エピローグ
日曜日の午前十時ごろ。
学級閉鎖が解け、明日から登校を控えたその日、天崎の部屋に来客があった。
出迎えた玄関先では、犬の耳を頭の上に載せた小さなお客さんが立っていた。
「おお、むらさきじゃんか。おはよう」
「おはようございます」
丁寧に頭を下げるむらさきの耳と尻尾は、喜びを隠しきれずに忙しなく動いていた。
「こんな朝早くにどうしたんだ? むらさき一人なのか?」
「うん、一人。里が燃えて家がなくなっちゃったから、新しく建て直すまで近くに引っ越してきたの。今日はそのあいさつ」
「そうだったのか……」
実は三日前、空き家に身を隠している時に、里を再建するまで『調査員』が用意してくれたアパートに移り住むだろうという話は里長から聞いていた。でもまさか、子供のむらさきが一人で来れるような近場だとは思わなかった。
里長との連絡手段もなく、あれから獣人たちがどうなったのか、むらさきにいろいろ訊きたいところだったが……彼女の耳や尻尾の動きからして、挨拶以上の目的があるのは見え見えだった。
すると来客の声を聞いたらしい円が部屋の奥から駆けつけてきた。
「むらさきちゃん!」
「円ちゃん!」
まるで生き別れの姉妹と再会でもしたかのように、二人はギュッと抱きしめ合った。
「いやいや、お前ら先週遊んだばかりだろ。つーか先週知り合ったばかりだろ。なんでそんな感動の再会みたいになってんだ」
子供の考えてることは分からんなとでも言いたげに、天崎は呆れたのだった。
そして案の定、瞳を輝かせた円の口から、当然の要求が出てくる。
「あそびたい!」
「んー……まあいいか。ちょっと待ってろ」
たまには円のご機嫌を取ってやるかと、天崎は軽く外行きの用意を済ませた。
「ミルミルも呼ぶよな?」
「よぶ!」
「オッケー。んじゃ下に降りよう」
一同は列を作って階段へ向かう。
そこで偶然にも、一つ離れた部屋から月島が出てきた。
「おう、月島。買い物か?」
「うん、ちょっとコンビニへ……。あれ? むらさきちゃんがいる」
「お姉ちゃん、おはようございます」
頭を下げるむらさきに、月島もまた律儀に会釈を返した。
挨拶を交わした後、月島は事情を聞きたげに天崎へ視線を向けてくる。
「えっと……今日はどうしたのかな?」
「単にむらさきが遊びに来ただけだよ。俺も暇だし、円が外に出るなら部屋に居るわけにもいかないから、また面倒見てやろうかなと思って」
「そうなんだ。……私も行こうかな」
「体調はいいのか?」
「うん、もう大丈夫だよ。来週からは学校にも行けるから」
確かに、月島の頭の獣耳は完全に消えていた。残るはインフルエンザだが、本人が言うのなら、もう心配はいらないのだろう。
「じゃあ……リベリアさんも呼んじゃおうかな」
「リベリア? 熟睡してる時間だろ」
そう指摘する間にも、月島がスマホを操作し始める。
すると突然、一階の扉がすごい勢いで開いた。
「話は聞かせてもらいました! 人類は滅亡……じゃなくて、私も行きます!」
「お前、大丈夫なのか?」
「ちょっとくらいなら」
親指と人差し指で隙間を作ったリベリアが、日傘を差して庭へ出てきた。
そしてミルミルも連れて、一行は近くの公園へと向かう。
子供三人がボールで遊んでいる光景をベンチで見守りながら、天崎はリベリアと月島に問いただした。
「にしても、お前らいつの間に仲良くなったんだ? 連絡先まで交換して」
「私とリベリアさん、思いがけない共通点があったの」
「そうなんですよ!」
「へー、その共通点って?」
「「教えません」」
声を合わせてまで拒否した二人は、「ねー」と意気投合し始めた。
まあ仲が良いのは良いことだし、乙女同士の秘め事に首を突っ込めるほど天崎も野暮ではない。ここは聞かぬが花というやつだ。
「良いことといえば、そういや俺もむらさきから嬉しいこと言われたな」
「「?」」
二人が顔を見合わせると、天崎はボール遊びに熱中しているむらさきを呼びつけた。
「おーい、むらさき! ちょっといいか?」
「なあに? お兄ちゃん!」
ぴょこっと耳を立てたむらさきが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
その様子を見ていた天崎の表情は、デレデレに緩んでいた。
「ほら。むらさきの奴、俺をお兄ちゃんって呼んでくれるんだよ。俺って一人っ子だし、円は東四郎って呼ぶから、本当に妹ができたみたいで嬉しくてさ……って、ちょっと待て。なんでお前らそんな怖い顔してるんだ!?」
「私たちだって妹ですよ!」
「そうだよ! 妹ならここに二人もいるんだから!」
「お前らが妹だってのは知ってるよ。でも俺にとっちゃ妹って感じでもないだろ? 妹ってのは、もっとこう……小さくて可愛くて兄の背中をずっと追いかけ回して……まるでむらさきみたいな女の子を指すもんだ」
「妹に幻想を抱きすぎです!」
「んなことない。現に理想の妹がここにいる。なあ、むらさき」
「うん、お兄ちゃん!」
純粋無垢な笑顔を向けるむらさきの頭を、天崎は優しく撫でた。
その後ろでは嫉妬の鬼たちが大噴火である。
「私たちだってお兄ちゃんくらい言えます! お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「だあああ、うるせえええ!!」
