第1章 バレンタイン大作戦
下ネタあり。
「バレーンタイーン、大! 作! 戦!」
よく通る弾んだ声で、桜枝さくらが高らかに宣言した。
その堂々とした佇まいを称賛するかのように、パラパラと小さな拍手が起こる。天井に手が届きそうなほど大きく腕を上げたさくらの前では、リベリアと月島が並んで正座していた。
「えっと……バレンタイン大作戦?」
「何なんでしょう?」
さくらの言葉をいまいち理解していないリベリアと月島は、不思議そうに顔を見合わせた。
あまりに呑気すぎる二人の反応に、さくらは腰に手を当てて説教をかましてくる。
「なんで無反応なんですか! なんでそんなにテンションが低いんですか!? 花も恥じらう乙女にとっての大イベントが、もう明後日に迫ってきているのですよ!!」
さくらが力説するも、二人は困ったように首を傾げるだけだった。
ここはおののき荘のさくらの自室。日付は二月十二日の月曜日。時刻は夕方。つまりリベリアは寝起きであり、月島の方は建国記念日の振替休日であれど、先週までインフルエンザでダウンしていた身。少々疲れ気味だった。
しかも二人が招集された理由が今の第一声だったので、テンションが低くなるのも仕方のないこと。同調してほしいのなら、もう少し説明が欲しいところだ。
しかし二人の内心を知ってか知らずか、さくらは呆れてため息を吐くだけだった。
「そんなことでは他の女性たちに後れを取りますよ。ちなみにお二方は、去年までのバレンタインはどうされていたんですか?」
「わ、私はチョコをあげる人なんてお父さんくらいしかいなかったから、特に何も……」
「北欧ではバレンタインの文化が若干違いますからねぇ。かといって去年までは実家に引きこもっていましたので、チョコをあげる人がいなかったのは月島さんと同じです」
「ふむ」
やや落ち着いたさくらが、納得したように頷いた。
「では、今年のバレンタインはどうするおつもりで?」
「私は市販の物を買って、友達やお世話になってる人に配ろうかと……」
「私も同じ感じですかね。あと、夜はお店でイベントがあるのでバイトです」
嘘も誇張もなく、二人は予定していたことを、そのまま伝える。だが当たり障りのない回答は、さくらにとって地雷だったようだ。
「ちがーう! 確かに友チョコも否定はしません。イベントのある日は時給も上がると聞いていますので、バイトも大事かもしれません! ですが、お二人の考えは根本的に間違っています!」
再び噴火するさくら。
そして最終的には地団駄を踏むほど力強く断言した。
「想いを寄せる殿方の心を掴む、一大イベントでしょうがあああ!」
ゴジラのような咆哮に、二人は「えぇ……」と素直にドン引いた。
だが『思いを寄せる殿方』というワードで同じ顔を思い浮かべ、リベリアと月島は恥ずかしそうにお互いから顔を背ける。その様子を見てもう一押しだと感じたさくらは、自らの拳をギュッと握りしめて、自論を語った。
「義理チョコ、友チョコなら市販の物で構いません。しかし本命は手作りをして渡すべきなんです!」
上がりに上がったウザさマックスのテンションは別として、さくらの言葉は正論だ。最初は興味がなかったリベリアと月島も、少しずつ心を動かされていく。
ただ、そうなると心配しなくちゃいけないことが出てきた。
「あ、あの、さくらさん。それはいいんですけど、あんまり大きな声を出すと、隣の部屋の天崎さんに聞こえるんじゃ……」
「おやおやぁ? 東四郎さんに聞かれたくないってことは、月島さんの本命は、まさかの……?」
月島が指摘すると、さくらはにんまりと意地汚い笑みを浮かべた。
思わず顔を真っ赤に染める月島。そんな彼女の横から、呆れたリベリアが助け舟を出す。
「天崎さんなら今は私の部屋で漫画を読んでるはずですから、そこまではっきり聞こえてはいないんじゃないですかね?」
「むむむ。リベリアさん、そう気安く殿方を部屋に上げるのは、淑女としてどうかと思いますよ。しかも、ご自身が不在の時に」
「大丈夫です。私の部屋は、喫茶のない漫画喫茶みたいなものなので」
「それ、普通に図書館では?」
微妙に噛み合っていない会話を軌道修正するように、さくらがコホンと咳払いをした。
「というわけで、お二方には明後日に向けてチョコを手作りしてもらいます!」
「で、でも私、チョコなんて作ったことないですし……」
「私も右に同じですねぇ。市販の物を溶かして形作るくらいしかできないと思います」
不安がる二人を余所に、さくらは意気揚々と口の端を吊り上げた。
「いえ、それでいいのです。あなたたちにはまず、溶かしただけの手抜きとは思われず、それでいて簡単に作ることができるチョコレート……トリュフを作ってもらいます!」
「「トリュフ?」」
「ほら、そこ、ポカンとしない! トリュフくらい知ってるでしょ!」
もちろん知っている。だが二人は市販されている物しか食べたことがなかった。
