間 章 とある人間と吸血鬼の会話
部屋に残されたリベリアと月島は、天崎が出て行った玄関を呆然と見つめていた。
「……行っちゃった」
「……行っちゃいましたね」
そのまま少しだけ待ってみるものの、戻ってくる気配はない。どうやら本当にどこかへ出掛けてしまったようだ。
誰も帰ってこない扉を見続けていても仕方がない。天崎のことは諦め、視線を戻した月島だったが……ふと気づいた。押し入れにいる円を除けば、自分は今リベリアと二人きりだ。
「あ、あの、リベリアさん」
「はい?」
「午前中にも挨拶したと思いますが、改めまして……先日おののき荘に引っ越してきた、月島洋子といいます。よろしくお願いします」
「あっ、こちらこそよろしくです。リベリア=ホームハルトです」
布団の中から丁寧にお辞儀をする月島に合わせて、リベリアもまた頭を下げる。
だがしかし――、
「…………」
「…………」
自己紹介以上の話題が続かなかった。
今朝はまだ月島の体調が優れず、名乗る以上の言葉を交わしていなかった。またあの時は円もいたため、完全に二人きりになるのは、これが初めてなのである。
そして会話が途切れ、気まずい沈黙が降りるのも仕方のないことだった。
月島はほぼ初対面の相手と和気藹々に話せる性格ではないし、そもそも目の前にいるのは自分の数倍も生きている吸血鬼。転校してから少しずつ培ってきた対人スキルは役に立たないと勝手に判断してしまい、口を開けずにいた。
一方リベリアは、月島にどういう態度で接すればいいのか決めかねていた。
自分の記憶が正しければ、月島は学園祭の時に天崎と二人きりで学内を回っていた女子生徒なのだ。天崎に向ける気持ちと同様、ある意味特別な感情を抱いた月島に対し、他の人と同じように接することなどできるはずはなかった。
とはいえリベリアも、いきなり天崎との関係を問いただせるほど度胸があるわけでもなければ、よく知らない相手に無愛想になれるほど性格が擦れているわけでもない。ひとまずこの重苦しい雰囲気から脱却するべく、彼女は月島に訊ねた。
「月島さんって、確か守護霊のお姉さんと人格を交代することができるんですよね?」
「はい。一日三十分までですけど……」
「はえー、そうなんですね。ちょっと前の話なんですけど、私、お姉さんの方には会ったことがありますよ。夜道で決闘を申し込まれました」
「は、はは……」
リベリアは決して責めているわけではないのだが、月島は気まずそうに視線を逸らした。触れられたくない過去……まるで黒歴史でもほじくり返されたように、露骨に口を噤む。
そして――、
「…………」
「…………」
再び重い沈黙が訪れた。
自分が話題を切ってしまったという焦燥感からか、今度は月島から声を掛ける。
「リベリアさんって、本物の吸血鬼なんですよね?」
「そうですよぉ。私って、そんなに吸血鬼に見えませんかね?」
心配そうに自分の身体を見回し始めるリベリアを見て、月島は慌てて取り繕った。
「あっ、いえ、そうじゃなくて、フレンドリーなリベリアさんを見てると、なんだかイメージしていた吸血鬼像と違うなぁと思って。もっとこう……根暗で、痩せこけてて、尊大な態度で他人を見下してて……」
「あー……私の兄がだいたいそんな感じです」
「リベリアさんのお兄さんって、前のおののき荘を壊したっていう?」
「いえ、旧おののき荘を破壊したのはミシェルさんっていう兄の眷属なんですが……まあ同じようなものですね……」
月島の問い掛けは確認の意味でしかなかったのだが、リベリアは居心地が悪そうに頭を掻いた。身内の粗相を恥じ入るように俯いてしまう。
そして――、
「…………」
「…………」
またしても気まずい沈黙が降りた。
だが今までの会話は無駄ではなかったようだ。リベリアがお互いの意外な共通点に気づく。
「そういえば、私たちって二人とも妹ですね」
「言われてみれば……」
そう。兄と姉の違いはあれど、二人は妹なのだ。
その事実が判明した途端、リベリアは唯一の身内に対して愚痴り始めた。
「私の兄はホント困ったちゃんなんですよ。ホームハルト家には代々成人の儀ってものがあるんですが、それを私に強要してきて……。まあ、嫌がって逃げてきた私も私なんですが」
