように綺麗な瞳。陶器にも勝る滑らかな肌。そして触れれば弾かれそうな瑞々しい唇。
疑いようもなく、リベリアは絶世の美少女だった。
そんな美少女が、いつでもいいと誘惑してくる。自分を受け容れてくれている。こんなもの……拒否できるわけがない。
リベリアならいっか。そう観念した天崎が、彼女の首の後ろへ両腕を回した。そのままゆっくり抱き寄せ、お互いの唇を重ね合わせようとしたところで――、
サッ! と、押し入れが開いた。
「ひひゃわあ!!?」
突然の出来事に仰天した天崎の口から、裏返った悲鳴が漏れた。咄嗟にリベリアの身体を押し退けて、慌てて首を回す。押し入れの中から現れたのは、無表情のまま怒気を漂わせている円だった。
「ま、円ぁ!? なんでここに? 俺の部屋じゃないだろ!?」
状況を呑み込めていない天崎を無視して、円が全力で駆け寄ってきた。
その気迫は、まさに高校球児。天崎の顔を一塁ベースと見做し、九回裏ツーアウトから内野ゴロを打ったバッター並みのヘッドスライディングをかましてくる。
「ぐえっ」
小さい体躯に圧し潰された天崎は、カエルのような情けない呻き声を上げたのだった。
「ぐえっ」
自分の頭が潰される夢を見て、天崎は慌てて飛び起きた。
身体を起こすと、顔の上に乗っていた円がごろごろと下の方へ転がっていった。
「こ、ここは……?」
全身に寝汗をかきながら、天崎は周りを見回した。
真っ暗な室内には、天井まで届く大きな本棚は一つもない。当たり前だ。だってここはリベリアの部屋ではなく、天崎の自室なのだから。
「まさか……夢?」
そうだ、思い出した。安藤と別れた後、帰ってきたリベリアと入れ替わるようにして自分の部屋へ戻ったはず。そしてさくらたちと夕食を共にし、明日の予習をしてから就寝した。その記憶もちゃんとある。
つまりリベリアの部屋で居眠りしてからの出来事は、すべて夢だったのだ。
「にしても、ずいぶんとリアルな夢だったな」
いきなり起こされたにもかかわらず、夢の内容はしっかりと脳裏に刻み込まれていた。
目の前で下着を脱ぎ、下半身すっぽんぽんのまま迫ってくるリベリア。馬乗りになられた時の重さも、触れ合った感触も、首筋から漂う良い匂いも、すべてが現実と区別できないほどリアルだった。
一通り回想した後、天崎は足元で転がったまま寝息を立てている円を見て思う。円が現れなければ、あの先はどうなっていただろうか?
そのままリベリアを受け容れたのだろうか?
もし受け容れたのなら、どこまで彼女と事を進めていたのだろうか?
欲望のまま彼女を抱いていたのか、それとも夢の中ですら自分はヘタレだったのか。
それを知るいい機会だったのに、ちょっともったいなかったなぁと、天崎は夢が中断された原因をじっと見つめる。そして少しだけ、ほんの少しだけ恨みがましい感情を交えながら、天崎は円の頭を優しく撫でてやるのだった。