両サイドから呪詛のように連呼されるお兄ちゃん攻撃に、天崎はたまらず両耳を塞いだ。
とそこへ、呆れた第三者の声が足音とともに近づいてくる。
「なんか黄色い声が聞こえると思ったら、こんな所にいたのか」
「あ、玉藻さんだ」
「玉藻!?」
むらさきの声に驚いて顔を上げると、確かにそこには玉藻がいた。
彼女は天崎の前に立ち、「よっ」と片手を挙げる。
「怪我はもういいのか?」
「ああ。そこの吸血鬼にやられた傷なら、ほとんど治ったよ。ったく、両腕両脚の骨折をマジで三十分で治すとか、いったいどんな身体の構造してるんだよ……」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、玉藻はリベリアを一瞥した。
リベリアはリベリアで、何やら月島とひそひそ話し合っている。「この方が今回の敵の九尾です」「えっ、このグラマラスな女性が……」という内容が聞こえてきたので、天崎は関わらない方がいいだろうと判断した。
「もふもふだ!」
「もふもふでち!」
いつの間にか近づいてきた円とミルミルが、玉藻の尻尾に抱きついた。
「なんだ、このガキどもは! 離れろ! 暑苦しいだろ!」
「「わー!」」
蜘蛛の子を散らすとはこのことだ。怒られることをいち早く察知した二人は、一目散に広場へ走っていく。
その中にむらさきが混じっているのを見て、玉藻は満更でもなさそうな笑みを浮かべた。
「ったくよ……」
「お前が尻尾を隠さないのが悪いんだろ」
つばの広い麦わら帽子を被っているため、狐の耳はちゃんと隠れている。しかし子供の身長ほどもある大きな尻尾は、特に対策もせず外部へ露出していた。
むらさきくらいの年齢ならアクセサリで通るかもしれないが(というか先週はそれで通したが)、二十代半ばの女性が堂々と尻尾を生やしていたら、間違いなく注目の的だろう。
「しゃあねぇだろ。つい先日まで九尾の力を持ってたオレは、耳や尻尾の隠し方を知らないんだからさ。まあ、ここに来るまで人間どもの視線がウザかったから、どうにかしなきゃならんのは確かだが……」
「それはもっと別の所を見てたんだと思うぞ」
以前と同じく、玉藻の服装は無地のワンピース一枚のみだった。どう見ても下着を着用しておらず、また少し大きめのサイズであるためか、屈んだだけでもほぼ丸見えになってしまう。世の男性には眼福だろうが、視線が気になるならそれ相応の恰好をしなければならない。
というか、里から出たことがないせいで羞恥心が他人と違うことは理解できるが、人間社会で暮らすなら誰か常識を教えてやれよと、天崎は思った。
「で、何の用だ? わざわざこんな所まで来て」
「むらさきの様子を見に来たってのと、病み上がりの挨拶は事のついでだな。お前に一つ報告がある」
「報告?」
「群青が消えた」
「……は?」
さすがに寝耳に水だった。
返す言葉も見つからず、天崎は目を瞬かせる。
「消えたって……」
「書置きがあったんだよ。しばらく旅に出るってな。それ以上のことは何も書いてなかった。だからあいつが何を思って旅に出たのか、何がしたいのかはオレにも分からん。そこはお前の想像に任せるよ。あと、むらさきはこのことを知らないから黙っててくれ」
「…………」
元凶は獣王の遺灰だったとはいえ、群青はその思想を受け入れ、自分の行いは間違っていないとまで宣言したのだ。今回の件について責任を感じたというよりは、考え方の異なる獣人たちと共に暮らしていくのは不可能だと判断したのだろう。獣王の思想に賛同したのが自分だけという事実が、さらに拍車を掛けたに違いない。
ただ群青が何を思ったのか、本人に聞かない限り真相は明らかにならない。これ以上の想像は無意味と判断し、天崎は考えることを止めたのだった。
「ひとまず群青のことは置いといて、オレもしばらくむらさきと同じアパートで暮らすことになった。だから今回の恩返しも兼ねて、何かあったらオレを頼れ。お前に盗られた九尾の力も少しは残ってるみたいだから、他の獣人よりは役に立てると思うぜ」
「あぁ、そうするよ」
姉御肌を漂わせる玉藻に、天崎は裏表のない笑みで返した。
ふと、未だに顔を寄せ合って話しているリベリアと月島の存在に気づく。
「ち、近くに住んでるってことは……」
「ま、またライバルが増える……?」
「うん?」
二人の密談が耳に届いたのか、玉藻が訝しげに首を傾げた。
彼女の理解は早かったようだ。
「ははん。なるほどな」
不敵な笑みを浮かべた玉藻は、いきなり天崎にヘッドロックを仕掛ける。あまりの不意打ちに、天崎の頭は為す術なく彼女の豊満な胸部へ埋もれてしまった。
「このガキにはオレも恩があるから、ちょっとばかしサービスしてやってもいいかな」
「んなぁ!?」
奇声を上げて絶句するリベリアと、大口を開けて固まる月島。
数秒後、示し合わせた二人は、玉藻から天崎を引き剥がそうと躍起になった。
「ダメです! そんな恩返しは不潔です!」
「というか、この強引な性格……どこか既視感ある!」
「だっはっは」
周囲に響く姦しい喚き声。
その中心人物である天崎は、なんでもいいから早く放してくれと、顔を青くさせながら「ギブ……ギブ……」とタップし続けるのであった。