「私のお姉ちゃんも、ちょっと過保護すぎるところがあるかな。私がいつまでも甘えてたのが悪いんだけど……」
「あー、それすっごい分かります。もう子供じゃないんだから、自分でいろいろと考えて行動できますって! お互い、過保護な上の兄姉を持つと苦労しますねぇ」
「はは」
腕を組んだリベリアは天井を仰ぎ、曖昧に笑った月島は自分の背後を一瞥した。
しかし次に月島と目を合わせたリベリアの表情は一変していた。身内に対する不満を露わにしたものから、素敵な思い出を懐古するように、どこか遠い所を見つめている。
「でも……そんな時に助けてくれたのが天崎さんでした。知り合って日が浅いどころか、命を奪いに来た私のために、兄と戦ってくれて……」
「……私も同じです。死を覚悟してた私をいつまでも気に掛けてくれて、最後には三途の川まで追ってきてくれました」
感傷的になったリベリアと同調するように、月島もまた天崎と出会った時のことを思い出していた。
お互いが自分の大切な思い出を振り返っているためか、先ほどとはまた違った性質の静けさが訪れる。そんな中、月島が不安そうにポツリと呟いた。
「それだけに心配なんですよね。いつか取り返しのつかない大怪我をしそうで」
「そうそう。天崎さん、困ってる人がいたら見境なく助けようとしますからね」
「もっと自分を大切にしてほしいですし」
「心配してる方の身にもなってほしいですよねぇ」
「でも、一番心配なのは……」
「おっ、月島さんも分かってらっしゃるようで」
そう言って、二人は顔を突き合わせた。
「「新しい女の子が増えること!」」
意見の合った二人は、どちらからともなく笑い出した。
すると珍しく調子に乗った月島が、不貞腐れながら悪態をつく。
「天崎さん、いろんなところで女の子と仲良くなってる気がします」
「そうなんですよ! 今回もむらさきさんが泣いて助けを求めてきたら、脇目も振らずに獣人の里へ突っ込んでいきましたからね」
「でも、むらさきちゃんはまだ子供だから……」
「甘いですよ、月島さん。甘々です。あれくらいの年頃の女の子は多感ですからねぇ。自分を救ってくれたっていう事実だけが記憶に残って、あとで恋心が芽生えても不思議ではありません」
「な、なるほど……」
「それに九尾の玉藻さんも、空美さんに引けを取らずナイスバディでしたからねぇ」
「えー! もう、天崎さんったら!」
掛け布団をギュッと握りしめた月島が、ぷりぷりと怒り出した。
その様子を見て、リベリアはぷっと吹き出す。
「私、月島さんのことを誤解していました。失礼な言い方かもしれませんが、他人のことを悪く言えない芯の弱い人なのかと。でも実際に話してみたら……全然違いましたね」
「昔は……天崎さんと出会うまでは、そうだったかもしれません。でも今は違います。お姉ちゃんがいなくなってからは、一人で生きていかなくちゃと……思いましたから」
一言一言をはっきりと紡ぐ月島の瞳には、力強い意思が宿っていた。
子供の頃からずっと一緒にいた姉を失い、月島は足元から崩れ落ちた。だが、もう歩けないと決めつけていた月島の手を取って、支えてくれたのが天崎だった。そんな彼に迷惑を掛けたくなくて、そして一人の女性と認められたくて、彼女は立ち上がろうと決心したのだ。
今の自分があるのは天崎のおかげ。彼女の瞳は、そう物語っていた。
今度は月島がリベリアへと笑いかける。
「私も勘違いをしてました。リベリアさんって、もっと怖い人だと」
「まあ、あながち間違いではないんですけどね。私も天崎さんと出会う前は、あんまり人間のことを知りませんでしたから」
欧州の山奥にいた頃、リベリアにとって人間はただの食糧でしかなかった。
しかしこの地に来てから、人間は食糧以上の価値があることを知った。そして吸血鬼の自分でも、受け入れてくれる環境があることも知った。それを最初に教えてくれたのが……天崎だった。
はにかんだリベリアが、月島の方へ手を伸ばす。
「私たち、似た者同士なのかもしれませんね。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」
笑い合った二人は、熱い握手を交わすのであった。