そんなこんなで、さくら指導の下、早速トリュフ作りが始まった。
鍋に入れた生クリームを中火で沸騰直前まで温め、刻んだチョコレートへ注いでヘラで混ぜ合わせる。クリーム状になったらラップをし、冷蔵庫で冷やすのだが……。
「時間がもったいないので、事前に冷やしておいたガナッシュがこちらです」
「三分クッキングですか……」
今作った物と入れ替えるようにして、さくらが冷えたガナッシュを取り出した。
それをスプーンですくい、手の平で団子状に丸める。その途中、リベリアがなんとなしに呟いた。
「そういえば、どうしてバレンタインってチョコを渡すんですかね?」
すると隣にいた月島が、手を動かしながら答えた。
「最初は企業の戦略だったんですよ。チョコレート業界やデパート業界が広告を出して、それから徐々に『女性が男性に向けてチョコレートを贈る日』と定着させていったみたいです」
「はえ~」
「ちなみに贈る物がチョコ以外だと、クッキーは『友達でいようね』という意味。マシュマロは『あなたが嫌い』。キャラメルは『あなたは安心する存在』、マカロンは『あなたは特別な存在』……だったかな」
喋っているうちに舌の滑りが良くなったのか、月島は訊かれてもいないことを次々と口にする。だが、それがいけなかった。集中力が散漫になり、月島が丸めたチョコレートは、そこら辺に転がっている小石みたいにごつごつと粗く、大きさもまちまちになってしまった。
「月島さん! 知識はあるのに不器用すぎます!」
さくらが狼狽し、月島は恥ずかしそうに肩を落とした。
「ここは私に任せてください」
袖を捲ったリベリアが、神業的なスピードでチョコレートを丸めていく。次々に出来上がっていくトリュフは、寸分違わず見事な球体をしていた。
「ほお。リベリアさん、お上手ですね」
「手先の器用さには自信がありますので。あ、隠し味として、ここで自分の血でも混ぜておきましょうか」
「ダメです! リベリアさんは器用なのに知識が偏っています! いや吸血鬼的にはアリなのかもしれませんが!」
包丁を取り出して自分の指を切ろうとするリベリアを、さくらは慌てて止めた。
なかなか上手くいかない二人に、指導役としての力不足を実感したさくらは、悔しそうに歯を食いしばる。
「くっ。こんなことなら、もっと早くから練習させておくべきでしたね。風邪さえ引かなければ……」
その時、玄関の扉がゆっくりと開いた。
隙間から顔を覗かせたのは、二つ隣に住むサキュバス――有沢空美だった。
「なんか賑やかしいと思ったら、女が三人も集まってたわけか。そりゃ姦しいわけだ。んで、雁首揃えて何やってるんだ?」
「明後日のバレンタインに向けて、手作りチョコレートの作り方を教えているのです」
「ふーん、手作りねぇ。また面倒なことしてんな。チョコなんざ、市販で十分だと思うがね」
「空美さん。申し訳ありませんが、二人のやる気を削ぐような発言は慎んでいただけませんか?」
意外にも本気で不快感を表すさくら。だがもちろんのこと、空美も別に難癖を付けたいわけではなかった。
「いやいや。そりゃ手作りも悪かねえけどさ、問題は渡し方よ。市販のチョコレートでも自分の身体に塗りたくって、好きな男の前で『私をお食べ』とか言えば、間違いなく落ちる。少なくとも既成事実は作れるだろうよ」
「ゲホッ、ゲホッ……」
「――ッ!?」
急にぶっ込んできた下ネタに、リベリアは咳払いをし、月島は恥ずかしさのあまり顔を背けてしまった。
しかしさくらだけは冷静だった。感心したように、深く頷く。
「なるほど。サキュバスらしい発想ですね」
「だろ? 胸とか股間に塗れば、こっちも気持ち良くなれて一石二鳥さ」
「「…………」」
なんだか会話が妙に生々しくなってきた。羞恥心よりも不快感が上回り始めた二人は、冷めた目をしてドン引きしている。
空美の下ネタはさらに続く。
「もしくは男のアソコに塗って、女が舐めるという手もある。喜ばれること間違いなしだ」
「空美さん、ダメです。それはいけません。バレンタインは女性から男性へチョコを贈る日。それでは女性がチョコを口にしてしまいます」
「むぅ、確かにな」
「それをやるなら、ホワイトデーですね」
「おお! 無料のホワイトチョコレートのお返しで、財布にも優しいってか!?」
「やめてください! どこのエロ親父たちの会話ですか!」
このままでは際限なく続きそうだったので、さすがにリベリアが止めに入るのだった。
「ともあれ、邪魔したな。二人とも、がんばれよ」
ヒヒッと悪魔的な笑みを残した空美は、さっさと去っていった。
突然の嵐が過ぎ、しばらく呆然と言葉を失ってしまう二人。そんな中、さくらが一人、神妙な顔をして呟いた。
「ふむ。料理は私が教えるとして、夜の勉強は空美さんに教わるのが良いかもしれませんね」
「「良いわけないです!!」」
リベリアと月島は、口を揃えてツッコミを入れたのだった。




